英雄の弾丸

葉泉 大和

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1-40 門をくぐった先

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 ***

 歩くクルムとリッカの間で会話が留まることはなかった。

「黙っていなくなるなんてありえないんですけど」
「すみません。あまり罪人を匿っているのも、世間的にもよくないかと思って」
「ここにクルムを罪人だと思っている人は誰もいないよ。クレイ支部長だって、拠点が綺麗になったって喜んでいたくらいだし」

 迷いがなくなったリッカは、この町で出会った時のような笑顔をクルムに向けている。

「カペルさんはどうなりましたか?」
「カペルは……あの後、自らの意志でクレイさんに頼み込んで、他の主要メンバーを連れてジェンドに行ったよ。悪魔に憑かれていたと上の方に言っても、どれくらい信じてもらえるか分からない。だから、正直な話、あとはこれからのカペルの行動次第っていうところかな」
「そうですか」
「でもね、カペルが過去にジンガで犯した罪は濡れ衣だったってことが分かったから、その分は考慮してくれるように取り合ってくれるんだって」
「それは良かったです」

 クルムはカペルの今後を聞いて、心底安心したような顔を浮かべていた。
 リッカ自身もあの後カペルと接したから分かるが、本当にカペルはクルムによって憑き物が落ちたように――悪魔が退いたことが素人目でも分かるほど、顔が輝いていた。

 あのクルムが弾丸を撃った瞬間。その刹那。クルムとカペルがまるでこの世界から瞬間隔離されたような空白が存在していた。その時、きっとクルムはカペルを悪魔から救出するために計り知れないほどの努力をしていたのだろう――、とリッカは分からないながらも、そう推測していた。

 話しているといつの間にか、クルムとリッカはオリエンスの門の前まで来ていた。リッカはクルムの服を握っていた手を離す。
 リッカは何も言わず、クルムに背を向けていた。クルムはリッカの小さな背中を黙って見つめる。
 先ほどの会話が夢だったように、今は静けさだけが空間を占めている。耳を澄ませば、風に吹かれる石ころの音さえ聞こえるほどだ。

「……」

 この門をくぐれば、リッカはクルムを捕まえる権利を得ることが出来る。このオリエンスをまとめているクレイが、オリエンスではクルムを捕まえることが出来ないと言ったからだ。

 否、それは言い訳だ。

 リッカが本気を出せば――、リッカが大陸支部という立場を口に出せば、クレイの発言を覆すことは容易いことだ。それほどまでに大陸支部という立場は、権力的に強い。
 それでも、リッカが大陸支部の権力を使わなかったのは、先延ばしをしたいという思いがリッカの中にあったからだ。
 だけど、ここから先はリッカ・ヴェント自身が決めなければならない。

 ――クルム・アーレントにどのように接するのかを。

「……クルム」

 リッカは大きな一歩を踏み出すと、クルムの名前を呼んだ。
 クルムは返事をしないことで、付随する言葉を促す。

「クルムが考える英雄って、どんな英雄?」

 まるで行く末を決めあぐねるかのように、リッカは門の真ん中に立つと、空を見上げながらクルムに訊ねた。
 
 クルムが世間一般の情報通りの罪人ならば、荒唐無稽で自己中心的な話が出てくるだろう。しかし、クルムが罪人ではなく、英雄となる人物ならば、その口からはただ英雄の話だけが出てくるはずだ。

 リッカはクルムの方を振り向かない。
 だから、クルムには、リッカがどんな表情をしているか分からなかった。

「人々を救う者――」

 クルムは諭すように、リッカの問いの答えとなる言葉を優しく紡ぎ始める。

「それが世間一般の英雄像……ですよね。もちろん、それは間違っていないし、否定するつもりもありません。しかし、それを突き詰めて、導き出した答えは――」

 リッカはクルムの方を振り向かなかった。
 だから、リッカには、クルムがどんな表情をしているのか分からない。

 しかし、クルムの言葉はリッカにとって、最後まで聞いてみたいと純粋に思える言葉だった。

「英雄がいつもその心にある者」

 クルムははっきりと告げた。その言葉に、一切の迷いはない。

「英雄をいつも心で迎え、正しく受け入れ、英雄ならどのような行動をするかと考えていれば、英雄のような生を自ずと生きて、いつしか真の意味で人を救う――、そういう人が自然と周りから英雄と認められていくと僕は思います」

 クルムが言い終わると、静寂が空間を占めた。

 リッカは静かにクルムの言葉を噛み締めるように、心の中で反芻していく。

「そっか」

 どこまで理解出来たか分からないが、一先ずクルムの言ったことを受け入れたリッカは、納得したような声を漏らした。

「……私ね。正直、あなたが何者なのか分からない。罪人なのか、旅人なのか、英雄なのか、どのあなたの姿が正しいか分からない」

 クルムの答を聞いたリッカは、クルムの方向を振り向きながら、独白するように語る。振り返ったリッカの表情は、完全に作られた笑顔だった。
 完全な笑みが、逆にリッカが無理していることを象徴している。

 クルムは何も言わなかった。今言葉を挟むのは、リッカの思いに水を差す、というものだろう。

「でもね。このオリエンスで接したあなたは、罪人のようには思えなくて……、ただ世話好きで、命知らずな優しい人だった。……だからね」

 リッカは目を閉じる。
 これから重大なことを言うために、心の準備を整えているようだ。
 リッカは長く息を吐く。来る。クルムも心の構えを取った。

「だから、この目で確かめる。あなたがどんな人間なのか、私が納得の行くまで見極めて――それから考える!」

 リッカは堂々とした態度で、生々とした表情で、高々と宣言した。

「私ね。そもそも考えて迷うことって、そんな得意じゃないの。いつまでも同じ考えがグルグルと回るっていうか……。だから、あなたの行動を見て、決める! それなら、自分の目で見たことだから信じられるでしょ?」

 リッカは宣言したことによって心が落ち着いたのか、饒舌に話し始めた。リッカはクルムに同意を求める時、勝ち誇ったように白い歯を見せた。

 リッカの姿を見て、クルムは――、

「ははは!」

 大声を上げて笑った。

 リッカは予想外の事態に、目を見開いて驚いていた。

 リッカ・ヴェントが抱くクルム・アーレントのイメージは、優しく、達観的で、冷静に状況を判断でき、敵味方関係なく生かそうとする――それが、クルムと出会って一日で出来上がった人物像だ。

 だから、クルムが声を上げて笑うことがリッカには想像すら出来なかったのだ。

 いや、そもそも――、

「私、真面目なんですけどっ!」

 リッカは顔を赤くさせながら、クルムに言った。

 そのことが更にクルムのツボに入ったのか、お腹を抱えて笑い込む始末だ。
 ここまで来ると、リッカは何も言えなかった。
 何が面白いのかは全く分からないが、滅多に見ることの出来ないクルムの表情を見れて、むしろリッカは安心する。

 こうして見ると、罪人も、旅人も、英雄も、何の肩書きも持っていないただの人のようだ。

 一通り笑い終わったクルムは、呼吸を落ち着かせるために一息吐いた。

 そして――、

「面白いですね、リッカさんは」

 クルムは目に涙を浮かべながら、言葉を紡ぐ。クルムは目に浮かべた涙を拭い取ると、真剣な顔に戻った。

「ぜひ、あなたの目で僕のことを見極めてください。そして、あなたの目から相応しくない行動を僕がしていたら、その時は遠慮なく捕まえてください」

 リッカの覚悟に応えるように、クルムも真っ直ぐな瞳で宣言する。

「でも――、僕の行く道は大変ですよ?」

 クルムはリッカを試すような口調で問いかける。リッカはその言葉に思わず吹き出してしまった。
 罪人かどうか見極めようとしている人を気遣ってしまうほどクルムはお人よしだった。

「ふっ、どんと来いだね! 全部知るまでは、私、あなたについて行くから!」

 リッカは受けて立つと言わんばかりに言う。
 オリエンスでのカペルの一件を目の当たりにして、クルムの言うことは正しいことだと分かっていた。
 悪魔と関わるならば、命がいくらあっても足りないだろう。

 正直、ここでクルムに出会うまでは、リッカは悪魔の存在について知らず、罪人のことを罪人としてしか見ていなかった。

 でも、知ってしまったから、もう指を咥えて見ることは出来ない。素知らぬ顔で生きることなんて出来る訳なかった。

 リッカがクルムの旅に同行しようとするもう一つの理由でもある。
 クルムについて行くことで、クルムのことも、悪魔のことも全てを知って、リッカが望む理想世界を作り上げたいのだ。

 そして、リッカは決心を固めて力強く一歩を踏み出すと、完全に門をくぐり抜け、オリエンスの町を出た。その一歩に、迷いは一切感じられなかった。

「俺に内緒でどこへ行こうとしているんだよ」

 その時だった。リッカの耳に幼い少年の声が響いた。
 折角潔く門をくぐり抜けたというのに、リッカは旅立つ途端から出鼻をくじかれる思いになった。

「君は……確か……」

 リッカの後に続いて門を出たクルムは、声の出元である門の陰に隠れていた少年の存在に気付く。ずっと待ち続けていたのか、少年は門に寄りかかってしゃがみ込んでいた。

 しかし、クルムは少年を前にして続きの言葉が紡げなかった。
 少年の存在を忘れて言葉が詰まったのではない。
 少年の名前を知らなくて言葉が出て来なかったのだ。

「……っ。俺も連れて行ってくれ。クルム、あなたについて行ってみたいんだ」

 クルムが言葉に詰まった理由を悟った少年は、立ち上がると自ら先に要件を告げた。

 少年は自分を救ってくれたクルムについて行きたいと思っていた。クルムが本当に待ち続けた英雄シエルならば、この機会は永遠に訪れない気がする。

 それに、クルムが弾丸を撃った時、少年の目にクルムの姿はシエルが剣を貫いた姿と重なって見えた。

 だから、全てを置いてでも、英雄が成そうとすることをこの目で焼きつけたい。そう少年は願っていた。
 そもそも今となっては、帰る場所さえ少年には存在しない。

 今まで自分の意志を殺してきた少年にとって、こうしてクルムの前に立つことは一大決心の大勝負の場に立っているようなものだった。

 しかし、クルムは少年の提案に首を捻らせていた。

「そんな簡単なものでは……」
「そうだよ。今ならまだ世界政府がどうにかして、君のことを守ってあげることだって出来る。もう少し考えた方がいいんじゃない?」

 クルムとリッカは少年を諭すように語りかけた。
 この先の旅が一体どうなるか全く予想がつかないからだ。最悪の場合、死ぬ可能性だってある。

 しかし、少年は真っ直ぐで、切実な目をクルムに向けていた。
 クルムは少年の目を知っていた。
 この目は、何があっても揺れない心の表れだ。

 クルムは参ったように溜め息を吐くと、微笑みを見せ、

「分かりましたよ、シンク・エルピス」
「え?」

 少年は理解できないといった表情を浮かべている。それもそのはずだ。いきなり関係性のない単語を自分に向けて言われたら、誰だって困惑するのは当然のことだろう。

 しかし、少年とは逆に、クルムは全く動じずに微笑みを浮かべ続けている。

「あなたの名前です。これから一緒に行くのに、名前がないと色々と問題でしょう」
「シンク・エルピス……」

 少年は――クルムによってシンク・エルピスと名付けられた少年は、その名を口で反芻した。

 少年は記憶を失ってカペルについて行ってから名前で呼ばれたことはなかった。記憶を失って以来、初めて呼ばれる名前だ。

 少年はシンクという名前を口ずさむ内に、胸にすっと沁み込むようにしっくりと来た。
言葉が、名前が、自分の中に入り込んだ感覚だ。
 シンクは自分でも気づかない内に、涙を流していた。

 ――名前があるってことは、生きていることが認められているようだった。

「……さぁ、行きましょう。シンク」

 クルムはシンクの頭をポンと触れると、愛しむようにシンクの名を呼んでから、新たな地を目指して歩き始めた。
 クルムは振り返らない。まるで、シンクが後からついて来ることを既に見通しているかのようだ。

「行こうっ! シンク」

 リッカもクルムも後に続いて、前へと歩き出した。一度シンクに目をやったリッカは、自分のことのように嬉しそうな笑顔を見せていた。

 シンクは自分でも気づかない内に、笑みを浮かべる。

 ――名前を呼ばれるだけ、こんな嬉しい思いになるなんて知らなかった。

「……っ、ああ!」

 シンクは二人の呼びかけに答えると、涙を拭って二人に置いて行かれないように走り出した。

「これからどこに行くんだ?」

 シンクはクルムとリッカの隣に並ぶと、弾むような声で訊ねた。

「そうね。ひとまずシンクの服を新調してあげたいかな」

 リッカは隣にいるシンクのことを見つめる。確かにシンクの服は見るも無残なほどボロボロだった。

「では、超大国グリーネに向かうことにしましょう」

 クルムはリッカとシンクを見ると、オリエンスの隣国グリーネの方角を指した。

「グリーネ! 名前聞いたことある!」
「シンクの知らないものがいっぱいありますよ」
「オリエンスの比にならないほど多くの人たち、町を渡り歩く大道芸、それに機械仕掛けの町なんてのもあるかな」
「すげー! そんな世界があるんだ!」

 シンクはクルムとリッカの話を聞いて、目を爛々と輝かせた。体もそわそわと落ち着きがなくなっている。
 シンクは言葉の通り、本当に待ちきれないのだと見て取れた。
 無邪気な反応に、クルムとリッカは自然と微笑みが零れる。

 シンクはとうとう我慢が出来なくなってしまったのか、我先にとクルムとリッカの前から飛び出した。

「早く行こうぜ!」

 シンクはクルムが指した方角に向かって走っていく。

 クルムとリッカは、シンクの姿を見ると、互いに顔を見合わせた。二人の間に会話はなかった。

 今この瞬間は、何を言わなくても通じる。そんな確信がクルムとリッカの中にあった。

 そして、合図を決めたわけでもないのに、どちらともなく新しい町に向かって走り始めた。

 ――こうして、このオリエンスの町を離れて、クルムとリッカ、そしてシンクという名を受けた少年の旅は始まりを告げた。

 この時はまだ、この旅がダオレイスの運命を変えるほど大きな旅になるとは、誰も予想していなかった。
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