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しおりを挟む「……被害者が滝田先生だから? だから、ハルキは『犯人』のスズを気にしてるの? 昨日はあたしの『監視』に来て、スズの事を聞いて。今日はカホの事……。ハルキは『犯人』のスズが憎いから、そうやって調べてるの?」
美空は気が付いていたのだろうか。この時の春生は気が付いていなかった。
彼女はその発言から「安藤果歩の柔道部、退部」と「水谷鈴呼の殺人」……更には自身の「棒高跳びに没頭」まで、三つの出来事には関連性がある事を示してしまっていた。
「……違うよ」と彼女の詰問に春生は答えた。
「嘘だ」と美空は横を向いた。
「嘘じゃない」
「だったら何でハルキはスズを調べてるの? ……ただのクラスメートが、そんなに気になるものなの? 仲の良かった先生が殺されて、スズを怒ってるからじゃないの?」
「待て待て待て。部員一人の部活だからってな、顧問の教師とそんなに親しくしてたわけじゃないよ。去年は三年生も居たんだし」
美空の哀憐――「らしくもない」表情を打ち払うが如く、力強く語られた春生の言葉に嘘は無かった。
(……実際、殺されたのが「部活の顧問」だったなんて、あの時、瀬尾に指摘されるまで忘れてた……頭に無かったもんなあ。)
その事実を反省するかのように春生は思い返していた。
「じゃあ……何で? そんなにスズの事を」
「確かに。ただのクラスメートだよ。親しくしてたわけじゃない……どころか、ほとんど話した事も無かった。でもな。水谷は、そんなオレに……あの時、手を伸ばしてきたんだ。オレを……制服の袖口に触れたんだ。オレの印象にあった『水谷鈴呼』は、それが必死の助けであっても、誰彼構わず、手を伸ばすようなヤツじゃなかった。その手を伸ばされたんだ。上手く言えないけど……だから、だと思う。自分で思い当たる理由は、それくらいだよ。……ただ現実として水谷の事が無性に気になってるんだから……しょうがない」
春生は、素直に自分の気持ちを吐露してみた。
そうして言葉にしてみた事で、花村春生の中に在った、ふわふわとしていた気持ちがようやく、きちりと形作られたような気がした。……春生は妙に落ち着いた気持ちになってしまったのだった。
「……そっか」
未だ哀しげな表情のまま、美空は安堵のであろうような吐息を漏らした。
(瀬尾美空は……イイヤツなんだよな。オレを問い詰めた時のあの顔は、瀬尾が水谷の親友だから……だと思う。もしオレが「滝田先生を殺した犯人」だからって理由で水谷の事を気に掛けているんだったとしたら……水谷鈴呼を憎く思うような人間とは親しく出来ないとか、ムカツクとか、水谷が可哀想だとか、そういう気持ちだったんろうな。)
「……ンしょっと」と湯船から上がった春生は、赤く茹で上がった身体に真っ白いバスタオルを当てながらぼそぼそと独り言ちた。
「亡くなったのは『仲の良かった先生』……か。滝田……ナントカ先生。……下の名前も知らないのにな……。……それでも。他の人間から見たら『仲の良かった先生』なのか」
美空から言われた言葉を思い返し、春生は変な顔をする。
「……ギリとかヨシミとかってんじゃないけど。コドモながらにも線香くらいはあげに行くのが普通なのか……? …………。……『現場』にも立ち会っちゃったしな……」
それまでずっと「水谷鈴呼」の事ばかりに気を取られていた春生だったが……いざ、「滝田の家に行く」事を心に決めると、
(……そうだ。滝田先生の家に行けば、何か、先生が殺されなければならなかった理由が分かるかもしれない。そこまで明確な「答え」は無くとも、先生と水谷の繋がりくらいは分かるかもしれない。先生と水谷の繋がりを辿れば、その何処かで、水谷が、どうして、あんな事を仕出かしたのか……その理由を推測する事が出来るようになるかもしれない。)
今の今迄、その考えに至らなかった事が不思議なくらいに単純な「発想の転換」に気が及んでしまった。
……あの惨劇は「水谷鈴呼が殺した」事に、深い意味があったのではなく「滝田先生が殺された」事の方にこそ、強い意思が働いていたのかもしれないのだ……。
「ン~……と」
真っ白いバスタオルで手荒く頭を掻き拭いながら春生は考える。……一般的に葬式は亡くなった次の日か、その次の日だったか。
それが殺人事件の被害者だった場合、テレビのドラマにあるように、実際にも遺体の返却が遅れ、葬儀もまた遅れたりする事があるのだろうか。
(……あれ? 葬式って、招待状みたいなの要らないよな? ……でも。かなりの前に親戚の葬式に出た時は、昼飯とか出てた気がするな……。……呼ばれてないのに行ったら、昼飯とか足りなくなるか……?)
春生は、
「ンン~……とりあえず、葬式の場は避けて。日曜日にでも線香だけ、あげに行くか」
着慣れた寝巻きを着込んで、ようやく風呂場から出た。相変わらずの長風呂だった。
……花村春生にとっての「風呂」とは、本当に自然と、その日の出来事を反芻してしまう時間になっていた。この行為――思えば、睡眠中に夢を見る事と似ているかもしれない。
「……失礼の無いよう、日曜にまでに下の名前は調べておかなくっちゃ……だな」
花村春生が所属するパズル部の顧問であり、春生達、二年生の数学を担当していた「滝田先生」のフルネームは「滝田登」と言った。
よく晴れた、日曜日。休日にも関わらず、春生は制服を身に付けていた。
いつもなら緩めているネクタイもしっかりと締めて、背筋にも意識を向ける。
「此処だよな……」と、地図を片手に辿り着いた普通の民家を軽く見上げ、それから、遠慮がちにインターホンを鳴らした。ピンポーン……ガチャ。
「ごめんください。自分は中学校で滝田先生にお世話になっておりました、花村と言う者です。今日は、先生にお線香をあげさせて頂きたく……」
「花村……? ……花村春生さん?」
春生の自己紹介が終わるのを待たず、返ってきたのは、年配と思われる女性の声だった。……もちろんと言うべきか、春生には聞き覚えの無い声だった。
春生は、先方が自分のフルネームを知っていた事を軽く不思議に思いながらも、
「あ、ハイ。そうです。先生には部活でもお世話になっておりまして」
と、素直に応えた。
「……どうぞ。鍵は開いてますから。お入りになってください」
数瞬の間を置いて、その声は春生を迎え入れてくれた。
……滝田登の母親だろうか、覇気の無い声の主は、やつれた表情の女性だった。
「今日は、わざわざ、ありがとうございました」
仏間に通され、線香をあげ終えた春生に向かい、滝田の母は丁寧に深く頭を下げてくれた。……思い掛けず、オトナの扱いを受けてしまった春生は、
「あ、いえ。その……この度は、本当に……」
慌てふためく自らを恥ずかしく思いながらも、頭を下げ返すくらいしか、出来なかった。
「今、お茶を淹れますから」と立ち上がった滝田の母に、春生は、
「あ、お気になさらず。自分は、もう……」
と急いで腰を浮かせたが、
「花村さんは……部活動であの子と一緒だったのよね。……花村春生さん。花村さんのお名前は、あの子から聞いた事があるのよ。快活で聡明で、責任感の強い子だって……。……よろしければ少しだけでも、学校でのあの子の話を聞かせて頂けないかしら……」
「あ……はい。自分でよければ……」
先方に、そんな言われ方をしてしまっては、そのお茶を無下に断れるはずは無かった。
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