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【4】
殿下、襲われる【前】
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ゆっくりと重い瞼を開くといつもの天蓋の天井が見える。
どれくらい眠っていたんだろうか。窓を見るとカーテンには陽の淡い光が当たっていた。これは…昇る朝日のものか沈む夕陽のものか……。
「……殿下……っ」
その言葉が自分のことを指していることに気がつくまで少し時間を要した。
金色の丸いものが心配そうな顔をして覗き込み、ずれたまま張りついていた濡れタオルを額に戻す。
「……今何時だ……?俺はどれくらい眠っていた?」
「もうすぐ夜が明けます。あと二時間くらいで鐘が鳴るかと……」
「そうか……」
「あの…お水飲まれますか?少しお時間を頂ければホットミルクのご用意も出来ます。フレッシュなレモネードもありますよ。すぐにレモンを搾って……」
「全部飲んだら腹ん中でヨーグルトになるな」
従者は「なるほど!」とばかりに一瞬目を見開き、「しまった……」と気まずそうに背中を丸めて視線をそらす。
寝起き直後にもかかわらずツッコミを誘発させるなんて、さすが我が従者である。というか、病人に何をさせる。
「なんか…身体がベトベトして気持ち悪ィ……」
「あ…あのっ、お身体を拭くご用意が出来ております…!」
桶に汲まれたお湯、清潔なタオルと着替えをてきぱきとサイドテーブルにセッティングし、ぐいっと腕まくりをしたポルト。フォルカーが身体を起こすと手早く背に枕を重ねた。
見回すとベッドの周りには何故か背の低い常緑木が何本も運ばれていている。土を入れた酒樽の中に植えられて立ってる様はちょっとした箱庭のようだ。
「なんだあれは」
「お部屋が乾燥しないそうです」
よく自分を起こさずにここまで運べたもんだと、半ば呆れつつも驚きを隠せない。
「 シーツ…汗で濡れていますね。リネンも交換された方が良いかもしれません。少し食事をして頂いて、その間に交換しますね」
「……なんかやる気満々だな」
「少し寒いですけど、我慢して下さいね」、そう言ってフォルカーのシャツを脱がすと下から程よく鍛えられた筋肉が現れた。年頃の娘なら少しは目を留めるだろうそこにも、ポルトは全く反応しない。汗で重くなったシャツをカゴの中に入れると、湯に浸してあったタオルを絞った。
「あれ?お前…サーコートどうした?」
ここに来て以来着続けていた彼女の赤いサーコート。
あれだけ脱げ脱げと言っても聞かなかったのに、一体どんな風の吹き回しだろうか。
「あれは…その…、少し汚れてしまったので洗濯をしています。急だったし、予備も無くって……」
少し大きめの上着、そしてその下には先日酒場用に買い与えたブラウスを着ていた。流石に今日は胸パッドは入れていないらしく、清々しい原っぱを披露している。ブラウスや上着が金具にこすれてしまうからだろうが、珍しくチェーンメイルすら着ていない。
こうしてみれば普通の「従者」っぽい格好になっているではないか。益々何があったのか気になる所だ。
温かいタオルで顔から腕へ、そして胸、腹、最後に背を拭いていた途中でフォルカーがクシャミをした。慌てた顔でポルトが自分の上着を被せる。
「これは…も・申し訳ありません…!終わるまでこちらを羽織っていて下さい」
「……」
「お腹は大切です! 」
やっぱりポルトの様子がおかしい……。
着ている物だけではない、態度も表情も。最初はやる気に満ちている…と思った。しかしどこかそのやる気はちぐはぐで、いつもの使命感に燃えているような雰囲気とは少し違う印象を受ける。
「……俺が眠っている間に何かあったのか?」
「 いえ、何も…!問題ありません……っ」
身体を拭き終わると手早くシャツを着せる。
そして暖炉へ向かうと食事の用意を始めた。すでに料理は出来上がっていて、温めるだけの状態になっている。
スープの入った小鍋を火にかけている間、洗濯物を片づけ、テーブルの上にクロスを敷き皿を並べた。チビが手際よく作業する様はやっぱり小動物のようだ。
「 ……シーツ、このままでいいや。食欲もねぇし。お前、それ喰っていいぞ」
「だ・駄目です、殿下。少しでも良いのでお食事を召し上がって下さい。体力が落ちたら治るのも遅くなります。シーツだって湿ったままだと身体を冷やしますし…。すぐにお取り替えしますから…!ね!?」
「………」
やっぱりおかしい。
ポルトが食べ物を拒否するなんて、何か良からぬものが混入しているんじゃないだろうか。
「……いらねぇっつってんじゃん。うるせぇ」
喰わんぞ、俺は。
「ダメです」
こっちだって譲りません。
無言の圧力対決が行われたが、結局生命力で勝るポルトが布団をやや無理矢理はがしにかかった。
苛つきが収まらないフォルカーが文句を言おうと半身を起こし―――……
「!」
両手を広げたポルトが、抱きしめるように支える。
「起き上がるのもお辛いですよね…。でも少しの間ですから、辛抱して下さい」
ぴったりと寄せられた身体。背中に回された腕。胸元にも白く華奢な手が添えられていて、タンポポのような丸い頭もすぐ目の前にある。
何度も顔を見上げる金色の瞳。小さな鼻も柔らかそうな薄紅の唇も相変わらずで、なんで女だとバレないのか不思議なくらいだ。
こちらの様子を伺い、「大丈夫ですか?」と声が掛けられると文句なんて言えなくて、諦めるように大きく息を吐いた。
促されるまま長椅子に腰を下ろす。
テーブルには肉の入ったスープが白い湯気を立てている。
風邪を治すには彼女の言うとおり、少しは口にした方が良いのだろう。が…、やっぱり食欲は無い。仕方なく隣にあった水だけを口にした。
周囲に置かれた植木も、最初は異様だったが慣れるとこれはこれで悪くない。
外に出る機会は減り窓を閉めきる時間が長くなる季節だ。近くにこうした緑があるのは良いのかも知れない。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えている間に、ベッドメイキングが終わった。
「殿下、ベッドの支度が整いましたのでいつでも横になって頂いても結構です」
「……じゃあ、もう寝る」
どうせ怒られるだろうな…そう思いながらも今度はフォルカーが「連れてって」とばかりに腕を広げてみた。
案の定あの眉間に皺が寄る……と思いきや、すぐにポルトは駆け寄り「よいしょっ」と抱き起こす。
「できるだけ、しっかり掴まっていて下さいね」
(……しっかり……)
小さな肩に回した腕に力を入れた。
それが思っていたよりも強かったのだろう、ポルトの足下がふらついて声が出た。つっかえ棒に掴まるように、小さい手がしがみつく。
熱で火照った頭を彼女の肩に乗せると、少し冷たい肌に当たる額。きめの細かい白肌には幾筋かの傷跡が見えたが、柔らかい感触に胸の奥が苦しくなって、思わずぐりぐりと顔をすり寄せた。
「……っ?……っ??」
細い首をくすぐる前髪が、一瞬彼女の身体を強ばらせた。動揺は顔を見なくてもわかる。
いつもなら他愛のない冗談の一つでも言って空気を濁したりもするが、今日は相手を気遣う余力はない。雫のようなささやかな欲も止められず、まるで幼子のようだと自己嫌悪しながらも身体は動いてしまった。
「皆、殿下のお側におりますから……。大丈夫ですよ。私たちにお任せ下さい…!」
彼女が腕を振る動きをする。
顔を伏せているので見えないが恐らく小さなガッツポーズをしたのだろう。鈍感を有した懐の深さに今は感謝するばかりだ。
「なんか今日は変に優しいな……。毒でも盛ったか?それとも俺、実は風邪じゃなくてもっと深刻な病気だとか……?」
「また馬鹿なことを」
謎の疑心暗鬼に襲われている主を寝かせ、ポルトはテーブルの上にあったスープを運んできた。しかし、用意した時と量が変わっていないことを知ると表情が曇る。
「ご飯、食べましょう?これも薬だと思って」
スープの中には小さく切られた野菜や肉が入っている。「せめてスープだけでも」とポルトはスプーンですくって見せた。
「 人間、食欲があるうちはなんとかなります。具は残してもいいですから……。ほら、お口、開けて下さい」
持論と共にフォルカーの口元まで運ばれたスプーン。上がる湯気にハーブの良い香りがする。
「熱いから冷まして」
「もう熱くないですよ。テーブルの上に置いてあったものですから」
「……じゃぁ、冷ますフリだけでもして」
「時間稼ぎするほどのことでもないでしょう?」
(……そういうことじゃない)
彼の淡い期待は儚く消え、仕方なくそのまま口を開く。
コクン、と喉を通っていくスープは思っていたよりも芳醇な味わいを持っていた。
一口入れたことで胃袋が覚醒したのか急に空腹を感じ始め、小さな肉が乗った二匙目も大人しく口に入れる。
「お味は如何ですか?」
「 ……いつもと味が違う……。肉…美味いな。なんだこれ……」
「!」
何故か嬉しそうに口元をもごもごさせるポルト。その意味をフォルカーはすぐに察した。
「……獲ってきたのか……?」
「はい!以前殿下が新鮮な肉は美味しいと仰ってましたし……っ、その……っ、熊はちょっと無理だったんですけど、猪が捕れました……!カロンとシーザーにもお手伝いしてもらいました…!」
雄鹿や熊の次にランクが高い獲物のひとつ、それが猪だ。
熊には劣るものの、ウサギや狐よりも滋養効果が格段に高いと聞き、わざわざ探して来たらしい。
スープにして煮込むことでエキスは出ている。食欲が無い状態でも栄養が取れると思ったそうだ。
「お前が服汚したのってこのせいか……」
「 解体したり運んだりした時にちょっと……。それに、久しぶりの獲物でシーザーが興奮してしまって……」
「男を捕まえるには、胃袋を掴めばいい」とはよく聞くが、ポルトの場合、料理の腕前ではなく材料の獲得になるのかもしれない。わかってはいたが、見た目に寄らず荒々しい娘である。
狼達のご褒美は猪の後ろ足を一本ずつ。そのうち熊の頭も担いできそうだ。それでも自分のために獲ってきたと聞けば悪い気はしない。口に運ばれるまま、結局全部たいらげた。
彼女は空になったスープ皿を見て満足そうに一度頷くと、今度はいかにも苦々しい液体の入った器を持ってくる。
「お薬です。これを飲んだらお休みになって結構ですよ!」
「 ……パウルの作る薬、すっげぇ不味いんだよ。飲む人間のことを全然考えてないっつーかさ。ガジンはそんなことなかったのに……」
ガジンはフォルカーの性格をよくわかっているので、不味すぎる薬は作ってこない。ジュースに入れたり、料理に混ぜたりするのだが、パウルは効き目が一番の調合を行い、別の角度から病人にトドメを刺しに来る。昨日は風邪の症状も相まって無事に一日死亡した。今日の始まりを、この薬で迎えたくはないのだが……。
器を差し出され、フォルカーはぷいっと横を向いた。
「 殿下、いけません。お薬は大事です」
「今スープで口ん中満足してるから。この余韻に浸っていたいから、それいへっっくしゅんっ!」
「!」
「とにかくいらねーの!」と言い捨て、フォルカーはばふんと毛布を被った。しばらく起きていたせいだろうか熱が上がってきた気がする。ポルトに負けないくらい眉間にシワを寄せて毛布をきつく抱きしめた。
そんな芋虫状態の主の背をじっと見つめるポルト。
顔の見える反対側へ向かい、もう一度薬を差しだしたが、「いらん」とばかりに顔をすっぽりと覆われてしまった。
ちょっと意地悪かなーと思いながらも下からそーっと毛布を引っ張ってみるが、遺憾の意を全力で表す瞳が見えた程度で、鉄壁の毛布をはがせない。
「殿下……、鼻をつまんだら味が紛れますよ?」
「そんなもんでごまかせるモンじゃねーぞ。俺は昨日飲んだからよくわかってんだ。イェニー位の極上な女が、お色気たっぷりで飲ましてくれるんなら考えんでもないが、そうじゃなきゃ今日はもう薬は飲まんからな……!」
「え……。極上の女ってどんな方ですか?」
従者の言葉に、しばし「ふむ…」と考え込んで……
「最後までさせてくれる女?」
「この期に及んで衰え知らずですね」
「お前なぁっ!最後まで出来る・出来ないの間には、お前が思っているよりも深い溝があるんだぞ?男が欲しいなら、よぉく覚えておけ」
「一人じゃ起きていられないくせに」と、ポルトは唇をとがらせる。
イェニーは初めてフォルカーと行った酒場で出会った美しい歌姫。
酒場は夜遅くまで営業しているが、さすがに朝日が覗くこの時間では閉まっているだろう。きっとそれをわかっていて彼はこんなことを言っているのだ。
いっそ無理矢理押さえ込んで口を開かせようか?大人が二人いればできないこともない。廊下にいる近衛隊に声をかければ……いや、流石にそれはやりすぎか。きっとローガンにも止められてしまうだろう。
器を片手に声をかけても、もう返事すら返ってこない。
ポルトは今まで出会った女性達を思い浮かべ、その中でもすぐに呼び出せる人物を考えた。
極上の女……一度彼が手を出したことのある人物なら…まあ、失敗はないだろう。幸いこの城にも大勢いる。
「――――――……」
ポルトはきゅっと唇を噛み、立ち上がった。
どれくらい眠っていたんだろうか。窓を見るとカーテンには陽の淡い光が当たっていた。これは…昇る朝日のものか沈む夕陽のものか……。
「……殿下……っ」
その言葉が自分のことを指していることに気がつくまで少し時間を要した。
金色の丸いものが心配そうな顔をして覗き込み、ずれたまま張りついていた濡れタオルを額に戻す。
「……今何時だ……?俺はどれくらい眠っていた?」
「もうすぐ夜が明けます。あと二時間くらいで鐘が鳴るかと……」
「そうか……」
「あの…お水飲まれますか?少しお時間を頂ければホットミルクのご用意も出来ます。フレッシュなレモネードもありますよ。すぐにレモンを搾って……」
「全部飲んだら腹ん中でヨーグルトになるな」
従者は「なるほど!」とばかりに一瞬目を見開き、「しまった……」と気まずそうに背中を丸めて視線をそらす。
寝起き直後にもかかわらずツッコミを誘発させるなんて、さすが我が従者である。というか、病人に何をさせる。
「なんか…身体がベトベトして気持ち悪ィ……」
「あ…あのっ、お身体を拭くご用意が出来ております…!」
桶に汲まれたお湯、清潔なタオルと着替えをてきぱきとサイドテーブルにセッティングし、ぐいっと腕まくりをしたポルト。フォルカーが身体を起こすと手早く背に枕を重ねた。
見回すとベッドの周りには何故か背の低い常緑木が何本も運ばれていている。土を入れた酒樽の中に植えられて立ってる様はちょっとした箱庭のようだ。
「なんだあれは」
「お部屋が乾燥しないそうです」
よく自分を起こさずにここまで運べたもんだと、半ば呆れつつも驚きを隠せない。
「 シーツ…汗で濡れていますね。リネンも交換された方が良いかもしれません。少し食事をして頂いて、その間に交換しますね」
「……なんかやる気満々だな」
「少し寒いですけど、我慢して下さいね」、そう言ってフォルカーのシャツを脱がすと下から程よく鍛えられた筋肉が現れた。年頃の娘なら少しは目を留めるだろうそこにも、ポルトは全く反応しない。汗で重くなったシャツをカゴの中に入れると、湯に浸してあったタオルを絞った。
「あれ?お前…サーコートどうした?」
ここに来て以来着続けていた彼女の赤いサーコート。
あれだけ脱げ脱げと言っても聞かなかったのに、一体どんな風の吹き回しだろうか。
「あれは…その…、少し汚れてしまったので洗濯をしています。急だったし、予備も無くって……」
少し大きめの上着、そしてその下には先日酒場用に買い与えたブラウスを着ていた。流石に今日は胸パッドは入れていないらしく、清々しい原っぱを披露している。ブラウスや上着が金具にこすれてしまうからだろうが、珍しくチェーンメイルすら着ていない。
こうしてみれば普通の「従者」っぽい格好になっているではないか。益々何があったのか気になる所だ。
温かいタオルで顔から腕へ、そして胸、腹、最後に背を拭いていた途中でフォルカーがクシャミをした。慌てた顔でポルトが自分の上着を被せる。
「これは…も・申し訳ありません…!終わるまでこちらを羽織っていて下さい」
「……」
「お腹は大切です! 」
やっぱりポルトの様子がおかしい……。
着ている物だけではない、態度も表情も。最初はやる気に満ちている…と思った。しかしどこかそのやる気はちぐはぐで、いつもの使命感に燃えているような雰囲気とは少し違う印象を受ける。
「……俺が眠っている間に何かあったのか?」
「 いえ、何も…!問題ありません……っ」
身体を拭き終わると手早くシャツを着せる。
そして暖炉へ向かうと食事の用意を始めた。すでに料理は出来上がっていて、温めるだけの状態になっている。
スープの入った小鍋を火にかけている間、洗濯物を片づけ、テーブルの上にクロスを敷き皿を並べた。チビが手際よく作業する様はやっぱり小動物のようだ。
「 ……シーツ、このままでいいや。食欲もねぇし。お前、それ喰っていいぞ」
「だ・駄目です、殿下。少しでも良いのでお食事を召し上がって下さい。体力が落ちたら治るのも遅くなります。シーツだって湿ったままだと身体を冷やしますし…。すぐにお取り替えしますから…!ね!?」
「………」
やっぱりおかしい。
ポルトが食べ物を拒否するなんて、何か良からぬものが混入しているんじゃないだろうか。
「……いらねぇっつってんじゃん。うるせぇ」
喰わんぞ、俺は。
「ダメです」
こっちだって譲りません。
無言の圧力対決が行われたが、結局生命力で勝るポルトが布団をやや無理矢理はがしにかかった。
苛つきが収まらないフォルカーが文句を言おうと半身を起こし―――……
「!」
両手を広げたポルトが、抱きしめるように支える。
「起き上がるのもお辛いですよね…。でも少しの間ですから、辛抱して下さい」
ぴったりと寄せられた身体。背中に回された腕。胸元にも白く華奢な手が添えられていて、タンポポのような丸い頭もすぐ目の前にある。
何度も顔を見上げる金色の瞳。小さな鼻も柔らかそうな薄紅の唇も相変わらずで、なんで女だとバレないのか不思議なくらいだ。
こちらの様子を伺い、「大丈夫ですか?」と声が掛けられると文句なんて言えなくて、諦めるように大きく息を吐いた。
促されるまま長椅子に腰を下ろす。
テーブルには肉の入ったスープが白い湯気を立てている。
風邪を治すには彼女の言うとおり、少しは口にした方が良いのだろう。が…、やっぱり食欲は無い。仕方なく隣にあった水だけを口にした。
周囲に置かれた植木も、最初は異様だったが慣れるとこれはこれで悪くない。
外に出る機会は減り窓を閉めきる時間が長くなる季節だ。近くにこうした緑があるのは良いのかも知れない。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えている間に、ベッドメイキングが終わった。
「殿下、ベッドの支度が整いましたのでいつでも横になって頂いても結構です」
「……じゃあ、もう寝る」
どうせ怒られるだろうな…そう思いながらも今度はフォルカーが「連れてって」とばかりに腕を広げてみた。
案の定あの眉間に皺が寄る……と思いきや、すぐにポルトは駆け寄り「よいしょっ」と抱き起こす。
「できるだけ、しっかり掴まっていて下さいね」
(……しっかり……)
小さな肩に回した腕に力を入れた。
それが思っていたよりも強かったのだろう、ポルトの足下がふらついて声が出た。つっかえ棒に掴まるように、小さい手がしがみつく。
熱で火照った頭を彼女の肩に乗せると、少し冷たい肌に当たる額。きめの細かい白肌には幾筋かの傷跡が見えたが、柔らかい感触に胸の奥が苦しくなって、思わずぐりぐりと顔をすり寄せた。
「……っ?……っ??」
細い首をくすぐる前髪が、一瞬彼女の身体を強ばらせた。動揺は顔を見なくてもわかる。
いつもなら他愛のない冗談の一つでも言って空気を濁したりもするが、今日は相手を気遣う余力はない。雫のようなささやかな欲も止められず、まるで幼子のようだと自己嫌悪しながらも身体は動いてしまった。
「皆、殿下のお側におりますから……。大丈夫ですよ。私たちにお任せ下さい…!」
彼女が腕を振る動きをする。
顔を伏せているので見えないが恐らく小さなガッツポーズをしたのだろう。鈍感を有した懐の深さに今は感謝するばかりだ。
「なんか今日は変に優しいな……。毒でも盛ったか?それとも俺、実は風邪じゃなくてもっと深刻な病気だとか……?」
「また馬鹿なことを」
謎の疑心暗鬼に襲われている主を寝かせ、ポルトはテーブルの上にあったスープを運んできた。しかし、用意した時と量が変わっていないことを知ると表情が曇る。
「ご飯、食べましょう?これも薬だと思って」
スープの中には小さく切られた野菜や肉が入っている。「せめてスープだけでも」とポルトはスプーンですくって見せた。
「 人間、食欲があるうちはなんとかなります。具は残してもいいですから……。ほら、お口、開けて下さい」
持論と共にフォルカーの口元まで運ばれたスプーン。上がる湯気にハーブの良い香りがする。
「熱いから冷まして」
「もう熱くないですよ。テーブルの上に置いてあったものですから」
「……じゃぁ、冷ますフリだけでもして」
「時間稼ぎするほどのことでもないでしょう?」
(……そういうことじゃない)
彼の淡い期待は儚く消え、仕方なくそのまま口を開く。
コクン、と喉を通っていくスープは思っていたよりも芳醇な味わいを持っていた。
一口入れたことで胃袋が覚醒したのか急に空腹を感じ始め、小さな肉が乗った二匙目も大人しく口に入れる。
「お味は如何ですか?」
「 ……いつもと味が違う……。肉…美味いな。なんだこれ……」
「!」
何故か嬉しそうに口元をもごもごさせるポルト。その意味をフォルカーはすぐに察した。
「……獲ってきたのか……?」
「はい!以前殿下が新鮮な肉は美味しいと仰ってましたし……っ、その……っ、熊はちょっと無理だったんですけど、猪が捕れました……!カロンとシーザーにもお手伝いしてもらいました…!」
雄鹿や熊の次にランクが高い獲物のひとつ、それが猪だ。
熊には劣るものの、ウサギや狐よりも滋養効果が格段に高いと聞き、わざわざ探して来たらしい。
スープにして煮込むことでエキスは出ている。食欲が無い状態でも栄養が取れると思ったそうだ。
「お前が服汚したのってこのせいか……」
「 解体したり運んだりした時にちょっと……。それに、久しぶりの獲物でシーザーが興奮してしまって……」
「男を捕まえるには、胃袋を掴めばいい」とはよく聞くが、ポルトの場合、料理の腕前ではなく材料の獲得になるのかもしれない。わかってはいたが、見た目に寄らず荒々しい娘である。
狼達のご褒美は猪の後ろ足を一本ずつ。そのうち熊の頭も担いできそうだ。それでも自分のために獲ってきたと聞けば悪い気はしない。口に運ばれるまま、結局全部たいらげた。
彼女は空になったスープ皿を見て満足そうに一度頷くと、今度はいかにも苦々しい液体の入った器を持ってくる。
「お薬です。これを飲んだらお休みになって結構ですよ!」
「 ……パウルの作る薬、すっげぇ不味いんだよ。飲む人間のことを全然考えてないっつーかさ。ガジンはそんなことなかったのに……」
ガジンはフォルカーの性格をよくわかっているので、不味すぎる薬は作ってこない。ジュースに入れたり、料理に混ぜたりするのだが、パウルは効き目が一番の調合を行い、別の角度から病人にトドメを刺しに来る。昨日は風邪の症状も相まって無事に一日死亡した。今日の始まりを、この薬で迎えたくはないのだが……。
器を差し出され、フォルカーはぷいっと横を向いた。
「 殿下、いけません。お薬は大事です」
「今スープで口ん中満足してるから。この余韻に浸っていたいから、それいへっっくしゅんっ!」
「!」
「とにかくいらねーの!」と言い捨て、フォルカーはばふんと毛布を被った。しばらく起きていたせいだろうか熱が上がってきた気がする。ポルトに負けないくらい眉間にシワを寄せて毛布をきつく抱きしめた。
そんな芋虫状態の主の背をじっと見つめるポルト。
顔の見える反対側へ向かい、もう一度薬を差しだしたが、「いらん」とばかりに顔をすっぽりと覆われてしまった。
ちょっと意地悪かなーと思いながらも下からそーっと毛布を引っ張ってみるが、遺憾の意を全力で表す瞳が見えた程度で、鉄壁の毛布をはがせない。
「殿下……、鼻をつまんだら味が紛れますよ?」
「そんなもんでごまかせるモンじゃねーぞ。俺は昨日飲んだからよくわかってんだ。イェニー位の極上な女が、お色気たっぷりで飲ましてくれるんなら考えんでもないが、そうじゃなきゃ今日はもう薬は飲まんからな……!」
「え……。極上の女ってどんな方ですか?」
従者の言葉に、しばし「ふむ…」と考え込んで……
「最後までさせてくれる女?」
「この期に及んで衰え知らずですね」
「お前なぁっ!最後まで出来る・出来ないの間には、お前が思っているよりも深い溝があるんだぞ?男が欲しいなら、よぉく覚えておけ」
「一人じゃ起きていられないくせに」と、ポルトは唇をとがらせる。
イェニーは初めてフォルカーと行った酒場で出会った美しい歌姫。
酒場は夜遅くまで営業しているが、さすがに朝日が覗くこの時間では閉まっているだろう。きっとそれをわかっていて彼はこんなことを言っているのだ。
いっそ無理矢理押さえ込んで口を開かせようか?大人が二人いればできないこともない。廊下にいる近衛隊に声をかければ……いや、流石にそれはやりすぎか。きっとローガンにも止められてしまうだろう。
器を片手に声をかけても、もう返事すら返ってこない。
ポルトは今まで出会った女性達を思い浮かべ、その中でもすぐに呼び出せる人物を考えた。
極上の女……一度彼が手を出したことのある人物なら…まあ、失敗はないだろう。幸いこの城にも大勢いる。
「――――――……」
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