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乗り越えるべき壁
閑話:或帝国第二皇妃の回想
私は元々、至って平凡な男爵令嬢だった。
ヘルレヴィ男爵家の長女として生を受けた私は、そこそこ裕福な生活を送っていた。ヘルレヴィ男爵の後継者は2つ下の弟に決まっているため、令嬢としてある程度の礼節と常識は教わったが、比較的自由にしてても咎められなかった。だから私は昔から思いついたら即行動で突飛なことばかりしていた。外で走り回ったり畑を耕してみたり、はたまた本を1日に何冊も読んだり魔法の実験をしてみたり。無鉄砲で危なっかしい小娘だったが、使用人たちも含めて男爵家の皆はそんな私を「好奇心旺盛で元気いっぱいな子」として可愛がってくれた。
両親は人好きのする性格でいつもニコニコと優しかった。ヘルレヴィ男爵家は長年続く歴史あるお家柄であり、皇帝からも覚えが良かった。しかしそれを笠に着ない謙虚で思慮深い振る舞いから他の貴族からの顰蹙を買うこともなく、至って平和な立場にいた。そもそもヘルレヴィ男爵家に何かしたら皇帝が黙っていない、というのもあったが、それ以上に人畜無害な我々家族に「危害を加える気にもならない」とはよく言われたものだった。
弟もそんな両親に似たほわほわとした子だったが、勉学に関してはとても優秀で将来有望であった。ヘルレヴィ男爵家は直接政治に関わることは無かったが、皇帝に頼まれて相談に乗るなどの細やかなサポートをすることで皇族から認められてきた一族である。次期ヘルレヴィ男爵が彼なら次期皇帝も安泰だろう、と評価される弟を見て、私も鼻高々だった。
そんな恵まれた環境の中で擦れることもなくすくすくと育った私はやがて、学者になることを志すようになった。特に魔力について興味があり、将来は帝都の研究所で働きたいと思うようになった。最初はただ単に「面白そうだから」で始めた魔力学の勉強であったが、学べば学ぶほど奥深い魔力学に魅了され、自分でも研究したいと思うようになったのだ。
両親はそんな私の意志を尊重してくれて、私をアルバーニ公国へ留学させる手配をしてくれた。アルバーニ公国は魔力学の研究が進んでいる国である。元来魔力操作に長けた者を多く輩出している民族であり、そのような自分達の長所がどのような原理で成り立っているのかという疑問の解決に国全体が積極的であるため、多くの資金を費やして魔力学の研究が行われているのだ。そんな魔力学の最先端であり、帝国とは全く違った民族的な横の繋がりが強いアルバーニ公国へ留学することで、学べる事は多いだろうと両親は考えてくれた。私はそんな両親にいつか親孝行をすると心に誓い、アルバーニ公国へ留学することにした。
でも、それが間違いだった。
留学自体はとても有意義で楽しかった。魔力操作の研究の第一人者とも呼べる教授を師匠と仰ぎ、魔力操作について熱心に学んだ。私の熱意を師匠は認めてくださり、ゆくゆくは帝国の魔力操作研究を私に任せるとまで言ってくださった。
しかし、それは叶わなかった。
初めは一通の手紙だった。未曾有の大雨でヘルレヴィ男爵領に大災害が発生した、と簡潔に綴られていた。だけど復興は我々に任せて貴女は勉強に専念しなさい、とこちらを気遣う文言と共にそう書かれていたため、当時の私は「そこまで甚大な被害じゃないのかな」と楽観視して、そのまま留学生活を続けた。
それから定期的に実家から手紙が届いた。ヘルレヴィ男爵領の被害状況はどうだとか、魔窟という魔力の溜まり場が出来て困っているだとか、復興に際して金銭的に厳しいだとか。書かれてある内容のひとつひとつが事の深刻さを物語っており、私は今すぐにでも留学を切り上げて帰国したい気持ちでいっぱいだった。しかし、手紙の最後には必ず「我々のことは大丈夫だから、貴女は勉学に集中しなさい」と書かれていたため、その言葉に甘えてズルズルと留学を続けてしまった。実家のことが気がかりなのは勿論のことだが、勉強を優先したいという気持ちが勝ってしまったのだ。
それが間違いだったと知ったのは、私の元に家族の訃報が届いた時であった。
自分の領地が自然災害によって荒れ果ててしまい、復興に際して膨大な時間と費用が必要となることを憂い、一家心中したとその時は伝えられた。だけど私はすぐに「これは嘘だ」と思った。誰よりも優しくて領民思いな両親や弟が、被害に遭って苦しんでいる領民を残して死ぬだなんて無責任なことはしないと確信していたからである。何か別の力が働いたに違いない。そう考えたのだ。
そしてその考えが確信に変わったのが、ヘルレヴィ男爵領がリンドロース公爵領に吸収されるという話を聞いた時である。
リンドロース公爵は当時の帝国では皇帝の次に権力があると言われていた名家であり、公爵領はヘルレヴィ男爵領と隣接する位置関係であった。そして現リンドロース公爵は、数少ないヘルレヴィ男爵を目の敵にしている貴族であった。リンドロース公爵は皇帝の前でも権力欲を隠さないほどの強欲な人であった。男爵家のくせに皇帝の覚えが良いヘルレヴィ男爵家が気に食わなかったのかもしれない。
そんなリンドロース公爵が、ヘルレヴィ男爵領を吸収する。他国に居るとは言えヘルレヴィ男爵家の直系である私に断りもなく。そこには明確な悪意があった。そして両親や弟が死んでからそう日も経っていない中での用意周到さ。あたかも死ぬことがわかっていたようだ。
何故知っていた?
彼らが死に追いやったからだ。
そう確信した私は師匠に断りを入れてすぐに帰国した。師匠は名残惜しそうだったが、私が帰国しても手紙を送ると言ってくれた。私が何を考えているのか察しているのか、魔力操作研究に関しては何も言わなかった。私はよくしてくれた師匠を裏切るようで少し申し訳なかったが、私は止まることが出来なかった。
私は怖かった。ただひっそり穏やかに生きていただけの家族が、リンドロース公爵という強大な権力を前にひとひねりで潰されてしまったことが。皇帝の近くにいながら権力というものに無頓着であった私が、初めて権力闘争の恐ろしさを目の当たりにしたのだ。おそらくこのまま何もしないでいると、リンドロース公爵の魔の手は私にまで伸びてくる。少しでも不安材料は排除しておこう、と向こう側は考えるはずである。そしてそうなった時、平民に毛が生えた程度の力しか持たない小娘である私は、為す術もなく潰されてしまう。それが何よりも怖かった。
生き残るために、何でもしてやる。
私はそう決心した。
私が帰国して真っ先に向かったのは、第二皇子の元だった。父親と皇帝の仲が良く、家族ぐるみで関わりがあった。と言っても皇帝側の家族は皇后と、皇后の子である第一皇子と第二皇子の双子だけであったが。
幼馴染である第二皇子が私のことを好いていてくれていることを、私は気づいていた。でも将来皇帝になる可能性のある彼と恋愛するということは、帝位継承争いに足を突っ込むのと同義である。権力に興味が無く、面倒事も避けたかった私は、彼の好意に気づいていないフリをしていた。そしてそんな心情を察してか、彼も気持ちを伝えてくることも無かった。私達の関係は未来永劫「幼馴染」止まりであるはずだった。
しかし私は、自分が生き残るために彼の恋心を利用した。
私は彼に「私を貴方の皇帝妃にしてくれ」と頼んだのだ。
さすがのリンドロース公爵も、皇族の妃にもなるとそう易々と手出し出来ない。つまり彼の隣は、男爵位も継いでいないただの小娘である私にとって安全な場所であった。
しかし、それだけでは足りなかった。
私は更に加えて、「自らの手でリンドロース公爵に引導を渡したい」と彼に伝えた。
いくら皇族の妃になっても、絶対に自分の命が安全であるとは断言出来なかった。これまでの歴史に暗殺された皇紀は数多く存在する。おめおめリンドロース公爵を野放しにしていたら、いつか針の穴に糸を通すかのような方法で私を殺しに来るに違いなかった。だから私は、自分が生き残るためにリンドロース公爵を徹底的に潰す必要があった。
何の力もない私がリンドロース公爵に引導を渡すには、圧倒的な力が必要であった。帝国有数の名家であるリンドロース公爵家に適うほどの力と言えば、それは皇帝しかない。皇族では足りない。皇帝にしかないのだ。丁度その頃、現皇帝が病に倒れて生死を彷徨っている最中であり、帝位継承争いが激化していた。だから私は、次期皇帝と名高い彼の妃になろうと考えた。彼が皇帝になった時に、その力を使ってリンドロース公爵家を家名ごと完膚なきまでに取り潰すために。
あまりにも打算的な求婚だった。しかも私はこれを「私が自分の妻になるチャンスを、彼は逃さないだろう」と見越してお願いしていた。実に最低な行動であった。しかしその時の私には、これしか生きる道が残されてなかったのだ。
彼は私の申し出に目を丸くし、少しの間考え込む素振りを見せた。その後再度私の方を向き直した時の彼は、いたずらっ子のような表情を見せていた。
「……そうだな。リンドロース公爵家は叩けばホコリが沢山出てくる、目の上のたんこぶだ。私も丁度、帝位を継いだ際に嫡男を反逆罪で処刑しようと考えていたんだ」
「……それは誠ですか?確かリンドロース公爵家の嫡男は、殿下の側近では……」
「私を大切にしてくれる血の繋がった兄と、そんな兄を殺した他人。どちらが大切だと?」
目だけが笑ってないない笑顔でそう言い放った彼に、私は息を飲んだ。ヘルレヴィ男爵領での大災害の少し前、丁度諸用でヘルレヴィ男爵領へ向かっていた第一皇子が道中で事故に巻き込まれ、そのまま亡くなった。世間では事故死として片付けられているが、それも裏でリンドロース公爵が手を引いていたとすれば。そしてそれに彼が気づいているとすれば。
言葉を詰まらせる私に、彼は話を続けた。
「そういう訳だ。私はこの手で奴を処刑する。貴女にはそれに乗じてリンドロース公爵家を潰すことを許可しよう。その功績を称えられれば、男爵令嬢である貴女も皇后になれるかもしれないしな」
皇后。
その言葉は力を恐れ、力を求める私にとって甘美なものだった。皇后になれば、これからの人生で力を恐れる必要がなくなる。とても魅力的だった。
恍惚とした表情を見せる私に、彼は一瞬寂しそうな表情を見せたが、すぐに皇族らしい威厳のある表情を作った。その一瞬の表情が、今も私の胸の奥底にへばり着いて離れない。
「……ただし、私は公平な立場で妃の中から皇后を決めなければならないため、手助けは出来ない。その代わり私は貴女の邪魔も絶対にしない。不可侵を約束する代わりに、生き残ってみせろ」
私はその言葉に、強く頷くのであった。
* * *
「____それから私は血が滲むような努力をしたわ。常に力への恐怖を抱きながら、その恐怖を原動力に変えて。でもリンドロース公爵を潰すことは出来たけど、皇后にはなれなかった。最終的には、功績よりも家柄が優先されてしまったの。だから私は自分の息子を皇帝にして、皇太后になろうとした。皇帝の母親ならそれだけで絶大な力を手に入れられる。元男爵令嬢だなんて関係ないって思って。……でも、何も上手くいかなかった。留学先で学んだ魔力操作でエルネスティやアウクスティを洗脳して私の思い通りに動かそうとしたけど、エルネスティは自力で洗脳を解いて逆に私を脅して来たし、アウクスティは私のかけた洗脳のせいで暴走して、それが私の死を決定付けてしまった。生きたいと思った、ただそれだけなのに……なんでこんなにも上手くいかないのかしら」
冷たい牢獄の中で、私は息子達と差程歳の変わらない義娘に本音を吐露していた。誰にも伝えるつもりの無かった私の半生を、そして私の弱さを。あまりにも、彼女の纏う雰囲気が優しかったから。彼女に私の苦しみを共有して、少しでも心が楽になりたかった。
彼女は鉄格子を挟んだ向こう側で私に向き合う形で正座し、私の話に相槌を打ちながら静かに耳を傾けてくれた。彼女は私に何も言わなかった。私も、何の言葉も必要としてなかった。
ただ、私が死んだ後も私が味わった苦しみがこの世のどこかに刻まれれば良い。それだけで良かったのだ。
* * *
エヴェリーナ・ピヒラ・オッツォ・ニコ・ハーララ。彼女は第二皇女でありながら、ひたすらに影が薄かった。その場にいても誰も彼女に気づかないなんてことはザラであり、酷い時は彼女の存在すらも忘れられ「第二皇女なんて居たか?」と言われることもある。
しかしそんな存在感の無さを生かし、彼女は人から本音を聞き出すのが得意であった。存在すらも忘れそうになる彼女の人畜無害な空気感は、人々が普段本音を零さまいと閉じ込めている心の鍵を意図も容易く開けてしまう。まるで自白剤のようである、と皇帝は彼女を評価しており、しばしばその能力を活用することがあった。
そう、今まさにこの場で行われているように。
エヴェリーナは今日も、様々な人々の本音や思惑の受け皿となるために、優しく微笑んで相槌を打つのであった。
* * * * * * * * *
明日は最終話の前後編を2話同時に投稿いたします。最後までお付き合いの程をよろしくお願いいたします。
ヘルレヴィ男爵家の長女として生を受けた私は、そこそこ裕福な生活を送っていた。ヘルレヴィ男爵の後継者は2つ下の弟に決まっているため、令嬢としてある程度の礼節と常識は教わったが、比較的自由にしてても咎められなかった。だから私は昔から思いついたら即行動で突飛なことばかりしていた。外で走り回ったり畑を耕してみたり、はたまた本を1日に何冊も読んだり魔法の実験をしてみたり。無鉄砲で危なっかしい小娘だったが、使用人たちも含めて男爵家の皆はそんな私を「好奇心旺盛で元気いっぱいな子」として可愛がってくれた。
両親は人好きのする性格でいつもニコニコと優しかった。ヘルレヴィ男爵家は長年続く歴史あるお家柄であり、皇帝からも覚えが良かった。しかしそれを笠に着ない謙虚で思慮深い振る舞いから他の貴族からの顰蹙を買うこともなく、至って平和な立場にいた。そもそもヘルレヴィ男爵家に何かしたら皇帝が黙っていない、というのもあったが、それ以上に人畜無害な我々家族に「危害を加える気にもならない」とはよく言われたものだった。
弟もそんな両親に似たほわほわとした子だったが、勉学に関してはとても優秀で将来有望であった。ヘルレヴィ男爵家は直接政治に関わることは無かったが、皇帝に頼まれて相談に乗るなどの細やかなサポートをすることで皇族から認められてきた一族である。次期ヘルレヴィ男爵が彼なら次期皇帝も安泰だろう、と評価される弟を見て、私も鼻高々だった。
そんな恵まれた環境の中で擦れることもなくすくすくと育った私はやがて、学者になることを志すようになった。特に魔力について興味があり、将来は帝都の研究所で働きたいと思うようになった。最初はただ単に「面白そうだから」で始めた魔力学の勉強であったが、学べば学ぶほど奥深い魔力学に魅了され、自分でも研究したいと思うようになったのだ。
両親はそんな私の意志を尊重してくれて、私をアルバーニ公国へ留学させる手配をしてくれた。アルバーニ公国は魔力学の研究が進んでいる国である。元来魔力操作に長けた者を多く輩出している民族であり、そのような自分達の長所がどのような原理で成り立っているのかという疑問の解決に国全体が積極的であるため、多くの資金を費やして魔力学の研究が行われているのだ。そんな魔力学の最先端であり、帝国とは全く違った民族的な横の繋がりが強いアルバーニ公国へ留学することで、学べる事は多いだろうと両親は考えてくれた。私はそんな両親にいつか親孝行をすると心に誓い、アルバーニ公国へ留学することにした。
でも、それが間違いだった。
留学自体はとても有意義で楽しかった。魔力操作の研究の第一人者とも呼べる教授を師匠と仰ぎ、魔力操作について熱心に学んだ。私の熱意を師匠は認めてくださり、ゆくゆくは帝国の魔力操作研究を私に任せるとまで言ってくださった。
しかし、それは叶わなかった。
初めは一通の手紙だった。未曾有の大雨でヘルレヴィ男爵領に大災害が発生した、と簡潔に綴られていた。だけど復興は我々に任せて貴女は勉強に専念しなさい、とこちらを気遣う文言と共にそう書かれていたため、当時の私は「そこまで甚大な被害じゃないのかな」と楽観視して、そのまま留学生活を続けた。
それから定期的に実家から手紙が届いた。ヘルレヴィ男爵領の被害状況はどうだとか、魔窟という魔力の溜まり場が出来て困っているだとか、復興に際して金銭的に厳しいだとか。書かれてある内容のひとつひとつが事の深刻さを物語っており、私は今すぐにでも留学を切り上げて帰国したい気持ちでいっぱいだった。しかし、手紙の最後には必ず「我々のことは大丈夫だから、貴女は勉学に集中しなさい」と書かれていたため、その言葉に甘えてズルズルと留学を続けてしまった。実家のことが気がかりなのは勿論のことだが、勉強を優先したいという気持ちが勝ってしまったのだ。
それが間違いだったと知ったのは、私の元に家族の訃報が届いた時であった。
自分の領地が自然災害によって荒れ果ててしまい、復興に際して膨大な時間と費用が必要となることを憂い、一家心中したとその時は伝えられた。だけど私はすぐに「これは嘘だ」と思った。誰よりも優しくて領民思いな両親や弟が、被害に遭って苦しんでいる領民を残して死ぬだなんて無責任なことはしないと確信していたからである。何か別の力が働いたに違いない。そう考えたのだ。
そしてその考えが確信に変わったのが、ヘルレヴィ男爵領がリンドロース公爵領に吸収されるという話を聞いた時である。
リンドロース公爵は当時の帝国では皇帝の次に権力があると言われていた名家であり、公爵領はヘルレヴィ男爵領と隣接する位置関係であった。そして現リンドロース公爵は、数少ないヘルレヴィ男爵を目の敵にしている貴族であった。リンドロース公爵は皇帝の前でも権力欲を隠さないほどの強欲な人であった。男爵家のくせに皇帝の覚えが良いヘルレヴィ男爵家が気に食わなかったのかもしれない。
そんなリンドロース公爵が、ヘルレヴィ男爵領を吸収する。他国に居るとは言えヘルレヴィ男爵家の直系である私に断りもなく。そこには明確な悪意があった。そして両親や弟が死んでからそう日も経っていない中での用意周到さ。あたかも死ぬことがわかっていたようだ。
何故知っていた?
彼らが死に追いやったからだ。
そう確信した私は師匠に断りを入れてすぐに帰国した。師匠は名残惜しそうだったが、私が帰国しても手紙を送ると言ってくれた。私が何を考えているのか察しているのか、魔力操作研究に関しては何も言わなかった。私はよくしてくれた師匠を裏切るようで少し申し訳なかったが、私は止まることが出来なかった。
私は怖かった。ただひっそり穏やかに生きていただけの家族が、リンドロース公爵という強大な権力を前にひとひねりで潰されてしまったことが。皇帝の近くにいながら権力というものに無頓着であった私が、初めて権力闘争の恐ろしさを目の当たりにしたのだ。おそらくこのまま何もしないでいると、リンドロース公爵の魔の手は私にまで伸びてくる。少しでも不安材料は排除しておこう、と向こう側は考えるはずである。そしてそうなった時、平民に毛が生えた程度の力しか持たない小娘である私は、為す術もなく潰されてしまう。それが何よりも怖かった。
生き残るために、何でもしてやる。
私はそう決心した。
私が帰国して真っ先に向かったのは、第二皇子の元だった。父親と皇帝の仲が良く、家族ぐるみで関わりがあった。と言っても皇帝側の家族は皇后と、皇后の子である第一皇子と第二皇子の双子だけであったが。
幼馴染である第二皇子が私のことを好いていてくれていることを、私は気づいていた。でも将来皇帝になる可能性のある彼と恋愛するということは、帝位継承争いに足を突っ込むのと同義である。権力に興味が無く、面倒事も避けたかった私は、彼の好意に気づいていないフリをしていた。そしてそんな心情を察してか、彼も気持ちを伝えてくることも無かった。私達の関係は未来永劫「幼馴染」止まりであるはずだった。
しかし私は、自分が生き残るために彼の恋心を利用した。
私は彼に「私を貴方の皇帝妃にしてくれ」と頼んだのだ。
さすがのリンドロース公爵も、皇族の妃にもなるとそう易々と手出し出来ない。つまり彼の隣は、男爵位も継いでいないただの小娘である私にとって安全な場所であった。
しかし、それだけでは足りなかった。
私は更に加えて、「自らの手でリンドロース公爵に引導を渡したい」と彼に伝えた。
いくら皇族の妃になっても、絶対に自分の命が安全であるとは断言出来なかった。これまでの歴史に暗殺された皇紀は数多く存在する。おめおめリンドロース公爵を野放しにしていたら、いつか針の穴に糸を通すかのような方法で私を殺しに来るに違いなかった。だから私は、自分が生き残るためにリンドロース公爵を徹底的に潰す必要があった。
何の力もない私がリンドロース公爵に引導を渡すには、圧倒的な力が必要であった。帝国有数の名家であるリンドロース公爵家に適うほどの力と言えば、それは皇帝しかない。皇族では足りない。皇帝にしかないのだ。丁度その頃、現皇帝が病に倒れて生死を彷徨っている最中であり、帝位継承争いが激化していた。だから私は、次期皇帝と名高い彼の妃になろうと考えた。彼が皇帝になった時に、その力を使ってリンドロース公爵家を家名ごと完膚なきまでに取り潰すために。
あまりにも打算的な求婚だった。しかも私はこれを「私が自分の妻になるチャンスを、彼は逃さないだろう」と見越してお願いしていた。実に最低な行動であった。しかしその時の私には、これしか生きる道が残されてなかったのだ。
彼は私の申し出に目を丸くし、少しの間考え込む素振りを見せた。その後再度私の方を向き直した時の彼は、いたずらっ子のような表情を見せていた。
「……そうだな。リンドロース公爵家は叩けばホコリが沢山出てくる、目の上のたんこぶだ。私も丁度、帝位を継いだ際に嫡男を反逆罪で処刑しようと考えていたんだ」
「……それは誠ですか?確かリンドロース公爵家の嫡男は、殿下の側近では……」
「私を大切にしてくれる血の繋がった兄と、そんな兄を殺した他人。どちらが大切だと?」
目だけが笑ってないない笑顔でそう言い放った彼に、私は息を飲んだ。ヘルレヴィ男爵領での大災害の少し前、丁度諸用でヘルレヴィ男爵領へ向かっていた第一皇子が道中で事故に巻き込まれ、そのまま亡くなった。世間では事故死として片付けられているが、それも裏でリンドロース公爵が手を引いていたとすれば。そしてそれに彼が気づいているとすれば。
言葉を詰まらせる私に、彼は話を続けた。
「そういう訳だ。私はこの手で奴を処刑する。貴女にはそれに乗じてリンドロース公爵家を潰すことを許可しよう。その功績を称えられれば、男爵令嬢である貴女も皇后になれるかもしれないしな」
皇后。
その言葉は力を恐れ、力を求める私にとって甘美なものだった。皇后になれば、これからの人生で力を恐れる必要がなくなる。とても魅力的だった。
恍惚とした表情を見せる私に、彼は一瞬寂しそうな表情を見せたが、すぐに皇族らしい威厳のある表情を作った。その一瞬の表情が、今も私の胸の奥底にへばり着いて離れない。
「……ただし、私は公平な立場で妃の中から皇后を決めなければならないため、手助けは出来ない。その代わり私は貴女の邪魔も絶対にしない。不可侵を約束する代わりに、生き残ってみせろ」
私はその言葉に、強く頷くのであった。
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「____それから私は血が滲むような努力をしたわ。常に力への恐怖を抱きながら、その恐怖を原動力に変えて。でもリンドロース公爵を潰すことは出来たけど、皇后にはなれなかった。最終的には、功績よりも家柄が優先されてしまったの。だから私は自分の息子を皇帝にして、皇太后になろうとした。皇帝の母親ならそれだけで絶大な力を手に入れられる。元男爵令嬢だなんて関係ないって思って。……でも、何も上手くいかなかった。留学先で学んだ魔力操作でエルネスティやアウクスティを洗脳して私の思い通りに動かそうとしたけど、エルネスティは自力で洗脳を解いて逆に私を脅して来たし、アウクスティは私のかけた洗脳のせいで暴走して、それが私の死を決定付けてしまった。生きたいと思った、ただそれだけなのに……なんでこんなにも上手くいかないのかしら」
冷たい牢獄の中で、私は息子達と差程歳の変わらない義娘に本音を吐露していた。誰にも伝えるつもりの無かった私の半生を、そして私の弱さを。あまりにも、彼女の纏う雰囲気が優しかったから。彼女に私の苦しみを共有して、少しでも心が楽になりたかった。
彼女は鉄格子を挟んだ向こう側で私に向き合う形で正座し、私の話に相槌を打ちながら静かに耳を傾けてくれた。彼女は私に何も言わなかった。私も、何の言葉も必要としてなかった。
ただ、私が死んだ後も私が味わった苦しみがこの世のどこかに刻まれれば良い。それだけで良かったのだ。
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しかしそんな存在感の無さを生かし、彼女は人から本音を聞き出すのが得意であった。存在すらも忘れそうになる彼女の人畜無害な空気感は、人々が普段本音を零さまいと閉じ込めている心の鍵を意図も容易く開けてしまう。まるで自白剤のようである、と皇帝は彼女を評価しており、しばしばその能力を活用することがあった。
そう、今まさにこの場で行われているように。
エヴェリーナは今日も、様々な人々の本音や思惑の受け皿となるために、優しく微笑んで相槌を打つのであった。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。