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第1話
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吾輩は猫である。
名前はまだない。
拾ってくれた少女は吾輩のことを「ねこさん」と呼ぶ。
ねこさんと呼ぶのは、吾輩がただ猫だからだ。名前ではない。
前世で誤って命を刈られたために、おかしな女神によって転生を許された吾輩。
真っ黒な毛並みに左右で異なる赤と青の目を持つ、ありふれた一匹の猫である。
人間だった前世に悔いなどなかったが、とうとう死ぬまで女性の裸を見たこともなければ、まぐわうこともできなかったことが、男として生を受けた者としての悔いといえば悔いであろう。
新しい人生では、今度こそ女性と懇ろに…などと願っておったら、気づけばなぜか猫の姿になっており、捨て猫として少女に拾われた次第だ。
*
少女に拾われてからというもの、小綺麗で金持ちそうな屋敷の一部屋でぬくぬくと暮らしていた吾輩。
猫の立場ともなれば、少女の裸も見放題…ではあるのだが。
拾ってくれた恩義のある少女の裸を盗み見ることなどできず。
拾われた者には拾われた者なりの矜持があるのである。
ちなみに。
その吾輩を拾ってくれた恩ある少女なのだが、かように快適な環境下にありながら、不思議と毎日泣いてばかりいる。
こんなに高そうな屋敷に住み、美味い食事をたらふく食べられ、召使いさえいる。
そんな生活に不満を申すなど贅沢千万。いったいどこに不満があると申すのか。
*
聞けば少女は、平民なのに王に聖女と見そめられてこの屋敷に連れてこられたらしい。
そして、それを面白く思わぬ高貴な身分の者たちから、庶民が色目を使ったなら何やら言われて、日々嫌がらせを受けているらしい。
少女はもと平民ゆえ、それなりのマナーとやらを学んでから王に召されることになるようだ。
望まぬことなら故郷に逃げて帰ってしまえばよいだろうとも思うのだが、少女を差し出す代わりに王から親や村にかなりの礼金が支払われたと聞いた。
籠の中の鳥である。
自由な我が身からすると、ひどく可哀そうである。
少女は毎日吾輩を抱えては泣くものだから、たいそう困ってしまった。
吾輩、少女を慰めたこともなければ、慰め方もわからぬ。
ただその顔に頬を擦り寄せて、流れる涙を舐めとることしか出来ぬのである。
*
ある日。
吾輩はひとつの案を思いついた。
毎日飽きずに嫌がらせにやってくるやつの行動はいつも同じ。
決まって朝一番からやってくる。
その動線に、そそうをしておいてやった。
ドアを開け、一歩踏み出した途端。
まだほかほかで湯気の立つ、むにゅりと柔らかいものを踏む。
響く絶叫。
目には目を。
嫌がらせには嫌がらせを。
少女に嫌がらせをするやつは、捨て台詞のような罵詈雑言を浴びせかけながら去っていった。
ざまあみろである。
おかげでその日、少女は何もされなくて済んだ。
ただ、いくらなんでも翌日同じことをしても無駄であろう。
ちなみに、親がらせにやってくるやつは猫好きのようだ。
なぜなら、そそうを踏んでも、吾輩に仕返しなどなかったからだ。
だとしたら、吾輩がやつに愛想を振り撒けば、少しは少女に向ける敵意も柔らぐのでは、と思ったが。
擦り寄ろうとした瞬間、少女がまるで神は死んだとばかりに哀しそうな表情を浮かべたので即やめた。
金輪際やることはない。我が主は少女だけである。
*
時は過ぎ、王のもとに少女が召される儀とやらが近づいてきた。
なんとか少女に辞退させよう、陥れようと、いじめも日々苛烈なものになっていった。
傍にいることしかできない吾輩の、なんたる無力なことか。
「ねこさんだけは、ずっと一緒にいてね」
無理に笑顔を浮かべてそう言われ、胸に抱きしめられる日々。
吾輩にできることはないだろうか。
もはやおっぱいがどうなどとは言ってはおられぬ。
*
ある日。
吾輩はとんでもないことを耳にしてしまった。
少女をいじめている貴族たちが、少女を暴漢に襲わせようと計画しているというのだ。
少女を傷物にすれば、さすがの王も聖女として少女を諦めるだろうということのようだった。
吾輩は激怒した。
これまでも許すことのできなかったやつらが、少女の尊厳をさらに傷つけようというのだ。
吾輩はついに堪忍袋の緒が切れた。
実は吾輩、望めば以前の人間の姿に戻ることができる。
誤って吾輩の命を刈ったぽんこつな女神が、前世で女と縁がなかった吾輩に同情して、猫ではない人生も選べる力をくれたのだ。
さすれば、人の姿に戻った吾輩が、少女が傷つけられる前に、むしろきゃつらを傷物に…と思ったのだ。
自身の外観の良しあしはわからぬが、前の人生で女性とまったく縁がなかったことから、少なくとも女性に好かれる容姿をしておらぬことはわかる。
そんな吾輩に傷物にされては、身分の高いやつらにとっては致命傷になることであろう。
ただ、それをしたところで、少女が王に召されるのは変わらない。
その結果、少女が幸せになれるという結論には、どう考えても辿り着くことができなかった。
*
ふと、我に返った。
少女は――襲われれば村に帰される。
であれば、むしろ――吾輩が少女を襲えばいいのではないか。
かつて、女性という女性に、まったく縁がなかった吾輩。
繰り返すが、吾輩は恐らく不細工というものであろう。
そんな不細工な吾輩が……少女を襲ったらどうだろうか。
王は果たして、少女のことを諦めて解放するのではないか。
もちろん本当に襲うわけではない。
いくら吾輩が胸が見たいといっても、そんな卑劣な手段をとって見るのはとんとごめんだ。
あくまで、振りだけである。
それでも、王とは名誉や綺麗ごとを重んじるもの。
不細工に傷ものにされた疑いを持った聖女を、敢えて手に入れようとはしまい。
*
ただ、王の手を離れ、村に帰れることになったとしても、少女を傷つけてしまうことは変わらぬ。
たとえ襲われたのがふりだとしても、解放されるためには、少女はそれがふりだったとは言えない。
本来傷一つつけられていない少女は、傷物にされ、さらには周りからの誹謗に、ひどく傷つくであろう。
これまでのようにひとりぎゅっとひざを抱えてうつむく少女の顔を思い浮かべるだけで、吾輩の胸はきつく痛んだ。
それでも。
吾輩がせねば、他の暴漢が少女を襲うかもしれないのである。
その男は、恐らく少女を躊躇いなどなく本当に傷つけることであろう。
これまでに少女は、十分すぎるほど傷ついていた。
そのうえで、王に召されず、傷つけられ、村へと追いやられるのだ。
たいへんな目に遭わせるのは忍びないが、不細工に振りだけで襲われるほうが、僅かにましであろう。
(続く)
名前はまだない。
拾ってくれた少女は吾輩のことを「ねこさん」と呼ぶ。
ねこさんと呼ぶのは、吾輩がただ猫だからだ。名前ではない。
前世で誤って命を刈られたために、おかしな女神によって転生を許された吾輩。
真っ黒な毛並みに左右で異なる赤と青の目を持つ、ありふれた一匹の猫である。
人間だった前世に悔いなどなかったが、とうとう死ぬまで女性の裸を見たこともなければ、まぐわうこともできなかったことが、男として生を受けた者としての悔いといえば悔いであろう。
新しい人生では、今度こそ女性と懇ろに…などと願っておったら、気づけばなぜか猫の姿になっており、捨て猫として少女に拾われた次第だ。
*
少女に拾われてからというもの、小綺麗で金持ちそうな屋敷の一部屋でぬくぬくと暮らしていた吾輩。
猫の立場ともなれば、少女の裸も見放題…ではあるのだが。
拾ってくれた恩義のある少女の裸を盗み見ることなどできず。
拾われた者には拾われた者なりの矜持があるのである。
ちなみに。
その吾輩を拾ってくれた恩ある少女なのだが、かように快適な環境下にありながら、不思議と毎日泣いてばかりいる。
こんなに高そうな屋敷に住み、美味い食事をたらふく食べられ、召使いさえいる。
そんな生活に不満を申すなど贅沢千万。いったいどこに不満があると申すのか。
*
聞けば少女は、平民なのに王に聖女と見そめられてこの屋敷に連れてこられたらしい。
そして、それを面白く思わぬ高貴な身分の者たちから、庶民が色目を使ったなら何やら言われて、日々嫌がらせを受けているらしい。
少女はもと平民ゆえ、それなりのマナーとやらを学んでから王に召されることになるようだ。
望まぬことなら故郷に逃げて帰ってしまえばよいだろうとも思うのだが、少女を差し出す代わりに王から親や村にかなりの礼金が支払われたと聞いた。
籠の中の鳥である。
自由な我が身からすると、ひどく可哀そうである。
少女は毎日吾輩を抱えては泣くものだから、たいそう困ってしまった。
吾輩、少女を慰めたこともなければ、慰め方もわからぬ。
ただその顔に頬を擦り寄せて、流れる涙を舐めとることしか出来ぬのである。
*
ある日。
吾輩はひとつの案を思いついた。
毎日飽きずに嫌がらせにやってくるやつの行動はいつも同じ。
決まって朝一番からやってくる。
その動線に、そそうをしておいてやった。
ドアを開け、一歩踏み出した途端。
まだほかほかで湯気の立つ、むにゅりと柔らかいものを踏む。
響く絶叫。
目には目を。
嫌がらせには嫌がらせを。
少女に嫌がらせをするやつは、捨て台詞のような罵詈雑言を浴びせかけながら去っていった。
ざまあみろである。
おかげでその日、少女は何もされなくて済んだ。
ただ、いくらなんでも翌日同じことをしても無駄であろう。
ちなみに、親がらせにやってくるやつは猫好きのようだ。
なぜなら、そそうを踏んでも、吾輩に仕返しなどなかったからだ。
だとしたら、吾輩がやつに愛想を振り撒けば、少しは少女に向ける敵意も柔らぐのでは、と思ったが。
擦り寄ろうとした瞬間、少女がまるで神は死んだとばかりに哀しそうな表情を浮かべたので即やめた。
金輪際やることはない。我が主は少女だけである。
*
時は過ぎ、王のもとに少女が召される儀とやらが近づいてきた。
なんとか少女に辞退させよう、陥れようと、いじめも日々苛烈なものになっていった。
傍にいることしかできない吾輩の、なんたる無力なことか。
「ねこさんだけは、ずっと一緒にいてね」
無理に笑顔を浮かべてそう言われ、胸に抱きしめられる日々。
吾輩にできることはないだろうか。
もはやおっぱいがどうなどとは言ってはおられぬ。
*
ある日。
吾輩はとんでもないことを耳にしてしまった。
少女をいじめている貴族たちが、少女を暴漢に襲わせようと計画しているというのだ。
少女を傷物にすれば、さすがの王も聖女として少女を諦めるだろうということのようだった。
吾輩は激怒した。
これまでも許すことのできなかったやつらが、少女の尊厳をさらに傷つけようというのだ。
吾輩はついに堪忍袋の緒が切れた。
実は吾輩、望めば以前の人間の姿に戻ることができる。
誤って吾輩の命を刈ったぽんこつな女神が、前世で女と縁がなかった吾輩に同情して、猫ではない人生も選べる力をくれたのだ。
さすれば、人の姿に戻った吾輩が、少女が傷つけられる前に、むしろきゃつらを傷物に…と思ったのだ。
自身の外観の良しあしはわからぬが、前の人生で女性とまったく縁がなかったことから、少なくとも女性に好かれる容姿をしておらぬことはわかる。
そんな吾輩に傷物にされては、身分の高いやつらにとっては致命傷になることであろう。
ただ、それをしたところで、少女が王に召されるのは変わらない。
その結果、少女が幸せになれるという結論には、どう考えても辿り着くことができなかった。
*
ふと、我に返った。
少女は――襲われれば村に帰される。
であれば、むしろ――吾輩が少女を襲えばいいのではないか。
かつて、女性という女性に、まったく縁がなかった吾輩。
繰り返すが、吾輩は恐らく不細工というものであろう。
そんな不細工な吾輩が……少女を襲ったらどうだろうか。
王は果たして、少女のことを諦めて解放するのではないか。
もちろん本当に襲うわけではない。
いくら吾輩が胸が見たいといっても、そんな卑劣な手段をとって見るのはとんとごめんだ。
あくまで、振りだけである。
それでも、王とは名誉や綺麗ごとを重んじるもの。
不細工に傷ものにされた疑いを持った聖女を、敢えて手に入れようとはしまい。
*
ただ、王の手を離れ、村に帰れることになったとしても、少女を傷つけてしまうことは変わらぬ。
たとえ襲われたのがふりだとしても、解放されるためには、少女はそれがふりだったとは言えない。
本来傷一つつけられていない少女は、傷物にされ、さらには周りからの誹謗に、ひどく傷つくであろう。
これまでのようにひとりぎゅっとひざを抱えてうつむく少女の顔を思い浮かべるだけで、吾輩の胸はきつく痛んだ。
それでも。
吾輩がせねば、他の暴漢が少女を襲うかもしれないのである。
その男は、恐らく少女を躊躇いなどなく本当に傷つけることであろう。
これまでに少女は、十分すぎるほど傷ついていた。
そのうえで、王に召されず、傷つけられ、村へと追いやられるのだ。
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(続く)
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