【R18】Actually

うはっきゅう

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本編

沈黙の帰路、消えない痕跡

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 迎えの車は、マネージャーの運転するワンボックスカーだった。
 極秘裏に駆けつけたのだろう。
 車内は、息が詰まるような重苦しい沈黙に包まれていた。

 チカは、最後列のシートで、膝を抱えて座っていた。
 隣にはトキがいる。
 彼は、チカの手を握っていた。
 だが、その手は、安らぎを与えるような優しいものではなく、骨が軋むほど強く、痛いほどに握りしめられていた。

 ハンドルを握るマネージャーが、バックミラー越しにチラリとチカを見た。
 そして、小さく呻いた。

(……まずいな)

 チカの首元。
 トキのジャケットから覗く白い肌に、どす黒い鬱血痕。
 暴力を振るわれたような痣も、混じっている。

(明日は雑誌の撮影だぞ……。コンシーラーで隠しきれるか……?)

 マネージャーの焦燥は、そのまま車内の空気に伝播した。

 二列目に座るユウトは、窓の外を見るふりをして、ガラス越しにチカの様子を伺っていた。
 首筋の痕。乱れた服。そして、あの部屋の匂い。
 ソラが最後に叫んだ言葉。
 ユウトと、その隣にいるロクだけは、チカが何をされたのか、正確に理解していた。
 だからこそ、かける言葉が見つからなかった。下手な慰めは、チカのプライドをさらに傷つけるだけだと知っているからだ。

 一方で、前の席に座るソウタとコマチは、まだ事態の全容を飲み込めていなかった。
「殴られたのか……? あの野郎……!」
 コマチが、悔しそうに拳を握りしめる。
「チカさん、痛くないですか……? 病院、行かなくていいんですか……?」
 ソウタが心配そうに振り返るが、チカは力なく首を横に振ることしかできない。

 彼らはまだ、知らなかった。
 チカとトキの関係も。ソラの本当の狙いも。
 ただ、大切な仲間が、敵意を持ったライバルに酷い目に合わされたという事実だけを、純粋な義憤として受け止めていた。

 チカは、窓に映る自分の顔を見た。
 酷い顔だ。
 髪は乱れ、目は赤く腫れ、唇は切れている。
 そして、首には汚らわしい痕。

(……汚い)

 吐き気がした。
 自分の中に、ソラの感触が残っている。
 いくら拭っても、あの粘つくようなローションの感触と、無理やりイかされた瞬間の情けない感覚が、焼き付いて離れない。

 隣のトキは、一言も発しなかった。
 前を見据えたまま、能面のような顔で座っている。
 怒っているのだろうか。
 呆れているのだろうか。
 それとも、ソラの言った通り、「穢れた」自分に、失望しているのだろうか。

(……関係ない、か)

 あの言葉が、呪いのようにリフレインする。
 トキの手の痛いくらいの強さが、今はただ、彼の行き場のない怒りを伝えてくるだけで、チカへの愛おしさだとは、どうしても思えなかった。

 車が、寮の前に到着した。
 深夜の住宅街は、しんと静まり返っている。
「……今日は、もう休め。明日のことは、俺がなんとかする」
 マネージャーが、疲れ切った声で言った。
 メンバーは、無言で頷き、車を降りる。

 玄関を入ると、それぞれが逃げるように自室へと向かった。
 誰もが、この重い空気に耐えられなかったのだ。
 チカもまた、ふらつく足取りで、自分の部屋を目指した。
 早く、一人になりたい。
 シャワーを浴びて、この汚れた体を、皮膚が擦り切れるまで洗いたい。

 部屋のドアノブに手をかけた、その時だった。

 ダンッ!
 背後から、強い力でドアを押し開けられ、そのまま部屋の中に押し込まれた。
「……っ!?」
 よろめいたチカの背後で、カチャリ、と鍵がかけられる音がした。
 振り返ると、トキが立っていた。
 暗い部屋の中で、彼の瞳だけが、ギラギラと濡れたように光っている。

「……トキ、なに……」
「……」

 トキは何も言わず、チカに近づいてくる。
 その圧迫感に、チカは後ずさり、ベッドの縁に足を取られて座り込んだ。

「……ごめん」
 沈黙を破ったのは、トキの震える声だった。
「ごめんな、チカ。……俺のせいで」
 トキが、膝から崩れ落ちるようにして、チカの目の前に跪いた。
 そして、チカの膝に顔を埋めた。
「怖かったよな……。辛かったよな……。俺が、もっと早く駆けつけてれば……」
「……」
「俺のせいで……お前を、こんな目に……」

 トキの肩が震えている。
 彼は、泣いていた。
 自分を責め、悔い、チカの痛みを我がことのように感じて、慟哭していた。

 ああ、やっぱりこの男は優しい。
 チカは、自然と手を伸ばし、トキの髪に触れようとした。
 だが。
 その手が、空中で止まった。

(……だめだ)

 自分の手を見つめる。
 この手は、ソラに触れられた。
 この体は、ソラによって汚された。

 潔癖症の自分が、他人の汚れを何より嫌っていた自分が。
 今は、自分自身が「汚れ」そのものになってしまった気がした。

「……触るな」
 チカは、掠れた声で拒絶した。
「……っ、チカ?」
 トキが、顔を上げる。
 チカは、怯えるように身を引いた。
「触るな……っ! 俺に、触らないでくれ……!」
 かつては、「お前が汚いから触るな」と言っていた。
 けれど今は。
「俺が汚いから触るな」と、心が叫んでいる。
「汚いんだ……っ! あいつの匂いがする……! あいつに触られた場所が、熱くて、気持ち悪くて……!」
 チカは、自分の体を掻きむしった。
 襟元を引きちぎるように開き、首の痕を晒す。
「見ろよ、これ……! こんな痕つけられて……! 中まで、触られて……!」
「チカ……」
「イッたんだぞ……!? 嫌だったのに、体が勝手に……! 俺は……俺はもう、お前の知ってる俺じゃない……! 穢れたんだよ……っ!」

 涙が、ボロボロと溢れ出す。
 プライドも、矜持も、何もかもが泥にまみれた。
 こんな自分を、トキに触れさせたくない。
 失望されたくない。
 軽蔑されるくらいなら、自分から突き放してしまいたかった。

 チカの悲痛な叫びが、狭い部屋に響き渡る。
 トキは、呆然とそれを見ていたが。

 やがて、静かに立ち上がった。
 そして、拒絶するチカの手を、強い力で掴んだ。

「……離せっ! お前まで、汚れる……っ」
「汚くない!」

 トキは、きっぱりと言った。

「汚くなんてない。……チカは」
「やめろ……! ソラが……!」
「あいつの名前なんか、呼ぶな!」

 トキが、大声で遮った。
 そして、チカを強く、骨が折れるほどの力で抱きしめた。

「……っ」
「関係ない。……お前が何をされても、どんな目に遭っても。……俺がチカを愛してる事実は、1ミリも変わらない」
 トキの体温が、冷え切ったチカの体に流れ込んでくる。

「……上書きする」
「……え?」
「あいつが触ったところ、全部。……俺が触って、俺のキスで、俺の熱で。……全部、上書きして消してやる」
 トキは、チカをベッドに押し倒した。
 その瞳には、もう迷いも、悲しみもなかった。
 あるのは、ただひたすらな、チカへの執着と愛だけ。
「……消毒だ。覚悟して」
 トキは、チカの首筋――ソラがつけたどす黒い痕の上に、唇を押し付けた。
「んっ……!」
 優しさなどない。
 食らいつくような、強い吸引。
 痛い。
 けれど、その痛みは、ソラのつけた不快な痛みとは違った。

「……ここも。……ここも」

 トキは、呪文のように呟きながら、ソラが触れたであろう場所すべてに、口づけを落としていく。
 耳元、鎖骨、胸元。
 そして、震える唇を、深く、熱く塞いだ。

 絡みつく舌。
 息ができなくなるほどの、深い口づけ。
 そこには、性的な興奮よりも、もっと切実な意志が込められていた。

 チカの服の中に、トキの手が入ってくる。
 温かい、大きな掌。
 それが肌に触れた瞬間、チカの体から、ソラの記憶が消し飛んだ。

「……っ、トキ……」
「チカ……愛してる。誰にも渡さない」

 トキは、何度も何度も繰り返した。
 愛していると。俺のものだと。
 その言葉と熱が、チカの中の「汚れ」を焼き尽くし、浄化していくようだった。

 トキは、決して最後の一線は越えなかった。
 傷ついたチカの体を、これ以上傷つけるようなことはしなかった。
 ただひたすらに、キスをし、抱きしめ、愛を囁き続けた。

 やがて。
 極限の緊張と疲労、そしてトキの熱に当てられて。
 チカの意識は、急速に遠のいていった。

「……トキ……」
「ここにいるよ」

 薄れゆく意識の中で、トキが愛おしそうに自分の髪を撫でているのがわかった。
 その手は、とても優しくて、温かかった。

 窓の外では、いつの間にか雪が降り始めていた。
 音もなく降り積もる雪が、世界を白く染めていくように。
 トキの愛が、チカの傷を、静かに、けれど確実に覆い隠していった。

 朝が来るまで、トキは一睡もせず、眠るチカの傍らに寄り添い続けていた。
 その瞳は、もう二度と、この愛しい人を離さないという、静かな決意に燃えていた。
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