絶対不可侵領域

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絶対不可侵領域

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二階堂葵+雅嗣絶対不可侵領域

 就寝前、数年ぶりに部屋の扉をノックされたような気がした。
 落ち着きのないソレはこちらが返事をする間もなく部屋に侵入する。

「なぁなぁ葵、もう寝た? 寝た?」
「……………………」
「あーおーいー! 起きてんのー?」

 時刻は夜中を回っていた。高校生はそろそろ眠らないと翌日に支障をきたしてしまうし、寝不足のまま登校したくもない。二階堂葵(にかいどうあおい)は静かに壁側へと寝返りを打ち狸寝入りをしてみせた。
 兄弟ながらも普段は一切関わらない兄、二階堂雅嗣(にかいどうまさつぐ)の突然の来訪。常日頃から避けていることもあってか会話をしている時間すらも惜しい。
 耳を澄ましてみるも一向に扉が閉められる気配はなかった。互いに何も言わず、どちらかが折れるのを待っている状況だった。

「……なぁ葵」

 扉が閉じられたらしい音が聴こえてきた。
 闇の中に佇む兄の気配は消えず、語りかけるかのように歩み寄ってくる。

「葵……久しぶりに一緒に寝ちゃダメかな?」

 兄は何を言っているのだろうか。24才にもなった社会人男性が高校生の弟とともに眠りたがるなど考えたこともなかった。
 なんとか寝たふりを続けてはいたが我慢の限界だ。このままベッドにまで侵入を許したくはない。

「ダメ、嫌だ、ムリ」

 振り返りもせずに苛立ちの感情を連ねた。
 日常的に会話のない兄とともに眠るなど不快極まりない。なによりこの男は実の兄だとは思い込みたくないほど素行が悪いのだ。当たり前のように男に身体を許すような奴、周囲にはこの人以外に存在しない。

「起きてたんなら最初から返事してくれればいいのに」
「…………」
「葵」
「うるせぇ」

 男食いとはいえ実の弟である自分が性の捌け口になる可能性を危惧してるのではなく、純粋にこの男の考えを理解できないからこその反抗心だった。
 親がいない間に代わる代わる男を連れて来ては、廊下に漏れるほどの嬌声をあげるのだ。その相手が恋人なのかセフレなのかどうかは分からない。ただ男を連れた兄は家の中ですれちがう度に悲しそうな目で見つめてくる。何も言わないまま、何かを察してもらいたそうな視線だった。
 男たちの顔など大して覚えてはいない。ただ部屋から漏れ出す兄の喘ぎ声ばかりが耳にこびりついて離れなかった。

「出てってくれ」

 兄の声を聞いていると否が応でも思い出してしまう。
 自分の知らない男に犯され発した艶めかしい声を。

「出てかない。黙りたくもない」
「頼むから出てってくれよ!」

 耳障りでしかないはずの声。聞きたくもない声。記憶から抹消してしまいたい兄の厭らしい声。
 決して受け入れたくはない兄の行動と、男との関係性を目のあたりにした葵が雅嗣の来訪を喜ぶはずがなかった。退出を願いでても聞き入れない兄はますますベッドへと歩み寄って来る。

「……葵は……オレがキライなんだよな?」
「あぁ、大嫌いだ」
「そう、だよな……男を取っ替え引っ替えしてるような兄貴のことなんて……キライに決まってるよな」

 自虐的に言い放つ兄は薄い笑い声を漏らしていた。何を聞かされようと気持ちは変わらないはずだったが、悲しみに暮れている声色に胸を強く打たれてしまったような気がした。
 同じ親の血を受け継いでいる兄の思いがけない言葉に、ゆっくりと振り返ってしまう。兄と弟、変えられるはずのない関係性の元に生まれた男をただ蔑ろにしてしまえるほど心の底から嫌うことはできないらしい。

「葵?」
「俺は兄貴のことが嫌いだ。あんたのその……男に対しての欲求を堪えきれないとこが……マジで嫌いだ。でも……なんでだろうな、血を分け合っただけあるのか…今日だけは特別許してやる」
「相変わらずオレには上からだよなぁ、葵」
「嫌ならとっとと出てけよ」 
「イヤとは言ってないよ」

 思い出される兄の淫らな声。いくら大きく首を横に振っても思い出してしまう声に関する記憶全てを消してしまいたい。
 しかし今、寂しげに肩を落とす子犬のようにベッドの前で立つ実の兄を拒絶できずにいた。

「枕は?」
「持って来た」
「……じゃあ、入ったら」
「うん、ありがと」

 壁際に寄り、兄の入るスペースを開けた。壁側へと顔を向け、兄に対して背を向ける体勢をとる。
 葵よりも僅かに高い身長とそれでいて細身なこの体を抱いた男がいる。見知らぬ男に抱かれた兄。目の前でベッドに横になった雅嗣とは間違いなく兄弟だが、越えてはならない一線が明確に刻まれているのもまた事実。引かれた一線を越えるつもりは毛頭ないが数年ぶりに感じた雅嗣の温もりについ懐かしさを感じた。

「俺はもう寝るけど、変なことしたら許さねーから」
「しないよ、葵には。──絶対に」
「……そ、ならよかった」

 葵には、という一言に引っかかりを覚えながらもゆっくりと目を瞑る。途端に視界には光が届かない空間が広がった。ただ穏やかな兄の呼吸音と、静かに響き渡る己の心拍音を耳に聞き入れながら眠りにつく。

「おやすみ、葵」

 普段顔を合わせれば一方的に酷く淀んだ瞳で兄を見つめてしまっていたが、──今だけは。

「……あぁ、おやすみ……兄貴」

 背中に届く温かみとともに幼き日の楽しかった思い出を夢の中で思い出しても良さそうだ。二人仲良く笑みを浮かべていた何の変哲もない穏やかな日々の記憶を。
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