春待ち木陰

春待ち木陰

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「……ンふッ」

 一緒は、少しの驚きと大きな喜びとで強く目を見張っていた。

「ハルキに――近付くなッ!」

 鈴呼の怒声に、ようやく我を取り戻したらしい立ち会いの職員が「水谷鈴呼ッ!」と叫びながらに背後からその細い首に腕を回した。彼女をアクリル板から、引き剥がす。

「面会は終わりだ!」

 言い放った職員は、鈴呼を強引に部屋から連れ出そうとしていた。

 一緒は、鈴呼の黒目を凝視したまま……「小糸さん」と囁いた。

「立ち合いのッ!」

 と、小糸朔太は鋭く強い声を発した。

「何をしている。面会の制限時間は、まだ過ぎていない」

「……しかし。コイツは、今……」と、立ち合いの職員は不服そうに顔を歪ませる。

 だが――小糸は、そちらの主張などまるで顧みず、

「面会の制限時間は、まだ過ぎていない」

 再び、同じ言葉を口にした。

「……失礼しました」

 不服顔のまま、立ち合いの職員は渋々と頷くと、水谷鈴呼を取り押さえていた腕から力を抜いた。職員の手から離れた鈴呼は、静かな歩調で元の席にまで戻ると、

「…………」

 無言のまま、強く険しく、アクリル板越しの春日一緒を「睨み付けた」。

「……ごめんなさいね。どうも、ありがとう」

 小糸朔太に対してか、立ち合いの職員に対してか……はたまた、その両名に、だろうか。春日一緒は小さく囁いた。その視線は水谷鈴呼に注がれたまま。その表情は、ニタリといやらしく、薄気味の悪い「笑顔」に歪められていた。

「オーケー、鈴呼さん。あたし、春日一緒は『花村春生』に近付かない。約束をするわ。破ったりはしない。『春日一緒』じゃないからって、小糸さんに近付いてもらったりとか、そういった『言葉遊び』もやらない。……ここに誓うわ。今後、一切、春日一緒は、その『意思』を『花村春生』には向けない」

「…………」

 一緒の「誓い」を受けて尚、鈴呼は、その表情を少したりとも緩めはしなかった。

「ゴメンナサイ、鈴呼さん。あなたを怒らせるつもりは無かったのよ? むしろ、喜んでもらいたい気持ちがあるわ。……あなたに興味があるのよ。好奇心が抑えられないの……。……ねえ、鈴呼さん。あたしは、あなたの『お友達』にはなれないのかしら?」

 ……春日一緒は、思っていた。

 誰かが仕組んだ事柄なのか、それとも、自然に起きた現象なのか。……世界中の人間が体験をしてしまった「未来」。その最大の「被害者」は――春日一緒が思うに――「水谷鈴呼」なのではないであろうか。例えば、殺されてしまった「滝田登」よりかも――その犯人である「水谷鈴呼」の方が、ずっと「悲劇的」ではないであろうか。

 望まざるに「未来」を体験させられ、他の多くの人間がそれを忘れてしまっている中、彼女の記憶には何故か、深く、残ってしまっていた。「殺人」を犯してしまうくらいに、重要な「何か」を体験させられ、忘れる事も出来なかった。……結果、彼女は「殺人」を犯してしまう。

 ……水谷鈴呼の「殺人」は、誰しもが首を傾げる、まさに「不可解」な事件であった。

 それも、そのはず。「滝田登」が殺されなければならなかった理由は「未来」に在り、「今」には――つまりは「この世界」には、存在していないのだから。彼女が「殺人」を犯した「動機」は「無い」のである。……水谷鈴呼の「殺人」は、彼女本人以外の誰にも、理解をされない――同情をされない、絶対に「不可解」な一件なのであった。

 彼女の「動機」は、誰にも知られない。口に出してしまう事を頑なに拒み続けるくらい、激しい「何か」である。その「何か」は、誰にも理解をされない。共感をされないのだ。

 春日一緒は、彼女の「悲劇性」に強く惹かれてしまった。彼女を「殺人」にまで、奮い立たせた「何か」を知りたいと想った。それは、彼女の「怒り」なのか「哀しみ」なのか、はたまた……。一緒は、その「想い」を共有したいと想った。自身も、感じたいと想った。……水谷鈴呼は、それを望みはしないであろうが。春日一緒は、強く想ってしまったのだ。――「彼女を知りたい」と。興味を持ってしまった。好奇心をくすぐられてしまったのだ。

「覚えておいて、鈴呼さん。――あたしは、あなたの『お友達』になりたいの」

 春日一緒は、己の「欲望」に素直だった。――「友達になりたい」とのたまった彼女の表情は、とてもではないが「友達」に向けられるようなモノではなかった。

 

 放課後は、まだ、始まったばかりだった。

 瀬尾美空の跳躍も、今ので、三回目。

「身体が暖まっていない」とも言えるが、美空の感覚的には「身体の具合が、イメージに追い付いていない」といったところか。

「イメージは出来上がってるんだけどなあ……」

 腰に手を当て、不満げに漏らした美空は――偶然、その視線の向こうに花村春生の姿を見つけてしまった。

 校庭のあちら、二百メートルといったところか。春生は、鞄を肩に、とぼとぼと歩いていた。いつだかのように、こちらへ向かってきているのではなく、普通に下校中のようであった。

「ハルキッ!」と美空は大きな声を掛けた。

 顔を上げた春生は、こちらを向くと「…………」。無言のまま、片手を挙げて、挨拶を返してくれた。

 美空の「練習場」である砂場は校庭の端に在った。春生が無理に避けたりとしなければ、その下校途中に、この砂場のすぐ隣を通る。

 のんびりとこちらの方に歩いて来る春生の視線を感じながら、

「……よしッ。もッかい」

 美空は、ポールを握り直した。

 呼吸を整える。……構え、走り、跳ぶ。

「おおー……」と遠くで、誰かの感嘆が聞こえた気がした。

 空気を切り裂き、跳び上がり、そして、一瞬の浮遊感。

 空が――真っ青だった。

 ……ボフッと、厚手のマットに降りた美空は「この感じ……ッ!?」と身体中の毛穴が開くみたいな興奮を覚えた。

「調子、良いみたいだな……頑張れよ」

 美空の背中に、春生の声が掛けられる。

「――ウンッ!」と美空は輝かしいまでの笑顔で振り返った。

「…………」と一瞬だけ、唖然とした後、春生は「……ふはッ」と笑ってくれた。

「ああ……そっか」と美空は呟く。

 ――春生の笑顔を見返しながら、この時、美空は一つの「可能性」を「仮定」していた。

 忘れる事の出来ない「あの日」の放課後も――その次の日もであった。美空が抱いた「イメージ」の通りに跳躍する事が出来た時――その場面には必ず「彼」の視線があった。

 美空は「花村春生」に見詰められている時に限って、その身体的能力の「通常」を超え、頭と心とに抱いている「理想」通りの跳躍が出来ているのだ――その「理由」は別に置き、その「因果関係」は、紛れも無い「事実」であった。

 瀬尾美空が、その「理想」的な「イメージ」を完全に我がモノとする為の「鍵」は――この「花村春生」に違いなかった。

「ンじゃ、お先にな」

 そう言い残して、その場から離れようとした春生に、美空は、

「や――ちょっと、待って」

 両の手を思いっ切り、伸ばして、春生の背中を掴んだ。そして。そのまま――倒れ込む。

「……何やってんだ、お前は……」

 強制的に仰け反らされながら、春生は空に向かって、呆れた声を漏らした。

「ゴメン、ゴメン……や、ちょっとさ、あたしが跳ぶトコ、見てて欲しいんだ」

 図らずもだった懇願の「土下座」から立ち上がった美空は、照れ笑いを浮かべながらに頭を掻いた。――妙に子供染みて見えるその笑顔は何とも愛らしいものであったが、瀬尾美空本人は、無邪気に振りまいているその「魅力」にまるで自覚が無かった。


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