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19「勇者は倒せない」
しおりを挟む「ホラティオさんッ!?」
地面に顔面をくっつけた状態で倒れ込んでいたホラティオにクラウディウスが駆け寄る。
「大丈夫ですかッ?」とホラティオに向けて伸ばされた手は、
「クラウディウス。お待ちなさい」
テルマの声に止められる。……他の人間の声だったらきっと止まっていなかった。
「お姉さま?」と振り向いたクラウディウスに対し、テルマは無言で首を横に振ってみせる。自分達以外に教師まで居るこの場で魔力治療でもするつもりだったのか――クラウディウスならばするだろう。彼女は「聖女」だ。そしてこの場での魔力治療はそれを証明する事にもなってしまう。テルマは、
「放っておきなさい」
と言うほかなかった。
「ほ、本当に魔力をぶつけた……」
「御自分が傷付けてしまった相手を妹君に心配させる事も許さないなんて……」
クランツとスターンが囁き合っていた。
まがりなりにも魔力が扱える「中の上」ランクの生徒からして、魔力治療は高度な技術であった。この場の誰も新一年生のクラウディウスが魔力治療を得意としているとは夢にも思わず、クラウディウスがしようとしていた魔力治療を止める為に言ったテルマの「お待ちなさい」は、倒れているホラティオに対してクラウディウスがただ心配をする事すらも「止めろ」と言っているようにしか聞こえていなかった。
「お、恐ろしや、公爵令嬢……」
「あ、いや。倒れているホラティオ様に駆け寄ったクラウディウス様も公爵令嬢だ。となると恐ろしいのは『公爵令嬢』ではなくて……テル」
「――言うなッ。口に出すなッ」
「う、うん。そうだよな。うん……」
場がしんと静まり返っていたせいもあってか男爵兄弟のひそひそ話は全て聞こえてしまっていた――がテルマは別に気にしない。テルマェイチ・アムレートは公爵家の息女として産まれてからもう十五年も生きている。家族でも友人でも使用人ですらも無い赤の他人に何を言われても、もう何も気にならなくなってしまっていた。慣れていた。それにここで下手な言い訳を口にすればクラウディウスの「秘密」に繋がる。それだけは避けなければいけない――のに。
「お姉さまは恐ろしくありませんっ。とても優しい方ですっ」
クラウディウスは兄弟に反論してしまった。本気の語勢だった。おためごかしではない。その表情や仕草からもあざとさは全く感じ取れなかった。
「く、クラウディウス……? ちょ、ちょっと。おやめなさい」
理性的に考えれば、本当にクラウディウスは余計な事を言ってしまっていた。でも現実としてクラウディウスにかばわれてしまったテルマの頬は自然と緩んでしまう。冷たく硬めていた顔が勝手にほころんでしまいそうになる。……まったくもう。クラウディウスったら。
だがそんな場面でも状況でも無いと湧き上がる喜びの感情を噛み殺そうとしていたテルマだったが口許を懸命に隠そうとしている仕草やその手の隙間から窺い知る事の出来た表情からはどうしても、してやったりとばかりにほくそ笑んでいるようにしか見る事が出来なかった。
「しっ、失礼致しました。クラウディウス様。先程の発言は撤回致します」
「てっ、テルマェイチ様はお優しい方でしたっ」
兄弟は表向きそう言いながらもまだこそこそと「さっきの顔……」「……見たよ」「こういった場面ではああ言うようにって」「やっぱり厳しく躾けられてるのかな」などと交わしていた。――二人の妄想はまことしやかな噂となって学院中の生徒達に伝播していき、またその過程で「躾け」も「虐め」へと書き換えられてしまうのだがそれはまたいずれの話だった。
「お姉さま……」とクラウディウスがテルマを見詰める。演習場の地面に膝を付けたまま、淡褐色の潤んだ瞳でテルマを見上げていた。……言いたい事は分かる。分かるが、ぐぬぬぬ。そんな顔をされても魔力治療を許可する事なんて出来ない。第二王子との結婚を「イヤです」とはっきり口にしていたクラウディウスの為でもあるのだ。……これ以上は、その赤髪赤目の田舎猿ともお近付きになってもらいたくもないし。
「クラウディウス。『その』必要は無いわ」
「でも」
「そんなに心配をしなくても良いの。それは大丈夫よ」
テルマはまたテキトウな事を言ってしまった。……だって。なんだか構い過ぎではありませんかとテルマの胸がじぇらじぇらしてしまったのだ。
不意に、
「ぐぅ……ッ」
と足元から呻き声が聞こえてきた。ホラティオだった。
ホラティオは片膝を立てて、その膝に手を置いて、ゆっくりと立ち上がる。
「ホラティオさんッ」
「クラウディウス。触らない。……淑女らしくなさい」
「だ、大丈夫。助けは要らない」
反射的にだろうか手を差し伸べたクラウディウスをテルマが改めて制止する。ホラティオもてのひらを見せてクラウディウスの助けを断った。
時間を掛けてようやく立ち上がりはしたもののホラティオの足元はまだふらついていた。どうにかこうにか二歩三歩、テルマに近寄ったホラティオが言う。
「あ、あんた。相手を見る目はあるんだな。この通り、俺はゼンゼン、ヘーキだぜ。あんくらいなら問題無いと分かった上で俺に魔力をぶつけたんだろう……?」
ホラティオは「へっ」と口の端で笑った。……クラウディウスが魔力治療をしないでも済むようにとのフォロー――なわけはないから。ただの強がりなのか……?
それにしても。侯爵家の子息風情が公爵家の息女に対するには、口の利き方が全くなっていなかった。テルマェイチ・アムレートが本当に「噂」――厳密に言えばまだくすぶり始めたばかりの、これから学院中に広まっていく「噂」なのだが――通りの「悪役令嬢」だったらホラティオ・レイショホーの学院生活は本日をもって終了していた事だろう。
「モグリながら俺は『勇者』だからな。へへ、へ……」
自虐なのか冗談なのか何なのか知らないが。テルマは呆れて、
「……そうね」
とまたまたテキトウに呟いた。……付き合っていられないわね。
ホラティオの「俺は『勇者』」発言に対してなのか、そのチカラを見抜いていたとうそぶいたテルマに対してのものなのか、
「……すごい」
クラウディウスが感嘆の声を上げた。
「へへッ」
「ふふんッ」
ホラティオとテルマは互いに「自分が褒められた」のだと同時に反応を示す。その直後、相手も自分と同じような反応していた事に気が付いて、
「ん?」
「あら」
視線を合わせる。
「おいおい。今の『すごい』は――」
「――わたくしに向けられたものでしょう?」
二人は同時に同じ意味合いの言葉を口にする。ただ「同じ意味の言葉」でも、その「主語」が違っていた。
「あ……? ……俺の事だろう? 俺が『勇者』で『すごい』んだよ」
「……まあ。悪いのは耳と頭のどちらなのかしら。……両方かしらね?」
真正面から意見がぶつかる。視線もぶつかる。睨み合う。
クランツとスターンの二人は身を寄せ合って震えていた。
クラウディウスは「え……? え?」と状況が飲み込めずにあわあわしていた。
そのとき、
「――ほっほっほっほっ」
落ち着きの含まれた大人の笑い声が皆の耳に届けられた。
五人が振り向く。皆の視線を集めた老齢の男性教師フォーブラス・テインは、
「テルマェイチ様、ホラティオ様のお二人はもう仲良くなられましたか。ええ。大変よろしい事ですな」
今まで何処を静観していたのか、妙な事を言い出した。
「…………」と皆が黙った次の瞬間、
「ああ――!」
クラウディウスが何か閃いたかのように手を叩いた。
「これが本当の『雨降って地固まる』ですね」
にこにことしながらそんな事を言う。
「…………」
「…………」
テルマとホラティオは睨み合わせていた視線をどちらからともなくそっとほどいて横を向く。……なにかわいい。どうすればいいのかしらこれ。かわいいわ。
少なくともテルマは完全に毒気を抜かれてしまったのであった。
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