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第6章 肝試し大会編

第百六話 「再会」

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 薄暗い路地裏。
 日も満足に差さず、ひやりとした微風が小道を抜けて、肌を撫でてくる。
 まるで人気のないそこは表の大通りとは正反対に静かで、二人の足音は奇妙なくらい響いていた。
 それらを一切意に介さず、僕らは細い道を進む。
 やがて年季の入った木造りの小屋まで辿り着くと、僕は躊躇いなくドアノブに手を掛けた。
 《ペルシア・スタジオ》という小看板がキィキィ揺れるのを横目に、中に入る。
 
 「こんにちはー」
 
 友達の家のような感覚……というよりかは、カムイおじさん家に入るような気持ち。
 まったく遠慮のないその挨拶に、家内の人物は……
 
 「んっ?」
 
 背中を向けて椅子に座る中、首を後ろに倒してこちらを見た。
 クリーム色の長髪が、ばさりと大きく揺れる。
 逆三角形になった猫耳もピコピコと動く。
 彼女は逆さに映っているであろう僕たちを見て、ピタリと固まってしまった。
 その姿を見て、思わず頬を緩めながら告げる。
 
 「お久しぶりです。ペルシャさん」
 
 「……」
 
 魔石鑑定所の主であるペルシャ・アイボリーさんは、しばしその体勢から動くことはなかった。
 突然の僕たちの訪問に、目を丸くして放心している。
 まあ、事前連絡なしで訪れたら、誰しも同じように混乱することだろう。
 以前再会する約束をしたとはいえ、満足に街の行き来ができない世の中だ。
 早すぎる僕たちの「久しぶり」に、まるで夢でも見ているような感覚ではなかろうか。
 やがてゆっくりとした動作で姿勢を正した彼女は、がたっと椅子から立ち上がる。
 次いでこちらを振り向き、ドレスエプロンの裾を揺らしながら、無言で僕の目前まで歩いてきた。
 再び静止した彼女に目を丸くしていると、突然細くて白い両腕が、ばっと広げられる。
 
 「わぷっ!」
 
 次の瞬間には、温かくて柔らかい感触が、頭を包み込んできた。
 ……って、あれ? 抱きしめられた?
 
 「あぁ、ルゥ君、ライムちゃん、会いたかったよぉ!」
 
 「ちょ、ペルシャさん!」
 
 「キュル……ルゥ」
 
 頭の上に乗った相棒も、ペルシャさんの抱擁の餌食となってしまったようだ。
 というか、ライム基準で抱きつかれたから、顔の当たりが少し下すぎる気がする。
 柔らかいというかあったかいというか、ごにょごにょ……
 予想外の不意打ちに、嬉しいような恥ずかしいような気持ちで固まってしまう。
 その姿に後方のクロリアは、「へぇ、よかったですね」と片言で声を掛けてきた。
 呑気なことを言っていないで助けてほしい。
 しばらくモフモフぎゅっとされると、ようやく僕たちは解放された。
 恥ずかしさから頭が爆発しそうになり、くらくらと混乱状態に陥る。
 対して満足げな顔で頬を上気させたペルシャさんは、次いで呆れ顔のクロリアに向き直った。
 
 「…………えっ?」
 
 何かの危険を感じ取ったらしいクロリアが、若干身を引いて苦笑する。
 腕の中のミュウに縋るように、身を縮めて訊ねた。
 
 「わ、私たちも……ですか?」
 
 「その……通りさぁ!」
 
 ぎらりと目を光らせたペルシャさんは、獣型モンスター並みの俊敏さで、黒髪おさげの少女を捕らえた。
 僕らの時と同じように抱きつくと、すかさずモフモフぎゅっと抱擁する。
 その姿を前に、僕は心中で合掌した。
 さっきは助けてくれなかったしね。僕と同じ恥ずかしさを味わうが……
 いや、ちょっと違う。
 なんか執拗に体をまさぐられている気がする。
 いけないものを見ている気になった僕は、素早く視線を逸らした。
 その後もしばらくは、クロリアとミュウに対するペルシャさんの抱擁は続き、僕とライムは背中を向けることしかできなかった。
 やがてひとしきりクロリアを体感したペルシャさんが、高揚した様子で呟く。
 
 「あぁ……美味しかった」
 
 「その感想はおかしくないですか?」
 
 さすがに指摘せざるを得なく、僕はようやく振り返る。
 くたくたになったクロリアとミュウを前に、恍惚とした表情で余韻を楽しんでいたペルシャさんは、「おかしくないおかしくない」と僕に返した。
 次いで頬を上気させたまま続ける。
 
 「もうね、こ~んな感じで柔らかかったんだよぉ」
 
 「ひょ、表現しなくていいですから!」
 
 体の形を模るように両手をくねくねとさせ、思わず僕は止めに入る。
 そんなところまで聞いていない。って、ほらまたクロリアが僕のことを睨んでる。
 なんとも微妙な空気になったところで、タイミングおかしく、ようやくペルシャさんが挨拶を返してくれた。
 
 「まあ、何はともあれ……おかえり、みんな」
 
 『は、はい。ただいまです』
 
 まだペルシア・スタジオに来てから五分ほどしか経っていないのに。
 僕たちはくたくたになった様子で、念願の再会を遂げた。
 
 
 
△△△
 
 
 
 僕たちらしいと言えば僕たちらしい、実に慌ただしい再会を遂げてからしばらく。
 僕らは毎度のことながら、ペルシア・スタジオの屋内で、上品なお茶の香りに包まれていた。
 卓上に並べられたティーセット。甘い誘惑を放つお茶菓子。
 その一つを手に取り、膝上の相棒に食べさせてあげる。
 同様にクロリアとペルシャさんも、膝の上の従魔にお茶菓子を分け与えて、一同に心を和ませていた。
 待ち望んでいた甘いひと時に、僕は心も体も落ち着かせてしまう。
 開幕で抱擁されたときはどうなることかと思った。
 しかし相変わらず気さくで優しいお姉さんは、すぐさま僕たちの分のお茶も用意して、安らかなお茶会を開いてくれた。
 やっぱりここは落ち着くなぁ。
 やがて遅ればせながら、僕は持ってきていた手土産を家主に差し出した。
 
 「ペルシャさん、これ、つまらない物なんですけど」
 
 「えっ?」
 
 さくりと焼き菓子をかじりながら、ペルシャさんは紙袋を受け取る。
 もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込むと同時に中からランプを取り出した。
 
 「魔石製のランプです。初めて来た時、部屋が暗かったなぁと思って」
 
 今も若干そうだし、初対面のときなんか女の子と間違えられたのだ。
 少し苦い記憶をよぎらせていると、ペルシャさんはランプを揺らしてしばし見分していた。
 訪問時の手土産としてはおかしい気もしなくはないけど、都会の常識なんぞ僕たちは知らない。
 それに贈り物は気持ちが伝わればいいのだと、僕の恩師であるカムイおじさんも言っていたし、何も問題はないはずだ。
 そういえばカムイおじさん、元気にしてるかなぁ。
 と思考が逸れかけていると、不意にペルシャさんが悪戯な笑みを浮かべた。
 
 「ほぅ、魔石加工が趣味のあたしに、魔石加工品を持ってくるとは、なかなかいい度胸してるねぇ。ルゥ君」
 
 「えっ、いや、別にそんなつもりは……」
 
 やっぱりまずかっただろうか。
 そう不安に思っていると、そんな僕の様子を見て彼女は"にゃはは"と笑う。
 
 「うそうそ、冗談だってば。とっても助かるよ。ちょうど何個か切らしちゃってたとこだし」
 
 「は、はぁ……」
 
 ……よかった。
 手土産一つで不機嫌にさせてしまったと、本気で焦った。
 僕は内心でほっと安堵する。
 そしてにわかに、この人もとんでもなくからかうのが上手いんだったと思い出した。
 年上のお姉さんはやっぱり苦手だ。なんて考えていると、ペルシャさんがお茶を啜りながら問いかけてくる。
 
 「それで、今日はどうしたのかな? こんなに帰って来るのが早かったってことは、また魔石鑑定の依頼でもあった?」
 
 「あっ、いえ、そうじゃなくてですね……」
 
 なんて説明したものか。
 僕は頬を掻きながら考え込む。
 色々な用事がテイマーズストリートに集約していたから、最短でこの街に帰ってきた。
 すると自然、一番最初の目的地がペルシア・スタジオになったということなんだけど。
 それを一度に話すのには時間が掛かるからと、僕は何気なく、たった一言で説明を終えた。
 
 「早く、ペルシャさんに会いたくて」
 
 「へっ?」
 
 突然の告白に、白猫のお姉さんはきょとんと碧眼を丸くする。
 僕は遅まきながら、『あっ、しまった』と失敗を自覚した。
 これでは愛の告白も同然ではないか。
 いや、ペルシャさんに早く会いたかったのは事実だけども、それは決して好きだのなんだのそういうことではなく。
 いやいや、尊敬できる大人の人としては好きなんだけど、えっとぉ……
 なんて脳内パニックに陥っていると、不意にペルシャさんがお茶を持つ手をかたかたと震えさせた。
 危なっかしい手つきでそれを卓上に戻すと、しばしカップの底に目を落とし続ける。
 やがて上げられた顔は、驚くほど赤く染まり、碧眼はすごい勢いで泳いでいた。
 最後に彼女はクリーム色の髪を片手でくしくししながら、声をしぼり出す。
 
 「へ、へぇ。う、嬉しいこと言ってくれるなぁ。……な、なんだよ、あたしのこと大好きかよ!」
 
 「えっ? いや、その……」
 
 冗談まじりにしてはぎこちない様子のペルシャさんに、僕は何も返せず目を伏せる。
 ここで彼女が普段通り振舞ってくれたらよかったものの、意外なほど照れてこっちまで恥ずかしくなってきた。
 いっそからかってくれた方がマシだと思える。
 香り高い空気が一変、気まずい雰囲気に変貌した中で、互いに頬を熱くさせる。
 瞬間、「ごほんっ!!!」というなんともわざとらしい咳払いが、僕たちの耳を打った。
 びくっと驚いて視線を向けると、何食わぬ顔でお茶を啜るクロリアが目に映る。
 彼女は咳込んだ事実などなかったかのように、澄まし顔で代弁してくれた。
 
 「私たち、この街に拠点を移そうと思って来たんです。すると以前、ペルシャさんと再会する約束をしていたらしいので、ルゥ君がまず先にそこに向かおうと」
 
 「…………そ、そう」
 
 淡々と述べられた説明に、さすがのペルシャさんも呆然とする。
 遅れて僕は、『その通りだ』と言わんばかりにこくこくと頷いた。
 その光景に彼女はようやく得心がいったのか、頬から赤みを抜いて”にゃはは”と苦笑する。
 ……助かった。
 いつもはいらないことなど口走るクロリアだけど。
 今回ばかりは本気で助かったと、感謝せずにはいられなかった。
 
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