中古一国記

安川某

文字の大きさ
上 下
25 / 47
二章

第24話 月下の夜襲②

しおりを挟む
 夜空に赤い星が次々と打ち上がり、それらが流星のように地面に降り注ぐと草木が燃え上がる。

 炎によって浮かび上がったのは動揺し混乱を極めるフィアット軍の姿だった。

「落ち着け! 草木はまばら、さして燃え広がりはせん!」

 フィアット王の叔父であり大公として全軍の指揮権を持つディアノ・バルディーニは兵たちに叱咤する。

 大公のわずか半マイル先にも満たない場所で激しい白兵戦が始まっていた。
 行軍中の横腹を突かれる形になったフィアット軍は当初大きな混乱に見舞われたが、配下の将軍たちが直ちに兵らをなだめ、防戦を開始している。

「バルディーニ大公!」

 騎馬を駆りやってきた一人の将軍が大公を呼んだ。将軍は大公の下へ駆け寄ると兜を脱ぎ、跪いた。

 茶色の長い髪をなびかせて跪いたのは、美しい女性騎士だった。

「おお、レツィア」

 レツィアと呼ばれた将軍は切れ長の目に闘志をたたえ、大公に報告をする。

「暗闇のため正確な数はわかりませんが、敵はおよそ三千ほどと思われます。現在ベルテ・ニーロ、エリオ・ジラルディーノの両将軍が迎撃にあたっており、敵を止めております」

「よし、我らも向かうぞ」

「大公!」

 レツィアが叫び声を上げる。大公がレツィアの目線の先へ顔を向けると、林の中から騎兵の集団が飛び出してこちらへ突進してくる姿が見えた。

「敵の別働隊か! 止めろ! 止めろぉ!」

 大公が命じるとレツィアが剣を抜き、「全兵集結、大公を守れ!」と号令をかける。

 敵騎兵が歓声を上げて猛進してくる。距離が近くなってその姿をよく見ると、重装の騎兵だということがわかった。おそらくは敵の精鋭。ディアノ・バルディーニの首筋に汗が伝った。

「槍を前に出し堅守陣を組め! 一歩も引くな!」

 レツィアが怒号を飛ばして死守を命じる。しかし兵たちの表情には動揺が見えている。大公の親衛隊はともかくとして、随行する傭兵たちの中には割に合わない仕事になったと考える者も多いからだ。

 敵騎兵に続いて歩兵までもが林から突撃を仕掛けてきている。それを見たレツィア・デ・ルカ将軍も狼狽が顔に浮かんだ。

「右方に敵騎兵!」

「なんだと!?」

 将校がもたらした予想外の報告に大公が思わず声を荒げた。まずい、このままでは二正面から攻撃を受ける形になる。大公は歯を強く噛み締めて新たな敵の方角を見た。

 だが出現した騎兵は大公らがいるすぐ横を駆け抜けると、そのまま敵の方へ突き進んでいく。

「新たな騎兵はナプスブルク軍の模様!」

 その知らせを聞いて大公は思わず「おお」と声を漏らした。

 ナプスブルク騎兵隊の先頭を行くのは巨大な斧槍を携えた大男だった。ランドルフ・フォン・ブルフミュラーは自分たちを驚きの目で見るフィアット軍には目もくれず、前線での戦いに横殴りを駆けるように騎兵を突っ込ませた。

 横腹を襲われたセラステレナ軍騎兵がなぎ倒されると、ランドルフ軍の騎兵たちはそのまま前進してきた敵歩兵の群れへ突撃し、戦場は混戦の様相を呈し始めた。

 ランドルフ軍の騎兵突撃によって戦況がフィアット側に傾きかけたころ、異変が起きた。

 ランドルフが鍛えに鍛えた騎兵たちをなぎ倒す者がいた。大剣を縦横無尽に振り回す一騎。おそらくはセラステレナ指揮官の一人。

「親父、あいつは俺に任せろ」

 側にいた将校のロドニーが鉄槍に付いた血糊を振り落とすと、そう言った。

「ロドニー、待て」

「たまには俺にも手柄を立てさせろよ! 親父」

 ロドニーは朗らかにそう言って馬を駆けさせる。

 大剣の騎士は目の前のランドルフ軍の兵士の胴を断ち切ると、ロドニーの接近に気づいた。
 眼帯をかけた細身のロドニーと比較すると堂々とした体格を持つその男は、べっとりとこびりついた大剣の血糊を振り落とすとロドニーめがけて突進する。

 対するロドニーは両手で握った槍を腰の位置に構え、大剣の男の胴に狙いを定める。

 槍の長さを活かし、すれ違いざまの一瞬に勝負を決めてやる。ロドニーは自信に満ちた不敵な笑みを浮かべた。

 二騎が距離が縮まる。ロドニーは残った右目を鋭く光らせ、槍を突き出すタイミングを見計らう。

 その時、大剣の男が急激に馬首を右側にきった。それはロドニーにとっては左側、すなわち左目の視力を失っているロドニーにとっては闇夜よりも深く暗い側。

「なんだと!?」

 慌てたロドニーが槍を構えなおそうとしたとき、馬を加速させた男の大剣がロドニーの乗馬の首を下から薙ぎ切っていた。

 ロドニーが短く悲鳴を上げると同時に、絶命した馬から身体を投げ出される。
 不意の落馬で受け身を取りそこねたロドニーが地面に叩きつけられると、馬を切り替えしてきた男が大剣を構え止めを刺しに向かってくる。

「汚えぞ! お前!」

 ロドニーが呻きながらそう言うが、大剣の男にその言葉は届いていない。

「待て」

 大剣の男の背後から呼びかけた者がいた。男が振り返ると、そこには馬上のランドルフがいた。

「私が相手をしよう。貴殿が勝てば、この戦の勝敗はそこで決まる」

 月明かりがランドルフの白髪と、眼光鋭い目を照らし出す。
 その姿を見て、大剣の男が初めて口を開いた。

「年寄りを斬って戦が決まるとは思えんな」

 月明かりに照らされた大剣の男の顔がはっきりと見えた。若く、そして自信に溢れた顔。その顔を見るだけでランドルフにはこの男の強さがわかった。

「試してみるがいい」

 ランドルフがそう答えると、両者は獲物を構えて馬を駆けさせる。

 お互いの馬首がぶつかりそうになったとき、ランドルフが振り上げた斧槍が男の頭部めがけて振り下ろされる。
 しかし男は大剣を横に構えこれを防ぎきる。
 ランドルフは直ちに二撃目を繰り出す。しかし男はこれも防ぐと、大剣をまるで木剣でも振るかのように軽々と、だが鋭く重い一撃としてランドルフに見舞った。

 いい若者だ。ランドルフは男の連撃を斧槍で防ぎながらそう思った。

 若く力に溢れている。相当の戦の経験も積んでいる。
 剣を交えればこの男が日頃どれだけ鍛錬に励んでいるのかがよく伝わってくる。
 力だけではない。知恵も回ることは繰り出す技を見ればわかる。そしてこの男の周辺で戦う兵たちの様子を見れば、指揮官としても才に恵まれていることがよくわかる。

 強くあろうとし、強くなるべくその道をまっすぐに進む者の強さだ。

 このような若く希望に満ちた力がいつか私を倒すのだろう。ランドルフは受ける大剣の重さを感じながら目を細めた。

 そして、この男にはいくつか足りないものがある。

 ランドルフは男の放った大剣を軽々と弾きあげると斧槍を再び構えた。

 それは、力と技を練り上げるに必要な年月。そして超えた死線の数。

 つまりは、圧倒的鍛錬不足。

 暴風が突き抜けるような音を立てて斧槍が一閃する。

 その後には男の首が宙を舞っていた。

「親父……すまねえ」

 ロドニーがランドルフに対して消え入りそうな声で侘びた。

 ランドルフは地面に落ちた若き騎士の亡骸を見て、ロドニーがこの男のようであれば自分も安心して退くことができるのだが、と思ってため息を吐いた。

「酒と女に溺れている場合ではないとわかったのではないか? ロドニー」

 ロドニーは叱られた犬のように眉を下げて、ううむと唸った。
しおりを挟む

処理中です...