龍血の系譜

盤上の観察者

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新世界

獰猛な笑み

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 ロサンゼルス国際空港(LAX)、トム・ブラッドレー国際線ターミナル。
 深夜の出発ロビーは、多様な言語とスーツケースのローラー音が入り交じる、ひどく凡庸で平和な喧騒に包まれていた。

 アメリカン航空のベテラン発券係であるサラは、次の客をカウンターに迎え入れようとして、無意識に息を呑んだ。
 十年のキャリアの中で、軍人やVIP、裏社会の人間など、数え切れないほどの厄介な客の搭乗手続きをしてきた彼女の「危険回避本能」が、けたたましい警鐘を鳴らしたのだ。

 男だった。
 年齢は三十代前後。上質なレザージャケットを羽織った精悍な顔立ちだが、旅行鞄はおろか、手荷物一つ持っていない。

「……ネクスト・フライト。トーキョー」

 男――ジークフリートは、掠れた低い声でそれだけを告げ、カウンターに無造作にパスポートとブラックカードを放り投げた。

「あ、はい……。成田行きが、一時間後に――」
 サラの声が、自分でも驚くほど震えていた。
 男の目が、異様だったのだ。
 血走ったその双眸は、サラを見ているようで、全く見ていなかった。
 ターミナルの壁を透かし、広大な太平洋のさらに向こう側――極東の空の一点を、射抜くように、あるいは何かに『怯える』ように睨みつけている。

 パスポートを受け取ろうとサラの指先が男の手首に触れた瞬間、彼女は「ヒッ」と短い悲鳴を上げそうになった。
 男の体温は異常に高く、まるで全身の筋肉が目に見えない高圧電流に耐えているかのように、微細な痙攣を繰り返していたのだ。
 これほどの巨体と圧倒的なプレッシャーを放つ男が、何かにひどく急き立てられ、焦燥している。

「……急いでくれ」

 ジークフリートの低い唸り声に、サラは弾かれたようにキーボードを叩き、ファーストクラスのチケットを発券した。

「搭乗ゲートは、百三十――」
 言い終わる前に、男はチケットをひったくるように掴み、足早に保安検査場へと向かっていった。
 大股で遠ざかるその背中を見送りながら、サラはなぜか、彼がこれから戦地という名の『死に場所』へ向かうのだと確信し、腕に浮かんだ鳥肌をさすった。

 ***
 保安検査を抜け、搭乗ゲートのベンチに深く腰を下ろしたジークフリートは、手の中のチケットをじっと見つめていた。
 印字された目的地は――Japan(日本)。

 手のひらにじわりと滲む汗が引く気配はない。
 西海岸のバーで、あの規格外の『恐怖』――何者かから直接脳髄に叩き込まれた「おまえも、くるというのか?」という思念――を感じ取ってから、数時間が経過している。
 当初、ジークの心を支配していたのは、抗いようのない死の重圧だった。
 極東の地で互いに明らかに自分を凌駕する存在が打ち合っていた。
 そして『何者か』の気配が、徐々に、しかし確実に削り取られていくのを、彼は地球の裏側から感じ取っていた。

(……終わる。極東の戦士の命の灯火が、消える)

 空港へ向かうタクシーの中で、彼はそう確信していた。
 だが。
 数十分前、彼の戦士としての細胞が、あり得ない現象を捉え、総毛立った。

 突如として極東の空間が歪み、もう一つの『純度が高い、巨大な力』が顕現したのだ。
 それは消えかけていた極東の戦士の灯火を爆発的に燃え上がらせ――次の瞬間。
 絶対的な質量と恐怖で世界を覆い尽くしていた強大なの漆黒の気配が、たった一撃の、あまりにも美しく完璧な力の奔流によって、完全に『消滅』した。

「……あれが、討たれたというのか」

 ジークフリートは、微かに震える自身の拳を、ギリッと強く握り込んだ。
 この震えは、もはや恐怖ではない。
 あの絶対無敵と思われたバケモノを葬り去った『未知の巨大な力』と、死の淵から奇跡の逆転劇を演じた『極東の戦士』。
 その二つの不可解な現象に対する、戦士としての根源的な戦慄であり、抑えきれない歓喜の震えだった。

「……いかねばなるまい」

 ジークの口角が、凶暴な弧を描いて吊り上がる。
 男はチケットをジャケットの奥にねじ込み、搭乗案内のアナウンスを待つため、獰猛な笑みを浮かべたまま重く目を閉じた。
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