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【小話】犬をモフりたい従者は脱走を試みた。

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 季節は深まり、直に訪れる冬を迎えるための準備も整い始めた。大きな窓を開けば少しひんやりとした風が頬を撫でる。

 この時期は冬に備えた動物たちが脂肪をため込む。その肉は軽く塩をふっただけで極上の味わいになるのだが、流石にまだこの身体では無理だろう。
 一度は医者の目が届く診療部屋へ移された。しかし、フォルカーのちょっかいの手が届かないことが彼にとって少々暇だったらしく、二日とたたずに元の物置部屋に戻ってきたのだ。

 幸い体調もすぐに回復し、職場復帰の目処もたってきた。
 窓枠に手を置き、ポルトが見つめたのは美しく整えられた中庭、そして遠く広がるファールンの町並み……ではなく、真下にある石畳みだった。中庭には王族達の散歩用に細い通路が作られていて、その左右を大きな薔薇の木が囲んでいる。

(た・高い…………)

 場所によるが、この城の殆どが四階から五階建ての構造になっている。ファールンの王族達は大抵四階を居住用に使っていて、フォルカーの部屋の隣に作られたポルトの部屋も当然ながら四階に位置していた。

(……どうしよう………)

城より高い建物なんて大聖堂くらいのものだ。自分より背が高い庭師のおじさんが小さく見える。背筋がぞぞりと冷えた。
 しかし、胸の奥から湧き出る思いはこの衝動をかきたてる。


 嗚呼、狼に会いたい……!


 職場復帰まで待っていられない。自分を見つけた瞬間、ちぎれんばかりに振られる尻尾、嬉しそうに口元をゆるめ、ちょろりと覗く赤い舌。湿った黒いお鼻は至高の宝石かと思うほど艶々で、思わず指先が伸びてしまう。犬より太くて立派な腕と手は見るからに力強く、魅惑の肉球にも「可愛い過ぎか!」と文句を言いたい。責任者は速やかに出てきて欲しい。
 あの金色の瞳でじぃっと見つめられたら…極上の葡萄パンだって分け与えてしまう。……いや、そこであえて「マテ」をさせて、懸命に我慢をしている姿を萌え震えながら眺めるのも最高だ。

 会えなくて寂しいのは狼達だけではない。殿下だって少しくらいならきっと…ここから脱走しても許してくれるだろう!どうかお願い、許して下さい!
 ……と、考えを巡らせたが、以前彼が言っていた「おかしなこと考えてんじゃねーぞ!」から察するに到底許してくれそうにないので、この計画は絶対に秘密にしておこう。

 さて、ここから降りるとなるとどれくらいの長さのロープが必要になるのだろうか……。部屋の中を改めて調べてみることにした。
 ぱっと見て一番目立つのは白い布の山。歴代の王族一家や、各諸侯達から送られてきたお見合い相手の肖像画等が一枚一枚丁寧にくるまれている。
 そして数多くのチェスト、そしてそこに入りきらない高級そうな衣装の数々が市場の野菜のように置かれている。テーブルもいくつか並べられていて、その上下には何が入っているか全くわからない木箱や貴重品が所狭しと並べられていた。

「何か使えそうな物………ないかな……」

恐らく使用後は汚すか傷つけるかしてしまうだろうから、できればあまり高級そうではないもの。金刺繍や宝石飾りがついてるものなんて絶対に駄目だ。
 そして何より重要なのは「頑丈」さ。あの高さから落ちたらまず無事では済まない。上手くいったとしても足のねんざ、下手をしたら庭の薔薇が咲く前にあの石畳に鮮血の花が咲く。狼に会いにいくどころか餌になってしまう。

 舞い上がる埃に何度も咳き込みつつ調度品の地層を掘り下げていくと、目の前に小麦袋程の大きな布袋が現れた。ある部分を見て、金色の瞳がさっと煌めく。

「これなら………!!」

 チェストに入りきらない衣装達の何十枚かが袋に詰められていて、それらを厳重に縛り付けていたのは極々普通の麻ロープだったのだ。周辺を掘り返すと同じような袋がいくつも見つかった。
 意気揚々とロープを外し、十本ほど繋げてみた。そして窓から外を見回し、庭師のおじさんや他に誰もいないことを確認するとそっとロープを垂らしてみる。
 ……少し足りないようだ。いそいそと戻り、余裕を持たせてあと数本繋げる。

(軍での勉強が役にたってる…っ)

 武器や食料をまとめたり、馬に荷物を縛り付ける等々、色々なロープの縛り方を学んでいる。その知識がこんな機会で活躍することになろうとは考えもしなかった。
 もう一度垂らしてみると今度はロープの端が静かに地面に着いた。

「よし……!」

 部屋にあった一番重厚そうなチェスト、そしてベットの足にロープを括り付け、薄い上着を羽織った。
 窓枠に足をかけながら改めて真下を見ると、そのあまりの高さにゴクリと唾を飲み込んだ。

(こ…恐いのは最初だけだもん。シーザーとカロンに会えるんだったらちょっと位平気だもん……!)

 小さく拳を握り気合いを入れると、窓からゆっくり身体を外へと移動させる。
 ……まだ辛うじて窓枠に触れてはいるが、両足はすでに壁の縁飾りの上だ。
 下を見た瞬間、馬が走るような鼓動に呼吸がつられて息苦しくなった。落ち着かせるため一度目を閉じる。

(し・下を見なければ大丈夫!絶対に降りられる!大丈夫!絶対に大丈夫!)

 まるで暗示でもかけるように、何度も何度も繰り返す。

 このままもたもたしていたら誰かに見られてしまう。ポルトは意を決して城壁を降り始めた。
 両手でしっかりとロープを掴み、バランスを取りながら身体をゆっくりと下降させる。自分の体重を支えるのは意外と難儀で、せめてもう一日送らせていたら体調ももっと良くなって、降りやすかったのかなんて思ったりもした。

 震えが指先まで届きそうな時はシーザーの艶やかな毛並み、カロンの少し高くなる甘えた声を思い出して我が身を奮起させる。
 これは試練なのだ。あの子達への愛を試されているのだ。そして自分はその試練を必ず乗り越え、あの肉厚な毛並みに顔を埋めるのだ……!

 恐る恐るではあったが、懸命に手足を動かすと着実に地表は近くなっていく。
 ロープが垂れるまま降りるポルトはとうとう最後の瞬間を迎えた。
 片足が壁飾りとは違う、平らな面をとらえたのだ。

(あ……!や・やった……!!)

 恐怖から解放され、同時に込み上げてきた達成感。
 思わず声に出そうな興奮を押さえ、両足を付けたポルトはぱっと足下を見た。


 その瞳に映ったのは………




 この世で最も愚かな者を見る目でガン見しているフォルカーだった。



「………………………………」
「………………………………」

 全身からネドナの時とは全く違う汗がだらだらと流れ出る。上ばかり見ていてちっとも気がつかなかったが、ロープの端がいつの間にか二階の窓から引き込まれていたらしい。

 ――――突然窓の外に現れたロープに、会議をしていた役人達だけでなく、一緒にいたフォルカーも驚いた。
 しかし彼だけはその正体と目的を瞬時に理解し、会議をポルト部屋の真下にあるここに変更した判断は間違いではなかったと痛感する。

「……………何やってんの」

 窓枠に立つ従者を仁王立ちで迎える主。

「いや…………その……えっと………」

 肉体的にも精神的にも完全に逃げ場を無くした従者。



 フォルカーは固まっているポルトを荷物のように肩に担ぐと、役人達に「すぐ戻る」と言い残し自室へと戻った。

 一時休憩となった会議室には言葉を失う人々、そして「スミマセンスミマセンスミマセンホントスミマセン」という小さく情けない声が響いていた。 
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