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第5章 王都騒乱 編
第 237 話 代表者
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「……かかったよ」
ピュートの言葉にボルガイルはピクリと眉を上げる。
「もうかよ? 早いなぁ」
ベガーラは長ソファーに仰向けで横たわった姿勢のまま、言葉とは裏腹に、大した驚きも含んでいない声で尋ねた。
「場所は?」
「王城の地下……宝物庫の前」
ボルガイルからの問いに、ピュートは目の前の白い壁を見つめたまま答える。
「行けそうか?」
再びボルガイルが尋ねると、ピュートはゆっくり振り返った。
「補佐官に侍女の糸を『切られた』から、もう向こうの様子は分からない。でも、直前までグラバの従者とやり合ってたから、すぐに衛兵も集まると思う。時間をずらしたほうが良い」
「補佐官は生きてんのかぁ?」
ベガーラが問いかける。ピュートは再び白壁に身体を向け、その問いを無視した。
「ま、遺体になってても構わんし、一部でも採れればそれで良い」
代弁するようにボルガイルが答えた。
「『 ヤツの親父』がヤツの身体に何を仕込んだのか……とにかく、兄達から奪った研究成果を返してもらおうか……」
宙を見つめて呟くボルガイルを、ベガーラは小馬鹿にするような笑みを浮かべて一瞥した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本日はお招き下さいましてありがとうございます」
馬車を降りたミリンダは、エシャーとサレマラに姿勢を正すよう指示を出し、玄関前まで出迎えに出て来たミッツバンに丁寧なお辞儀をした。隣に立つサレマラがお辞儀をするタイミングを真似して、エシャーも同じようにお辞儀をする。
「いやいや、学長! こちらこそ急なお願いをしてしまい申し訳ない。えっと……そちらが……」
「はい。当期の女子学生代表サレマラと、現在、当学舎に特別滞在しておりますルエルフ族のエシャーです。さ、2人とも……御挨拶を」
ミッツバンから歓迎を受けたミリンダの指示でサレマラが一歩前に進む。
「サレマラ・オズワイヤーです。ミッツバン様からの御支援を受け、良き建学の時を過ごさせていただき、心より感謝しております。学生一同を代表しまして、御礼申し上げます」
突然の優等生ぶりを発揮したサレマラを、エシャーは唖然として見つめた。その視線に目を合わせることなく、サレマラは元の位置にまで下がる。
「エシャー」
ミリンダが小さく促しの名指しをする。
「あ……えっと……エシャーです。……初めまして……」
慌てて顔をミッツバンに向け、話し出してから「一歩前に」進み出す。後は何を言えば良いのかも分からないので、元の位置に下がろうとしたが、慣れない動きのせいで足がもつれ、派手に尻もちをついてしまった。
「おおっと! 大丈夫かね?」
「エシャー!」
ミッツバンは驚いてエシャーに手を差し出した。サレマラも屈み、エシャーの肩に手を添える。
「あ……す、すみません……」
失態を恥じるように謝りながら、エシャーは立ち上がる。
「あ! エシャーさんだぁ!」
元気な子どもの声が頭上から聞こえた。一同の視線が2階のバルコニーに向けられる。学舎の馬車乗り場で出会った1回生の男の子ロジュシュが、手すりの隙間から腕を出し手を振っている。
「こら! ロジュシュ! お行儀の悪い真似はやめなさい!」
ミッツバンが叱りつけるが、その声には言葉ほど強い注意は籠められていない。むしろ、大事な孫を愛で楽しむ温もりを感じるものだった。その声が2階にも聞こえたのだろう。ロジュシュをバルコニーから室内へ連れ戻しに誰かが出て来たのが見えた。
「さあ、お坊ちゃま。お部屋にお入り下さい」
母親ではなく、どうやらメイドの女性のようだが、声がまだ若い。エシャーやサレマラと同年齢くらいの女子の声だった。
「さ、皆さんもどうぞ中へ!」
ミッツバンの促しで、ミリンダを先頭にエシャー達も館へ進み入る。玄関ホールに入ると、左手に幅の広い螺旋階段が建て付けられていた。2階からロジュシュが駆け下りて来る。
「いらっしゃいませ学長先生! サレマラ姉さんとエシャーさんもようこそ!」
ロジュシュは来客者の前まで駆け寄ると姿勢を正し、得意満面の笑みを浮かべて挨拶をした。先ほど声をかけたメイドも、ロジュシュの後について階段を降りて来る。ミッツバンは「自慢の孫」の頭に手を置き微笑んだ。
「こんばんはロジュシュ。お邪魔しますね」
学舎内では聞いたことの無い優しいトーンで、ミリンダも笑顔で挨拶を返す。エシャーとサレマラは思わず目配せをし、ニヤッと笑った。
「御丁寧なお出迎えをありがとうね、ロジュシュ」
「お邪魔します」
サレマラとエシャーも、ミリンダに続いてロジュシュの挨拶に応える。
「2階に僕の部屋があるんだ! 一緒に遊びましょうよ!」
「後にしなさいロジュシュ。学長先生とお姉さん達は、大切なお話に来られたのだからね」
特別な来客の報を数時間前から聞いて楽しみにしていたロジュシュとしては、今すぐにでも「自分の城」へエシャー達を案内したいのだろう。しかし、祖父からの注意を受け、一旦、提案を引き下げる。
「それじゃ、お話が終わったら……」
「じゃあ、終わったら遊ぼうね!」
エシャーが笑顔で約束すると、ロジュシュも笑顔でうなずいた。
「では、皆さまは奥のダイニングへ。準備は整っております。お坊ちゃまは、今日はお隣のお部屋に準備してありますよ」
メイドの女性……少女が案内をすると、奥から他のメイド2名も玄関ホールにやって来た。
「おお……それでは食事をしながら、お話を聞かせていただけますかな? 学長」
「ええ……」
ミッツバンは左腕を開いて廊下の奥にミリンダを促した。メイドの1人が軽く会釈をし先頭を歩み出すと、ミリンダはその後に続く。
「さ、君たちも」
エシャーとサレマラに視線を向け、ミッツバンが促した。2人がミリンダの後に付いて進むと、その背後からミッツバンも続く。
「じゃあ、ロジュシュのことを頼みますね、チロルさん」
メイドの少女……チロルはミッツバンの背に向かい、小さく会釈をして応えた。
―・―・―・―・―・―・―
ミッツバンとの会食は、エシャーにとっても思いのほか有意義な時間となっていた。ガラス錬成魔法考案者であり、エグデン王国有数の大富豪であるミッツバンの成功物語(エシャーは後に、その真相を知るのだが……)は、好奇心旺盛な少女たちの興味を掻き立てるものが有った。
エシャー自身に関しても、エルフ族と違い、一生に一度出会えるかどうかの希少種族「ルエルフ」ということで、ミッツバンやミリンダの関心は高く、結構な時間を費やして情報を提供することになった。
デザートが終わる頃から、話題はようやく「本題」の公営学舎問題へ移ったが、このテーマに関しエシャーは全く部外者となってしまい、欠伸を噛み殺す苦痛を覚え始めていた。
カチャ……
ダイニングの扉が静かに開き、扉の隙間からロジュシュが室内を覗き込む。その気配を察したミッツバンが会話を中断すると、ロジュシュは自己アピールをするようにさらに扉を広げた。
「ロジュシュ……まだお話し中だよ」
ミッツバンが困り顔で孫を叱る。
「……でも……早くしないとお休みの時間になっちゃうよぉ」
ダイニングの時計は八時半を指していた。エシャーはパッと閃き、笑顔でミリンダに提案する。
「学長先生! 私、ロジュシュのお部屋を見て来ても良いですか?」
「な、あなた……」
一瞬、いつもの口調でエシャーの「無作法」を注意しようとしたミリンダだったが、思い直したようにフッと笑顔を見せた。
「そうですね。ミッツバンさん、エシャーを中座させてもよろしいでしょうか?」
会話のテーマを考えると、エシャーが中座しても支障は無い。何よりも「可愛い孫」の相手を学舎の女学生が「して上げる」ことで、ミッツバンの心証もさらに良くなる……ミリンダは、そう判断したようだ。
「え? おお、もちろんですとも! すみませんね、エシャーさん。お相手願えますかな?」
ミッツバンはミリンダの読み通り、孫の喜ぶ顔に満足したようにエシャーの退室を見送った。
「ではサレマラ……学生会の活動についてミッツバンさんに御報告を……」
メイドが扉を閉める直前に聞こえたミリンダの声に、エシャーは振り返った。しっかりとした声でサレマラが発言を始める。公営学舎や学生会の事など、自分には何も分からない……。あそこは……私の生きる場所ではない……
「エシャーさん! こっちこっち!」
ふと湧き起こった感情を吟味する間もなく、ロジュシュの声でエシャーは現実に引き戻される。ロジュシュは就寝時間が迫っているとは思えない活き活きと輝く瞳で、エシャーの手を引き、お屋敷内覧会を始めた。
―・―・―・―・―・―・―
小一時間ほどロジュシュと過ごし、最後は彼の部屋でルエルフの子守歌まで提供したエシャーは、まるで糸が切れた操り人形のようにあっという間に眠りに就いた幼い男の子の寝顔に優しく語りかけた。
「お休み……ロジュシュ……」
エシャーはベッド脇から立ち上がって振り返る。エシャーとロジュシュの行動に、存在感を消して付き添っていたメイドの少女……チロルが微笑んで立っていた。
「寝たわ……」
「ええ。素敵な子守歌でしたね。不思議な旋律で……ルエルフ村の伝統的な……」
「何の用?」
エシャーはチロルの評価を払いのけるように尋ねた。チロルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべる。
「お気づきでしたか?」
「うーん……何となく……ね。屋敷の人達の視線が……私を珍しがってるだけじゃないって感じたし……」
ただし、その気配が「敵意」ではないことも感じ取っていたからこそ、エシャーは迷うことなくチロルに質問を投げかけたのだった。
チロルは笑顔のままロジュシュの部屋の扉を開くと、エシャーに退室を手招く。
「あなたにお会いしたい者が控えております」
「あ……でも……」
エシャーはチラッと室内の時計を見る。ミリンダ達の所へ戻らなければ、と考えたが、その思いを読んだかのようにチロルは答えた。
「下のお話合いは、こちらの用が済むまでミッツバン様が続けられることになっていますから御安心下さい」
殺意も敵意も無い……でも……
エシャーはどうすべきか迷ったが、それもほんの一瞬だった。篤樹も、ルロエも、エルグレドさえも……誰も知らない情報を手に入れられるかも知れない……そんな直感が働いた。
「……相手は……誰?」
問いかけるエシャーが見せた表情と、誘いを了承した動きを確認し、チロルは嬉しそうにうなずいた。
「初めてお会いする者では御座いませんから御安心下さい」
先に部屋を出るエシャーに語りかけながら、チロルはロジュシュの部屋の扉を静かに閉じた。
ピュートの言葉にボルガイルはピクリと眉を上げる。
「もうかよ? 早いなぁ」
ベガーラは長ソファーに仰向けで横たわった姿勢のまま、言葉とは裏腹に、大した驚きも含んでいない声で尋ねた。
「場所は?」
「王城の地下……宝物庫の前」
ボルガイルからの問いに、ピュートは目の前の白い壁を見つめたまま答える。
「行けそうか?」
再びボルガイルが尋ねると、ピュートはゆっくり振り返った。
「補佐官に侍女の糸を『切られた』から、もう向こうの様子は分からない。でも、直前までグラバの従者とやり合ってたから、すぐに衛兵も集まると思う。時間をずらしたほうが良い」
「補佐官は生きてんのかぁ?」
ベガーラが問いかける。ピュートは再び白壁に身体を向け、その問いを無視した。
「ま、遺体になってても構わんし、一部でも採れればそれで良い」
代弁するようにボルガイルが答えた。
「『 ヤツの親父』がヤツの身体に何を仕込んだのか……とにかく、兄達から奪った研究成果を返してもらおうか……」
宙を見つめて呟くボルガイルを、ベガーラは小馬鹿にするような笑みを浮かべて一瞥した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本日はお招き下さいましてありがとうございます」
馬車を降りたミリンダは、エシャーとサレマラに姿勢を正すよう指示を出し、玄関前まで出迎えに出て来たミッツバンに丁寧なお辞儀をした。隣に立つサレマラがお辞儀をするタイミングを真似して、エシャーも同じようにお辞儀をする。
「いやいや、学長! こちらこそ急なお願いをしてしまい申し訳ない。えっと……そちらが……」
「はい。当期の女子学生代表サレマラと、現在、当学舎に特別滞在しておりますルエルフ族のエシャーです。さ、2人とも……御挨拶を」
ミッツバンから歓迎を受けたミリンダの指示でサレマラが一歩前に進む。
「サレマラ・オズワイヤーです。ミッツバン様からの御支援を受け、良き建学の時を過ごさせていただき、心より感謝しております。学生一同を代表しまして、御礼申し上げます」
突然の優等生ぶりを発揮したサレマラを、エシャーは唖然として見つめた。その視線に目を合わせることなく、サレマラは元の位置にまで下がる。
「エシャー」
ミリンダが小さく促しの名指しをする。
「あ……えっと……エシャーです。……初めまして……」
慌てて顔をミッツバンに向け、話し出してから「一歩前に」進み出す。後は何を言えば良いのかも分からないので、元の位置に下がろうとしたが、慣れない動きのせいで足がもつれ、派手に尻もちをついてしまった。
「おおっと! 大丈夫かね?」
「エシャー!」
ミッツバンは驚いてエシャーに手を差し出した。サレマラも屈み、エシャーの肩に手を添える。
「あ……す、すみません……」
失態を恥じるように謝りながら、エシャーは立ち上がる。
「あ! エシャーさんだぁ!」
元気な子どもの声が頭上から聞こえた。一同の視線が2階のバルコニーに向けられる。学舎の馬車乗り場で出会った1回生の男の子ロジュシュが、手すりの隙間から腕を出し手を振っている。
「こら! ロジュシュ! お行儀の悪い真似はやめなさい!」
ミッツバンが叱りつけるが、その声には言葉ほど強い注意は籠められていない。むしろ、大事な孫を愛で楽しむ温もりを感じるものだった。その声が2階にも聞こえたのだろう。ロジュシュをバルコニーから室内へ連れ戻しに誰かが出て来たのが見えた。
「さあ、お坊ちゃま。お部屋にお入り下さい」
母親ではなく、どうやらメイドの女性のようだが、声がまだ若い。エシャーやサレマラと同年齢くらいの女子の声だった。
「さ、皆さんもどうぞ中へ!」
ミッツバンの促しで、ミリンダを先頭にエシャー達も館へ進み入る。玄関ホールに入ると、左手に幅の広い螺旋階段が建て付けられていた。2階からロジュシュが駆け下りて来る。
「いらっしゃいませ学長先生! サレマラ姉さんとエシャーさんもようこそ!」
ロジュシュは来客者の前まで駆け寄ると姿勢を正し、得意満面の笑みを浮かべて挨拶をした。先ほど声をかけたメイドも、ロジュシュの後について階段を降りて来る。ミッツバンは「自慢の孫」の頭に手を置き微笑んだ。
「こんばんはロジュシュ。お邪魔しますね」
学舎内では聞いたことの無い優しいトーンで、ミリンダも笑顔で挨拶を返す。エシャーとサレマラは思わず目配せをし、ニヤッと笑った。
「御丁寧なお出迎えをありがとうね、ロジュシュ」
「お邪魔します」
サレマラとエシャーも、ミリンダに続いてロジュシュの挨拶に応える。
「2階に僕の部屋があるんだ! 一緒に遊びましょうよ!」
「後にしなさいロジュシュ。学長先生とお姉さん達は、大切なお話に来られたのだからね」
特別な来客の報を数時間前から聞いて楽しみにしていたロジュシュとしては、今すぐにでも「自分の城」へエシャー達を案内したいのだろう。しかし、祖父からの注意を受け、一旦、提案を引き下げる。
「それじゃ、お話が終わったら……」
「じゃあ、終わったら遊ぼうね!」
エシャーが笑顔で約束すると、ロジュシュも笑顔でうなずいた。
「では、皆さまは奥のダイニングへ。準備は整っております。お坊ちゃまは、今日はお隣のお部屋に準備してありますよ」
メイドの女性……少女が案内をすると、奥から他のメイド2名も玄関ホールにやって来た。
「おお……それでは食事をしながら、お話を聞かせていただけますかな? 学長」
「ええ……」
ミッツバンは左腕を開いて廊下の奥にミリンダを促した。メイドの1人が軽く会釈をし先頭を歩み出すと、ミリンダはその後に続く。
「さ、君たちも」
エシャーとサレマラに視線を向け、ミッツバンが促した。2人がミリンダの後に付いて進むと、その背後からミッツバンも続く。
「じゃあ、ロジュシュのことを頼みますね、チロルさん」
メイドの少女……チロルはミッツバンの背に向かい、小さく会釈をして応えた。
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ミッツバンとの会食は、エシャーにとっても思いのほか有意義な時間となっていた。ガラス錬成魔法考案者であり、エグデン王国有数の大富豪であるミッツバンの成功物語(エシャーは後に、その真相を知るのだが……)は、好奇心旺盛な少女たちの興味を掻き立てるものが有った。
エシャー自身に関しても、エルフ族と違い、一生に一度出会えるかどうかの希少種族「ルエルフ」ということで、ミッツバンやミリンダの関心は高く、結構な時間を費やして情報を提供することになった。
デザートが終わる頃から、話題はようやく「本題」の公営学舎問題へ移ったが、このテーマに関しエシャーは全く部外者となってしまい、欠伸を噛み殺す苦痛を覚え始めていた。
カチャ……
ダイニングの扉が静かに開き、扉の隙間からロジュシュが室内を覗き込む。その気配を察したミッツバンが会話を中断すると、ロジュシュは自己アピールをするようにさらに扉を広げた。
「ロジュシュ……まだお話し中だよ」
ミッツバンが困り顔で孫を叱る。
「……でも……早くしないとお休みの時間になっちゃうよぉ」
ダイニングの時計は八時半を指していた。エシャーはパッと閃き、笑顔でミリンダに提案する。
「学長先生! 私、ロジュシュのお部屋を見て来ても良いですか?」
「な、あなた……」
一瞬、いつもの口調でエシャーの「無作法」を注意しようとしたミリンダだったが、思い直したようにフッと笑顔を見せた。
「そうですね。ミッツバンさん、エシャーを中座させてもよろしいでしょうか?」
会話のテーマを考えると、エシャーが中座しても支障は無い。何よりも「可愛い孫」の相手を学舎の女学生が「して上げる」ことで、ミッツバンの心証もさらに良くなる……ミリンダは、そう判断したようだ。
「え? おお、もちろんですとも! すみませんね、エシャーさん。お相手願えますかな?」
ミッツバンはミリンダの読み通り、孫の喜ぶ顔に満足したようにエシャーの退室を見送った。
「ではサレマラ……学生会の活動についてミッツバンさんに御報告を……」
メイドが扉を閉める直前に聞こえたミリンダの声に、エシャーは振り返った。しっかりとした声でサレマラが発言を始める。公営学舎や学生会の事など、自分には何も分からない……。あそこは……私の生きる場所ではない……
「エシャーさん! こっちこっち!」
ふと湧き起こった感情を吟味する間もなく、ロジュシュの声でエシャーは現実に引き戻される。ロジュシュは就寝時間が迫っているとは思えない活き活きと輝く瞳で、エシャーの手を引き、お屋敷内覧会を始めた。
―・―・―・―・―・―・―
小一時間ほどロジュシュと過ごし、最後は彼の部屋でルエルフの子守歌まで提供したエシャーは、まるで糸が切れた操り人形のようにあっという間に眠りに就いた幼い男の子の寝顔に優しく語りかけた。
「お休み……ロジュシュ……」
エシャーはベッド脇から立ち上がって振り返る。エシャーとロジュシュの行動に、存在感を消して付き添っていたメイドの少女……チロルが微笑んで立っていた。
「寝たわ……」
「ええ。素敵な子守歌でしたね。不思議な旋律で……ルエルフ村の伝統的な……」
「何の用?」
エシャーはチロルの評価を払いのけるように尋ねた。チロルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべる。
「お気づきでしたか?」
「うーん……何となく……ね。屋敷の人達の視線が……私を珍しがってるだけじゃないって感じたし……」
ただし、その気配が「敵意」ではないことも感じ取っていたからこそ、エシャーは迷うことなくチロルに質問を投げかけたのだった。
チロルは笑顔のままロジュシュの部屋の扉を開くと、エシャーに退室を手招く。
「あなたにお会いしたい者が控えております」
「あ……でも……」
エシャーはチラッと室内の時計を見る。ミリンダ達の所へ戻らなければ、と考えたが、その思いを読んだかのようにチロルは答えた。
「下のお話合いは、こちらの用が済むまでミッツバン様が続けられることになっていますから御安心下さい」
殺意も敵意も無い……でも……
エシャーはどうすべきか迷ったが、それもほんの一瞬だった。篤樹も、ルロエも、エルグレドさえも……誰も知らない情報を手に入れられるかも知れない……そんな直感が働いた。
「……相手は……誰?」
問いかけるエシャーが見せた表情と、誘いを了承した動きを確認し、チロルは嬉しそうにうなずいた。
「初めてお会いする者では御座いませんから御安心下さい」
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