わたしの時空航海日誌 ~異世界への漂流記~

三田川慶人

文字の大きさ
13 / 28

12. 冷水

しおりを挟む
 未来というものは、もっと明るく、楽しく、非現実的なものだと思っていた。日々の煩わしさは新技術によって克服され、人々はもっと自由に生きているものだと思っていた。あの白衣連中の依頼を二つ返事で承諾したのは――もちろん莫大な報奨金のこともあるけれども――現実離れした世界を見てみたいと思ったからだった。マヨラナに乗り込んだ瞬間は、それはもう心が躍ったものだ。無味乾燥とした現世を離れ――具体的に何を求めていたのか自分ですら理解できていなかったけれども、何か面白いことに出会えるだろうという希望に満ちていた。

 しかし僕が流れ着いた「未来」の地は、想像を絶するほど現実的だった。小さな西洋風の建物が立ち並ぶ街の中で、人々は群れ、地に足付けて生活していた。勿論、個々別々の細部には現世との差異が垣間見えるのだけれども、本質的には何も変わっていないように感じられた。夢想を現実に求めて鉄の船に乗り込んだ僕にとってこれはある意味で絶望的であったが、しかしある面では幸福だった。人間の本質は大して変わっていないのだ。ともすれば、異邦人である僕にも、この世界で生きていくだけの余地があるように思うのだ。そうやって楽観的に考えてみると、今の状況というのは特筆して絶望的でもないように思えてくる。僕はこの世界でもはや天涯孤独だが、食があり、住む場所があり、特注デザインの服もある。なんだかんだどうにかなっているので、きっと今後もどうにかなるのだろう――そんな根拠の欠片もない発想が僕の心の中で確かに息づいていることこそが、僕はなによりの幸福であるように思われた。

 結局は、こころの持ちようなのかもしれない――僕がかつて嫌悪していた妥協と憐憫の発露のような言葉が心の奥底から湧いて出てくることに、僕は自分自身で驚いていた。



 カナメは課題の達成に対して、特に期限を定めなかった。どうせ出来っこない課題だから、延々取り組んでもらった方が彼女にとって都合がいいという悪意を感じなくはなかったが、しかしこれは僕にとっても都合がよかった。どちらにせよ、僕の現時点での目標は「中央」に行くことであるのだし、その道程に関する情報収集も並行させなくてはならない。僕はあの小さな機械仕掛けと格闘しつつ、その裏で中央へと至る道を探し求めなくてはならないのだ――なあに、幸いにして時間的余裕はたっぷりある。マヨラナから持ち出してきた簡易食糧は、あと二か月くらいは持つだろう。二か月もの期間があれば、たとえ目標の成就は成らずとも、何かしらの進展はあるに違いない。――そんなことを考えながら天井を眺めているうちに、いつの間にやら瞼が下がり、気が付けば翌日の朝になっていた。

 僕は服を脱いで風呂場と思われる部屋に入り、錆のついた蛇口を捻って水を頭から浴びた。水は肌に突き刺さるように冷たかったが、しかし爽やかだった。冷水が全身を伝って流れゆく心地よい感覚に暫く浸った後、ハンドタオルで全身を拭った。マヨラナには自動で服を洗浄してくれる装置が搭載されていたから、それに期待していた僕は服の予備など殆ど持っていなかった。マヨラナから咄嗟に持ち出してきた全く同じ規格で色だけが異なるパイロット用スーツが唯一の替え服であり、僕はその服を着ざるを得なかった。まとまったお金が今後手に入ったら、もう少しまともな服を買いたいな――割れた鏡に映る自分の姿を見ながら、そんなことを考えた。



 朝の身支度を終えた後、僕は簡易食糧を口に放り込んでから外に出た。少し状況が落ち着いてきたところで、このリーベリという街についてもう少し知っておきたいという色気が出てきたのだ。

 僕は店が立ち並ぶ路地を抜け、左右に煉瓦造りの美しい建物が並ぶ大通りへと繰り出した。改めてその風景を観察するに、かつて僕が暮らしていた、灰色のビルが立ち並ぶばかりの日本の未来の姿とは俄かには信じられなかった。――カナメは、この時代のことを「98年」と呼んだ。一体どういう意味なのだろう? 98年前に大きな革命でもあったのかもしれない。日本から背高のビルを追放し、草も生えないような茶色の荒野を形成する何かしらの大革命が。そんな妄想を頭に思い浮かべてみると、周囲に立っている建物が途端に怪しく、そして興味深く映った。



 相変わらず金の持ち合わせは無かったが、偵察目的でスーパーのような場所に足を踏み入れた。手動のガラス扉を開けて中に入り中を見回してみると、店内の様子は僕が知っているスーパーマーケットの様相とほとんど変わらない。売っているものが多少風変りで若干の違和感はあった――やたらと果物の種類が多かったり、チーズの種類が妙に充実している、加えて納豆が売っていない――が、別段不思議ではない。この空間において最大の非調和は、むしろ僕の存在だろう。断続的に利用客がガラス扉から入り、出ていくが、皆僕の方を犯罪者でも見るかのような奇特な目で流し見ていくのだった。確かに服のセンスが犯罪級であることは否定できないが、あんな嫌悪に満ちた表情で睨まれるようなことなのだろうか……。

 ふと、店の奥の方から香ばしい香りがしてくることに僕は気が付いた。夜光に集う蛾のようにその香りに引き寄せられていくと、小太りの店員が鉄板の上でソーセージを焼いていた。

「こちら新製品のハーブ入りのソーセージですよ!」

 男は買い物かごをぶら下げた客たちに向かって妙に甲高い声で呼びかけていた。

「一つ貰えるかな」

 僕がそう言うと、男はこちらの姿を見るやいなやぎょっとした表情を作った。

「……もしかして、中央からのお方様でしょうか?」

 男は明らかに動揺しており、顔に刻まれた皺には恐怖の感すら浮かんでいた。

「仮にそうだとしたら、何か問題があるのかい?」

 男にはちょっと悪いと思ったが、僕は興味本位でカマをかけてみることにした。男は凄い勢いで首を左右に振って、

「滅相もありません! 日頃から、大変お世話になっておりますから……」

と弁明するかのように言葉を発した。

 男の狼狽を察してか、周辺の客が改めて僕の方を見て立ち止まった。――改めて実感するのだが、どうやら例の「中央」という場所は、この街の住民からは余程煙たがられている存在であるらしい。一体何をしたらこんなにも大人数から敵意を持たれるようなことになるのだろうか。後でカナメに会った時に質問してみようか――しかし思い返してみれば彼女も、あまり多くは語りたくなさそうだ。

 「中央」へ至る道は、かなり険しいものになりそうだ――僕は男から受け取ったハーブ入りのウインナーを味わいながら、人目から逃れるようにその店を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...