16 / 31
15
しおりを挟む「……ンふッ」
一緒は、少しの驚きと大きな喜びとで強く目を見張っていた。
「ハルキに――近付くなッ!」
鈴呼の怒声に、ようやく我を取り戻したらしい立ち会いの職員が「水谷鈴呼ッ!」と叫びながらに背後からその細い首に腕を回した。彼女をアクリル板から、引き剥がす。
「面会は終わりだ!」
言い放った職員は、鈴呼を強引に部屋から連れ出そうとしていた。
一緒は、鈴呼の黒目を凝視したまま……「小糸さん」と囁いた。
「立ち合いのッ!」
と、小糸朔太は鋭く強い声を発した。
「何をしている。面会の制限時間は、まだ過ぎていない」
「……しかし。コイツは、今……」と、立ち合いの職員は不服そうに顔を歪ませる。
だが――小糸は、そちらの主張などまるで顧みず、
「面会の制限時間は、まだ過ぎていない」
再び、同じ言葉を口にした。
「……失礼しました」
不服顔のまま、立ち合いの職員は渋々と頷くと、水谷鈴呼を取り押さえていた腕から力を抜いた。職員の手から離れた鈴呼は、静かな歩調で元の席にまで戻ると、
「…………」
無言のまま、強く険しく、アクリル板越しの春日一緒を「睨み付けた」。
「……ごめんなさいね。どうも、ありがとう」
小糸朔太に対してか、立ち合いの職員に対してか……はたまた、その両名に、だろうか。春日一緒は小さく囁いた。その視線は水谷鈴呼に注がれたまま。その表情は、ニタリといやらしく、薄気味の悪い「笑顔」に歪められていた。
「オーケー、鈴呼さん。あたし、春日一緒は『花村春生』に近付かない。約束をするわ。破ったりはしない。『春日一緒』じゃないからって、小糸さんに近付いてもらったりとか、そういった『言葉遊び』もやらない。……ここに誓うわ。今後、一切、春日一緒は、その『意思』を『花村春生』には向けない」
「…………」
一緒の「誓い」を受けて尚、鈴呼は、その表情を少したりとも緩めはしなかった。
「ゴメンナサイ、鈴呼さん。あなたを怒らせるつもりは無かったのよ? むしろ、喜んでもらいたい気持ちがあるわ。……あなたに興味があるのよ。好奇心が抑えられないの……。……ねえ、鈴呼さん。あたしは、あなたの『お友達』にはなれないのかしら?」
……春日一緒は、思っていた。
誰かが仕組んだ事柄なのか、それとも、自然に起きた現象なのか。……世界中の人間が体験をしてしまった「未来」。その最大の「被害者」は――春日一緒が思うに――「水谷鈴呼」なのではないであろうか。例えば、殺されてしまった「滝田登」よりかも――その犯人である「水谷鈴呼」の方が、ずっと「悲劇的」ではないであろうか。
望まざるに「未来」を体験させられ、他の多くの人間がそれを忘れてしまっている中、彼女の記憶には何故か、深く、残ってしまっていた。「殺人」を犯してしまうくらいに、重要な「何か」を体験させられ、忘れる事も出来なかった。……結果、彼女は「殺人」を犯してしまう。
……水谷鈴呼の「殺人」は、誰しもが首を傾げる、まさに「不可解」な事件であった。
それも、そのはず。「滝田登」が殺されなければならなかった理由は「未来」に在り、「今」には――つまりは「この世界」には、存在していないのだから。彼女が「殺人」を犯した「動機」は「無い」のである。……水谷鈴呼の「殺人」は、彼女本人以外の誰にも、理解をされない――同情をされない、絶対に「不可解」な一件なのであった。
彼女の「動機」は、誰にも知られない。口に出してしまう事を頑なに拒み続けるくらい、激しい「何か」である。その「何か」は、誰にも理解をされない。共感をされないのだ。
春日一緒は、彼女の「悲劇性」に強く惹かれてしまった。彼女を「殺人」にまで、奮い立たせた「何か」を知りたいと想った。それは、彼女の「怒り」なのか「哀しみ」なのか、はたまた……。一緒は、その「想い」を共有したいと想った。自身も、感じたいと想った。……水谷鈴呼は、それを望みはしないであろうが。春日一緒は、強く想ってしまったのだ。――「彼女を知りたい」と。興味を持ってしまった。好奇心をくすぐられてしまったのだ。
「覚えておいて、鈴呼さん。――あたしは、あなたの『お友達』になりたいの」
春日一緒は、己の「欲望」に素直だった。――「友達になりたい」とのたまった彼女の表情は、とてもではないが「友達」に向けられるようなモノではなかった。
放課後は、まだ、始まったばかりだった。
瀬尾美空の跳躍も、今ので、三回目。
「身体が暖まっていない」とも言えるが、美空の感覚的には「身体の具合が、イメージに追い付いていない」といったところか。
「イメージは出来上がってるんだけどなあ……」
腰に手を当て、不満げに漏らした美空は――偶然、その視線の向こうに花村春生の姿を見つけてしまった。
校庭のあちら、二百メートルといったところか。春生は、鞄を肩に、とぼとぼと歩いていた。いつだかのように、こちらへ向かってきているのではなく、普通に下校中のようであった。
「ハルキッ!」と美空は大きな声を掛けた。
顔を上げた春生は、こちらを向くと「…………」。無言のまま、片手を挙げて、挨拶を返してくれた。
美空の「練習場」である砂場は校庭の端に在った。春生が無理に避けたりとしなければ、その下校途中に、この砂場のすぐ隣を通る。
のんびりとこちらの方に歩いて来る春生の視線を感じながら、
「……よしッ。もッかい」
美空は、ポールを握り直した。
呼吸を整える。……構え、走り、跳ぶ。
「おおー……」と遠くで、誰かの感嘆が聞こえた気がした。
空気を切り裂き、跳び上がり、そして、一瞬の浮遊感。
空が――真っ青だった。
……ボフッと、厚手のマットに降りた美空は「この感じ……ッ!?」と身体中の毛穴が開くみたいな興奮を覚えた。
「調子、良いみたいだな……頑張れよ」
美空の背中に、春生の声が掛けられる。
「――ウンッ!」と美空は輝かしいまでの笑顔で振り返った。
「…………」と一瞬だけ、唖然とした後、春生は「……ふはッ」と笑ってくれた。
「ああ……そっか」と美空は呟く。
――春生の笑顔を見返しながら、この時、美空は一つの「可能性」を「仮定」していた。
忘れる事の出来ない「あの日」の放課後も――その次の日もであった。美空が抱いた「イメージ」の通りに跳躍する事が出来た時――その場面には必ず「彼」の視線があった。
美空は「花村春生」に見詰められている時に限って、その身体的能力の「通常」を超え、頭と心とに抱いている「理想」通りの跳躍が出来ているのだ――その「理由」は別に置き、その「因果関係」は、紛れも無い「事実」であった。
瀬尾美空が、その「理想」的な「イメージ」を完全に我がモノとする為の「鍵」は――この「花村春生」に違いなかった。
「ンじゃ、お先にな」
そう言い残して、その場から離れようとした春生に、美空は、
「や――ちょっと、待って」
両の手を思いっ切り、伸ばして、春生の背中を掴んだ。そして。そのまま――倒れ込む。
「……何やってんだ、お前は……」
強制的に仰け反らされながら、春生は空に向かって、呆れた声を漏らした。
「ゴメン、ゴメン……や、ちょっとさ、あたしが跳ぶトコ、見てて欲しいんだ」
図らずもだった懇願の「土下座」から立ち上がった美空は、照れ笑いを浮かべながらに頭を掻いた。――妙に子供染みて見えるその笑顔は何とも愛らしいものであったが、瀬尾美空本人は、無邪気に振りまいているその「魅力」にまるで自覚が無かった。
0
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる