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本編
決別
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会場の照明が、すべて落ちた。
重苦しい、パイプオルガンの音が響き渡る。
メインステージの中央に、一本のスポットライトが落ちる。
そこに立っていたのは、ソラだった。
毛皮をあしらった、王であり野獣であるような衣装。
彼は、玉座のような椅子に深く腰掛け、傲慢な視線で虚空を見つめている。
そして、花道。
もう一つのスポットライトが、純白の衣装を着たチカを照らし出した。
悲鳴のような歓声が上がる。
その美しさは、この世のものとは思えないほどだった。
だが、その表情は凍りついている。
曲が始まる。
『Captive Princess & Beast』。
重厚で、官能的なビート。
チカが、ゆっくりとメインステージへ向かって歩き出す。
その足取りは、振付としての「怯え」なのか、それとも本能的な「恐怖」なのか。
玉座のソラが、ニヤリと笑い、立ち上がった。
二人が、ステージ中央で対峙する。
ここからは、リハーサルなしのぶっつけ本番。
いや、ソラによる公開処刑の始まりだ。
ソラが、チカの手首を掴み、強引に引き寄せた。
「……ッ!」
マイクが拾わないほどの小さな息遣い。
ソラの指が、チカの腰を這い、背中へと回る。
あの夜の感触。
チカの体が、ビクリと跳ねた。
(……怖い)
本能が叫ぶ。逃げろ、と。
ソラの瞳は、演技ではない。完全に獲物を狙う捕食者の目をしている。
彼は、振付を無視して、チカの首元――レースで隠された痕の上を、指でなぞった。
「……いい顔だ」
ソラが、耳元で囁く。
「お前はすぐに思い出す。あの夜、俺に支配されたことを」
チカの足がすくむ。
歌い出しのタイミングが来る。
だが、声が出ない。
喉が張り付いて、息ができない。
ソラが、嘲笑うようにチカを抱きすくめる。
観客には、それが「情熱的な抱擁」に見えているだろう。
だが、チカにとっては、地獄の拘束だった。
このまま、ステージの上で壊される。
声も出せず、ただ震えるだけの惨めな人形で終わる。
その時。
(チカは、汚くなんてない)
脳裏に、トキの声が響いた。
昨夜の、あの温かい腕。
必死な顔で、怒ってくれたトキ。
何百回もキスをして、「上書き」してくれた、あの愛しい熱。
『お前は、世界で一番綺麗だ』
(……そうだ)
チカの瞳の奥に、小さな光が灯った。
俺は、汚くない。
トキが、そう言ってくれた。
トキが愛してくれたこの体を、心を、これ以上、この男の思い通りになんてさせてたまるか。
チカは、ソラの腕の中で、顔を上げた。
怯えに震えていた瞳が、強い意志の光を帯びる。
それは、囚われの姫の目ではない。
野獣を従える、女王の目だ。
「お前は俺を、捕まえられない」
チカは、マイクを通さずに言い放った。
そして、ソラの胸を、ドン、と突き放した。
「……あ?」
不意を突かれたソラが、たたらを踏む。
その一瞬の隙を、チカは見逃さなかった。
チカは、ステージの前方へと躍り出た。
そして、マイクを握りしめ、その喉から、魂の叫びを放った。
「――――!!!!」
突き抜けるような、圧倒的なハイトーン。
それは予定されていたメロディラインを遥かに超えた、即興のフェイクだった。
会場の空気が、ビリビリと震える。
悲鳴も、歓声も、すべてを飲み込むような、神々しいまでの歌声。
チカは、振り返り、呆然とするソラを見下ろした。
その目は、語っていた。
『跪け』と。
ソラが、初めて動揺を見せた。
自分の支配下にあったはずの人形が、糸を引きちぎり、牙を剥いたのだ。
その予想外の反逆。
そして何より、その姿の……震えるほどに美しいこと。
「……ハッ」
ソラは、思わず笑った。
チカがその歌声で震わせたのは、王の嗜虐心でも、征服欲でもない。
ましてや、旧友に対する怒りや嫉妬でもない。
初心。
出会った日のことを、ソラは思い出していた。「チカの隣に、並び立つ」。そう誓ったあの日、あの瞬間。
チッ、と心の中で舌打ちが生じた。
なんだ、と拍子抜けするような気持ちもある。
(俺、今——「夢」、叶ってんのか)
まるで暗幕で閉ざされた世界が、左右に開かれるように。
ソラの視界が。世界が……明転した。
曲がクライマックスへ向かう。
チカは、もう逃げなかった。
自らソラに歩み寄り、その肩に手を置いた。
そして、誘うように、挑発するように、至近距離で歌い上げた。
ラストシーン。
本来なら、野獣が姫を抱きしめて終わるはずだった。
だが、チカは違った。
座り込んだソラの顎を、指先でくい、と持ち上げたのだ。
そして、冷ややかな、しかし最高に艶やかな微笑みを浮かべて、歌い終えた。
照明が落ちる。
静寂。
そして――爆発。
アリーナが揺れるほどの大歓声と拍手が、二人を包み込んだ。
ステージの明かりが消え、チカとソラは暗闇の中に取り残された。
肩で息をするチカ。
その全身は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。
だが、もう震えはない。
「……やってくれるじゃねえか」
ソラが、立ち上がりながら呟いた。
その声には、憎しみよりも、どこか呆れたような響きがあった。
「リハ無しで、よくあそこまでブチかませたな」
「……お前のおかげだよ」
チカは、冷たく言い放った。
「お前が俺を追い詰めてくれたおかげで……迷いが消えた」
「……」
「俺は、誰のものでもない。……もし誰かのものでもあるなら、トキだけのものだ」
ソラは、しばらくチカを見ていたが、やがて「フン」と鼻を鳴らした。
「……つまんねえの」
彼は、背を向けた。
「勝手にしろよ。……俺はもう、『アンタ』自身には興味ねえ」
負け惜しみのような捨て台詞を残し、野獣は闇の中へと消えていった。
チカは、その場に崩れ落ちそうになった。
緊張の糸が切れ、足に力が入らない。
倒れる。
そう思った瞬間。
ガシッ。
温かい腕が、チカの体を支えた。
「……チカ!」
トキだった。
袖から飛び出してきたのだろう。息を切らし、その目は涙で潤んでいた。
「……トキ……」
「すごかった……! 本当にかっこよかった……!」
トキは、チカを強く抱きしめた。
「見てたよ、ずっと。……お前が、あいつに勝つところ」
「……勝った、かな」
「圧勝だよ。……世界中の誰よりも、輝いてた」
チカは、トキの胸に顔を埋めた。
安心する匂い。
あの忌まわしい記憶は、もう遠い過去のようだった。
ステージの上で、歌声と共に吐き出した。
もう、怖くない。
「……帰ろう、トキ」
「うん。……みんなが待ってる」
トキに支えられ、チカはゆっくりと歩き出した。
光の溢れるステージ袖。
そこには、心配そうに、けれど誇らしげに二人を待つ、四人の姿があった。
長い、長い夜が明ける。
イグナイトの、そしてチカとトキの新しい物語が、ここから始まろうとしていた。
重苦しい、パイプオルガンの音が響き渡る。
メインステージの中央に、一本のスポットライトが落ちる。
そこに立っていたのは、ソラだった。
毛皮をあしらった、王であり野獣であるような衣装。
彼は、玉座のような椅子に深く腰掛け、傲慢な視線で虚空を見つめている。
そして、花道。
もう一つのスポットライトが、純白の衣装を着たチカを照らし出した。
悲鳴のような歓声が上がる。
その美しさは、この世のものとは思えないほどだった。
だが、その表情は凍りついている。
曲が始まる。
『Captive Princess & Beast』。
重厚で、官能的なビート。
チカが、ゆっくりとメインステージへ向かって歩き出す。
その足取りは、振付としての「怯え」なのか、それとも本能的な「恐怖」なのか。
玉座のソラが、ニヤリと笑い、立ち上がった。
二人が、ステージ中央で対峙する。
ここからは、リハーサルなしのぶっつけ本番。
いや、ソラによる公開処刑の始まりだ。
ソラが、チカの手首を掴み、強引に引き寄せた。
「……ッ!」
マイクが拾わないほどの小さな息遣い。
ソラの指が、チカの腰を這い、背中へと回る。
あの夜の感触。
チカの体が、ビクリと跳ねた。
(……怖い)
本能が叫ぶ。逃げろ、と。
ソラの瞳は、演技ではない。完全に獲物を狙う捕食者の目をしている。
彼は、振付を無視して、チカの首元――レースで隠された痕の上を、指でなぞった。
「……いい顔だ」
ソラが、耳元で囁く。
「お前はすぐに思い出す。あの夜、俺に支配されたことを」
チカの足がすくむ。
歌い出しのタイミングが来る。
だが、声が出ない。
喉が張り付いて、息ができない。
ソラが、嘲笑うようにチカを抱きすくめる。
観客には、それが「情熱的な抱擁」に見えているだろう。
だが、チカにとっては、地獄の拘束だった。
このまま、ステージの上で壊される。
声も出せず、ただ震えるだけの惨めな人形で終わる。
その時。
(チカは、汚くなんてない)
脳裏に、トキの声が響いた。
昨夜の、あの温かい腕。
必死な顔で、怒ってくれたトキ。
何百回もキスをして、「上書き」してくれた、あの愛しい熱。
『お前は、世界で一番綺麗だ』
(……そうだ)
チカの瞳の奥に、小さな光が灯った。
俺は、汚くない。
トキが、そう言ってくれた。
トキが愛してくれたこの体を、心を、これ以上、この男の思い通りになんてさせてたまるか。
チカは、ソラの腕の中で、顔を上げた。
怯えに震えていた瞳が、強い意志の光を帯びる。
それは、囚われの姫の目ではない。
野獣を従える、女王の目だ。
「お前は俺を、捕まえられない」
チカは、マイクを通さずに言い放った。
そして、ソラの胸を、ドン、と突き放した。
「……あ?」
不意を突かれたソラが、たたらを踏む。
その一瞬の隙を、チカは見逃さなかった。
チカは、ステージの前方へと躍り出た。
そして、マイクを握りしめ、その喉から、魂の叫びを放った。
「――――!!!!」
突き抜けるような、圧倒的なハイトーン。
それは予定されていたメロディラインを遥かに超えた、即興のフェイクだった。
会場の空気が、ビリビリと震える。
悲鳴も、歓声も、すべてを飲み込むような、神々しいまでの歌声。
チカは、振り返り、呆然とするソラを見下ろした。
その目は、語っていた。
『跪け』と。
ソラが、初めて動揺を見せた。
自分の支配下にあったはずの人形が、糸を引きちぎり、牙を剥いたのだ。
その予想外の反逆。
そして何より、その姿の……震えるほどに美しいこと。
「……ハッ」
ソラは、思わず笑った。
チカがその歌声で震わせたのは、王の嗜虐心でも、征服欲でもない。
ましてや、旧友に対する怒りや嫉妬でもない。
初心。
出会った日のことを、ソラは思い出していた。「チカの隣に、並び立つ」。そう誓ったあの日、あの瞬間。
チッ、と心の中で舌打ちが生じた。
なんだ、と拍子抜けするような気持ちもある。
(俺、今——「夢」、叶ってんのか)
まるで暗幕で閉ざされた世界が、左右に開かれるように。
ソラの視界が。世界が……明転した。
曲がクライマックスへ向かう。
チカは、もう逃げなかった。
自らソラに歩み寄り、その肩に手を置いた。
そして、誘うように、挑発するように、至近距離で歌い上げた。
ラストシーン。
本来なら、野獣が姫を抱きしめて終わるはずだった。
だが、チカは違った。
座り込んだソラの顎を、指先でくい、と持ち上げたのだ。
そして、冷ややかな、しかし最高に艶やかな微笑みを浮かべて、歌い終えた。
照明が落ちる。
静寂。
そして――爆発。
アリーナが揺れるほどの大歓声と拍手が、二人を包み込んだ。
ステージの明かりが消え、チカとソラは暗闇の中に取り残された。
肩で息をするチカ。
その全身は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。
だが、もう震えはない。
「……やってくれるじゃねえか」
ソラが、立ち上がりながら呟いた。
その声には、憎しみよりも、どこか呆れたような響きがあった。
「リハ無しで、よくあそこまでブチかませたな」
「……お前のおかげだよ」
チカは、冷たく言い放った。
「お前が俺を追い詰めてくれたおかげで……迷いが消えた」
「……」
「俺は、誰のものでもない。……もし誰かのものでもあるなら、トキだけのものだ」
ソラは、しばらくチカを見ていたが、やがて「フン」と鼻を鳴らした。
「……つまんねえの」
彼は、背を向けた。
「勝手にしろよ。……俺はもう、『アンタ』自身には興味ねえ」
負け惜しみのような捨て台詞を残し、野獣は闇の中へと消えていった。
チカは、その場に崩れ落ちそうになった。
緊張の糸が切れ、足に力が入らない。
倒れる。
そう思った瞬間。
ガシッ。
温かい腕が、チカの体を支えた。
「……チカ!」
トキだった。
袖から飛び出してきたのだろう。息を切らし、その目は涙で潤んでいた。
「……トキ……」
「すごかった……! 本当にかっこよかった……!」
トキは、チカを強く抱きしめた。
「見てたよ、ずっと。……お前が、あいつに勝つところ」
「……勝った、かな」
「圧勝だよ。……世界中の誰よりも、輝いてた」
チカは、トキの胸に顔を埋めた。
安心する匂い。
あの忌まわしい記憶は、もう遠い過去のようだった。
ステージの上で、歌声と共に吐き出した。
もう、怖くない。
「……帰ろう、トキ」
「うん。……みんなが待ってる」
トキに支えられ、チカはゆっくりと歩き出した。
光の溢れるステージ袖。
そこには、心配そうに、けれど誇らしげに二人を待つ、四人の姿があった。
長い、長い夜が明ける。
イグナイトの、そしてチカとトキの新しい物語が、ここから始まろうとしていた。
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