英雄の弾丸

葉泉 大和

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3-23 ズィーガー

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 ***

「――ッ」

 コルド・ブリガンは命からがら走っていた。

 やけに自分の心臓が五月蠅く感じられる。下手すれば、このまま破裂するのではないかと、錯覚するほど嫌に激しい。しかし、それでも構わなかった。ここで止まったら、この心臓の音を聞くことは二度と聞くことは叶わないとそう直感していた。

「聞いて……、ねぇ……っぞ!」

 そのオレオルの人間離れした強さに、コルドは圧倒されていた。ただただ純粋に、恐怖してしまったのだ。

「……なんなんだ、あの……化け物は……ッ!」

 コルドは信じられない現実に、一人悪態をついていた。そうすることでしか、コルドの心に平静を保つことは出来なかったのだ。

 元々コルドはオレオルの力を買っていた。ただでさえ常軌を逸する力を持っていたオレオルだが、更に眠る力があることも見抜いていた。しかし、その眠りし力が、まさかここまでだとは全く予想だにしていなかったのだ。
 これは人が――、少なくともコルドが手中に治められるモノではなかった。

 それに、オレオルはあれでも本気を出していない。実力を十二分に引き出す、オレオル愛用の得物を使っていないのだ。

「くそ、計画が全部台無しじゃねぇか!」

 コルド・ブリガンが思い描いていた計画は、覚醒したオレオルを利用して、自分だけの国を作り、世界をも取り組むものだった。オレオルの無類の強さで、恐怖政治を行なおうとしていたのだ。

 しかし、その夢はすべて水泡と帰した。むしろ、コルドが得たものはなく、オレオルによって全ての物を失った。

 そんなコルドだったが、完全に運に見放されてはいなかった。本当に運がなかったら、コルドの命はあの場で潰えているだろう。
 コルドは手下を犠牲にすることで、何とか悪魔の巣窟から抜け出すことが出来たのだ。

 冷静に分析して、手下たちがオレオルに勝てるとは万が一にも夢見ていない。しかし、それでもコルドが建物の中から逃げ出す時間くらいは稼ぐことが出来るだろう。
 コルドは自分だけが生き残るために、自分の手下を捨てることに、何の情も抱いていなかった。

「……ちィ、命があるだけまだマシ……か。ひとまずここから抜け出すことが先決だな」

 コルドの目の前に、淡い月光に照らされた出口が見えた。

 ここから新しく始めればいい。

 ――次は何を利用して、高みへと駆け上がるか。

 そう未来への希望を抱き、一瞬だけ気を緩めた時だった。

「――ッ!?」

 突如、ガラガラと音を立てて天井が崩れ落ちたのだ。

 思わずコルドは足を止めて、予期せぬ惨事を見つめた。そして、天井が崩れ落ちる中、一人の人間も一緒に降りて来るのを視界に捉えた。

 コルドは恐怖のあまり、無意識に後ろに下がり、そのまま躓いてしまった。尻を地につけながら、コルドは黙って目の前の現象を見つめることしか出来なかった。

 埃や煙が舞っていることで姿が見えないが、手に長い得物を持っていた。そして、突如コルドの前に現れた人物は、煩わしそうにその得物を振ると、空気を全て薙ぎ払った。

 豪快な風の後、視界が鮮明になる。目の前に立つ人物の正体も明らかになった。

 やはり目の前には、悪魔が――、オレオルが立っていた。そして、その手にはオレオルが長年愛用している槍が収められている。

 オレオルは五階にある自室から、愛用の武器を持ち出し、槍を使った強引な手で一気に一階まで降りて来たのだ。

「――」
「――」

 月光に照らされるオレオルと、コルドは視線が合った。

 オレオルの双眸は綺麗な琥珀色をしていた。しかし、今やその双眸は色を失っており、漆黒に染まっていた。

 その瞳を見て、ふとコルドはオレオルを買った時のことを思い出していた。

 オレオルを売った商人は、裏の業界で有名だった。その名前は思い出すことは出来ないが、その男はオレオルを売った時、確かにこう言った。

 ――オレオルの取り扱いには気を付けることですね。一見子供のように見えますが、こいつはただの人の子とは違います。安易な行動一つで、命を落としかねないですよ。

 その意味を今更ながらコルドは理解することが出来た。

 オレオルは生半可な人間が利用することは出来ない存在だった。覚醒したオレオルの実力を見た今なら、分かる。オレオルを一言で表現するならば、悪魔だ。
 人を殺すことにも一切の躊躇もなく、むしろ時が経つにつれ残虐性が増し加わる。
 人の皮を被った悪魔が目の前にいる。

「――っ」

 コルドはあまりの恐怖に息を呑んだ。

 オレオルに対してコルドがここまで恐怖心を抱くことは初めてのことだった。

 いくら覚醒したとはいえ、前はコルドでも治めることが出来ていたはずだ。今のままでは、己の本能に従う獣と変わりはない。否、獣よりも質が悪い。

 そう思いながら、コルドの脳裏にこの手で葬った少女――クレディの顔が浮かんだ。

「――」

 なぜ、と思うよりも先に、コルドは納得してしまった。

 オレオルがただの化け物になってしまったのは、コルドがクレディを殺したことを伝えてからだ。

 つまり、オレオルの箍を壊してしまうほどに、クレディという少女の影響は大きかったということだ。

 クレディのせいでオレオルは弱くなってしまったが、クレディのおかげでオレオルは今まで人の道を外れることはなかった。

「――」

 オレオルは何も発することなく、ゆっくりとコルドに近づき始めた。同じ息をしている人間とは思えないほど、静かだった。

 地上に這い上がった悪魔が一歩近寄る度、コルドは尻もちをつきながら後退る。

 こうなったのも、コルドの采配ミスだ。
 コルドは、偶然のような導きで手に入ったクレディという楔を壊すことで、オレオルに閉じ込められていた悪魔の力を解放させてしまったのだ。
 そして、その矛先が今コルド・ブリガンに向いている。

 まさに因果応報だった。

「……お、オレオル。俺が悪かった……」

 コルドは迫り来るオレオルに命乞いを始めた。

「……」

 しかし、コルドの命乞いはオレオルの耳には届いていないのか、言葉が返ってくることはない。

「俺は本当にお前のことだけを思っていたんだ。お前を弱くするモノが許せなかった。だから、仕方がなかったんだ。なぁ、分かるだろう……?」

 それでも、コルドは言葉を続ける。

「これからは、間違えない、からさぁ……。だから、その怒りを、治めてくれ、よ。一緒に、世界を取れば、お前は好きなことを、出来る、ぜ、ハ、ハハ、ハ、ハ、ハハ」

 何の音がしないことから、もうこの建物の中で――、否、トリクルで生き残っている者はオレオルとコルドしかいない。なら、コルド一人が残された今、出来ることは命乞いをするだけだ。

 だが、やはりオレオルには通じていないようで、オレオルの足は止まらない。オレオルが一歩一歩とゆっくり迫る様は、まるで頸動脈に刃を当てられてゆっくりと削られているようだ。

 そして、オレオルの槍が一振りでコルドに届く距離に近づいた時、

「……来るな」

 コルドははっきりと拒絶の言葉を口にした。

 その言葉を合図にしたように、オレオルのスピードが上がる。槍を軽く一振りすれば、簡単にコルドの命を奪えるというのに、その速度は無慈悲なほどに凄まじい。

「来るな来るな来るなァァァ! 俺はこんなところで――ッ!」

 声と共に、コルドの意識は途中で途切れ、その場に倒れ込んだ。

 オレオルはコルドを興味がないように一瞥すると、新しい獲物を探す獣のように、瓦礫を乗り越えて屋敷を飛び出した。

 ***

 オレオルは暗い世界の中にいた。

 自分がどこにいるのか分からない。手足を動かしているという感覚はあるのだが、その手足がどこに向かっているのかは分からなかった。

 その分からない、という感覚さえも次第に朧気になってくる。今オレオルの心を満たすのは、全てを壊したいという衝動だった。

 オレオルは何とかその衝動を抑えてきたが、もう限界だった。抑え込み続けていると、気が狂いそうになってしまう。

 ――もういいか。

 オレオルは諦めるように、己という存在を闇へと葬ろうとした。

 どうせ生きていても、オレオルにとってかけがえのない存在だったクレディはもういないのだ。
 これ以上オレオルに生きる意味はない。

 そう思った時だった。
 完全な闇の中に、ふと一筋の光が差し込んだ。

 その光に当てられると、オレオルの中で闇が取り払われるような感覚が生まれた。それにつれ、意識が強制的に覚醒していく。目を開こうと試みると、どうやら右目しか開かないようだった。ぼんやりと赤子が目を開けるように拙く右目を開けると、目の前に花畑が広がった。

 そして、オレオルの前にはクレディがいる。

「――クレ……ディ……」

 意識が朦朧とする中、オレオルは大切な名前を言葉に紡いだ。

 オレオルの声を聞くと、クレディは以前と何も変わらない笑顔をオレオルに向けた。本物だった。その表情に、オレオルはここが夢か現か分からなくなってしまった。

 それに、いつの間にオレオルは約束の場所にまで来ていたのだろうか。ほとんど意識がなかった中、この場所まで辿り着くことが出来たのは奇跡だと言えるだろう。いや、奇跡なんかではない。何日も、何か月も、何年も、この道を歩いてきたのだ。足が無意識にここまで来るのは、ある意味当然のことだった。

 茫然とするオレオルに、クレディはにこりと微笑むと、オレオルの手首をつかみ、どこかへ引っ張ろうとした。その手首の感触は、到底死んでいるようには思えず、とても懐かしく、温かった。
 クレディに黙って付いて行っていると、どうやら花畑を越えて丘を登ろうとしているようだった。クレディの足取りは、昔と同じだ。出会った時初めてこの場所に連れて来てもらった時のように、爛々としている。いつも迷うオレオルと違って、クレディの行動には迷いがないのだ。

 オレオルにないものを持つクレディに、オレオルは惹かれていた。

 もう少しで頂上だ。丘を登り切ると、トリクルの境界線となる道が広がる。

 これで約束が果たされるのだ。クレディと共に、世界を旅することが出来る。もう何も、オレオルとクレディを縛るものは、一つとしてない。

 しかし、頂上に着くと、クレディはオレオルの手を離して一人先に進んだ。

「ちょ、待っ――」

 オレオルはクレディの後を追った。今度こそ離してたまるか――、そう思い、必死に後を追いかける。しかし、オレオルはクレディに追い付くことは出来なかった。まるで見えない壁に断絶されているようで、その距離はいつまでも縮まることはなかった。

 それでも、オレオルは追いかけることを止めない。ここで止まったら、もう二度とクレディに会えないと、オレオルの魂が直感しているのだ。

 しかし、そんなオレオルの想いを嘲笑うように、やがて世界が眩く輝き始めた。あまりの光に、オレオルは左手で庇を作った。限定された視界の中、クレディが光の中へと突き進む姿を捉えた。

 運命が二人を分かつ時が来たのだ。

「待ってくれ、クレディ!」

 オレオルはクレディを世界に留めるように、手を伸ばした。

「クレディ・ズィーガー! 俺は――」

 その手が届くことを祈るように、オレオルは大切な少女のフルネームを力強く叫ぶ。

 オレオルの声に、一瞬クレディは立ち止まり、振り返った。

 クレディは花が咲くように笑みを浮かべ――、

「――ぁ」

 そして、花が散るように光の中に消えた。

 クレディに届かなかった手は、無常にも宙を掴んだ。

 一人取り残されてしまったオレオルは、茫然と周りを見渡した。
 いつの間にか、丘を登り切っていたようで、オレオルはトリクルを見下ろした。縛り付けられるように過ごした故郷トリクルは、コルド・ブリガンの手によって見るも無残な状況だった。しかし、そのコルドも、オレオルの手によってもうこの世にはいない。

 もうオレオルを縛るものはなかった。クレディの願い通り、オレオルは外の世界で自由に生きることが出来る。
 あと一歩、自分の意志で踏み出せば、そこはもう外の世界だ。

 オレオルはクレディを掴み損なった手を開いた。その時、優しい風が吹き付けた。オレオルの手の中にあったひとひらの花弁が、風に乗って世界に旅立っていく。

「……ばっかやろう。クレディ――、お前がいなければ意味がないんだよ」

 ――ここで交わした約束……、一緒に遠い町に行こう、という約束は永遠に叶わなくなってしまった。

 それは、オレオルが弱かったからだ。

 オレオルは唇を噛み締め、何もなくなった拳を強く握り締めた。

「俺――、オレオルは……」

 オレオルはトリクルの町を見下ろしながら、決意を固めようとしたところで、口を止めた。

 そして、暫しの間考え込んでから、

「オレオル・ズィーガーは誰よりも強くなる」

 クレディの持つ姓を自らにつけ、そう決意した。

 オレオルにとって、クレディ・ズィーガーという人物は最も強い人だった。

 芯が通っていて、曲がったことが嫌いで、人のことを気に掛ける優しさを持っていて――。そのクレディの強さのおかげで、オレオルは自由を得ることが出来た。

 だから、家名も何もない、ただのオレオルが最も強い人物の家名を名乗れば、ただそれだけで強くなれる気がした。
 加えて、だ。
 ズィーガーという名を語れば、いつもクレディが傍にいてくれる気がしたのだ。

 その家名を持つ人が、いつもオレオルを新しい世界へと導てくれた。

 だから、道具として生きたオレオルという少年は、誰のものでもないオレオル・ズィーガーという一人の人間として生きていく。

「それで、この世界で一番強くなって、二度と誰にも俺のものを奪わせねェ」

 そうすることで、オレオルは贖罪をする。

 ――弱くて、幼くて、甘くて、迷い続けたオレオルのせいで、大切だったクレディ・ズィーガーの命を失わせてしまったことを。

 オレオル・ズィーガーは約束の場所で決意を誓うと、琥珀色の右目を閉じた。

 そして、両目を開く。しかし、オレオルの世界を彩ってくれるのは、琥珀色の右目だけだ。色を失い漆黒のように黒くなった左目は疼くだけで、何も見えない。

 オレオルは自嘲するように笑った。

 オレオルにとって、左目だけ光を失っているのは都合がよかった。

 ――これはオレオルが犯した罪を忘れないための、罰だ。

 崩壊したトリクルを最後にしっかりと瞳に焼き付けると、オレオルは背を向けて、新たな世界に足を向けた。

 初めて一人で出る世界は、広かった。琥珀色の右目でしか世界を捉えることは出来ないが、それでも広い。

 そんな広い世界に今まさに飛び立とうというのに、行くべき先はまだ決まっていなかった。

 けれど、オレオルの左目が疼いている。まるで獣がエサを求めるように、強く疼いている。その左目が行こうとする場所に向かえば、きっとそこにオレオルが求めるモノがあるはずだ。

 もう迷わない。誰よりも強くなる。

 これが――、オレオル・ズィーガーの生きる道だ。

 ***

 オレオルはゆっくりと目を開け、追想の濁流の中、現実世界に帰還する。

 あれから何年の時が経ったのだろうか。
 トリクルを旅立ってから、オレオルは左目の異能を利用しながら日々己を鍛え上げて来た。幾重もの猛者をこの手で葬り、その分、技にも磨きをかけて来た。

 最初はクレディへの贖罪の意識が強かった。クレディを守れなかったことから、ただひたすらに強さを求めた。けれど、いつしかその想いはオレオルの心から薄れていき、ただただ強さへの純粋な欲望がオレオルの中を占めていった。

 他者より優位に立てること、自分が強いと証明できること――、それがオレオルの快感となっていた。

 そうすることで、大切なクレディ・ズィーガーを失ったことを、故郷を失ったことを、己の弱さを、そういったすべての現実から逃げ出していたのかもしれない。

 ――あなたは何のために世界最強を目指すのですか。
 
 そうだ。今すべてを思い出した。

 オレオルが最強を目指すようになったのは、単純に強さを求めたからじゃない。クレディを守れるように、二度と誰かを苦しめないために、オレオルは己を磨き続けた。それが、強さを求めた本当の理由だ。

 しかし、いつしかオレオルの目的は強さそのものへと自らでも気づかない内にすれ変わっていた。その裏にある、大切な想いを忘れていた。
 そして、強さを求めるが故に、オレオルは悪魔を利用するようになり――、否、オレオルは悪魔に利用されるようになった。

 そのことさえ気付かずに、オレオルは自分本位で強さを追い求めた――気になっていた。

 オレオルは左目を閉じ、自分の心に問いかける。

 ――果たして、今の俺の姿を、クレディ・ズィーガーはそれを望んでいるのだろうか。

 そんな問題、オレオルの中では意味がなかった。答えはすでに分かっている。

 月光の下、オレオル・ズィーガーは息を思い切り吸い込むと、自分の左手を漆黒の左目の中に突っ込んだ。
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