俺の知らない大和撫子

葉泉 大和

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拾:布石

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 ***

 GWの最終日、暇を持て余した俺は、松城町を気分気ままに歩き出していた。特にこれといった目的があるわけでもなく、ただ外に出たい気分だったからだ。それに、さすがに九連休まるまる外に出ないというのは、体も心も訛ってしまう。

 このGWの間は、心休まる時間を久し振りに過ごすことが出来た。高校に行かなくてもいいとなれば、だらだらと家の中で過ごすことは当然だ。高校生活で受けている騒然とした雰囲気から抜け出した俺は、開放的な休みを送った。
 やはり、平穏が何物にも勝っている。

 そう思った時、

 ――悠陽! 今日はね。

 ふと教室での日常になりつつあるやり取りが脳裏を過ぎった。

 そう。更科とのやり取りが、高校のことをふと考えるだけでも、付随して呼び出されてしまったのだ。

 そんなことを考えていたからだろうか、ふと俺は更科の秘密を知るきっかけになった、隣町の秦野商店街の路地裏まで足を運んでいた。もう陽が沈みかけているのか、辺りは夕焼け色に染まっている。

 あんな壮絶なやり取りがあったはずの路地裏は、何事もなかったかのように、綺麗に元通りになっていた。地面を覆っていたはずの血の海も、いまやその片鱗も見ることは出来ない。
 きっと誰かが掃除してくれたのだろう。

 こうして何事もなくなった路地裏を見ると、本当に更科があの血祭まつりなのかと疑ってしまいたくなる。クラスで隣の席に座っている更科は、普通の、いや、少し容姿が立つだけの女子高生だ。周りと比べても何も変わらない。

「――はっ、せっかくの休みに何やってるんだ、俺」

 ふと更科のことを考え続けている自分に気付いて、自らを嘲笑すると、路地裏から踵を返そうとした。

「この前はどうもー」

 その時だった。
 振り向こうとする俺の背後から、一人のやるせない声が聞こえた。俺は驚いて、声が聞こえた方向に勢いよく体を向ける。

 すると、そこには秦野高校の制服を乱雑に身に纏った連中が立っていた。人数はざっと十は超えていて――、彼らは皆、含み笑いを浮かべながら、俺のことを見つめている。彼らの中に混ざっている三人は、この前この場所で見た顔だった。

 心臓が警鐘を上げる。

「……なッ、何でしょうか?」

 俺は平静を装うように、彼らに質問をぶつけた。その質問に、彼らは声を上げて笑い、一歩ずつ俺に近づいて来た。彼らが近づく度、俺は一歩ずつ下がる。

「あはは、そんな警戒しないでよ。……諏訪君、だっけ。君、彼女の友達だよね? 僕達、あの子に一目惚れしちゃったんだ。だからさ、彼女のこと紹介してくれないかな?」

 一番先頭に立つ秦野高校の生徒が、優しい声音で俺に語り掛けて来る。

 恐らく彼がボス格なのであろう――、言葉を発した人物は、一見すると、不良のようには思えなかった。長身で細身、まるでモデルのような体型をしており、その顔も爽やかで、微笑みかけられれば心を許してしまいそうだ。

 しかし、俺は騙されなかった。彼の目は冷え切っていて、一切笑っていなかったのだ。
 それにより、俺は確信した。

 ――こいつらは更科に復讐をしようとしている。

「俺と彼女はただのクラスメイトだから、あんたたちに紹介できるほどの仲じゃない」

 俺は真っ直ぐに不良達を見て言った。話す時、無意識に握り締めていた両の手に力が籠る。

「――ふーん。人がせっかく穏便に済ませようと思ったのに、白を切るんだね」

 そう言うと、今まで意図的に纏っていた柔らかい雰囲気が、一気に霧散する。そして、気付いた時には、いつの間にか彼は俺の目の前にいて、シャツの襟元が思い切り掴まれていた。逃げるという考えさえ浮かぶ余地はなかった。

「連絡先くらいは知ってるよね?」

 もう彼は何も隠す気はなかった。溢れんばかりの敵意を、嬲り殺すように当てて来る。

 この質問への答えを間違ったら、俺はきっと彼らに集団暴行を受けるだろう。それは人生に平穏を求める俺には、不必要なことだ。痛い思いなどしたくない。

 だから、俺が手に取る選択は――、

「知らない。俺みたいな無気力高校生と大和撫子でいらっしゃる彼女には、隣の席以外に接点は――ッ!?」

 俺の想いとは真逆の言葉を言い切る直前、腹部に重い衝撃が走る。目の前にいる男の後ろからは、喝采が起こり、異様な盛り上がりを見せている。

 俺は座り込んで殴られた腹を抑えたかったが、襟首を掴まれている状態では許されるはずがなかった。

 こうなることは容易に予想出来たはずだ。なのに、何故俺は彼の言うことを聞かなかったのだろうか。
 しかし、そんな思考さえ許諾されることなく、目の前にいる男は苛立ちをぶつけるように、俺のことを思い切り引っ張り、自らの元へ近づける。

 そして、息もかかるくらい近い距離で、

「最後にもう一度だけ言うよ。――あの女を、今すぐここに呼べ」

 懇願でもなく、自由意思を問わない脅迫じみた命令を俺にぶつけた。今まで見せていた剽軽とした態度も完全に消え、ただただ純粋な狂気だけが俺を撫ぜていく。

 腹が痛くてうまく話せない。恐怖で歯がうまく噛み合わない。
 もういいや。俺がここまで更科のために頑張る必要はない。更科を――血祭まつりをこの場所に呼べば、一瞬でこの問題は解決されるだろう。

 それこそ、俺の望む平穏だ。

 俺は目を瞑り、息を深く吸う。目の前の男が勝利を確信したように、一瞬ニヤリと笑ったのを感じる。

 その通り。あんたの望む降伏だ。

 俺は心の中で自嘲すると、

「――さ」

 小さく口を開き始め――、

 ――悠陽、ありがとう。

 ふと今日みたいな夕焼けに照らされて、茜色に染められた更科の笑顔が、鮮明に脳裏を過ぎった。とても嬉しそうで、幸せそうな笑顔。まさに大和撫子と呼ばれるに相応しい、お淑やかに生きようとする、普通の少女の顔だ。

 俺は歯を食いしばると、目の前の男を睨み付け、

「ッ、最近、引っ越して、来たばっか、の更し、なさんじゃ、たと、え、呼び出、しても、ここまで、来れないん、じゃな――ッ!?」

 話の途中、思い切り顔を殴られた俺は、路地裏に置かれているゴミ箱へと吹き飛ばされてしまった。まとめて置かれていたゴミ箱は、見事ボウリングのように吹き飛び、その中身までも盛大に散らかった。そのゴミが、俺の体を覆っていく。

 殴られた左頬が、思い切り打ち付けた腰が、思い切り叫びを上げる。

 俺が無残な姿を曝すことになると、盛り上がりを見せていた外野は口を閉ざしてしまった。静寂が路地裏を満たす。

「――け、剣さん、さすがに顔は……」

 そして、外野の一人が恐る恐る剣さんと呼ばれる男に、声を掛ける。

 剣は俺のことを冷めた目で一瞥すると、興味が薄れたように俺から視線をずらし、

「はぁ? ばぁか。これはあの女をおびき出すための、ただのマーキングだよ。お前らも、あいつに敵討ちをしたいって言ってただろ?」 

 声を掛けて来た仲間に語り掛けた。

「え、ええ……まぁ」

 それに対し、剣の仲間は渋々と同調する。剣以外の秦野高校の連中は、顔を真っ青にしていた。
 そんな彼らをお構いなしに剣は、手で口元を隠しながら笑い声を上げた。まるで自分にしか理解できない世界に入り浸っているようだ。

「……け、剣さん、こいつどうします?」

 先ほどとは別の秦野高校の不良が、俺を指差しながら恐る恐る剣に問いかけた。

 ゴミと一体化している俺は目を閉ざして、気を失ったと見せかけるようにただただ静かにしていた。このまま奴らが帰路に着いてくれれば、それが今の状況での最善だ。

 しかし、その先の展開は俺の予想を遥かに超えた。

「あァ? こいつはマーキング……そう言ったよな?」
「ッぐ! す、すみ、ま、せ……」

 話しかけてきた不良に向けて、剣は思い切り彼の襟首を掴んだ。今さっき、俺にしていたことを仲間に向けてやり始めたのだ。その声色から、赤の他人である俺でさえ、剣と呼ばれる男が不機嫌になっているのが分かる。

 不良は苦しそうな顔を浮かべ、なんとか剣の機嫌を取り直そうと、懸命に謝罪の言葉を投げかけていた。その様子に、剣はあからさまに溜め息を吐き、仲間の襟首から手を離す。そして、興味がなさそうに、俺の方に視線一つさえ寄越さないまま親指を向けると、

「怪我したこいつを泳がせれば、更科ってやつも異変に気付いて、自ら俺たちの元に来るはずだ。そこを俺たちは集団で狙う。完璧だろ?」

 剣は淡々と今後の計画について説明した。

 秦野高校の連中が一同に頭を縦に振ると、剣は満足そうに微笑み、この路地裏から離れ始めた。剣の背中を、秦野高校の不良達は慌てて追っていく。

「――明日が本番だ」

 踵を返す剣が最後に呟いた一言を、俺はゴミに埋もれながらも、聞き逃しはしなかった。
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