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ホワイトガーデン/四話

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 土曜日。
 あっさりと四人で会う事が決まり、例の神社で待ち合わせをする。
 まだ涼しい時間帯。
 最初に現れたのは英人。今日も黒いシャツだ。次いでエカテリーナがやって来た。こちらは対照的な白い服。相変わらずの柔らかな笑みを湛えている。英人は片方の眉を少し上げ、腕組みをしたまま頭だけ下げて挨拶する。
「おはよう、影井君。修司とマカさんはまだかしら」
 笑みを崩さず柔らかい声音で挨拶する。
「ああ。時間にはまだ少しあるからな」
 逆に英人はぶっきら棒に答えた。
「まさか影井君から誘われるとは思いませんでしたわ」
 マカが「影井君も一緒に遊びたいと言ってたよ」とエカテリーナを誘ったのだ。彼女にしてみれば相手から誘われるのは初めてだったので二つ返事で快諾した。そんなわけでエカテリーナは今日の事をとても楽しみにしていたのだ。
「そうか?」
「ええ。あまり他の方と積極的に関わらないようでしたし、きっとお一人が好きなタイプの方なんだと」
 嬉しそうにエカテリーナは喋り続ける。
「それに、あのお二人とも接点があるようには見えなかったので。マカさんから話を聞いた時にはびっくりしました」
「俺にだってそれなりに話すクラスメイトくらいいるさ」
 心外とでも言わんばかりに手振りを交えて訴える。
 エカテリーナはそんな英人の姿を見てクスクス笑った。
「それもそうですわね」
 木陰の中、背中合わせで修司とマカを待つ。英人が腕時計を見るとまだ十分くらいは時間があった。
 時折、エカテリーナを観察するような仕草を交えて首だけ振ってあたりを見回す。スッとした立ち姿も綺麗で、その美しさに一分の隙もない。目が合うと「早く来過ぎたかな」とか「あいつら、まだ来ないな」と誤魔化すように言っては顔を逸らした。約束の時間をほんの少し越えた頃になって修司とマカの二人が一緒に現れた。
「早いね。待たせた、かな?」
 上目遣いで修司が尋ねる。
「大丈夫ですよ。影井君は待ちくたびれてるみたいですが」
「そんな事はない。大体時間通りだしな」
 ムスッとした英人のリアクションを見てエカテリーナがクスクスと笑う。
「ふふっ。何か二人良い感じだね」
 マカが二人のやり取りに思わず顔を綻ばせる。
 エカテリーナは「まあ」と驚いた顔で言いつつも悪い気はしていないようだ。逆に英人の方はジロリとマカを睨む。
 女子に結構人気あるのにもったいないな、と全員が同時に思った。
「それよりさ、今日はどうしよっか?」
 慌てて話を変えるマカ。ここで雰囲気を悪くしたくはない。
「エカテリーナの家ってどこにあるんだ? 興味がある」
 いきなりの英人の発言に修司とマカが目を見開く。「早過ぎるだろ!」と突っ込みたい気持ちをぐっと飲み込んだ。
「行ってみたいのかしら?」
 修司の方に向けてエカテリーナの冷たい視線が飛ぶ。が、あくまでもいつもの微笑みは崩さない。気づいたのは修司だけ。ゾクリと背中を冷たい物で撫でられたみたいな嫌な感覚がした。余計な事を喋ったと思われたんじゃないか、と不安になる。
「二人は行った事あるのか?」
 英人は表情を変えず自分の話を続けていく。
「お嬢様が住む家ってどんな所か興味がある。無理にとは言わないし、別に皆の好きな所でも構わない」
「お二人はこの間来ましたよね。影井君が来たいと言うのでしたらどうぞいらして」
 エカテリーナの目だけは笑っていない。
 修司は内心、穏やかではいられなかった。
 逆にマカは堂々としている英人を見て、何か大きな成果を出してくれるに違いない、と期待し始めていた。



「さ、広いから気をつけて下さいね。修司とマカさんもこの間迷子になったくらいですものね」
 コロコロとエカテリーナが声を上げる。
 余計な詮索はするなという警告だ。
「大丈夫だ。君から離れなければ良いだけの話だろ」
 英人は気にすることなく物珍しそうに家の中を見回す。特に怪しい物が置いてあるわけではない。広い廊下に扉が並んでいるだけだ。風景画が二、三枚掛かっているが、それ以外には何も飾っていない。白い壁に赤い絨毯の敷かれた廊下は長く続いていて旅館かホテルのようであった。
「さ、ここが娯楽室ですわ。いつお友達が遊びに来られても良いように新しく準備しましたのよ。私の部屋より広いですし、カードとかチェスもありますわよ」
 以前通された彼女の部屋よりもかなり広い、白を基調とした娯楽室。教室くらいの広さにテーブルセットが二つ。美しく装飾されたアンティークのアップライトピアノが部屋の奥にあり、脇の棚には書籍とこれまた年代物の時計、他にカードやチェスといったゲームも並べてある。マカはエカテリーナの許可を得てピアノにそっと触れた。
「グランドピアノではないですけど、この部屋で使うには丁度良いんですのよ。マカさんもピアノを弾かれるの?」
 ピアノの脇に立ちマカの指先を見つめる。
「ううん。弾けたら良いなとは思うけど」
 適当に鍵盤に触れてみてすぐに蓋を閉じた。
「お茶を用意した後で少し弾いてみましょうか?」
「ホント?」
 エカテリーナの申し出にマカは素直に喜ぶ。
 すでに警戒心はどこかに吹き飛んでしまっていた。
「もちろん。ではすぐに取って来ますね」
 エカテリーナは修司に手伝いを頼んで一緒に部屋を後にした。
 残った英人はすぐに部屋を調べ始める。
 棚、ピアノ、テーブルの裏までチェックする。
「やはり、どこかに秘密の部屋があるんだろうか」
 腕組みをしてそう呟く。
「実は……」
 英人が部屋を調べ始めたのを見て、ようやくマカは自分のやるべきことを思い出す。一度部屋の外に誰もいないことを確認してから話し掛けた。
「この前来た時なんだけど、経過観察室っていうのがあってさ……」
 じっと腕組みしたまま英人はマカの言葉をかみ締めるように聞く。
 最後まで聞いた後、うんうんと頷いてマカに確認する。
「なるほどね。で、村中さんはその経過観察室の場所はわかる?」
 マカは首を横に振る。
「ここは初めて来た部屋だし、ちょっと場所までは」
「そうか。たぶん経過観察室の他にも重要な場所がある。そっちを探してみようか」
 英人がノブに手を掛ける。
「え? でも、勝手に部屋を出たりしたら良くないよ」
 マカが英人の袖を引っ張り出て行こうとするのを止めた。
「何で? 村中さんもエカテリーナの正体が気になるだろ?」
 英人はノブから手を離しマカを向く。
「危険だよ。止した方が良いって」
 前来た時の事を思い出して英人を引き止める。また迷子になりでもしたら、と思うと不安ばかりになってしまう。
「竹村と出くわすかもしれないから? それともエカテリーナに何かされるとでも?」
 英人は不思議と恐怖や不安を全く感じていなかった。だからこそ、マカがなぜ止めようとしているのか理解できない。
「あら? お二人とも座って待っていらしたら良かったのに」
 いつの間にかエカテリーナが扉を開けて入って来ていた。彼女の後ろでは修司がお茶やお菓子を載せたお盆を持って立っている。その表情には感情が感じられず、マカには彼の考えが読み取れないでいた。
「さ、座って。カードでもします?」
 お茶とお菓子を配るとそう言って棚のカードをテーブルの脇に置く。修司はエカテリーナから空のお盆を受け取りもう一つのテーブルに置いた。

「そろそろお昼の時間ですがどうしますか?」
 棚の時計の針は揃って上を向いていた。
 時計を確認すると急に腹の音が鳴って、マカは顔を赤くした。
「何か食べに行く?」
 修司が皆に提案する。こうなる事を考えて多少のお金は持っていた。
「簡単な物なら家で用意できますけど?」
 カードを片付けながらエカテリーナがそう返事する。
「それはエカテリーナに悪いわ」
 間髪を入れずにマカが言う。
「昼の事は考えてなかったな。お金、あるかな」
「影井君にも抜けてる所があるんだ」
 マカが英人の頬を突付く。
「この間の定期試験の成績悪かった村中さんには言われたくないな」
 頬を突付かれたまま英人が淡々と語る。
 マカの顔がまた赤くなった。
「それは言わないでよ。エカテリーナは知らない事だったのにぃ」
 マカが頭を抱えて首を嫌々と振る。
 修司とエカテリーナが顔を合わせ肩を竦めた。
「やっぱり、家で用意しますね。修司かマカさん手伝ってくれる?」
「皆で作れば良いじゃない」
 いつもの調子に戻ったマカが話に乗ってくる。テストの話をこのまま終わらせるのに必死だ。
「影井君が料理できればの話だけど」
 勝ち誇るようにマカが英人に笑顔を向ける。以前の調理実習で悪戦苦闘していたのをマカは覚えていたのだ。
「別に料理が苦手でもやれる事はいくらでもあるさ」
 修司は余計な事をさせないよう常に英人と一緒にいたかった。さっき部屋に戻って来た時も、英人が部屋から出て余計な事をしていたんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだ。
「ちょっと、修司は誰の味方なのよ」
 英人にだけフォローを入れようとする修司にマカは御冠だ。
「え? 影井君だけ仲間外れは良くないと思っただけだけど」
「家庭科部の二人がいれば大丈夫だろ? 俺は一人で待ってるよ」
 椅子に座ったまま英人は動こうとしない。
 エカテリーナは諦めて修司とマカを誘う。
「仕方ないですわね。影井君はやる気がないようですし、三人でやりましょうか」



「さ、早く食べましょ」
 テーブルの上にはサンドイッチが並ぶ。カップのお茶からは湯気が立っていた。
「やっぱり三人で作ると早いですわね。それにとっても楽しかったわ」
 エカテリーナがはしゃぎ気味に身振りを交えて英人に料理中の事を話す。
「でね、ジャムを挟んだのを作るか作らないかで大揉めしたのよね」
「なあ。この家にあった白い花って何だ? 見た事のない花なんだけど」
 急に英人が話題を変える。
 全員の手が止まった。
「影井君。勝手にあの部屋に行ったの?」
 エカテリーナの顔が強張る。
「ああ。トイレに行きたくなってね。場所がわからずウロウロしてた時にたまたまな」
 表情一つ変えず真顔のまま答える。
 マカはハラハラしながら二人の様子を交互に窺う。
 修司は静かに二人のやり取りを見守っていた。
「あれは栽培が難しくて一般には出回っていない植物なの。特別な薬草でね、他人に知られたら困るのよ。だからこの事は内緒にしていてもらえるかしら?」
 ニコッとエカテリーナが微笑む。
 しかし、英人は表情を全く変えなかった。
「そんな物があるのによく家に入れたな」
「あそこは普通の人が入れる場所じゃないから。それに怪しい大人の人ならまだしも、クラスメイトがスパイめいた事をするなんて思わないでしょ?」
 尚もエカテリーナの笑みは崩れない。ただ、修司もマカも怒りのオーラを感じて怖気付いていた。
「だからトイレ探してただけだって」
「そう。まあ、良いわ」
 お茶を一口。
 エカテリーナの怒りが収まったのか、、一気に場の空気が穏やかになる。
 修司とマカも一口飲んだ。
「悪かったな」
 英人のその言葉で楽しい食事の時間が再開した。



「あれ? 修司は?」
 帰りの交差点でマカが辺りを見回す。一緒に出てきたはずの修司の姿が消えている。英人も首を傾げるだけだ。
「忘れ物したそうですわ」
 二人の後ろから付いて来ていたエカテリーナが説明する。
 修司は一人で戻ったらしい。
「一人で大丈夫か?」
「家の前で待っているはずですわ。お二人を見送ったらすぐに戻りますのでご心配なく」
 忘れ物するような物を持って来てたかな、と思いつつも、現にいないわけでここは納得するしかない。引っ掛かりを残しつつマカと英人は先に家路に就いた。



「さあ、ここですわ」
 エカテリーナは家に戻ると修司を秘密の場所に案内する。
 大きく重厚な鉄の扉を開けると広い庭に出た。一面に真白な花が咲き乱れた場所。こんな所が誰にも知られずにある事が、修司には信じられない。口をポカンと開けて、ただただ庭を眺める。
「ようこそホワイトガーデンへ。あなたはこの庭に選ばれたのです。さ、新しい日々の始まりをお祝いしましょう」
 儀式めいた台詞を伴って、エカテリーナは修司の手を取り庭へと歩を進める。
「選ばれただって? ここは何なんだ? 俺はどうなるんだ?」
「この花は人骨と同じ。綺麗な白い花は人の生きる力と意思の表れ。あの世に落ちた魂が新たな命へと生まれ変わっていくの。そういう神聖な場所よ」
「そんなバカな!」
 修司はエカテリーナの手を解く。
「この花たちは生命力そのもの。死んで骨となり花に変わり、そして、新しい魂として生まれてくるの。生まれ変わりの話なんていくらでもあるでしょ? その場所がここ。それだけの事よ」
「じゃあ、俺は死んだのか?」
 信じたくはないが自分は死んだのかもしれない。
 修司は確かめられずにはいられなかった。
「いいえ。私と同じ。ここの管理者として認められた存在になっただけ。死んだわけではないわ」
「何で俺なんだ?」
「純粋で、優しくて、勇気があって、惑わされない人。あなたは十分合格だと思うわ」
「竹村は? あいつも同じなのか?」
 たしかに竹村はここにいたはず。修司と同じような形で来てしまったのだろうか。
「彼は違うわ。肉体のあるあなたと違って魂だけの存在。肉体が死ぬまでここを彷徨う事しかできない。もし元の世界に行けたとしてもほんの短い時間だけ。特別な人にしか見えない幽霊みたいな存在よ」
「俺は、元の世界に帰れるのか?」
 不安が募る。
「それは無理よ。もう、こちらの人間になってしまったんだもの。親も友達も皆あなたの事を忘れてしまうわ」
「そんな……」
「マカさんも影井君も、すぐにここへ来た記憶を失うわ。あなたの存在していた事実と一緒に」
 エカテリーナは優しく修司を抱きしめた。これで悲願が果たせるという嬉しさと、自分と同じ苦しみを味わわせてしまう申し訳なさが、一粒の涙になって頬を流れた。
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