英雄の弾丸

葉泉 大和

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3-19 オレオル

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 ***

 時は少し遡り、戦う相手を失ったバルット荒地でオレオルはただ一人佇んでいた。

 オレオルは茫然と空を見上げていた。左目が熱く疼いている。

 ――あなたは何のために世界最強を目指すのですか。

 先ほどクルムに言われた一言が、心の奥底をかき乱していた。

「……く」

 オレオルは左目を抑え、疼く痛みを鎮めようと試みる。

 どうしてオレオルは戦うようになったのか、否、強さを求めるようになったのか。確かに一度はその決意を固め、その目的に向かって真っすぐ歩んできたはずなのに、どうして今はハッキリと答えられなくなったのか――、それがオレオルにとって負けたこと以上に悔しかった。

 静まるバルット荒地で、オレオルは一度抱いたはずの決意を確かめるために過去へと潜っていく。

 深い深い闇だ。何も見えず、何も聞こえない。意識を手放せば、どこまでも奥底へと沈んでいって、二度と帰って来れないような錯覚に陥ってしまいそうだ。

 しかし、オレオルは止まることなく、更に深く記憶を辿っていく。

 やがて記憶の奥底へと潜り込んでいくうち、音が聞こえた。暗闇の中で、微かな音が鳴り響く。その音によって、オレオルの最奥にある記憶が甦った。

 そうだ、始まりはこの音からだった。

 ――オレオル・ズィーガーの記憶は、じゃらじゃらとした金属のぶつかるような音から始まる。

 オレオルの頭上では、金銭のやり取りが行なわれていた。その音を、オレオルは地面を見つめながら、ただ何となく聞いていたことは覚えている。

 金を受け取った男は、その量を確かめると、

「オレオルの取り扱いには気を付けることですね。一見子供のように見えますが、こいつはただの人の子とは違います。安易な行動一つで、命を落としかねないですよ」

 そう言い残して足早に去っていった。

 その足取りには温情も未練もなく、ただ義務的に金を受け取り、オレオルを引き渡していたことから、今の人物はオレオルの身内ではないのだろう。

 そして、オレオルを引き取った男――、否、オレオルを買い取った男は、満足気にオレオルのことを見つめると、

「……合格だ。ついて来い、今日からお前は俺のモノだ」

 颯爽と踵を返し、幼いオレオルの歩幅など気にすることなく、長い足を有効に使って歩き始めた。

 オレオルはどうすべきか戸惑い、一度後ろを振り向いた。後ろには数十の人が倒れ込んでいる。嫌な鉄の臭いが、オレオルの鼻腔をくすぐった。その臭いに顔をしかめながら、オレオルは男の方に顔を戻した。いつの間にか暗い路地裏から抜け出した男の背中は、明るい光の中へと消えていく所だった。
 前髪が邪魔してはっきりと開けない視界の中、オレオルは出会ったばかりの男の後を追いかけた。

 ***

 あれから数年の時が経過し、それでも尚、オレオルは自分を買い取った男――コルド・ブリガンの下に付いていた。

 コルド・ブリガンという人物は、トリクルという町に拠点を置いて活動をしている商売人で、且つ犯罪者だった。しかし、所在も罪も分かっているのに、誰もコルドを捕まえることは出来なかった。

 コルド自身に知恵も力も備わっていることもあったが、コルドの後ろに付いている人物達がより危険だったからだ。コルドは高い金を払って、多くの護衛を雇い、自分の身を守らせていた。
 そして、守らせるだけではなく、積極的に人員を各地に送り、様々な犯罪を犯させた。

 その影響で、コルド・ブリガンという名は裏社会だけでなく、表社会にも浸透し始めていた。
 コルドの名を聞けば誰もが耳を塞ぎ、コルドの姿を見れば足がすくむ――、すなわちコルド・ブリガンとその関係者は、人々にとって恐怖の対象となった。

 しかし、そんな現実を分かりながらも尚、オレオルはコルドから逃げ出そうとは思わなかった。

 たとえオレオルがコルドから逃げ出すことに成功したとしても、オレオルには自分ひとりで生き抜く力がないのだ。コルドに従えば、飯も食えるし、寝るところにも困らない。

 オレオルはただ肉体を生かす――、それだけのためにコルドに従っていた。

 そんなオレオルの思惑を知ってか知らぬか、コルドはとにかく自らの傍にオレオルを置いていた。
 コルドと交渉に来る外部の者は、幼く、見た目も汚らしいオレオルを傍に置くコルドのことを、好奇に満ち溢れた瞳で見つめていた。中には、頭がおかしくなったのではないかとコルドを馬鹿にする者もいた。
 しかし、オレオルの実力を目の当たりにすると、誰もがその考えを翻し、コルドにひれ伏すようになった。そうして、コルドの交渉が円滑に進むようになるのだ。

 いつもコルドの命令に従いながら生きてきたオレオルの世界は、コルドの周りとトリクルという町しかなかった。それ以上のものを、コルドは与えない。

 その運命をオレオルは受け入れていた。

 オレオルは考えることを放棄してコルドの命令に従って、ただただ時の流れに身を任せながら、その日その日を生き延びていた。

 今更、人並みの人生を送れるとは思わなかったし、オレオルには夢も希望も見い出せなかった。

 だから、何も高望みはしない――、子供が故に弱いオレオルは本気でそう考えていた。

 ――そんな子供とはかけ離れた思考を持つオレオルを根本から覆す出逢いがあったのは、丁度この頃だった。


 その日、コルドからトリクルの町を自由に歩くことを許されていたオレオルは、一人で町の中を歩いていた。月に一度か二度、コルドから許可が下されるのだ。
 しかし、町を自由に歩いてもいいと言われても、オレオルには何の目的もなかった。

 町で売られている商品を見ても一切心は惹かれなかったし、雑踏の中の話し声なんて不愉快にしかならなかった。

 与えられた限りある自由時間を、ただトリクルの端まで行き来するだけで無駄に費やす――、オレオルは伸びた前髪を上げることなく、狭まれた視界で多くの人が行き来する通りを、与えられた任務をこなすように黙々と歩いていた。

「ちょっとあなた!」

 そんな時だった。
 突如オレオルの背後から、幼い女の子の声が響いた。しかし、オレオルは自分に当てられた物とは思いもせず、黙々と歩き続けた。その歩き方には、一切の躊躇も配慮もない。

「そこの前髪のせいで前が見えていないあなたに言ってるのよ! 待ちなさい!」

 だが、離したと思った少女の声は、どんどんとオレオルに近づいてきた。女の子がオレオルに近づいてくること、そして女の子の話の中に出て来た前髪という単語――、ようやく少女の目的が自分にあることに気が付いたオレオルは、足を止め振り返った。

 髪に隠れた視界の中、オレオルよりも背の低い少女が息を切らしながら近付いて来るところだった。伸びた前髪のせいで顔はよく見えない。

 やがて、少女がオレオルの前にまで来ると、

「……っ。あなた、私とぶつかったのだから謝りなさい!」

 息を整えてから、オレオルに向けてビシッと言い切った。

 オレオルは何も言わずに、黙って目の前にいる少女を見つめた。コルドに買われて以来、オレオルが一度も出会ったことのないタイプだった。オレオルの周りにいる人間は、いつもオレオルのことを蔑むか、関わりを持とうとしないか、取り繕うようにおだてるか――、とにかく肯定的な感情をぶつけられたことはなかったのだ。

 こうして思いの丈を真っ直ぐにぶつけられたのは、初めてのことだった。

「……悪かった」

 オレオルは少女の剣幕にやられて、自然と言葉を紡いだ。ひどく滑舌の悪い言葉だったかもしれない。普段オレオルには人前で話す経験は少ないのだ。オレオルはいつの間にか少女から視線を外し、俯いていた。

 しかし、少女はオレオルの言葉を正確に聞き取り、受け止めると、

「まったく、こんなにたくさんの人がいる道なんだから、ちゃんと気を付けなさいよね」

 ふと少女の纏う雰囲気が柔らかくなったのを、オレオルは感じ取った。言葉の言い方にはどこか棘があるものの、嫌悪を感じさせない。

 オレオルは下に向けていた顔を、少女の方へ向けた。
 やはりオレオルの長い前髪が邪魔をして少女の顔は見えないが、その口元がやんわりと上がっているのだけは見えた。

 そして、少女は一つ溜め息を吐くと、

「それにこんな前髪をしていたら、ぶつかるのも当然に決まってるわ」

 一歩オレオルとの距離を詰めた。少女はオレオルの顔を見上げるように覗き込むと、ふっと笑みを作った。

「――ねぇ。あなた、名前は?」
「……オレオル」
「そう、オレオルね」

 今しがた聞いたオレオルの名前を確かめるように、少女はオレオルの名前を呟くと、自分の頭からカチューシャを取り外した。

 そして、そのカチューシャで優しくオレオルの髪をかき上げた。ゆっくりとゆっくりと世界が広がっていく。

「うん! これでよく前が見えるんじゃないかしら、オレオル! それに、こんな綺麗な瞳を前髪で見えなくするなんてもったいないわ!」

 オレオルの目に、パッと花が咲いたように笑う可憐な少女が映った。日の光に照らされた少女は、どこか神々しくさえ見える。そして、その少女の瞳の中に、琥珀色の双眸を持った少年がいる。

 世界が百八十度変わるような衝撃がオレオルの中に走った。

 ――これが初めてオレオルがはっきりと見た景色だった。

「ねぇ、オレオル! ついてきて! 教えたい場所があるの」
「――」

 初めての衝撃に茫然とするオレオルは、言葉を発する間もなく、少女に手を引っ張られていった。少女の腰まで届く長い髪が、走る度に揺れる。

 目の前にいる少し強引な少女は、やはりオレオルが出会ったことのないタイプの人間だった。

 オレオルは訝しむような瞳を、自分でも知らぬうちに当てていた。

 少女はオレオルの視線に気付くと、

「私はクレディ。家名は男らしくって嫌いだから言わないわ。だからね、私のことはクレディって呼んで! さぁ、早く行くわよ、オレオル!」

 初めて見る花が咲くような笑顔にオレオルは心を奪われながら、なすがままに前へと進んでいった。

 これが、オレオルの運命を変える少女――クレディとの最初の出会いだった。
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