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10. 小さな箱
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うーん、と唸るような声を上げてカナメは目を閉じ、何やら思案顔だった。彼女が僕の立てた工程表に懐疑的であることはことはその表情から良く分かった。けれども、それ以上に冴えた発想が出来るほど、僕の頭は柔らかくは無かった。
ともかくにも、当面の間僕が目指すべき方向性は心の中で固まった。目標さえ決まってしまえば、後は手段の問題だ。余計なことを思案する必要はない――僕は急に、心のなかに小魚の骨のように突き刺さっていた不安感が溶け、爽やかな風が吹き抜けていったような感覚を覚えるのだ。勿論客観的に見れば、何一つ自体は好転していなかったのだが、それでもしかし、胸の奥に僅かながらの希望が山中の清水の如く湧いてくるのだった。
さて、抽象的な不安が消え去ったと同時に、その靄に隠されていた現実的な課題が、それぞれの輪郭をよりはっきりとさせていった。現実的な課題とは、要するにここでの生活をどうするか、ということである。衣食住のうち食に関しては、(少なくとも暫くの間は)大きな問題ではない。あの無味乾燥とした保存食に甘んじればよいだけだ。衣と住はしかし、早めに対策を打たなくてはなるまい。昨日の夜は持ち合わせがなかったため野宿をせざるを得なかった。頼みのマヨラナが機能不全を起こしている以上、自力で金を稼ぎ、住居を確保する方法を見つけなくてはなるまい。それに、この生活がどの程度続くかは見当もつかないから、毎日の着替えも確保したい。この奇抜なパイロットスーツのまま、いつまでも街中をうろついて廻ることもできないだろう。「中央」の住民がどのような視線で見られているのか僕には見当もつかないが、長い間勘違いされ続けるのも良くない結果を生みかねない。
現状すべきことを頭の中で反芻し、一度大きな深呼吸をした。それから自分の顔をぴしゃりと叩き、カナメを正面に見据えて口を開いた。
「これは相談なのだが……少しの間、ここで働かせてもらえないだろうか?」
僕がそう言うと、呆れと驚きを半々にしたような微妙な表情でカナメは僕を見た。
「どういう風の吹き回し?」
「理由はないけれども、しかし他にあてもないのでね。この街でお金を得る方法が僕には必要なんだ。……大変遺憾ながら、今の僕は素寒貧なんだよ」
「あなた、今までどうやって生活してきたわけ?」
核心に迫る質問に僕はちょっと動揺したが、口を真一文字に結んで表情をぼかしながら喋った。
「……実は、僕は世界を歩いて廻っている旅人でね」
「はあ……?」
「そう、旅人、旅人だ。僕は友人をから離れ、故郷を捨て、世界を歩き回っているうちにあの鉄の塊にたどり着いたんだ。君と出会ったのは、丁度タイミングが良かったのだ」
「……それで?」
「……それで……えーと……、そう! ロマンを求めて旅を続けたのはいいが、とうとうお金が無くなってしまってね。それで、あれだ。あの場所で出会ったのも何かの運命だ。僕を、少しの間でいいからバイトとして雇ってくれないかなと思ってね。……まあ君ほどじゃあないだろうが、僕にも多少機械いじりのの知識はあるから、役には立つと思うんだ。他の事だって、なんだってやってやるさ」
適当なことをよくもこう、ペラペラと喋れるものだと自分自身に感嘆しながら、僕は一気呵成に喋りきった。
「うーん……」
カナメの表情は明らかに渋いものに変わっていった。僕の語った出まかせを、彼女はどの程度まで信用してくれたのだろうか? しかし僕には――未来とも過去とも分からない場所に流れ着いた僕には――大した選択肢は与えられていなかった。僕にできることは自分を最大限に売り込み、他人の好意に期待することだけなのだ。
「けっこう大変な仕事ですよ、工作屋って。頻繁に重い荷物を運ばなくてはならないし、色々と知識もいるし……」
「体力には自信が……そんなには無いけれど、でもやる時にはやるさ」
「そうねえ」
カナメはちょっと物憂げな表情で視線を僕の方から反らし、ガラスで仕切られた外の風景を無言で見つめた。交渉失敗だろうか――僕は彼女の沙汰を処刑台の前の囚人のような気分で冷や汗をかきながら待っていた。彼女は店のカウンターから外に出てきて、黙ったまま店の中をふらふらと歩き出した。右手を自身の顎のあたりにあてながら何やら思案している様子だったが、突然はっとした表情になると、
「ちょっと待ってて!」
と放り投げるように呟くと、店の奥のドアの向こうに引っ込んでいった。ドア越しに何やらガタガタとやかましい音が鳴り響いて、数分の後にその騒音が鳴りやむと、何やら掌の上に小さな箱を持ってカナメは出てきた。
「正直な話、あなたに手伝ってもらわなくてもこの店は回っているの。女手一つだからもちろん大変だけど、でもわざわざ他人に給料を払って雇わなくても我慢できるレベルだからね。……だから、あなたを雇うには、特別な理由が必要になると思うのよ」
そう言ってカナメは僕に、奥から持ち出してきたであろうその箱を手渡した。カラフルな色の彩色が施された木製の箱は、手に持ってみると見た目に反してずっしりと重く、その中には機械仕掛けが内包されていることは感覚で分かった。そして、彼女が何をさせようとしているのかも、僕はすぐさま察しが付いた。
「それはテスト。まあ、入社試験みたいなものかしらね。……課題は簡単、単純明快。その機械を修理して、私の元に持ってくること!」
カナメはそういうと、口角だけ歪めてにまりと笑った。
ともかくにも、当面の間僕が目指すべき方向性は心の中で固まった。目標さえ決まってしまえば、後は手段の問題だ。余計なことを思案する必要はない――僕は急に、心のなかに小魚の骨のように突き刺さっていた不安感が溶け、爽やかな風が吹き抜けていったような感覚を覚えるのだ。勿論客観的に見れば、何一つ自体は好転していなかったのだが、それでもしかし、胸の奥に僅かながらの希望が山中の清水の如く湧いてくるのだった。
さて、抽象的な不安が消え去ったと同時に、その靄に隠されていた現実的な課題が、それぞれの輪郭をよりはっきりとさせていった。現実的な課題とは、要するにここでの生活をどうするか、ということである。衣食住のうち食に関しては、(少なくとも暫くの間は)大きな問題ではない。あの無味乾燥とした保存食に甘んじればよいだけだ。衣と住はしかし、早めに対策を打たなくてはなるまい。昨日の夜は持ち合わせがなかったため野宿をせざるを得なかった。頼みのマヨラナが機能不全を起こしている以上、自力で金を稼ぎ、住居を確保する方法を見つけなくてはなるまい。それに、この生活がどの程度続くかは見当もつかないから、毎日の着替えも確保したい。この奇抜なパイロットスーツのまま、いつまでも街中をうろついて廻ることもできないだろう。「中央」の住民がどのような視線で見られているのか僕には見当もつかないが、長い間勘違いされ続けるのも良くない結果を生みかねない。
現状すべきことを頭の中で反芻し、一度大きな深呼吸をした。それから自分の顔をぴしゃりと叩き、カナメを正面に見据えて口を開いた。
「これは相談なのだが……少しの間、ここで働かせてもらえないだろうか?」
僕がそう言うと、呆れと驚きを半々にしたような微妙な表情でカナメは僕を見た。
「どういう風の吹き回し?」
「理由はないけれども、しかし他にあてもないのでね。この街でお金を得る方法が僕には必要なんだ。……大変遺憾ながら、今の僕は素寒貧なんだよ」
「あなた、今までどうやって生活してきたわけ?」
核心に迫る質問に僕はちょっと動揺したが、口を真一文字に結んで表情をぼかしながら喋った。
「……実は、僕は世界を歩いて廻っている旅人でね」
「はあ……?」
「そう、旅人、旅人だ。僕は友人をから離れ、故郷を捨て、世界を歩き回っているうちにあの鉄の塊にたどり着いたんだ。君と出会ったのは、丁度タイミングが良かったのだ」
「……それで?」
「……それで……えーと……、そう! ロマンを求めて旅を続けたのはいいが、とうとうお金が無くなってしまってね。それで、あれだ。あの場所で出会ったのも何かの運命だ。僕を、少しの間でいいからバイトとして雇ってくれないかなと思ってね。……まあ君ほどじゃあないだろうが、僕にも多少機械いじりのの知識はあるから、役には立つと思うんだ。他の事だって、なんだってやってやるさ」
適当なことをよくもこう、ペラペラと喋れるものだと自分自身に感嘆しながら、僕は一気呵成に喋りきった。
「うーん……」
カナメの表情は明らかに渋いものに変わっていった。僕の語った出まかせを、彼女はどの程度まで信用してくれたのだろうか? しかし僕には――未来とも過去とも分からない場所に流れ着いた僕には――大した選択肢は与えられていなかった。僕にできることは自分を最大限に売り込み、他人の好意に期待することだけなのだ。
「けっこう大変な仕事ですよ、工作屋って。頻繁に重い荷物を運ばなくてはならないし、色々と知識もいるし……」
「体力には自信が……そんなには無いけれど、でもやる時にはやるさ」
「そうねえ」
カナメはちょっと物憂げな表情で視線を僕の方から反らし、ガラスで仕切られた外の風景を無言で見つめた。交渉失敗だろうか――僕は彼女の沙汰を処刑台の前の囚人のような気分で冷や汗をかきながら待っていた。彼女は店のカウンターから外に出てきて、黙ったまま店の中をふらふらと歩き出した。右手を自身の顎のあたりにあてながら何やら思案している様子だったが、突然はっとした表情になると、
「ちょっと待ってて!」
と放り投げるように呟くと、店の奥のドアの向こうに引っ込んでいった。ドア越しに何やらガタガタとやかましい音が鳴り響いて、数分の後にその騒音が鳴りやむと、何やら掌の上に小さな箱を持ってカナメは出てきた。
「正直な話、あなたに手伝ってもらわなくてもこの店は回っているの。女手一つだからもちろん大変だけど、でもわざわざ他人に給料を払って雇わなくても我慢できるレベルだからね。……だから、あなたを雇うには、特別な理由が必要になると思うのよ」
そう言ってカナメは僕に、奥から持ち出してきたであろうその箱を手渡した。カラフルな色の彩色が施された木製の箱は、手に持ってみると見た目に反してずっしりと重く、その中には機械仕掛けが内包されていることは感覚で分かった。そして、彼女が何をさせようとしているのかも、僕はすぐさま察しが付いた。
「それはテスト。まあ、入社試験みたいなものかしらね。……課題は簡単、単純明快。その機械を修理して、私の元に持ってくること!」
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