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猫村沖雪が男の言われるがまま、扉を潜ったのは、そうするしかなかったからであって、決して、沖雪の男に対する印象というのは、揺らぐことがなかった。
胡散臭い。
その一言に尽きる。
しかし、同行を拒否したところで、あの孤島に取り残されても仕様がない。沖雪は恐る恐る、扉の先に広がる空間を見渡した。ドーム状に広がるその部屋は、体育館を思わせるような──それにしては巨大すぎるが。
「ここは戦闘訓練を行う道場となります。我々は日々、ここで鍛錬を積みます」
「戦闘訓練……ねぇ」
今から行われるのは、少なくとも訓練ではない。そう、肌に感じさせる敵意や殺意を、拙い危機察知能力で辛うじて感じ取っていた沖雪は、さらに危機感を強く持つ。
周りに九名の、男と同じく軍服を着用した男女がいるが、これが何かしらの訓練ならば、その腰に差した刀はなんだというのだろう。
そのうちの一人、木刀をふた振り持った女性が、男に、そして、沖雪に手渡した。
「……これは?」
「手合わせをしましょう。でもまあ、その前に自己紹介からさせてください。私の名前は湯村原水。ここでは例外隊を率いる隊長を務めています。この子は副隊長の日傘雨」
「…………」
先程、木刀を渡しに来た女性だ。名前を聞いた時に目が合い、会釈をされたが、それを何かしらのリアクションとして返すことができるほど、沖雪に余裕はなかった。
「これから行うのはいわゆる『実戦テスト』と呼ばれるものになります。あなたに力があるかどうかを見定めるものです。私を殺す気で向かってきてください」
またにこりと微笑み、木刀を構える湯村原水。それに対し、
「……いい加減にしろよ! ここはどこで、あんたらは何なんだよ!」
沖雪は渡された木刀で構えるどころか、それを捨てて叫んだ。
木刀は軽い音を立てて床に倒れる。それを原水は一瞥し、沖雪に視線を戻した。顔から笑みは消えている。
「……!」
そこからである。
殺意。
周りにいる誰よりも強く、鋭く、重い殺意が、原水から放たれた。
この男を胡散臭く感じていたのはコレが原因であることを、沖雪は理解する。この男は、ずっとコレを隠していたのだ。
「ぐぁっ」
捨てた木刀を取りに走ったのは正しい判断だったが、戦闘能力の差が、正しさを殺した。移動した沖雪の動きを原水が見逃すはずもなく、沖雪の胴体に蹴りを加えた。派手に転がる沖雪に追撃で再び蹴り。沖雪の体は、原水の体躯からは想像出来ない衝撃で軽々と飛ばされる。
この時、沖雪の頭の中にあったイメージは、車に轢かれる人間である。
ただ、そのイメージは一瞬で霧散した。相手がトラックなどではなく、人だからだ。
恐るべき身体能力だ。とてもではないけれど、戦って勝てる相手ではない。
ああ、だからテストなのか。
沖雪は体が軋む音を感じながら、立ち上がれずに、呼吸困難に陥りかけながら、床に肘をついて息をする。
「木刀です」
ぽいと投げられた木刀は、先程沖雪に投げ捨てられたそれだ。地に這う自分の目の前に転がってきたそいつを、沖雪は手に取り、それを杖のように使い、立ち上がる。
自分は採点される側。添削までされている。「あなたの武器を捨てた行動は愚かですよ」と、捨てた武器を返される始末だ。
「何が目的だ……!」
「言ったはずでしょう? テストだと。あなたの力を計っているのです」
「何も分からずにここにいる俺にか⁉︎ どうかしてるぞ、お前ら!」
「交わすべきは言葉ではない」
再び。
あの圧縮された殺意が放たれる。原水は片腕で木刀を素振りして見せ、沖雪は空気を切る音に気圧された。
「交わすべきは剣だ」
向かう原水を、辛うじて視認した沖雪は反射的に刀を構えたが、今度は顔面に鋭い横蹴りが入った。視界から思考までごちゃ混ぜにされ、一瞬遅れた激痛。そして、その蹴りを食らってなお存命している自身の首の可動域に驚きつつ、沖雪は立ち上がる。これも反射的に立ち上がったに過ぎず、まだ、ダメージは消えていない。それどころか、脳へのダメージによる視界のブレが激しかった。
「ほう!」
が、それでも次の動きで、原水の木刀での攻撃を防いだ。
「いい反応です」
原水は素直に賞賛したが、沖雪のこの防御も反射的なものに過ぎなかった。ただ、沖雪の復帰し始めていた意識の中に、戦いにおける確かなコツを掴んでいたのも事実だ。
相手の膂力が化物じみていると感じる一方、それに直撃し、なお追撃され、立っていられる自分自身にも、戸惑いがあった。
それでも、やはりダメージがあるのには変わりなかった沖雪の隙を、原水は突いた。精神的にも、物理的にも。
「が……っ」
鳩尾を肘打ちされた衝撃。呼吸困難。脳内に訪れる軽いパニック。
これらを許容できるほど、沖雪の体に余裕はもはやなかった。掴んだコツも、掴めただけで、利用するにはまだ至らなかった。
倒れた自分を見下ろす原水。冷めた殺意に沖雪は自身の無力を痛感する。それこそ、死ぬほど痛い。
「負けてたまるか」
沖雪は唇を噛んで、意識を途切れさせまいと抵抗する。
「勝つ。勝ちたい」
拳に血が滲む。掌に食い込む爪が、なんとか沖雪の意識を、
「倒す」
保とうと、
「戦う」
するが、
「殺す」
その熱意は強制的な何者かによって、かき消された。
胡散臭い。
その一言に尽きる。
しかし、同行を拒否したところで、あの孤島に取り残されても仕様がない。沖雪は恐る恐る、扉の先に広がる空間を見渡した。ドーム状に広がるその部屋は、体育館を思わせるような──それにしては巨大すぎるが。
「ここは戦闘訓練を行う道場となります。我々は日々、ここで鍛錬を積みます」
「戦闘訓練……ねぇ」
今から行われるのは、少なくとも訓練ではない。そう、肌に感じさせる敵意や殺意を、拙い危機察知能力で辛うじて感じ取っていた沖雪は、さらに危機感を強く持つ。
周りに九名の、男と同じく軍服を着用した男女がいるが、これが何かしらの訓練ならば、その腰に差した刀はなんだというのだろう。
そのうちの一人、木刀をふた振り持った女性が、男に、そして、沖雪に手渡した。
「……これは?」
「手合わせをしましょう。でもまあ、その前に自己紹介からさせてください。私の名前は湯村原水。ここでは例外隊を率いる隊長を務めています。この子は副隊長の日傘雨」
「…………」
先程、木刀を渡しに来た女性だ。名前を聞いた時に目が合い、会釈をされたが、それを何かしらのリアクションとして返すことができるほど、沖雪に余裕はなかった。
「これから行うのはいわゆる『実戦テスト』と呼ばれるものになります。あなたに力があるかどうかを見定めるものです。私を殺す気で向かってきてください」
またにこりと微笑み、木刀を構える湯村原水。それに対し、
「……いい加減にしろよ! ここはどこで、あんたらは何なんだよ!」
沖雪は渡された木刀で構えるどころか、それを捨てて叫んだ。
木刀は軽い音を立てて床に倒れる。それを原水は一瞥し、沖雪に視線を戻した。顔から笑みは消えている。
「……!」
そこからである。
殺意。
周りにいる誰よりも強く、鋭く、重い殺意が、原水から放たれた。
この男を胡散臭く感じていたのはコレが原因であることを、沖雪は理解する。この男は、ずっとコレを隠していたのだ。
「ぐぁっ」
捨てた木刀を取りに走ったのは正しい判断だったが、戦闘能力の差が、正しさを殺した。移動した沖雪の動きを原水が見逃すはずもなく、沖雪の胴体に蹴りを加えた。派手に転がる沖雪に追撃で再び蹴り。沖雪の体は、原水の体躯からは想像出来ない衝撃で軽々と飛ばされる。
この時、沖雪の頭の中にあったイメージは、車に轢かれる人間である。
ただ、そのイメージは一瞬で霧散した。相手がトラックなどではなく、人だからだ。
恐るべき身体能力だ。とてもではないけれど、戦って勝てる相手ではない。
ああ、だからテストなのか。
沖雪は体が軋む音を感じながら、立ち上がれずに、呼吸困難に陥りかけながら、床に肘をついて息をする。
「木刀です」
ぽいと投げられた木刀は、先程沖雪に投げ捨てられたそれだ。地に這う自分の目の前に転がってきたそいつを、沖雪は手に取り、それを杖のように使い、立ち上がる。
自分は採点される側。添削までされている。「あなたの武器を捨てた行動は愚かですよ」と、捨てた武器を返される始末だ。
「何が目的だ……!」
「言ったはずでしょう? テストだと。あなたの力を計っているのです」
「何も分からずにここにいる俺にか⁉︎ どうかしてるぞ、お前ら!」
「交わすべきは言葉ではない」
再び。
あの圧縮された殺意が放たれる。原水は片腕で木刀を素振りして見せ、沖雪は空気を切る音に気圧された。
「交わすべきは剣だ」
向かう原水を、辛うじて視認した沖雪は反射的に刀を構えたが、今度は顔面に鋭い横蹴りが入った。視界から思考までごちゃ混ぜにされ、一瞬遅れた激痛。そして、その蹴りを食らってなお存命している自身の首の可動域に驚きつつ、沖雪は立ち上がる。これも反射的に立ち上がったに過ぎず、まだ、ダメージは消えていない。それどころか、脳へのダメージによる視界のブレが激しかった。
「ほう!」
が、それでも次の動きで、原水の木刀での攻撃を防いだ。
「いい反応です」
原水は素直に賞賛したが、沖雪のこの防御も反射的なものに過ぎなかった。ただ、沖雪の復帰し始めていた意識の中に、戦いにおける確かなコツを掴んでいたのも事実だ。
相手の膂力が化物じみていると感じる一方、それに直撃し、なお追撃され、立っていられる自分自身にも、戸惑いがあった。
それでも、やはりダメージがあるのには変わりなかった沖雪の隙を、原水は突いた。精神的にも、物理的にも。
「が……っ」
鳩尾を肘打ちされた衝撃。呼吸困難。脳内に訪れる軽いパニック。
これらを許容できるほど、沖雪の体に余裕はもはやなかった。掴んだコツも、掴めただけで、利用するにはまだ至らなかった。
倒れた自分を見下ろす原水。冷めた殺意に沖雪は自身の無力を痛感する。それこそ、死ぬほど痛い。
「負けてたまるか」
沖雪は唇を噛んで、意識を途切れさせまいと抵抗する。
「勝つ。勝ちたい」
拳に血が滲む。掌に食い込む爪が、なんとか沖雪の意識を、
「倒す」
保とうと、
「戦う」
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その熱意は強制的な何者かによって、かき消された。
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