わたしの時空航海日誌 ~異世界への漂流記~

三田川慶人

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1. はじまり

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 結論を先に言ってしまえば、今回の未来旅行は完全なる失敗であった。



 初夏のある日のこと。鋭い暑さと粘るような湿気が同居する不愉快な気候の中で、僕は数人の白衣の研究者たちに見守られながら、あの忌々しい鉄の船に乗り込んだ。その船の名は、時空観測船「マヨラナ」と呼ばれていた。名前の由来を僕は知らないが、白衣の連中はそう呼んでいた。この船――といっても、背高のマストも風を受ける帆も、洒落た装飾の施された船首もない、無機質な鉄の塊だが――は、当代の科学者たちの知識の粋を集めた結晶ともいうべき代物であり、安心安全な時空の旅を初めて実現した画期的な発明品であった。僕はこの船のテスト・パイロットとしての任を受け、莫大な報奨金と引き換えにして、時空飛行の船頭を務めることになっていた。



「それで、この2220年という時代は、どんな時代なんですか?」

 人間一人がギリギリ入りきるくらいの狭苦しいコックピットに体をさしはさみながら、僕は一番近くに立っていた白衣の女性に声をかけた。

「私が知るわけないじゃないですか。それを調査しに行くのが、あなたの仕事なのですから」

「……そうは言っても、何か当てがあってこの時代を選んだのではないですか。この機械を動かすのだって、無料ってわけではないでしょう? 大体、この船が無事に現代に帰って来れるという保証もない。きっと何か考えがあるはずで……」

「ええ、ええ。おそらく研究主任には、何か考えがあるのでしょう。私には分かりませんがね。聞かされてもいませんよ」

 女性は極めて淡白な調子でそう答えた。この女性に限らず、白衣の連中はみないつも、こんな調子だ。部屋の隅の方にいる太った男も、ナナフシのように細い眼鏡の男も、あるいは二階のガラス窓から船と僕を見下している研究主任様も。声の高低が異なることを除けば、皆一様に淡々とした語り口で、冷ややかな表情を崩さない。研究者というのは職業的な必然により、みな冷淡な表情に凝り固まるのだろうか?

 女性が踵を返して壁沿いに離れて行ってしまい、代わりに太った白衣の男がなにやら封筒をもってコックピットの方に近づいてきた。彼が手渡してきた封筒には、重要資料在中、と赤く大きな文字で書かれていた。赤い文字は末端が擦れて滲んでおり、何か漫画に登場する脅迫状かダイイングメッセージのような様相を呈していた。

「その中にはあなたがこれからなすべきこと、やってほしいことがリストアップされています。注意していただきたいのは、その封筒は必ず現地、すなわち2220年に到着してから開封してください。迂闊に開封すると、タイムパラドックスの危険がありますから」

「タイムパラドックス?」

 私は苦笑交じりにそう聞き返した。

「この封筒を開けると、時空間的な矛盾が起こるとおっしゃるので? じゃあ、今こいつをここで開けてしまったら、この研究所も時空船も、あるいはあなた方も、きれいさっぱり消えてしまうということもあるということですか?」

「……主任はそう考えているようです。私に主任の考え方は理解できませんでしたがね。彼の思うところは、我々のような一介の研究者の届くような次元にはありませんからね。……ともかく、それは向こうに行ってから開けてください。よいですね?」

 男は指を立てて、まるで駄々をこねている子供に言い聞かせるような手ぶりで念を押した。僕はその態度になんとなく不愉快を感じて、男やほかの研究者の方から視線をそらし、コックピット内部の複雑な計器類と向き合った。赤、青、黄、緑……様々な色のランプが絶え間なく明滅し、クリスマスのイルミネーションのように輝いている。その煌めきの意味は、船頭である僕はさっぱり理解していなかったし、またする必要がなかった。時空飛行船マヨラナは、外部からの操縦によって完全に制御されていた。すなわち乗組員である僕にこの船を自由に動かす権限はなく、唯一可能なことといえば時空の船旅の航海日誌を付けることぐらいなのだ。だからこそ、科学的な基礎知識を微塵も持たない僕のような人間がこのような特殊任務を拝命することが出来たのだが。



「……時空渡航実験を開始いたします。職員の皆さんは速やかに室外へと退避してください。繰り返します。これより、時空渡航……」



 耳障りなアラート音が部屋中に反射し、白衣の研究者たちはいそいそと外に出て行った。がらんとした白色の実験室の中に、僕と鉄の塊が取り残された。僕は大きく息を吸って、そして大きく吐き出した。顔を両手でぴしゃりと叩くと、七色に輝くフロントパネルや全身を包む特殊繊維製のスーツなどの上に視線を滑らせる。最後にもう一度だけ大きく息を吸ってから、覚悟を決めてコックピットの入り口を手動で閉じた。外界の明かりが鉄の扉によって遮断され、コックピット内部は計器が放つ七色の光だけが漂う、なんとも幻想的な光景が現れた。その後すぐさま、視線のやや上方にある画面に明かりがともり、時空飛行船の外の風景が映し出された。先ほどまで周辺に群がっていた白衣の連中はみな二階のガラス窓の方へと移動しており、中央には主任の男が陣取って、眉一つ動かさずにこちらを眺めていた。



「それでは作動シーケンスに移行いたします」



 鳴り響いていたアラート音の時間間隔が短くなったと同時に、周囲を取り囲んでいる機械たちが重苦しい唸り声を上げ始めた。小刻みな振動が腰かけている椅子を通じて肌へと伝わり、焦燥感を煽った。この暗く狭い操縦席に漂うジメジメした空気は、きっと初夏の気候のせいではなかった。握りしめている両手の甲から、冷や汗が噴き出ているのがはっきりと分かる。薄暗い部屋の中で身体はその輪郭を失い、しかしその感覚はむしろ余計に研ぎ澄まされていた。生唾を飲みこみ、瞼を忙しく開閉した。息を吸って、再び吐いた。

 不意に、全身が軽くなったような感覚が訪れた。飛行機が乱気流に飲まれて、急激にその高度を下げた時のような……。思わず出かけた声を手で抑えつけていると、いよいよ加速するアラート音に混じって、声が聞こえてくる。



「……渡航シーケンスに……注意を……危険で……最後の……ケンスに……注……み……」



 音は次第に擦れていき、遠ざかっていった。それと同時に腹の底から、得体のしれない感覚がせりあがってくるのを感じた。白い感覚だった。全身の筋肉や臓器に白い絵の具を塗りたくって、塗りつぶしてしまうような感覚。確かにそこにあったものが、上書きされていくような感覚。不快ではなかった。ただ、何かを失っているような感覚はあった。不思議な気分だ……。その白い小波がゆるゆると身体を這い、胸板を過ぎ、首を伝い、頭の半分くらいまで登ってきたところで、僕は意識を失った。
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