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【小話】大ジャンケン大会

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「これは数年ぶりに訪れた絶好の好機です。誰が勝っても恨みっこ無し。皆さん、よろしいですね!?」

 裾が少し擦り切れた袖をぐぐいっとめくりあげ、「おー!」という声と共に皆が腕を天へと突き上げた。その様は白樺の林のようでもあったがそれは見た目だけの話であり、この使用人室には静かに立つ木々とはかけ離れた熱気と殺気が満ちていた。場を仕切っていた女が運命の掛け声をあげる。

「せーのっ」
「「「じゃーんっけーんっポイッ!!!」」」

 これに合わせて女達(と、若干の男性)が腕を振り、予め決められた三つのポーズのうちの一つに手を変える。この人数ではなかなか勝負はつかず、時に汗も一緒に握りながら何度目かのあいこを経て、最後の一瞬に息を呑む。
 ――そして誉れある勝者が二人決まった。手を取り合い喜ぶ傍らで、その他大勢の敗者が苦悩と悲しみで一様に表情を歪めながら嗚咽する。中には身を犬のように屈めてドンドンと床に拳を打ち付ける者すら……。
 皆が目の色を変えてまで得ようとした賞品は、王太子フォルカーの執務室の清掃、そして後で彼にお茶を煎れるという仕事だった。

 メイド界隈の人気調査で不動の一位を死守し続けている王太子フォルカー。
 その生誕の日の空は天上界が垣間見えそうな程の快晴で、森の賢者の住まう禁域の森から一角獣が群れで現れたという。国中の民が手を叩いて喜び、大陸の神々、精霊のありとあらゆる祝福が注がれたと言われている(尚、ここまで出所不明の噂である)。

 王妃シュテファーニアの侍女モンソンによれば、身内贔屓を無しにしても皇太子は眩く輝くばかりの赤子であったそうだ。幼少期には王妃の発案で女児用のドレスを着せられたりもしたが、その出来栄えはオッサンが新たな扉を開きそうなほど愛らしいもので、くりくりとした大きなエメラルドの瞳に見つめられれば国家元首である国王パパもイチコロだったそうだ。

 声変わりの時期は期間限定のハスキーボイスに部分的に特殊な趣向を持つメイド達が悶絶し、伸びる身長に関節の痛みをうったえたときは二十七人が「さすって差し上げたい!」と願い出た。そして時間とタイミングに恵まれた半数が期待通りの体験を味わうことに成功した。……王太子は幼少の頃から、女性からの要求には出来るだけ応えようとする(女性には)心優しい子供であった。

 王妃の死後、王家に生まれた子として立派な男にならねばという自覚が強まったのだろうか、この家特有の悪癖が顔を見せ始めた。女遊びである。しかし、ある一定の女達はそれを「母親という大きな存在を失い未だ癒やされぬ心の傷のせいだ」と判断。女の傷は女が癒やすのが一番……とばかりに、忖度、結託、決闘を繰り返し、時には城外の女達も参戦した。なんなら一切の欲を捨てたはずの修道女達も、聖書とお菓子を持って修道院を抜け出してきたのだという。

 そんな女達とおこぼれに預かりたい家臣達、そして堅実な父に見守られて、王太子は健やかに成長していった。中性的な面立ちは、剣術を習得していくのと同じペースで本来の性別である魅力を増して行く。小さな爪がついていた手は筋張り、リンゴを片手で包み込めるほどになった。丸かった肩の面影はもうない。骨格はしっかりとしているが、どこかの近衛隊長のような威圧さは無く、女性に心強さを感じさせた。剣術と馬術を好んだ彼の肢体には貴族にありがちな腹回りの脂肪は一切見当たらず、裸体を描かせて欲しいと願う有名画家は数知れない。「あのね、」で話を始める癖も消え、年上の女性を相手に他愛もない話をしているかと思えば、急に過去の著名な詩人の詩の一節を用いて年齢以上の聡明さを垣間見せた。

 そんな彼も御年二十歳の結婚適齢期。「お待たせしました」、きっと天もそう言っている。
 ウルリヒ王襲撃事件があってからというもの、王太子へのハニートラップを心底恐れた側近達によって女性接近禁止令が死守された。その結果、メイド達は中々お近づきになれずにいたが……その暗雲は少し早い南風に吹かれ飛んでいく。そう、あの犬のような従者が姿を消した時期を切っ掛けに、王太子がを始めたのだ。ついにヘブンズゲートは開かれた。
 彼は今、良く言えば本当に分け隔てなく、悪く言えば無節操にの声をかけているそうだ。恐らくここまでの鬱憤が反動となっているのだろう。「この状況、ウェルカムだ!」、そう拳を握る者は少なくない。
 ちょっと色男と遊んでみたい好奇心旺盛な彼女や、もう身分とか関係なくガチで恋してるお嬢さん、毎月のアレも終わりかけた熟女も青春アゲインとばかりに群がっているのである。
 見目麗しい独身の王太子。その甘い蜜の威力たるや、ファールン最強と言っても過言ではない。手を差し出しだして頂けるのならば一度くらい…いや二度でも三度でも四度でも握り返して差し上げたい。
 熱気で沸き立つその様を城にいる多くの独身男子達が呆れつつ、そして反面歯がゆく感じながら見守っている。傍らで黒き神の呪いをかけながら……。

「殿下が駄目なら近衛隊狙いで行くしか無いわ……!確か明日の宿舎当番は三人だったわよね…!?」

 苦汁をなめた敗者の一人が新しい活路を模索し、他の者も追従した。

「明日は単身者が二人いるわ!モリトール様とエーヘル様よ!はいはいはい!!宿舎当番やりたいです!!」
「ちょっと!!アンタこの前までカールトン様の無口な所がミステリアスでかっこいいとか言ってたじゃない!なんで急に推し変わってんのよ!裏切り行為だわ!」

 極めて純粋な欲情にまみれた戦いは次のステージへと移行する。ターゲットとなる対象を決めるのだ。

「ダーナー様が亡くなってからは、カールトン様もお城に来なくなっちゃったしねー。お姿も全然見なくなっちゃったしぃ。きっと今頃、ダーナー様のご自宅にいらっしゃるんじゃない?あそこのメイド達が目の保養にしてると思う」
「カールトン様も素敵だったけど、結局はただの平民でしょ?爵位が無いんじゃ将来的にやっぱり心配じゃない?その点、このお二人なら例え未亡人になったとしても安泰だわ」
「エーヘル様はポルト君がクビになってから猟犬の世話係になったって話よ?近衛隊の中じゃ一番身分が低いし…左遷されたんじゃない?」
「えっ?物腰柔らかいし、良い人そうで私結構好きだったのに……」
「今なら左遷されたショックで私達みたいな平民でも相手にしてもらえるかもよ?」
「ふん、アンタなんて犬の糞の始末で終わるのが関の山よっ」
「きぃぃー!なんですってぇーっ!?」

 野心が隠れない話し合いは政治家も顔色を変えるほどの白熱さを帯びてきた。はたきを片手に同僚を追いかけ、二人分のスペースが空いた輪は後方から顔を出したメイドですぐに埋まる。

「はいはいはい!私は根っからの枯れ専なので、いっそ陛下に手篭めにされたいです!」
「陛下も昔はかなり女性と浮名を流してたってお婆ちゃんから聞いたことあるわ。もしかしたらワンチャンあるかもよ?」
「きゃっ♥履いてる下着、ちゃんとレースついてるやつだったかしらっ?」
「アンタ、来週まで手すり磨き担当よ」
「そういえばエーヘル様はポルト君とも仲が良かったわね。左遷もショックでしたでしょうけど、ポルト君もいなくなって寂しがっているんじゃないかしら?」

 とりあえずローガンは『左遷された伯爵』で固定されたらしい。

「それを言うなら、私、フォルカー殿下にはポルト君を追いかけて欲しかったぁ!」
 
 メイドの一人が悔しそうにエプロンをきぃいっと噛む。

「あそこも思っていたよりあっさり別れたわよね。殿下が飽きちゃったんじゃない?」
「殿下はやっぱり男よりも女の方が好きだったのよ…!原点に戻ったんだわ!」

 女達は「素晴らしいわ!素晴らしいわ!」と手を打ち鳴らし、限定的な趣味趣向を持つ女達は「俺たちはまだ終わらない」と決意を新たにする。

「ねぇねぇ、私、大聖堂警備の子からポルト君が実は女だったっていう話を聞いたんだけど、それって本当なの?」
「確か軍部って女性禁止よね?だからクビになっちゃったのかしら?」
「殿下がこっそり紛れ込ませていた可能性も……」

 その言葉には一斉に「「「ワカルーー」」」と賛同の声が上がった。

「軍だなんて、むっさい男達の集まりじゃない。埃っぽいし汗臭いし、私だったら耐えられないわ。無理無理。どうせなら官僚達の下で働いた方が楽そうよね。城内の方が品の良い男も多そうだし」
「待って待って、よく考えてみて?そりゃーポルト君は女子並に可愛い顔をしてるわよ?でもね、もしポルト君が女だとしたら、フォルカー殿下が牢屋になんて放って置かないと思うわ」
「「「確かに」」」

 うんうんと大きく頷くメイド達。
 男相手には何かと手厳しい所もある殿下のことなので、きっとポルトが逆鱗に触れるようなことをしたのだろう、という所で落ち着いた。
 冗談半分、本気半分のおしゃべりは、メイド長の怒号が飛ぶまで熱く濃く続いたのだった。
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