龍血の系譜

盤上の観察者

文字の大きさ
11 / 94
陽だまりの二人

奇跡

しおりを挟む
 

 奇跡が起きた。
 あの「村の鼻つまみ者」である源蔵のボロ長屋が、今や村一番のサロンになっていたのだ。

「おしんちゃーん!今日は芋の煮っ転がし持ってきたわよ!」
「おしん様、こないだ教えてもらった『重い荷物を軽くするコツ(魔法)』、あれ凄いですな!」
 縁側には、ひっきりなしに村人が訪れていた。

 その中心にいるのは、銀髪を布で隠し、村娘の着物を着たおしんだ。
 彼女の屈託のない笑顔と、誰にでも分け隔てなく接する優しさは、瞬く間に村人たちの心を掴んでしまった。
 かつて源蔵を「役立たず」と罵っていた爺さんや、遠巻きにしていた女衆までが、今では「源蔵さん、いい嫁御をもらったねえ!」と掌を返したように褒め称えている。

「……解せぬ」
 源蔵は、部屋の隅で腕組みをしながら呟いた。

 以前は握り飯一つ恵んでもらえなかったのに、今や夕餉(ゆうげ)の膳には、村人からの差し入れで豪華な魚や野菜が並んでいる。
 おしんが来てから、世界が色を変えたようだった。

「源蔵様、見てください!おばあちゃんが綺麗な簪(かんざし)をくれました!」
 おしんが花のような笑顔で振り返る。

 その眩しさに、源蔵は思わず目を逸らした。
「……ああ、似合ってる。……凄く、な」
「本当ですか?えへへ」
 おしんは嬉しそうに源蔵の隣に座る。

 近い。
 甘い匂いがする。
 だが、源蔵は石像のように動かない。
 この男、ヘタレである。
 否、あまりにも彼女を神聖視しすぎて、指一本触れられずにいたのだ。
 夜、布団を敷く時も、おしんには上等な煎餅布団を譲り、自分は板の間に筵(むしろ)を敷いて寝ていた。

「あの……源蔵様。寒くないですか?一緒に……」
「馬鹿野郎!武士が女の布団に入れるか!」
 源蔵は顔を真っ赤にして怒鳴り、背中を向けた。

 心臓が早鐘を打っているのを悟られないように。

(こんな幸せが、俺にあっていいのか……?)
 彼は闇の中で、自分の手をじっと見つめた。

 今まで血と脂にまみれ、人を斬ることしか知らなかった手だ。
 それが今、誰かを守り、誰かと共に生きるためにある。
 戦場の修羅場よりも、この穏やかな日々の方が、よほど心臓に悪い。だが、同時に……死ぬほど愛おしかった。

 源蔵は誓った。
 この陽だまりを、何があっても守り抜くと。
 たとえそれが、天を敵に回すことになろうとも。

その日、陽だまりのような平穏は、下品な土足によって踏み荒らされた。

「へっへっへ。噂は本当だったようだな、源蔵」
 長屋の入り口に、あの男が立っていた。

 山吹屋の黒兵衛。
 彼はねっとりとした視線を、部屋の奥で茶を淹れていたおしんに突き刺した。
 その視線の卑しさに、おしんは思わず身を縮めた。

「……何の用だ、黒兵衛」
 源蔵の声が低くなる。部屋の温度が数度下がったようだった。

「借金のカタだよ。その女、俺が引き取ってやる」
 黒兵衛は懐から証文を取り出し、パタパタと扇いで見せた。

「お前の借金は雪だるまだ。だが、その極上の女を俺の『慰み者』として差し出すなら、チャラにしてやってもいいぞ?」

 ブチリ。
 源蔵の中で、何かが切れる音がした。
 自分を罵るのはいい。道具扱いするのもいい。
 だが、この純白の魂(おしん)を、汚れた欲望の代償にするだと?

「……失せろ」
「ああん?聞こえねえな」
「その女(ひと)は、モノではない!!」

 源蔵の怒号が、長屋を震わせた。
 彼は刀に手をかけず、ただ殺気だけで黒兵衛を射抜いた。

「借金は返す。どんな手を使ってもだ。……だがな、こいつには指一本触れさせん」

 源蔵は、震えるおしんを背に隠し、はっきりと言い放った。

「こいつは俺が守る。……一生かけて、命に代えてもだ!!」

 その言葉は、源蔵自身も驚くほど熱く、重いものだった。
 黒兵衛は、その剣鬼の迫力に腰を抜かし、這うようにして後ずさった。

「お、覚えてやがれ!後悔させてやるからな!!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...