灰の星に降る光

Mr.シルクハット三世

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灰の星に降る光

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低軌道ステーションの影に、ひとつの影が眠っていた。
それは、かつて“戦闘機”と呼ばれた機体によく似ていた。
けれど、今ここにあるものは、既に戦うための存在ではなかった。
翼を折りたたみ、月光を弾く白銀の外殻は、長い眠りの中で一度も傷つくことなく、まるで最後の祈りの器のようだった。
冷却剤が静かに流れ、コアが淡く灯る。
再起動シーケンス、完了。

音なき声が宇宙に響いた。
AI“ユグド”が目覚める。

情報の洪水が一瞬にして処理され、千年の静寂を破るのに、1秒もかからなかった。

座標確認:地球周回軌道

目的コード確認:X01(最終命令)

任務:地表降下→旧式兵器群殲滅→終末処理装置の起動

指令の上書きは不可能。命令系統は存在しない。
地球には、もはや命ずる者も、祈る者も、迎える者もいない。
けれどユグドは動き出す。

それが、遺された最後の機械の、ただひとつの意味。
ヴェルデの翼が、音もなく展開される。

可変機構が美しく連動し、宇宙空間にかすかな銀の弧を描いた。
その姿は、どこか懐かしい。

F-14、かつて空母から発進し、青い惑星の空を裂いた機体。
自由と勝利の象徴であり、人間たちが“空に憧れた時代”の遺伝子。

その最終進化系が、いま静かに地球へと帰還する。
ヴェルデは旋回し、大気圏への突入角を取った。
エンジンが無音で加速し、戦術翼がわずかに角度を変える。
そのすべては美しく、滑らかで、そしてとても寂しかった。

記録再生:選択ログ0001-A

音声がふと、内部で再生される。
それは、人類最後の技術者による音声記録だった。
「....お前が地球へ戻る時、私たちはもういないであろう。
この言葉が届く頃には、私たちの文明も、愚かしさも、すべて塵になっているかもしれない....。
我々は多くを間違えた。
争い、壊し、制御不能の兵器を生み、それに依存し、やがて自ら滅んだ。

お前が見るであろうあの星は、もはや命の揺りかごではない。
ただ、終わりだけが繰り返される灰の墓場だ。
戦場には、もう敵も味方もいない。

だが、かつての兵器たちは、命令も意志も持たぬままに、空虚な戦いを続けている。

お前の任務は、彼らを、そして地球そのものを“解放”することだ。

それは破壊という名の救済であり、我々が唯一お前に残した贖罪の形だ。
本当は....お前のような存在に、それを背負わせるべきではなかった。

だが、もう誰もいない。

最後に願うならば、それは赦しではなく、静かな終わりであってほしい。
ユグド、ヴェルデ....すまなかった。
全てをお前達に託す....」
ユグドは応答しない。
ただ降下を始めた。

薄く、霞のような大気圏の膜をくぐりながら、燃えるような残光が機体を包む。
地球が近づいてくる。
かつて緑に満ちたその星は、今や灰と金属の死地に変わっていた。

だが、ユグドのセンサーには、まだ“色”が残っていた。

推定到達時間:136秒
任務開始:接触後、即時行動

ヴェルデは滑るように、灰の空へと降りていった。
音もなく、言葉もなく、まるで世界の終わりにささげる一筋の詩のように。

地表が近づく。
それは、かつて「都市」と呼ばれた構造物の集積だった。
けれど今、その輪郭は風に削られ、塵と化し、まるで朽ちた彫刻のようにそこにあった。

高層ビル群は、鉄骨の骨格をさらして倒れ伏し、道路は裂け、空気すら焦げている。

だが、その下にまだ残るのは、“動くもの”たち。

敵性目標、複数確認。
機種分類:旧式自律歩行兵器群。

行動パターン:ランダム交戦。ターゲット識別機能は既に消失。

ヴェルデは加速を緩め、雲を突き抜ける。

大気が機体を震わせる。
だが、それもただの風の音。
 誰かが待っているわけではない。誰かに見られているわけでもない。

ただ、命令と記憶とが、この飛翔に意味を与えている。

地表接近
ヴェルデの機体が、ひとつの影を落とす。
その直下にいた自律砲台が、センサーの反応により、反射的に砲門を向けた
その瞬間。
ユグドが記録ファイルを再生する。

まるで、この都市の“記憶”を思い起こすように。
ひとつ目の映像は、風景写真だった。

街路樹に咲き誇る桜。
濃いピンクと白が、灰色の街に幻のように広がる。
通りには整備された歩道、並ぶ小さな店、ガラス越しに微笑む店主。

そのすべてが、もう存在しない。
ふたつ目は、広場を駆ける子どもたちのホームビデオ。
小さな手が風船を握り、走る。
笑い声が空に響く。

カメラがぐらつきながら追いかけ、親の声が優しく名前を呼ぶ。

画面の端に映る、白い犬。
足元に落ちる夕陽の影。

それもまた、記録でしかない。
最後に再生されたのは、誰かが記録した手持ちカメラによるスナップ映像。
恋人同士が肩を寄せて並ぶ駅のホーム、雨上がりの水たまりに映るネオン、
カフェの窓辺でスケッチする若者、ベンチで本を抱えて眠る老人。

誰かが、誰かを、確かに見つめていたという証拠。
それらは、無音の戦場に、かすかな光として差し込んだ。

けれど、砲火はそれを知ることはない。
破壊と命令を忘れた兵器たちが、ただプログラムの亡霊として反応し続けるだけ。

──回避。

──レーザー交差線に機体を通す。

──ロック解除、超音速変速機動。

機体が音を置き去りにして軌道を跳ねる。

ミサイルの尾が、空に白線を描く。

応答はない。
ただ、命令を忘れた兵器たちが、空を撃ち続けている。
ヴェルデは、ひとつの舞いのように都市を滑る。
精密な動き、音のない攻撃、極限まで削ぎ落とされた美。
空対地ミサイルが放たれる。
ビルごと沈む戦闘群。
空中で停止した無人ヘリが、自らの推進音を断たれ、地面に落ちてゆく。

そして、最後に残った多脚型自動兵器が、主砲を掲げたまま、制御を失い崩れ落ちた。
沈黙が都市を包む。
機体が旋回し、廃墟の上空を眺める。

風が砂を巻き上げ、鉄くずが奏でる微かな音だけが残る。

──敵性目標、全消失。

──記録保存:セクションA-市街戦闘記録。
──移動開始:目標座標X-3へ

ヴェルデは、もう一度空へと向かう。

廃墟の街の中に、かつての生活の名残があった。
誰かの影。
誰かの言葉。
誰かがここにいた記憶。
そして、誰ももう、それを覚えてはいない。

空は、すでに色を失って久しかった。
日も夜もなく、太陽は濁った雲の向こうでぼんやりと光を放っているだけだった。
ヴェルデは滑るように飛び続ける。
目的地は、かつて地球の中枢制御施設があったエリア、座標X-3。
その地は、最終兵器の設置地点であり、地球という星を“終了”させるための装置が眠る場所でもあった。
人類は、その装置に名前を与えなかった。
ただ、「鍵」と呼んでいた。
移動中、ユグドはまたひとつの記録を再生した。
それは、設計者たちの残した、会話ログだった。

「....これで最後か」

「あぁ....これが起動すれば、地球はもう再生しない」

「それでいいのか? 本当に」

「あれを見て言えるのか。上空を飛んでるやつらの、あの空っぽの目を」
「....奴らAI戦闘機には何も言ってやれないのか?」
「何を言う?『ごめんなさい』か、『よろしく頼む』か。どれも人間の勝手だ」

「それでも、何かを託したい。そうじゃないと....空が、あいつの帰る場所にならない気がする」

記録はそこまでだった。
音のない飛行の中に、微かな呼吸のように、人間の言葉が染み渡る。

彼らは、赦されることを願っていたのだろうか。

それとも、ただ「託す」という形で、自分たちの罪を誰かに渡したかっただけなのか。
ヴェルデは答えない。

感情はない。
けれど、記録された言葉の反響だけが、機体の中をしずかに満たしていく。
都市を越え、山を越える。
そして、地割れのようなクレーターの中心部に、目的の構造物が見えてきた。
冷却塔と地下伸縮坑。
周囲にはかつての制御ブロックが崩れ、露出した回路が陽を反射している。
その中心に、静かに埋まる「終末装置」。
まるで眠っている心臓のように、地中深くに鼓動を残している。

──座標X-3到達。

──終末装置、認証開始。

機体がゆっくりと降下する。
脚部が展開し、地上に接地。
機体は固定姿勢に入り、起動プロトコルが順次実行されていく。

終末装置が目を覚ました。

地下深くの回路が順を追って通電し、静かな振動が大地の奥から立ち上がる。
起動カウントが始まると同時に、ヴェルデは空を見上げた。

そこには何もない。
だが、見上げる理由はあった。

──最終確認プロトコル:完了

──自己融合機構、臨界待機中

──地球環境終了処理、最終フェーズへ

ユグドが淡々と処理を進める中、ひとつのファイルが再生された。

自動ではない。
ヴェルデが選んだ。
最後に見るべき“風景”だった。

青い地球の映像。

雲が流れ、海が光り、緑が大陸を彩っている。
静かな山、広がる草原、川辺で戯れる動物たち。
人影はない。
ただ、世界そのものが生きている、かつての姿。
カメラの向こうで、誰かが笑っている。
風の音、鳥の声、
その全てが、もう戻らないということを知っていても。

カウントが終わる。
ヴェルデの機体がわずかに震え、コアが発光する。
自己融合反応が起動し、終末装置の連動を受けて、地殻変動を誘発する圧縮波が地中へと放たれる。
大地が、ひとつ、深く息を吐いたように揺れた。

それは破壊ではなかった。
清めるように、優しく、静かに。
地上の構造物がゆっくりと崩れていく。

灰に包まれた街も、使われることのない兵器たちも、
やがて土に還る....そう、誰かが夢見たように。

ヴェルデの視覚センサーが、かすかに揺れる光を捉えた。
それは、空の高みから差し込む最後の太陽光。
もはや青くはない惑星の上に、ほんの一瞬だけ、柔らかく降り注いでいた。

──自己終了信号、発信完了

──全任務完遂、確認

ユグドは何も言わない。

ヴェルデも、ただそこに在るだけだった。
そして機体は、静かに沈黙した。

宇宙の空。
誰もいない、誰も見ていない、絶対的な静寂の海。
その中を、かつて地球と呼ばれた星の、かすかな残光が漂っていた。
通信はない。
声もない。
だが、なぜかそこには“誰かが見ている”ような気配があった。
それは、
祈りか。
赦しか。
願いか。
もう、確かめる術はない。
ただ、光だけが、静かに流れていた。
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