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16. 平らな声
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「君は確か……」
その少女の顔を僕はまだ覚えていた――カナメの店があるあの狭い路地で出会った、やたら馴れ馴れしく話しかけてきたあの少女だ。相変わらずぼろ布を着ていたその少女は、気のしれた友人に向けるような屈託のない笑顔を僕の方に向け、ゆっくりと僕の方に近寄ってきた。僕はぎょっとした。何故? 理由は自分でも分からなかったが、彼女の笑顔の中に何か嫌なものを感じたのは確かだった。
彼女は僕の手の上で光る箱を眺めながら、
「どこで見つけてきたのかしら。そんな骨董品……」
などと予想外のことをいう。僕は驚いて立ち上がると、
「こいつが何なのか分かるのかい?」
と食い気味に尋ねた。
「ええ、まあ。随分久しぶりに見ましたけれども。それ、人工会話器でしょう?」
「人工会話器……?」
「あら、あなた、これを知らないの? 少し前に大流行したのに……」
と、突然彼女は真顔になって一歩後ずさりると、僕の全身を刺すような目付きで眺めた。
「あなた、そんな恰好こそアレだけど……もしかしなくても、中央の人間じゃあないのね」
「そう言わなかったっけな」
僕はリーベリの街を歩いている道中、数えきれないほど多くの人に対して、僕は中央の人間ではありません、という弁解をしてきたから、目の前の彼女に対してそれを実施したかどうかは記憶が曖昧だった。彼女はそれを聞くなり、何やら納得した様子で、
「ふーん、そうだったのね。……道理で、外出報告書が出てないわけ……」
と言ってから、傍の方を向いてブツブツと何か呟いた。何か言ったか、と僕は尋ねたが、彼女はきっぱりとした口調でなんでもない、と言ったので、僕はそれ以上の追及を止めにした。
「……まあいいや。それで、人工会話器って言ったっけ? 君はこいつの使い方を知っているんだな?」
「ええ、まあ。試しに起動してみましょうか?」
僕は彼女の小さな手に箱を手渡した。彼女は美しい宝石でも見るようなうっとりとした表情で手の上の箱を眺めていたが、やがて僕の方に視線を投げて、
「起動方法は簡単よ。箱に向かって、ハロー、って二回話しかけるの」
彼女はそういうと、ハロー、ハローと箱に向かって呼びかけた――途端、何か古いパソコンが起動するときのような電子音が鳴った。それから、何やらピッ、ピッ、と断続的に音が鳴った後に、いかにも人工音声というような抑揚のない声が箱の中から発せられたのだった。
「……プ……ププ……起動に成功しました。こちら、MKN16型・人口会話プログラムです……ご用件をどうぞ……」
「おおっ!」
僕は驚きと感動で思わず声を上げた。ぼろ布の彼女は、どうだ、とでも言いたそうな得意げな表情で僕の方を見た。
「どう? 動いたでしょ?」
「本当だ……すごいな君は! それで、こいつは何の機械なんだろう」
「折角だから、こいつ自身に聞いてあげたら? 箱の方に向かって話しかければ答えてくれるはず」
彼女はそういうと僕の方に起動した箱を差し戻した。僕は一回深呼吸してから、極力丁寧な口調で、
「えー、あなたは何の装置なのでしょうかね?」
と尋ねてみた。
「こちら、MKN16型・人工会話プログラムです……と先ほどアナウンスいたしました。申し訳ありません、一回のアナウンスで理解できないほど知能指数が芳しくない人物が、本プログラムのユーザーとなる可能性を考慮しておりませんでした」
「……その、人工会話、というやつがよく分からないんだが……」
「人工会話とは、現に今行われているような、人工知能と生身の人間が会話をするという状況のことを指します。MKN型は、主に会話によって脳を活性化し、ユーザーの社会性を正常状態に維持することを目的として作られた会話プログラムです。友人のない若者や、身寄りのない老人、壁や天井に向かって会話をするのが趣味の人間などなど、様々な場面・場所で用いられており、国内外から高い評価を受けております。……ご理解いただけましたか? 知能指数が低いユーザーに配慮し、もう一度説明を繰り返すことも可能ですが?」
「…………随分口の悪い人工知能だな」
「申し訳ありません。事実の指摘を罵倒と解釈する情操教育が未熟な人間が本プログラムのユーザーとなる可能性を考慮しておりませんでした。申し訳ありません。本事項の全責任は作成者であるラムダ・ネコール氏にあり……」
「なんだこれは?」
僕は謂れのない罵倒を受けたことへの非難の意を込めて彼女の方を睨んだ。彼女は僕と箱の間で交わされた会話のような何かがツボに入ったのだろうか、ケタケタと甲高い声を上げて笑っていた。
「面白い、面白い」
「一体なんなんだ、これは?」
「彼女の言った通りよ。人工会話プログラムってやつ。暇なときに話しかけると、何か言い返してくれる機械なの。面白いでしょ。ちょっとした暇つぶしにはいいんじゃない?」
僕は再び噴水の縁に崩れるように腰かけた。
「少し喋った感じだと……なんだか大分ストレスが溜まりそうだ」
「まあ、話の中でイライラを感じるのも、それもまた会話の醍醐味ってやつなんじゃない?」
ぼろ布の彼女はそういうと、口角を上げてニマリと笑った。雲一つない青空を背景に彼女の笑顔は爽やかであったが、けれどもやはりその笑顔の中に、僕は小さな違和感を感じざるを得なかった。
その少女の顔を僕はまだ覚えていた――カナメの店があるあの狭い路地で出会った、やたら馴れ馴れしく話しかけてきたあの少女だ。相変わらずぼろ布を着ていたその少女は、気のしれた友人に向けるような屈託のない笑顔を僕の方に向け、ゆっくりと僕の方に近寄ってきた。僕はぎょっとした。何故? 理由は自分でも分からなかったが、彼女の笑顔の中に何か嫌なものを感じたのは確かだった。
彼女は僕の手の上で光る箱を眺めながら、
「どこで見つけてきたのかしら。そんな骨董品……」
などと予想外のことをいう。僕は驚いて立ち上がると、
「こいつが何なのか分かるのかい?」
と食い気味に尋ねた。
「ええ、まあ。随分久しぶりに見ましたけれども。それ、人工会話器でしょう?」
「人工会話器……?」
「あら、あなた、これを知らないの? 少し前に大流行したのに……」
と、突然彼女は真顔になって一歩後ずさりると、僕の全身を刺すような目付きで眺めた。
「あなた、そんな恰好こそアレだけど……もしかしなくても、中央の人間じゃあないのね」
「そう言わなかったっけな」
僕はリーベリの街を歩いている道中、数えきれないほど多くの人に対して、僕は中央の人間ではありません、という弁解をしてきたから、目の前の彼女に対してそれを実施したかどうかは記憶が曖昧だった。彼女はそれを聞くなり、何やら納得した様子で、
「ふーん、そうだったのね。……道理で、外出報告書が出てないわけ……」
と言ってから、傍の方を向いてブツブツと何か呟いた。何か言ったか、と僕は尋ねたが、彼女はきっぱりとした口調でなんでもない、と言ったので、僕はそれ以上の追及を止めにした。
「……まあいいや。それで、人工会話器って言ったっけ? 君はこいつの使い方を知っているんだな?」
「ええ、まあ。試しに起動してみましょうか?」
僕は彼女の小さな手に箱を手渡した。彼女は美しい宝石でも見るようなうっとりとした表情で手の上の箱を眺めていたが、やがて僕の方に視線を投げて、
「起動方法は簡単よ。箱に向かって、ハロー、って二回話しかけるの」
彼女はそういうと、ハロー、ハローと箱に向かって呼びかけた――途端、何か古いパソコンが起動するときのような電子音が鳴った。それから、何やらピッ、ピッ、と断続的に音が鳴った後に、いかにも人工音声というような抑揚のない声が箱の中から発せられたのだった。
「……プ……ププ……起動に成功しました。こちら、MKN16型・人口会話プログラムです……ご用件をどうぞ……」
「おおっ!」
僕は驚きと感動で思わず声を上げた。ぼろ布の彼女は、どうだ、とでも言いたそうな得意げな表情で僕の方を見た。
「どう? 動いたでしょ?」
「本当だ……すごいな君は! それで、こいつは何の機械なんだろう」
「折角だから、こいつ自身に聞いてあげたら? 箱の方に向かって話しかければ答えてくれるはず」
彼女はそういうと僕の方に起動した箱を差し戻した。僕は一回深呼吸してから、極力丁寧な口調で、
「えー、あなたは何の装置なのでしょうかね?」
と尋ねてみた。
「こちら、MKN16型・人工会話プログラムです……と先ほどアナウンスいたしました。申し訳ありません、一回のアナウンスで理解できないほど知能指数が芳しくない人物が、本プログラムのユーザーとなる可能性を考慮しておりませんでした」
「……その、人工会話、というやつがよく分からないんだが……」
「人工会話とは、現に今行われているような、人工知能と生身の人間が会話をするという状況のことを指します。MKN型は、主に会話によって脳を活性化し、ユーザーの社会性を正常状態に維持することを目的として作られた会話プログラムです。友人のない若者や、身寄りのない老人、壁や天井に向かって会話をするのが趣味の人間などなど、様々な場面・場所で用いられており、国内外から高い評価を受けております。……ご理解いただけましたか? 知能指数が低いユーザーに配慮し、もう一度説明を繰り返すことも可能ですが?」
「…………随分口の悪い人工知能だな」
「申し訳ありません。事実の指摘を罵倒と解釈する情操教育が未熟な人間が本プログラムのユーザーとなる可能性を考慮しておりませんでした。申し訳ありません。本事項の全責任は作成者であるラムダ・ネコール氏にあり……」
「なんだこれは?」
僕は謂れのない罵倒を受けたことへの非難の意を込めて彼女の方を睨んだ。彼女は僕と箱の間で交わされた会話のような何かがツボに入ったのだろうか、ケタケタと甲高い声を上げて笑っていた。
「面白い、面白い」
「一体なんなんだ、これは?」
「彼女の言った通りよ。人工会話プログラムってやつ。暇なときに話しかけると、何か言い返してくれる機械なの。面白いでしょ。ちょっとした暇つぶしにはいいんじゃない?」
僕は再び噴水の縁に崩れるように腰かけた。
「少し喋った感じだと……なんだか大分ストレスが溜まりそうだ」
「まあ、話の中でイライラを感じるのも、それもまた会話の醍醐味ってやつなんじゃない?」
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