ユーアンドデストロイ

匿名性症候群

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 その落下音は、聞く限りでは人体に甚大なダメージを与えたであろう事を想像させるに難くなかった。
「いてえ……」
 しかし落下し、地面に叩きつけられて意識を取り戻した猫村沖雪ねこむらおきゆきの体に生じた実際のダメージは、大きくなかった。大きくなかったどころか、ほぼ皆無である。それでも、「いてえ」と、呟いたのは、痛くもないのに小突かれた時、どこかに体をぶつけた時などに、咄嗟に出てしまう口癖のようなもので、沖雪自身は無傷で起き上がった。そして辺りを見渡す。
 草原というにはあまりに小さく、そして、不気味な場所だった。
 空に囲まれた、野球場ほどもない小さな島。沖雪は恐る恐る下を覗いたが、上から続いた空が、下にも広がっているのみだった。浮遊しているのだろうか。どちらにせよ、ここでずっと立ち往生しているわけにはいかないのが人間である。考える為に備えられた脳みそをフル回転させ、やっぱり、
「いや、どこだよ」
 島の真ん中に座り(沖雪が一番、安全を感じる場所。それでもまだ恐ろしいのだが)、頭を抱えた。最早、この状況に考える余地など残されていない。物理法則から連なる様々な法則を無視しているであろう状況にいる自分。現状を把握するので一杯一杯なのだ。
 考えなしに動いたところで、ここは浮遊する孤島である。一歩踏み間違えれば、空に落ちるし(というのも妙な表現だが)、それこそ考えなしに動いて何が起こるかはわからない(何も起こらないかもしれない)。しかし、この場所に思考を巡らす余地はない。
 沖雪の頭の中にあったのは、恐怖に追い詰められた自身の孤独と、それに伴った絶望。
「底は、恐ろしいですね」
「!」
 少なくとも、孤独から解放されたと考えた沖雪は、声のした方を見て、思わず立ち上がる。先程まで、考えなしの行動は危険だと判断したばかりなのに、こうして立ち上がった沖雪だが、それは一種の防衛本能であり、むしろ考えなくて良い部類のものである。
 帯刀した、赤と白の特徴的な軍服を見に纏った、細目の男。
 危険だ。
 頭の中で警鐘が鳴り響く。背中の皮膚がヒリヒリと不快な立ち方をする。
「……あんたも含めてな」
 沖雪が男と対面し立ち上がり、数秒。沖雪にはつらく長い時間の中で考えた末、出したのは、そんな憎まれ口だった。しかしそれ以上に、素直な感想でもあったし、この現状に変化をもたらすとしたら、この男しかいないと考えた沖雪は、ゆっくりと臨戦態勢に入る。緊急事態においては遅すぎると思われる沖雪の臨戦態勢に、前髪のきっちり分けられた男は、にこりと笑った。それが尚更、沖雪の瞳に不気味な形として映した。
我々・・は敵ではありませんよ。むしろ、仲間と呼べる者になれるでしょう」
 こちらへ。
 男は一歩、立っていた場所を横に移動した。男に夢中で気付かなかったが、彼の背後には木製の扉がひとりでに立っていた。先程まで──男が現れるまでなかったものだ。あれば何よりも先にその扉へ意識が行くはずである。
 しかし絶望的と言えるほど、沖雪の反応というのは、全て遅れていた。まずこの男がどういった手段でここにいるのかや、注意を向ければすぐに見えたはずの扉に意識を向けられなかったのは、ただ単純に、沖雪が目の前の男にしか意識を向けることができなかったという、欠落した危機意識が原因だった。
「ここは恐ろしい。場所を移して、お話をしましょう」
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