19 / 20
おまけ1 三菱の苦悩・川西の決断
しおりを挟む
せっかく火星、土星というモンスターエンジンが出来たのに零式陸攻の話ばかり。きっと皆さんは、こんな疑問をお持ちだと思います。
「雷電はどうした!」、「強風は?紫電は?紫電改はどうなった?」、「れ、烈風は?」
そこで少しだけ、ほんの少しだけ、それらの機体の顛末について触れてみます。
■雷電:三菱の苦悩
1940年(昭和十五年)、十四試局地戦闘機の要求仕様をみせられた三菱の技術者達は心の中で叫んだ。
「こんなの無理だろ!!」
なぜなら、その要求書で指定されていた発動機は火星エンジンだったからである。そう、あの火星である。
もちろん堀越技師をはじめ三菱の技師達は自社の新型エンジンを熟知していた。陸攻を担当する本庄技師が火星を使えるようになって祭りの様に浮かれはしゃいでいた様子も目の当たりにしている。
確かに火星は優秀なエンジンだ。それは認める。だがこれを戦闘機に使うとなれば別だった。
とにかく火星は大きく重い。なにしろ零戦の栄エンジンより直径で20センチ以上大きく、重量も300キロ以上重いのだ。こんなものをどうやって戦闘機に積めというのか。
「DBが使えれば良かったのに……」
設計主務を務める堀越は事あるごとに恨み節を口にしつつ、とにかく火星を積んだ戦闘機の設計案をまとめあげた。
それは空技廠から示された紡錘形理論を適用した特異な形状の機体だった。胴体の40パーセントの位置に最大幅を持たせるため、エンジンには延長軸が追加され機首が絞り込まれている。空気抵抗を少しでも減らすため薄べったい風防が胴体の上に貼り付いている。
だが堀越技師の血の滲むような努力にもかかわらず、エンジン直径の大きさはどうにもならなかった。
完成した機体の、とにかく丸くて太ましいその姿を見たものは皆『たまご』を連想した。このためいつしか雷電は『たまご』と呼ばれるようになった。
試作機は圧倒的なエンジン出力により要求性能をなんとか満たしたものの、超絶に悪い前方視界とプロペラの共振問題で開発が遅延し、量産は1943年にずれ込む事となる。
その頃にはちょうど紫電の量産も始まったため、雷電はほとんど生産される事もなく実戦にもわずかしか参加しなかった。
現在、静岡の某プラモデルメーカーから発売されているデフォルメ飛行機『エッグひこーき』シリーズには、雷電もラインナップされている。しかし……
「これスケールモデルだろ」
キットを手にした客は、必ずこう呟くのがお約束となっている。
■強風と紫雲
川西の開き直り
1940年(昭和十五年)、十五試水上戦闘機の要求仕様を見せられた川西の技術者達は心の中で叫んだ。
「こんなの無理だろ!!」
なぜなら、その要求書で指定されていた発動機は火星エンジンだったからである。そう、あの火星である。
もちろん菊原技師をはじめ川西の技師達はそのエンジンを熟知していた。なぜなら彼らは前年の十四試高速水上偵察機(後の紫雲)で既に火星エンジンを使っていたからである。
火星はとにかく巨大なエンジンだった。トルクも半端ない強さのため紫雲は二重反転プロペラを装備する羽目になっている。これがないと水上で引っくり返る恐れがあり、まともに離水できないのだ。
(当初は半引き込み式フロートやフロート切り離し機構などのイロモノ装備も検討されたが、火星21型の出力が十分高かったため採用見送りとなっている)
その上、空技廠からは紡錘形などという怪しげな理論も伝えられている。
ここで川西の技術者は思った。
「もういいや。紡錘形なんてきっぱり忘れよう。紫雲を単座にすればいいじゃん」
紫雲の機体形状は非常に単純である。巨大なエンジンを納める機首から機尾まで素直なラインで結ばれている。彼らはこの胴体を元に戦闘機を作ることにした。
強度的にも問題はない。もともと偵察機は敵戦闘機との交戦も想定しているため戦闘機と遜色ない強度を持っている。
だがさすがに主翼は新設計となった。
機銃の搭載が必要な事もあるが、そもそも偵察機としても戦闘機としても高速を狙うなら翼幅14メートル、翼面積30平方メートルという大きさは意味不明すぎた。
当時主翼を設計した担当者も「なんでこんな主翼にしたのかよく覚えていない」などと意味不明の供述をしている。
川西の技術者らは主翼を翼幅12メートルに再設計した後は、とにかく二重反転プロペラの熟成に『だけ』注力して機体を仕上げていった。
その結果出来上がったのは二種類の機体だった。外見上は風防が大きいか小さいかの違いしかない。主翼も内蔵する武装が違うだけでほとんど同じである。
「これ、もしかしなくても同じだよね?て言うか水偵の方は木型から形かわってるよね?」
海軍の審査では当然のように技官から突っ込まれたが
「いえ、全くの偶然です。不思議ですね」
川西の技術者は手抜きをしたなどとは絶対に認めなかったという。
強風と紫雲は、ともに要求された速度性能を若干満たせなかったものの無事に正式採用された。
心配された二重反転プロペラも川西がとにかくそれだけに注力した甲斐もあって不具合も無かった。このお陰で両機の操縦性は、強大なトルクを持つエンジンを搭載しているにもかかわらず非常に素直だったという。
現在、静岡の某プラモデルメーカーから発売されている強風と紫雲のキットは、どちらの機種にも組める大変お得なキットとなっている。
■紫電と紫電改
川西の手抜き
強風と紫雲の計画を勝手に一つにしてしまった結果、手すきになった川西航空機は水上機以外の機種も作ろうと思いつく。そこへ三菱が十四試局戦で難渋している話を聞きつけ、これに割り込もうと考えた。
だが川西の技術者らは、強風と紫雲で『ズル』をすることを覚えてしまっていた。人間、一度堕落するとなかなか元に戻れないものである。
「強風からフロート取って脚付ければいいんじゃね?」(鼻ほじ)
と全く単純に考え、まさにその通りの機体を作り上げた。元が低翼配置の紫雲であるため脚の追加は何の問題もない。プロペラも二重反転のままである。
一応、事前に海軍からは
「発動機は誉にすれば?もっと細くなるよ」
とは言われていたが、川西はこれを無視した。
「だって胴体を再設計するの面倒くさいじゃん」(鼻ほじ)
とんでもない理由である。
海軍は言いたいことが山ほどあったが、三菱の十四試局戦の目途がまったく立たないため、仕方なくこの機体を紫電一一型として採用した。悔しい事にそれなりに性能がいいのが腹が立つ。
その後、三菱が土星エンジンを開発したことを聞きつけた川西は、紫電の性能向上を計画した。
一応、事前に海軍に相談した時には
「発動機は今度こそ誉にすれば?もっと細くなるよ」
とは言われていたが、ふたたび川西はこれを無視した。むしろ逆に土星エンジンにあわせて胴体も再設計したため更に太くなっている。巨大なオイルクーラーは機首の下に置くスペースが無いため主翼の付け根に左右に分けて設置された。
これによりエンジンカウリング部の段差もなくなり胴体はより洗練された形となった。ただしその全長は11メートルに達し、日本の戦闘機としては前例のない巨大な機体となってしまった(一応、新規格の艦載機サイズには収まっています:川西談)。
こうして、あまり手間をかけることなく改良した機体は、紫電二二型(紫電改)として採用された。
やっぱり海軍は言いたいことが山ほどあったが、今度は(大きさ以外は)本当に非の付け所がないため何も言えなかった。実際、紫電改はF6Fに対して完全に優位に戦うことが出来たという。
巨大なエンジンに素直な直線の胴体ラインという紫電改のシルエットは、まったくの偶然ながら英国ホーカー社のシーフューリーとそっくりだった。またシルエットだけでなくサイズと性能も非常に似通っていた。
シルエットクイズをするとマジで当てるのが困難なほどである。玄人さんによれば見分けるポイントは尾輪と風防の窓枠の数だと言う。
戦後、駄菓子屋で売られているスチロール製のおもちゃ飛行機や安い小さなプラモデルでは、紫電改とシーフューリーは同じ金型が使われるのが定番だった。
現在、米国ネバダ州リノで開催されているエアレースで、紫電改は今でもF8F、P-51、シーフューリーなどと速度を競っている。だが、シーフューリーとあまりにシルエットが似ているため現地の実況で度々混乱を招き、解説者泣かせの機体と言われている。
■烈風:三菱の絶望
紫電と紫電改の成功を横目で見ながら、三菱は怒っていた。
「あんなもの艦戦じゃない!俺が本当の艦戦をみせてやる!」
だが、海軍から指定された誉エンジンは計画どおりの出力が出ず、過大な翼面荷重要求は機体の性能を押し下げる。開発は遅々として進まない。
それでも、どうにか発動機を自社のMK9(ハ43)に変える事を認めてもらい、やっとこさ完成した試作機はまったく凡庸な性能しか出なかった。紫電改の足元にも及ばない。
そして哀れ十七試艦上戦闘機「烈風」は採用が見送られてしまった。
可哀想なことに烈風は評価も人気も低い。プラモデルキットの種類も少なく、雑誌で『駄作機』が特集される時は必ず常連のように紹介されるという酷い扱いが続いている。
海軍に振り回された結果ではあるが、誠に不憫な戦闘機である。
【後書き】
実はハセガワの『たまごひこーき』シリーズには雷電が無いんですよね本当に。なぜでしょうか?
史実の紫電は火星から誉に変えたせいで胴体が変な形になって苦労しました。この世界では火星が十分以上に強力なので誉は使いません。ついでに紡錘形理論を川西はあっさり諦めました。
そして生まれた紫電改はほとんどシーフューリーとなりましたw
歴史・時代小説大賞の参加記念として、もう一話おまけを追加いたします。
「雷電はどうした!」、「強風は?紫電は?紫電改はどうなった?」、「れ、烈風は?」
そこで少しだけ、ほんの少しだけ、それらの機体の顛末について触れてみます。
■雷電:三菱の苦悩
1940年(昭和十五年)、十四試局地戦闘機の要求仕様をみせられた三菱の技術者達は心の中で叫んだ。
「こんなの無理だろ!!」
なぜなら、その要求書で指定されていた発動機は火星エンジンだったからである。そう、あの火星である。
もちろん堀越技師をはじめ三菱の技師達は自社の新型エンジンを熟知していた。陸攻を担当する本庄技師が火星を使えるようになって祭りの様に浮かれはしゃいでいた様子も目の当たりにしている。
確かに火星は優秀なエンジンだ。それは認める。だがこれを戦闘機に使うとなれば別だった。
とにかく火星は大きく重い。なにしろ零戦の栄エンジンより直径で20センチ以上大きく、重量も300キロ以上重いのだ。こんなものをどうやって戦闘機に積めというのか。
「DBが使えれば良かったのに……」
設計主務を務める堀越は事あるごとに恨み節を口にしつつ、とにかく火星を積んだ戦闘機の設計案をまとめあげた。
それは空技廠から示された紡錘形理論を適用した特異な形状の機体だった。胴体の40パーセントの位置に最大幅を持たせるため、エンジンには延長軸が追加され機首が絞り込まれている。空気抵抗を少しでも減らすため薄べったい風防が胴体の上に貼り付いている。
だが堀越技師の血の滲むような努力にもかかわらず、エンジン直径の大きさはどうにもならなかった。
完成した機体の、とにかく丸くて太ましいその姿を見たものは皆『たまご』を連想した。このためいつしか雷電は『たまご』と呼ばれるようになった。
試作機は圧倒的なエンジン出力により要求性能をなんとか満たしたものの、超絶に悪い前方視界とプロペラの共振問題で開発が遅延し、量産は1943年にずれ込む事となる。
その頃にはちょうど紫電の量産も始まったため、雷電はほとんど生産される事もなく実戦にもわずかしか参加しなかった。
現在、静岡の某プラモデルメーカーから発売されているデフォルメ飛行機『エッグひこーき』シリーズには、雷電もラインナップされている。しかし……
「これスケールモデルだろ」
キットを手にした客は、必ずこう呟くのがお約束となっている。
■強風と紫雲
川西の開き直り
1940年(昭和十五年)、十五試水上戦闘機の要求仕様を見せられた川西の技術者達は心の中で叫んだ。
「こんなの無理だろ!!」
なぜなら、その要求書で指定されていた発動機は火星エンジンだったからである。そう、あの火星である。
もちろん菊原技師をはじめ川西の技師達はそのエンジンを熟知していた。なぜなら彼らは前年の十四試高速水上偵察機(後の紫雲)で既に火星エンジンを使っていたからである。
火星はとにかく巨大なエンジンだった。トルクも半端ない強さのため紫雲は二重反転プロペラを装備する羽目になっている。これがないと水上で引っくり返る恐れがあり、まともに離水できないのだ。
(当初は半引き込み式フロートやフロート切り離し機構などのイロモノ装備も検討されたが、火星21型の出力が十分高かったため採用見送りとなっている)
その上、空技廠からは紡錘形などという怪しげな理論も伝えられている。
ここで川西の技術者は思った。
「もういいや。紡錘形なんてきっぱり忘れよう。紫雲を単座にすればいいじゃん」
紫雲の機体形状は非常に単純である。巨大なエンジンを納める機首から機尾まで素直なラインで結ばれている。彼らはこの胴体を元に戦闘機を作ることにした。
強度的にも問題はない。もともと偵察機は敵戦闘機との交戦も想定しているため戦闘機と遜色ない強度を持っている。
だがさすがに主翼は新設計となった。
機銃の搭載が必要な事もあるが、そもそも偵察機としても戦闘機としても高速を狙うなら翼幅14メートル、翼面積30平方メートルという大きさは意味不明すぎた。
当時主翼を設計した担当者も「なんでこんな主翼にしたのかよく覚えていない」などと意味不明の供述をしている。
川西の技術者らは主翼を翼幅12メートルに再設計した後は、とにかく二重反転プロペラの熟成に『だけ』注力して機体を仕上げていった。
その結果出来上がったのは二種類の機体だった。外見上は風防が大きいか小さいかの違いしかない。主翼も内蔵する武装が違うだけでほとんど同じである。
「これ、もしかしなくても同じだよね?て言うか水偵の方は木型から形かわってるよね?」
海軍の審査では当然のように技官から突っ込まれたが
「いえ、全くの偶然です。不思議ですね」
川西の技術者は手抜きをしたなどとは絶対に認めなかったという。
強風と紫雲は、ともに要求された速度性能を若干満たせなかったものの無事に正式採用された。
心配された二重反転プロペラも川西がとにかくそれだけに注力した甲斐もあって不具合も無かった。このお陰で両機の操縦性は、強大なトルクを持つエンジンを搭載しているにもかかわらず非常に素直だったという。
現在、静岡の某プラモデルメーカーから発売されている強風と紫雲のキットは、どちらの機種にも組める大変お得なキットとなっている。
■紫電と紫電改
川西の手抜き
強風と紫雲の計画を勝手に一つにしてしまった結果、手すきになった川西航空機は水上機以外の機種も作ろうと思いつく。そこへ三菱が十四試局戦で難渋している話を聞きつけ、これに割り込もうと考えた。
だが川西の技術者らは、強風と紫雲で『ズル』をすることを覚えてしまっていた。人間、一度堕落するとなかなか元に戻れないものである。
「強風からフロート取って脚付ければいいんじゃね?」(鼻ほじ)
と全く単純に考え、まさにその通りの機体を作り上げた。元が低翼配置の紫雲であるため脚の追加は何の問題もない。プロペラも二重反転のままである。
一応、事前に海軍からは
「発動機は誉にすれば?もっと細くなるよ」
とは言われていたが、川西はこれを無視した。
「だって胴体を再設計するの面倒くさいじゃん」(鼻ほじ)
とんでもない理由である。
海軍は言いたいことが山ほどあったが、三菱の十四試局戦の目途がまったく立たないため、仕方なくこの機体を紫電一一型として採用した。悔しい事にそれなりに性能がいいのが腹が立つ。
その後、三菱が土星エンジンを開発したことを聞きつけた川西は、紫電の性能向上を計画した。
一応、事前に海軍に相談した時には
「発動機は今度こそ誉にすれば?もっと細くなるよ」
とは言われていたが、ふたたび川西はこれを無視した。むしろ逆に土星エンジンにあわせて胴体も再設計したため更に太くなっている。巨大なオイルクーラーは機首の下に置くスペースが無いため主翼の付け根に左右に分けて設置された。
これによりエンジンカウリング部の段差もなくなり胴体はより洗練された形となった。ただしその全長は11メートルに達し、日本の戦闘機としては前例のない巨大な機体となってしまった(一応、新規格の艦載機サイズには収まっています:川西談)。
こうして、あまり手間をかけることなく改良した機体は、紫電二二型(紫電改)として採用された。
やっぱり海軍は言いたいことが山ほどあったが、今度は(大きさ以外は)本当に非の付け所がないため何も言えなかった。実際、紫電改はF6Fに対して完全に優位に戦うことが出来たという。
巨大なエンジンに素直な直線の胴体ラインという紫電改のシルエットは、まったくの偶然ながら英国ホーカー社のシーフューリーとそっくりだった。またシルエットだけでなくサイズと性能も非常に似通っていた。
シルエットクイズをするとマジで当てるのが困難なほどである。玄人さんによれば見分けるポイントは尾輪と風防の窓枠の数だと言う。
戦後、駄菓子屋で売られているスチロール製のおもちゃ飛行機や安い小さなプラモデルでは、紫電改とシーフューリーは同じ金型が使われるのが定番だった。
現在、米国ネバダ州リノで開催されているエアレースで、紫電改は今でもF8F、P-51、シーフューリーなどと速度を競っている。だが、シーフューリーとあまりにシルエットが似ているため現地の実況で度々混乱を招き、解説者泣かせの機体と言われている。
■烈風:三菱の絶望
紫電と紫電改の成功を横目で見ながら、三菱は怒っていた。
「あんなもの艦戦じゃない!俺が本当の艦戦をみせてやる!」
だが、海軍から指定された誉エンジンは計画どおりの出力が出ず、過大な翼面荷重要求は機体の性能を押し下げる。開発は遅々として進まない。
それでも、どうにか発動機を自社のMK9(ハ43)に変える事を認めてもらい、やっとこさ完成した試作機はまったく凡庸な性能しか出なかった。紫電改の足元にも及ばない。
そして哀れ十七試艦上戦闘機「烈風」は採用が見送られてしまった。
可哀想なことに烈風は評価も人気も低い。プラモデルキットの種類も少なく、雑誌で『駄作機』が特集される時は必ず常連のように紹介されるという酷い扱いが続いている。
海軍に振り回された結果ではあるが、誠に不憫な戦闘機である。
【後書き】
実はハセガワの『たまごひこーき』シリーズには雷電が無いんですよね本当に。なぜでしょうか?
史実の紫電は火星から誉に変えたせいで胴体が変な形になって苦労しました。この世界では火星が十分以上に強力なので誉は使いません。ついでに紡錘形理論を川西はあっさり諦めました。
そして生まれた紫電改はほとんどシーフューリーとなりましたw
歴史・時代小説大賞の参加記念として、もう一話おまけを追加いたします。
123
あなたにおすすめの小説
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
皇国の栄光
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。
日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。
激動の昭和時代。
皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか?
それとも47の星が照らす夜だろうか?
趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。
こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです
帝国夜襲艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。
今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる


