アンワールド

飛鳥野ラルル

文字の大きさ
1 / 1

1 アンワールド

しおりを挟む
第一話
雨は神様の涙



8月、夜の都立古谷高校。
廊下で私はメモリアから逃げている。

「だ…誰か助けて…」

特殊保安庁に連絡しようとしたが、どうやらスマホは家へと置いてきたらしい。そもそもスマホが片手にあっても、電話をかける余裕などないのだろうが。

「たべぇぇ、させて、てめめえぇぇぇぇ」

メモリアという存在はニュース越しにしか見ていないし、そもそも出会う確率が交通事故よりも低いため、この状況を信じられない自分がいる。
なんだか映画のワンシーンを見ている様な非現実的な感触がする。

メモリアは黒紫の芋虫に強靭なワニの手足を無数に付けたような見た目で、体長は約15メートルはあり、廊下はまるで自分の巣だと言わんばかりにうまく体をくねらせながら、私を追いかけている。

「忘れ物…取りに来ただけなのに…どうして…こんな目に遭わなくちゃならないの!?」

そういえばニュースキャスターがこんな事を言っていた。

『メモリアに遭遇した人間の生存率は高めに見積もっても10%程度』だと。

それを聞いた時はアイスを食べながら聴き流していた。まさか自分がメモリアに遭遇するなんてあの時の私は想像も付かなかっただろう。

私は廊下を降り始めた。この階段を下れば、下足場はもうすぐだ。
流石にこの巨大なメモリアは出口は突っかかって通れまい。
しかし私は最後の一段に躓き、パンツを丸出しにして仰向けに転んでしまった。

体制を立て直そうと立ち上がるが足に激痛が走る。躓いた時に思い切り挫いてしまったのだ。

動けない。終わりだ。

「あ、はぁぁあ、はぁぁああ、ごはんだぁぁ」

メモリアの気色の悪い鳴き声は、最後の審判に描かれた、キリストに裁きを下され地獄へと連れて行かれる死者を彷彿とさせる。

異常な程の生への執着と、死への恐怖がその声に含まれている。

メモリアは元人間なので、やはり生前の記憶が残っているのだろうか。
そう考えると目の前の気色悪い怪物に、少し同情した。

私は今から死ぬのだ。巨体に押しつぶされ、こぼれ出たはらわたを啜る怪物を目の前にして。運が良ければ即死か、メモリアとして第二の人生を歩む事になるのだろう。

メモリアの抽象画のような顔面から口が現れる。舌で私の脛を舐め出した。
「しお、の、あじ、する、う、うまうま」

ああ、下着が丸出しだ。私は人生の最後すら情け無いままなのか。
私は目を閉じて、とある少年を想う。
「…ごめん…悠人…最後まで謝れなくて…」
今までの短い人生で唯一後悔している事は、最後に見た悠人の表情が笑顔ではない事だ。


刹那、窓ガラスが割れ、何者かがメモリアと私の間に飛び込んできた。
声が走る。

「大丈夫?もう安心だから。守部ナナさん」
「…え…?だ…誰?」

目を開け、涙で滲んだ目をこすり、視界を正常にする。目の前にはスーツを着たロングヘアーの女性が立っていた。
顔は暗闇につつまれてよく見えない。

「待たせたね。私は特殊保安庁職員、北住サト」
「なぁぁぁんだょぉぉぉぉう、じゃまぁあするなぁぁあああ」
「さあて…この大物をどうするかだけど…」

保安庁の職員と名乗った女性は、レッグポーチから長方形のキューブを取り出しボタンを押した。
『メモリア駆逐システム“ノーチファルコ”起動。ユーザー認証完了。半径2メートル圏内に敵性反応確認。レベル4駆逐機構をサーバーに要求』

冷たい機械的な女性の音声が一帯に響く。

「ぶった斬るか」

『レベル4駆逐機構インポート完了。
展開します』

キューブの先端から黄色に輝く四角形が乱雑に配置されたような映像が空中に投影された。

その投影映像に規則性が生まれ、
規則性に添うように鋭い刃と、
青色に輝く特殊保安庁の紋章が刻まれた、白色の刀身が現れた。

長さはI m半ぐらいで、幅は15センチくらいだ。一帯に刀身から発せられた青い光が満ちる。

少女は命の危機に瀕しているにも関わらず、どこか青に満ちた光景を綺麗だと思ってしまった。

北住サトという保安庁職員は構えを取り、足を踏ん張ると剣を振った。

長い期間の鍛錬で完成されたであろう
その流れは、一瞬にしてメモリアの頭を輪切りにする。

シュン、と空気を切る音が遅れて聞こえ、メモリアの頭部がぐちゃりと音を立てて地面に落ちた。頭を切り落とされた芋虫のような体は傷口から紫色の煙を吹き上げ、力なくしぼんでいった。

「ふう…駆逐完了…どこも怪我はない?」
刀身により巻き上げられた砂埃が青い光を散乱している。美しい。
「な…ないです…少し挫いただけですが…それよりも助けてくれてありがとうございます」
「そう、よかった。いやー久しぶりに焦ったよ。
ナナちゃんを探しに学校へ行ったらナナちゃんはなんとメモリアに襲われてるんだもんなあ。
あと少し遅れてたら重要参考人が死んでたかもしれないからね。本当に危なかった」

「…じゅ…重要参考人??特殊保安庁が私に何の用があるんですか」

「…まあここじゃ何だから…それにお腹空いたでしょう?」

北住は剣の柄に付いているタッチパネル式のボタンを押す。

『敵性個体鎮静化を確認。ハイバネートモードに移行』
刀身が速やかに崩壊していく。

「近くのファミレス寄ろうよ。そこで詳しい話をしようか」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
校門に止められている一台の特殊車両の前でナナは質問した。

「あ…あの…北住サト…さん」
「ん?」
「どうして…私の名前を?」
「重要参考人を探している人間が重要参考人の名前を知らない訳がないだろ?」
「あ…そうか…」

特殊車両は夜の都会をすいすいと進む。形はパトカーとまるっきり同じだが、回転灯の色は紫だ。
警視庁の車両と混同しないようの配慮だろう。

特殊保安庁はメモリア関連の事件に対応する専門機関として10年前に国家公安委員会の下に新設された。

それまでは警視庁と警察庁が合同で対策委員会を組んでいたのだが、
膠着した体制が委員会の腐敗と戦力の低下を産み、
2010年代後半から国民の委員会への批判が増えていった事と、
宇治川政権が行った大規模な行政改革の煽りを受けた事、
主にこの二つが要因となり特殊保安庁は発足した。

なので旧対策委員会を通じて莫大な資金を得ていた警視庁と旧対策委員会を潰すような形で新設された特殊保安庁は犬猿の仲なのだが、
仲が悪いはずの2つの組織のパトカーが瓜二つなのを見ると、
なんだか双子が喧嘩をしているようで微笑ましくなる。

信号が赤になり、車が止まる。
「なあナナちゃん、メモリアの正体を知ってるか?」
「当然ですよ。死んだ人間の記憶から生まれるんでしょう?」

子供の頃からそう教科書やニュースで見てきた事実だが、未だに記憶から怪物が生まれる事が不思議でならない。

「正解。たまに驚くほどに世間知らずな奴がいるからねぇ。こんなAn値が高い夜に出歩く輩はたいていそんな奴だ」

「…私、学校に忘れ物しちゃってて…それも絶対に忘れちゃいけない物なんです…」
「あのねぇ…無謀は無知と同じくらい危険なんだよ。で、そこまで君を冒険させた忘れ物ってなんなの?」
「…ロケットペンダントです」

ナナは胸元からロケットペンダントを出した。開くと、笑顔でピースをした白井悠人の写真が収められている。

「…誰?それ」
「白井悠人、中学生の時の幼馴染です。彼の写真がこれしかないので大切にしています。」

「…」
しばらく北住は神妙な面持ちで黙り込む。
なにか考え事をしている様だ。
私は会話の間に発生するこの沈黙が、何よりも大嫌いだ。
だからずっと私は悠人以外の人間と会話を避け続けてきた。
心が通じあっている人間との沈黙は、特に苦痛ではない。

「…ナナちゃん…そんな大切な写真なら持ち歩くなよ」
「人の勝手じゃないですか」
「また同じような事が起きないかと心配してるんだよ私は。そのペンダントでまた不都合が起きるなら家に置いていた方が良いと思うんだけどなあ」
「余計なお世話です」

ルームミラー越しに見える北住の顔は、交互に来る暗闇とビルの光にぼやかされて、
よく確認出来ない。

「…私、悠人がいた証拠を持ち歩いてないとおかしくなりそうなんです。
こんな私、気持ち悪いですよね」
「…その少年は、死んだのか」
「…答えたくありません」
「ははっ、じゃあ多分死んでるな」
「…」
なんて無神経な人なのだ。そう思った。
沈黙が車内を埋め尽くす。
吐き気がするほど嫌な空気が、滑らかに都内を走る鉄の箱に満ちていく。





特殊車両はファミレスの駐車場に停車した。
降車した2人は店内へと入ってゆく。

『昨夜未明、葛飾区路上で死亡が確認されたホームレスの宮田克人さんの死因はメモリアによる物だと特殊保安庁が発表しました。これに伴い特殊保安庁は葛飾区全域に特別危険警報を発令しました。』

店内に流れるラジオのニュースが聞こえる。
最近は嫌にメモリア関連のニュースが多い。

「2名様で?」
店員が北住に話しかける。
「ああ、そうだ」
特殊保安庁の職員も、一般人と同じようにファミレスを利用するのだなと感慨深くなった。

「あ…私お金ないんですが…」
「大丈夫、ナナちゃんさっきまで死にそうだったしこれくらい奢ってあげるよ」
「い…いやそんなのいいですよ、大丈夫です」
「さっきまで死にそうだった人間が遠慮しない。私だって子供に割り勘させてもいい気分しないし、ここは奢らせてよ」

私は奢るのは構わないのだが奢られるのは嫌だ。良心をくれたその人を裏切る行動を無意識にとってしまわないか、後々不安になるからだ。

2人は窓際のテーブル席に座る。
さっきまで暗がりでよくわからなかった北住の顔を改めて明るい店内で見てみると、わりかし整っていて、
さらさらなロングヘアーが魅力的な、
社会一般的に美人と言われる顔だった。

個人的には自分の価値観を押し付ける彼女のことが嫌いではあったが、責任感に満ちた聡明な顔は好意的に思えた。

北住はコーヒーと私の分のジュースをドリンクサーバーから取ってきてくれた。役人が市民に見せる儀礼的な親切に少しイラッと来る。

「あの…私が重要参考人ってどういう事なんですか。多分メモリア絡みですよね…私、何も心当たりありません」
「…心当たりはなくても、君は世界の大事な命運を握っているんだ」
「!?」
意味が、分からない。
「…こうなった原因は君の幼馴染である白井悠人にあるんだけれどね」

「…え…?ゆ、悠人が…?」
「うん。ふふ、とても驚いた顔をしているね」
あっけらかんと笑う彼女に腹が立った。彼女はどうしてこう人が不快に感じる態度を取るのだろうか。
「さて…そろそろ本題に入ろうか…まあ、単刀直入に言うが…」
北住はコーヒーで唇を湿らせ、少し間を作る。
まるで映画の、
結論を言う時に勿体ぶる演者のように。

「一ヶ月後、日本はメモリアによって崩壊する」

「!?」

「…え…?う、嘘…」

「嘘じゃない。特殊保安庁直々の発表だ。秘密裏にされているがちゃんと法的な根拠もある」

緊迫した空気を破るかのように、
窓ガラスから見える夜の空から雨粒がひとつひとつこぼれ落ちてきた。

昔、悠人から
「雨は神様の涙なんだぜ」
と教えてもらった事を思い出す。

全く、泣きたいのはこっちの方だ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると 土地を蝕む邪気となって現れる。 それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。 派手な奇跡は起こらない。 けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。 ――その役目を、誰一人として理解しないまま。 奇跡が少なくなった。 役に立たない聖女はいらない。 そう言われ、私は静かに国を追放された。 もう、祈る理由はない。 邪気を生み出す原因に目を向けず、 後始末だけを押し付ける国を守る理由も。 聖女がいなくなった国で、 少しずつ異変が起こり始める。 けれど彼らは、最後まで気づかなかった。 私がなぜ祈らなくなったのかを。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

処理中です...