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ホワイトガーデン/三話

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「彼女と出会わなければ良かったに違いない」
 
 日曜日の午後。
 学校の前で修司はマカと一緒にエカテリーナを待っている。
 二人ともシンプルで似たような装い。傍から見たら姉弟と間違われるかもしれない。
 ウキウキした空気とは違う、妙な緊張感が二人の間に流れている。
 安物の腕時計を見るとそろそろ約束の時間。彼女が来るはずの方向に目を向ける。静かな景色、落ち着いた住宅街だけがそこに佇んでいる。ここに着いてから、マカと一言も喋らない。それどころかお互いの顔すら合わせずにいた。
「うふふ。二人とも早いのですね」
 背中から声がしたのでギクリとする。振り向くと真っ白なワンピースのエカテリーナが立っている。
 急に目の前に現れた少女は怪しいほど魅力的に見える。
 いつ、どこから来たのだろうか?
 彼女はただのクラスメイト?
 それとも……?

 エカテリーナを連れて思い出の場所を回る。二人の通った小学校、お気に入りの喫茶店、毎年の夏祭りや初詣で行く神社。近所のスーパーでお菓子を買って、二人がよく遊んだ大きな公園へと入る。
「結構歴史のある町なのですね。古い神社がありましたし、昔の町並みも残っているもの」
 ベンチに並んで一休み。目の前に広がる芝生では、親子がキャッチボールをしていたり、仲間同士でバドミントンをやっている大人たちがいたり、中々に賑わしい。奥に見えるアスレチック遊具では沢山の子供たちが遊んでいた。
 買ったお菓子を三人で食べる。歩いて疲れた体に甘さが心地良く染み渡っていく。
「別にそんな風に思った事ないなあ」
 エカテリーナに言われるまで自分の住んでいる町に歴史があるなんて思いもしなかった。
「地元の人には意外とわからない物らしいですわ。土地の歴史や文化の本当の価値っていうのは」
「そんな物かなあ」
 修司が首を捻る。
「ええ。そんな物です。昔の町並みなんて作ろうと思って作れる物じゃないですから」
 二人のやり取りを余所にマカはエカテリーナを観察していた。今の所、怪しい所は一つもない。
「そう言えば、本当に私の家に来ます? ちゃんとお招きできるように準備はしてあるのだけど」
 なぜ急にその話が出たのだろうか。
 誰かの視線を感じる。
 が、気のせいか誰もいなかった。
「マカ、どうする?」
「是非いらして」
 迷いながらも首を縦に振る。
「!?」
 マカの視界に飛び込んできたのは竹村。にやあ、と気持ち悪い笑みをこちらに向けた。あまりの不気味さに背筋が寒くなる。そして、修司に目配せして指で差し示した。
「何だよマカ。幽霊でも見たような顔してさ」
 マカの差した方を見た修司が凍りつく。
「早く、私の家に行きましょ」
 何も気づかない素振りをしたエカテリーナが、二人を強引に連れ出してあの大きな家へと向かう。
 やっぱり何かあるんだ。
 修司とマカは顔を見合って頷いた。

 エカテリーナの家は近くで見るとまさに豪邸といった趣。白壁の家は二階建てだ。母屋に繋がる形で塔のような物もあった。塔は四階くらいの高さで、一番上に小さな窓がある以外に出入口のような物は何もない。
「さ、入って入って」
 中に入るといきなり赤い絨毯が敷かれた広いエントランス。ここだけでも一般住宅のリビングくらいはある。扉の両脇には立派な白磁器の壷と、真白な花が飾ってある白い花瓶が並んでいた。
 いくつもの扉を過ぎてエカテリーナの部屋へと通される。ご多分に漏れずこちらもほぼ白一色だった。申し訳程度のアクセントに薄ピンクが混じって、逆にそれが品の良さを際立たせている。
「ここに人を招き入れるなんて本当久しぶり」
 小さなテーブルセットにはカップが三つ伏せて置いてある。
「さ、座って。すぐにお茶を用意しますから」
 エカテリーナは二人を部屋に置いて出て行く。
 修司とマカ、二人が顔を見合わせる。
 そっと、廊下に出てみる。これだけ広い屋敷だ、怪しい場所の一つや二つあってもおかしくはない。エカテリーナの姿はない。各部屋に付いているプレートを見ながら二人で屋敷を彷徨う。
 空き部屋、空き部屋、空き部屋…………。
「あまり時間かけて見て回れないよね」
「うん」
 段々早足になる。
 もう、エカテリーナの部屋がどこだかわからなくなっていた。二人はそんな事にも気付かないで歩き続ける。
「あら、こんな所にいらしたの。探しましたのよ」
 急にエカテリーナが現れる。
「あ、うん」
 誤魔化そうとしても言葉がでない。
 マカは修司の袖を掴んで俯いていた。
「お手洗いでも探していたのかしら」
 口元に手を当ててふふふっと笑う。
 部屋に戻るとティーポットと焼菓子が置いてある。
 お茶を用意してすぐ修司たちを探したようだ。
「お口に合えば良いのですが」
 紅茶をカップに注ぎ二人に振舞う。湯気が優しく香りを運ぶ。
 程よい甘さのお菓子がまた紅茶に良く合う。
 自然と二人の顔が綻んだ。
「よろしければおかわりを出してきますわ」
「もちろん」
 二人の声がぴったり揃った。
「本当に仲がよろしいですのね」
 エカテリーナが微笑み、そして空のお皿を手に席を立つ。
 部屋を出る前に一度二人に向き直って言った。
「あまりウロウロしないで下さいね。もし、迷子になったら二度と帰れなくなるかもしれませんから。ふふっ」
 静かにドアが閉まる。
 二人が顔を見合わせる。
 大きく溜息。
 修司は紅茶を一口含んでゆっくりと飲み下す。
「どうする?」
「どうするって。修司が決めてよ。私は修司に乗っただけなんだから」
 本音を言えばもうこれ以上余計な事をしたくはなかった。でも、断れば修司は一人で行くだろう。マカは部屋に一人残されるのも怖くて「行かないで」とは言えなかった。
「うーん。もう一度探してみるか」
 腕組みをして返事する。
 マカは黙って頷いた。
 ドアを僅かに開けて慎重に外に出る。
「今度は反対側を探そう」
「うん」
 空き部屋、空き部屋、空き部屋。
 こんなに広いのに人気が全然ない。
 不気味な静寂が二人に纏わり付き始める。知らず知らずの内に汗をかいていた。マカが強く修司にしがみ付く。
「そ、そろそろ戻らない?」
「もう少し。あの行き止まりの所まで」
 マカの手を引き走る。最後のドア、そこで二人は止まる。ここにだけ違うプレートが掛かっていた。
「何だろう? 経過観察室だって」
「入って、みる?」
 修司の表情を窺う。彼女にとっては珍しく上目遣い。本音を言えばこれ以上深入りしたくはなかった。
「開けるよ」
 ノブに手を伸ばした時だった。
「何してんだ!!」
 ビクリ、と大きく震える。
 この声は間違いない。知っている人物だ。
 二人が振り向くと、ぬっ、と目の前に声の主が立っていた。
「竹村……、先生」
 ギロリと睨まれて言葉を付け足す。が、すぐに、にやあ、と、またあの気持ち悪い笑顔になった。
 黙って、縮こまって、竹村の言葉を待つ。竹村は二人を品定めするかのようにじっとりと見つめてから、もう一度、にやあ、と笑った。
「お前たち、俺をここから出せ。お前らは出口を知ってんだろ? ここがそうなのか?」
 有無を言わせない威圧感がある。だが、二人はエカテリーナの案内がなければ玄関まで行けなかった。どこをどう通ってエカテリーナの部屋まで行ったのかわからないのだ。
 ここから彼女の部屋までなら問題ない。ちゃんと道を確認して記憶してきたから。でも、こんな広い家のどこに何があるかなんて修司たちにわかるはずもなかった。
 もし、彼女がその気になれば、修司たちも二度と帰れなくなるだろう。奇跡的に出口にたどり着かない限りは。そのくらい異様に広い家だった。
「何で黙ってるんだ」
「俺、いや、僕たちは、エカテリーナに案内されて来たから帰り道なんてわからないです」
 竹村は修司を無視してマカに近寄る。
「本当か、村中? また嫌がらせで二人して嘘言ってんじゃないのか? ん?」
 手は出さないが、顔を付き合わせて威嚇する。
 マカは思わず顔を逸らした。
「ふん。そういう態度を取るって事はそういう事なんだろ。お前らが自分の立場をわきまえていないなら、こっちにも考えがある。覚悟しておくんだな」
 竹村が経過観察室のドアを開けて中に入ろうとする。だが、いくら足掻いてもドアは頑なに侵入者を拒む。
「くそ! 鍵でも掛かってんのか」
 ドアを叩き、蹴りを入れ、体当たりをぶちかます。それでもドアは沈黙を続ける。
「お前らも手伝え! 開けろ! 命令だ!!」
 苛立ちをぶつけるように叫ぶ。
 二人が何も出来ずにいると、我慢できなくなった竹村は修司の胸倉を掴む。数回揺さぶると強く押し飛ばし、倒れた修司に唾を吐きかける。
「使えねえな。だから、いじめられるんだよ、お前は」
「俺はいじめられてなんかいない」
 修司が竹村を睨み付ける。
「あん?」
 竹村がますます不機嫌な表情になって睨み返す。
「俺は、いじめられてなんか、いないって言ったんだ!」
 力いっぱい叫び、立ち上がり、竹村に殴りかかる。
 だが竹村は、ひょい、と軽くいなして修司の顔面に拳をぶち込む。
 横たわる修司の口の中では鉄の味がした。血の味だ。口の中が切れたのだろう。上半身を起こして口元を拭い竹村をさらに睨み付ける。
「ガキがイキがるなよ。お前らは俺の言う事を聞けば良いんだよ」
 足で修司を押し倒し頭を踏み付ける。「あがが……」と声にもならない呻きが修司から漏れた。それでも、修司は歯を食いしばり竹村に反旗の眼差しで抗戦し続ける。
「おい、村中。こいつの頭砕かれたくなかったらこいつに俺の言う事を聞かせろ」
 顎で修司を示す。
 マカは黙っていた。踏みつけられている修司を見つめ、拳を握る。
「こそこそと嫌がらせする事しか出来ない女が俺を殴ろうってのか」
 修司の顔面を踵で弾いてから、今度はマカの胸を右手で突く。簡単にマカは倒れた。体を起こし竹村を仰ぎ見る。竹村はマカを見下ろし、ふん、鼻を鳴らした。
「所詮はその程度なんだよ、お前らは。小さな嫌がらせして喜ぶガキ。後でどうなるかなんて想像もできない能無しで、その場だけの満足を得るような奴なんだ。その結果がこのざまだ。よく覚えておけよ。大人に逆らったらどうなるか、をな」
 マカの頬を平手打ちする。髪を掴んで頭を揺さぶる。そして、腹に蹴りを入れる。
「ぐえっ」
 搾り出したような気持ち悪い音がマカの口から吐き出される。
「知らないなら、あのクソったれな小娘から聞きだせ。俺をここから出すんだ。いいな」
 マカの頭を鷲掴みにして乱暴に何度も振る。マカは軽く意識が飛んで倒れた。
 修司は何とか立ち上がり竹村反撃しようとする。が、簡単に逆襲されてしまう。抵抗する術のない修司は一方的に殴られた。
「どうだ。痛いか? 痛いなあ。痛いよなあ。そろそろ言う事聞く気になったか」
「いやだ」
 はっきりとは聞き取れないが、たしかに修司はそう言った。
 竹村は怒りの形相で修司の首に手を掛ける。
「殺そうと思えば簡単に殺せるんだぜ、こっちは。昔、お前みたいな生意気な生徒を殺した事だってあるんだからな」
 竹村の目は血走り、異常な興奮を抑えきれないでいる。
「ははは!! ここで誰が死のうとニュースにもなんねえからな。殺したって問題にもなんねえ。どうせ、普通の人間が来れる場所じゃねえみたいだしな。死ね。お前が死ねば村中も言う事聞くだろ」
 修司の意識が朦朧としてくる。
「お前が死んだ後、村中が無気力で死人のように学校生活を続ける姿を想像するだけで最高に気分が良い。つまらん嫌がらせで俺に恥を掻かせた罰だ。死んでるお前を見た時にどんな顔をするのかな?」
 段々と力を込めて絞めていく。修司の顔色が変わっていく。
「言う事を聞くなら止めてやっても良いぞ。どうする?」
 竹村の問いに修司は答える力は残ってなかった。首を絞める腕を掴むので精一杯で、それ以上の事は出来なかった。意識はすでに薄く、いつ耐え切れなくなってもおかしくない状態になっていた。
 ますます常軌を逸した狂気を剥き出しにして口元を歪める竹村。もう、修司には限界が来ていると感覚でわかるのだろう。目が興奮のあまりに異様な輝きを見せている。
「ああ、良い。たまんねえな。俺が偉大だって感じる瞬間ってやつだ」
 恍惚とした表情で竹村が言葉を漏らす。
「もう止めて!! 言う事聞く! 言う事聞くから止めて下さい!!」
 マカが叫んだ。まだ、意識はフワフワとしていたが必死に叫ぶ。
「お願いですぅ。言う事聞くから、止めてくだざいぃぃぃ!!」
 最後は泣きながら竹村にすがり付き何度も懇願する。
 しかし、興奮しているせいで周りが見えなくなっている竹村の耳には届かなかった。
「ははは!! 死ぬぞ。もうすぐこいつ、俺の手で死んじまうぞ!!」
 さらに手に力を込めようとした時、突然竹村が苦しみ出す。
「うおおおおおおおぇぇぇ!! ぐぎぎぎぎぎいぃぃぃ」
 自分の首を押さえてのた打ち回る。

「だからウロウロしないように言ったでしょう?」

 空の植木鉢を抱えたエカテリーナが立っていた。クスクスと小さく笑っている。
 竹村は恨めしそうに彼女を見上げる。敵対心とともに歯をむき出しにして不気味な表情で笑う。
「絶対に、殺して、やるぞ。俺を、こんな目に合わせやがって。ぐがががぁぁ」
 ビクビクと体全体が痙攣する。それでも竹村は喋るのを止めない。
「苦しめて、屈辱を味わわせて、死ぬほど後悔させてから、じっくり殺してやるからな。ははは、はぁぁ! がばばば!!」
 竹村は泡を吹き、白目を剥き、意識を失った。不気味な表情はそのままで。
 エカテリーナは竹村を縛り上げてから二人を助け起こした。修司は壁へ持たれ掛けさせてもらうと、何度も何度も大きく呼吸を繰り返す。そしてエカテリーナから渡された飲み物を一口飲んでまた大きく息を吐いた。まだ頭ははっきりせず、ぼうっとエカテリーナとマカを見ていた。
 エカテリーナはマカの口元をハンカチで拭い頬を撫でる。竹村に平手打ちされた頬はまだ赤い。
「マカさんも大丈夫、ではありませんよね。でも、このくらいならすぐ治りますわ」
 エカテリーナはマカにも持って来た飲み物を勧める。
 その様子を見ながら修司はもう一口飲む。ふと、自分の体が軽くなった。
「?」
「ふふふ、効いて来たみたいね。疲れや痛みを取る特別なお茶なの」
 マカの頬も赤みが引いて顔色も良くなった。蹴りを入れられた腹を摩ってみる。痛みは全くなかった。かなり即効性のある物らしい。
 二人を立ち上がらせてエカテリーナは部屋へと連れて戻ろうとする。しかし、二人はこの鍵の掛かった部屋の事が気になって仕方がない。竹村があんなに開けたがっていたドアの先に何があるのか。エカテリーナに戻ろうと促されても何度も部屋を見てしまう。
「そんなにこの中がどうなっているのか知りたいんですの?」
「う、うん。竹村がなんで開けようとしてたのか気になって」
 少しだけならという条件を飲ませて、ふう、と一息。懐から鍵を出してドアを開ける。
 中に入ると植木鉢がいくつも並んでいた。空の物や土だけが入っている物、芽が出ている物が混ざって置いてある。そして、端のあった空いている箇所にエカテリーナは持って来ていた空の鉢を置いた。
「ここが経過観察室?」
「ええ。この鉢にさっきの特別なお茶の元になる植物とかが植えてあるのよ。ほら、入口の所に管理表が貼ってあるでしょ?」
 入口脇の壁には「水遣り確認」と書かれた表があり、日付とエカテリーナの名前が入っている。
「毎日、ちゃんとお世話をしているかチェックしているのよ」
「これを観察してるって事?」
 芽の出た鉢を指してマカが尋ねる。
「そうよ。さ、そろそろ出ましょ」
 背中を押されて二人は部屋から出される。しっかりと鍵を閉めてからエカテリーナの部屋の戻る。竹村の姿はいつの間にか消えていた。



 帰り道、エカテリーナは交差点まで送ってくれた。竹村の事はここにいる三人だけの秘密だと約束させられていた。だが、なんでエカテリーナの家に竹村がいたのかは教えてもらえなかった。公園で見たのは本当に竹村だったのか、そんな疑問もぶつけてみた。エカテリーナは「見間違えたのでは」とだけ答えて微笑むばかり。結局、修司たちは大きな疑問を抱えたまま帰るしかなかった。
 帰る途中、神社の境内で英人と出くわす。片手にメモ。神社で何か調べているらしい。英人も二人に気づいて走り寄る。
「君たち、竹村先生を見なかったか?」
 修司とマカの二人は顔を見合わせる。
「竹村先生らしき人を見掛けて追いかけて来たんだが見失ってね。何かないか調べてみてるんだが……」
 英人の表情を見れば収穫がない事は容易に想像がつく。頭を振ってお手上げといった素振りを見せる。
「先生? あいつの事を先生って言うのは止めてくれよ」
 修司にしては珍しくタメ口なっていた。
「どこかで聞いてるかもしれないだろ? それともここにはいないって断言できるのか?」
「え? いや、別にそれは知らないよ。ここで見かけたわけじゃないしさ」
 急にしどろもどろに修司は答える。
 英人はそんな修司の様子を見逃してはくれない。
「ここでは? 他の所で見たのか?」
 しまった、と思っても後の祭り。これ以上誤魔化そうとしても無理だった。口止めされたのはエカテリーナの家での事だけのはずだ、と公園で見た事だけを話した。
「なるほど。ここからそんなに遠くないな。ありがと。そっちも調べてみるよ。何かわかったら連絡する」
 軽く手を上げて挨拶すると、英人は公園の方へと消えた。
 また二人顔を見合わせて笑う。
 鮮やかな赤に染まっていた空を見てマカは呟く。
 修司にも聞こえないくらいの小声。
「エカテリーナの家に行かなければ竹村に襲われたりせずに済んだのかな。ううん。それよりも……」

 ・ ・ ・

 週が明けても竹村は学校に来る事はなかった。まだ、あのエカテリーナの家で彷徨っているのだろうか。竹村がいなくなって喜んでいる他の生徒とは違い、修司とマカはどこか引っ掛かる所があった。
 竹村の事は公然の秘密になっていた。教師たちは一切口に出す事がなかったし、生徒たちも外で話題にする事はなかった。新聞やネットにも上がる事はなかった。まるで、竹村という人間が最初から存在していないかのようだった。
 放課後、帰り支度をしていると、英人が修司に話しかけてきた。ちらり、とエカテリーナの机を見たのを修司は見逃さなかった。きっと英人もエカテリーナに何かを感じているに違いない。しかし、何も話せない。もし、話してしまったら、自分も竹村のようにここに帰って来れなくなるだろう。修司はそんな思いもあって慎重に言葉を選ばざるを得なかった。
「彼女、竹村がいなくなっても無反応だな」
 探るように英人が話し掛けてくる。
「転校して来たばかりだからじゃないのかな。竹村の事、そこまで知らないんだろ」
「ふむ」
 じっと修司の目を見て真意を量る。
 修司は何か見透かされている気がしていたが、ここで目を逸らせたら怪しまれる、とぐっと堪える。
「確かにそれもあるかもしれんな。知ってるか? あの階段から落ちた子、骨折してたはずなのに、もう普通に生活が送れているって。ギプスもしてないし、ポッキリ折れてたはずなのに普通に手も使ってるんだ」
 あのお茶か、と修司はエカテリーナに飲ませてもらった飲み物を思い出す。自分も竹村に傷つけられた時に飲んですぐに治ったのだ。同じお茶を飲んでいるなら、なんら不思議な事ではない。彼女とは違うクラスの上、顔も知らないのだから、修司が気づかなかったのも当然ではあった。
「そうなんだ。よく知ってるね影井君」
「色々調べてるんだよ。そっちは何かわかった事あるのか?」
 そういえばそうだった。彼は独自に竹村失踪の事を調べているんだった。そう思い出してエカテリーナの話題にならないように、と益々警戒して話を聞く。
「いや、昨日神社で会った時に言った事くらいだよ。公園で竹村らしい男とマカの目が合っただけ、それだけさ」
「君も村中さんと一緒だったんだよな?」
「ああ、俺も見たよ」
 修司は竹村の顔を思い出して気分が悪くなった。あの気持ち悪い笑顔とされた仕打ちが修司の心に深く刻み込まれていた。
「顔色悪いぞ?」
「ああ。あの時の顔がやたら不気味でさ」
 英人の観察力に修司は負けそうになった。いっそ全部話してしまえば楽になるんじゃないかという考えが浮かんでしまう。
「そうか。俺も行ってみたんだがそれらしき人はいなかったからな。公園へ行った後、神社の近くで俺に見つかったという所だったんだろう」
 英人は今日も神社付近を調べると言って先に教室を出て行った。
 残っているのはもう修司一人。
 ゆっくりと支度終えて帰る。校門まで来るとマカが俯き加減で立って待っていた。
「あ、修司。遅かったね」
 元気のない顔で無理に笑顔を作る。
「マカ?」
 そこにいるのがマカだと修司は一瞬わからなかった。それほどいつものマカとは違って見えた。
「不思議そうな顔して、忘れちゃってたの? 先に校門で待ってるから一緒に帰ろうって教室出る時に言ったのに」
 いつものマカに戻っていた。
 口を尖らせて脇を小突いてくる。
「うん。ごめん」
 バツの悪そうな顔で頭を下げる。こういう時は先に頭を下げて謝った方が良いと経験で理解していた。それから英人と話した事を説明する。
「なるほどね。影井君、頭良いし感づいてるかもね」
「変な事言うなよ」
 軽くマカの脇を小突く。
 修司はマカの冗談が冗談には聞こえなかった。英人がエカテリーナの事を調べ始めたら、自分はきっと今のままではいられないだろう。もしかしたら、以前マカが言った通り、エカテリーナの家に閉じ込められて二度と帰って来れなくなるかもしれない。あの時見た竹村のように。
「公園、寄ってく?」
 またあそこで英人が調べているんじゃないか、と気になって提案してみる。どこまで彼が調べ上げているのか修司は知りたくなっていた。

 修司の考えた通り公園に英人はいた。修司とマカが視界に入るとすぐに話しかけてくる。
「椎名君。君も一緒に調べてくれるのか? それと村中さんも」
「いや、影井君はどこまで調べたのかなって」
 英人はすでに制服ではなく、黒いシャツにベージュのパンツというラフな格好だ。きっと家が近いのだろう。
「君は昨日誰といたんだ? ずっと二人だけってわけじゃないだろ?」
「え?」
 英人の言葉につい反応してしまう。
「エカテリーナ、かな?」
 確信を持ってカマを掛ける。
 修司は何か知っていると英人はにらんでいた。
「何で?」
 そう言いつつ修司は目を合わせられないでいた。
「彼女を庇っていないか? 君も本当は怪しいと思っているんだろ?」
 体ごとグイッと修司に顔を寄せる。
 言えない。
 修司の頭の中はこの言葉で占められていた。
「まあ、良いさ。今度、僕も含めた四人で遊ばないか? 俺もエカテリーナと仲良くなりたいし」
「彼女に話してみるね」
 黙っている修司に代わってマカが返事する。マカにとっては英人が救世主に見えた。彼ならエカテリーナの秘密を暴いてくれるんじゃないか、と淡い期待を持ってしまう。
 全部話してしまおうかと思ったが言葉を飲み込む。
 まだ自分は何も知らないから。エカテリーナの事も、影井英人の事も。知っている事を話すのはもっと二人の事を知ってからでも遅くはない。
 マカはそう思い直してエカテリーナと英人の繋ぎ役になろうとするのだった。
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