千物語

松田 かおる

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ある日、突然「声」が聞こえるようになった。

「声」が聞こえるのは普通の人であれば当たり前だと思うけれども、わたしの場合
「その人の裏の声と表の声が聞こえる」
ようになってしまったのだ。

つまり、最初に左の耳に「その人の心の中の声」が。
それから少し遅れて右の耳には、「その人が実際に口に出している声」が聞こえるようになったのだ。

たとえば
「いつまで経っても仕事が遅いわね」
と左耳に聞こえてきた後から、
「いつも丁寧な仕事ねぇ」
と、実際に話す言葉が右耳に聞こえてくる具合だ。

もちろん、すぐに医者に行って診てもらったけれども、先生も「そんな症状、聞いたことがない」と、あっという間にさじを投げられてしまった。
その時左耳に聞こえた「医者にあるまじき声」については、触れないでおこう。

治療法がないとなると、「自衛」するしか解決方法がない。
そこでわたしは、できるだけ「左耳に聞こえてくる言葉」を減らすようにした。
相手の「心の中の声」が聞こえることを利用して先手を取るだけなのだから、何もしないでいるよりもはるかに建設的だ。
つまり、「できるだけ相手の心の声を出させないようにする」ことにしたのだ。

そうと決まれば話が早い。
…と思ったのだけれども、わたしが少し不器用なこともあって一朝一夕には行かず、最初はなかなか思った通りにできなかった。
場合によっては、かえって仕事をミスったりすることも増えてしまった。

けれどもわたしのその姿勢が伝わったのか、やがて話し相手からの「左耳の声」は少なくなっていき、ついにほとんど聞こえなくなる日がやってきたのだ。

「最近よく気が付いてくれているね」
という、上司の言葉ももらえるようになった。
そんな言葉も弾みになってか、しばらくして「左耳の声」は全く聞こえなくなった。
両方の耳に同じ言葉が聞こえるのは、当たり前だけれど素晴らしいことだ。
これで仕事にも前向きになれそうだ。



「ねぇ、最近あの子少し変じゃない?」
「そうね、あなたもそう思う?」
「そうよ。だって毎回毎回上司から怒られているのにニコニコして…」
「今だって、やらなくていいことを先走ってやって怒られてるのにね」
「なんだかまるで、お小言を誉め言葉に聞き換えてるみたいよね」
「そうそう、ちょっと不気味に感じるよね」
「私だったらあんなに怒られるのなんて耐えられないわ」
「ねー」



…ほら、周りの同僚もわたしの努力を認めて、気を遣って小声でほめてくれている…
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