36 / 47
二章
第35話 策謀
しおりを挟む
旧アミアン王国の都、アミュール城の一室で一人の男が報告書に目を通している。
歳は四十を超えたところ。物静かな顔立ちで、彼をまるで学者のようだと呼ぶ人もいる。実際のところ教師であったのだから、あながち的外れな意見でもない。
アミアン王国にセラステレナ国教を浸透させ半ば強引に併合することを成功させた張本人、枢機卿ヨハン・クリフトアスである。
「ナプスブルクとフィアット軍に妙な動きあり、か」
報告書には彼らの軍がダカン砦を包囲したことが書かれている。そこまでは予測通り。アミアン人の兵士に砦を守らせ時間を稼ぐ。その内に村から徴発した国内の食料をアミュール城に運び込む。
すると敵は干上がるか、無謀な城攻めを行うほかなくなる。
だが気になるのは報告書の続きに書かれていることであった。
彼らは砦を包囲した後、別働隊を出して領内の村に立ち寄って何やら民に呼びかけている。村を見張らせていた兵士たちはすぐに退却しているため、詳細まではわからない。
考えるまでもないな。クリフトアスは視力の落ちた目をこすりながらそう思った。
アミアン人の決起を促してまわっているのだ。領内に反乱を起こし、こちらを揺さぶろうとしている。
アミュール城へ輸送中の兵糧が襲われ、焼き払われたとの報告もある。これが事実であるのなら彼らには糧食の補給の目処があるか、あるいは短期に決着をつける自信があるのか。
「まったく、してやられた」
だがこれがあの摂政の策だとは思えない。あれはせいぜい内政にいくらかの得手があるだけだ。そして戦に通じ、アミアンに精通した者がいなければこの策は出てこない。ナプスブルクにそのような人材が? あるいはこちらに裏切り者が。
考えても答えの出ないことだ。クリフトアスはゆっくりと大きなため息をついた。
「教皇猊下がこれを見たら、私はどうなるかな」
アミアン人の支配を命じられながら領内では反乱が勃発。さらに当の責任者が本城に篭ったままでは、あの猊下のご気性のこと私は誅されることだろう。
運が良くても最下層に降格。それではしがない教師をしていたあのころよりも、惨めな生き方をしなければならなくなる。
相当な恨みも買っている。止むを得ないことであったと思っているが、私が地に堕ちれば喜んで彼らは私に石を投げるだろう。
クリフトアスはそう思うと、窓の外を見つめながら南方に布陣する敵軍に思いを馳せた。
これで我々は城を打って出るほか無くなった。だが……。
「野戦ならば勝てると思っているあたりが、やはり素人」
そしてあの摂政に優れた軍師が現れたのだとしても、その者にはどうしようもできない一手が自分にはある。”あの男”には礼を述べねばなるまい。
戦とは、刃を交えるまでにその趨勢を決めるものなのだ。
そしてクリフトアスはその温厚そうな顔に影を落とし、こう思った。
私はこの国のくだらない教えの鎖から解き放たれるために数多の敵を葬り、枢機卿に登り詰めた。
ロイ・ロジャー・ブラッドフォード。
元奴隷が成り上がれるほど、この世界は広くはないのだ。
***
グレーナー・グラウンはナプスブルクの王都にて、自身がこれまでに味わったことがないほどの多忙を極めていた。
都に着いてからというもの、わずかな睡眠時間をとる以外は兵糧庫と兵器廟を行き来しては報告受け、指示を下す。焼き討ちされた糧食と兵器を直ちに北へ送らなければならないからだ。
人夫の召集も芳しくない。収穫期をまもなく迎える農村から人手を取り過ぎれば、その後の政治が破たんする。
そして留守を預かる筆頭政務官のマルクスはこの間何の手立ても打っていない。
「グレーナー様」
物陰から旅人の身なりをした男がグレーナーに声をかけた。
グレーナーが放っていた密偵の一人である。
もっとも彼に命じていたのは自軍であるナプスブルグ軍についての調べである。
グレーナーは彼のような者を数名兵士の出立ちで軍中に潜ませてある。無論、ロイはそれを知らない。
密偵の彼は、兵士が出払っている王都の中では目立たぬように旅人へと変装していた。
「来たか、聞かせろ」
密偵の口から語られたのはナプスブルク軍が決定した戦術についてだった。ダカン砦を包囲し、領内の反乱を扇動し、セラステレナとの野戦での決戦に挑む。
その報告を聞くうちにグレーナーの顔はこの男としては珍しく焦りに満ちていった。
冗談ではない。その計画では”困る”。
「ご苦労。お前はしばし待機だ」
グレーナーは心中を悟れぬよう顔を無表情に戻すと密偵を下がらせた。そして額を拭う冷や汗に気づいた。
グレーナーは歯噛みをするような思いで呟く。
「この期に及んで短期決戦だと。それでは私がこの重たい兵糧と攻城兵器を連れ牛のような歩みで摂政の下へたどり着いたとき戦の勝敗は決している。勝つにしろ負けるにしろ、間抜けがのこのこと現れるようなものではないか」
新参の女軍師とやら、余計なことをする。
このままではどのような結果になったとしても、自分は不運の無能という烙印を押されることになる。同情を集めつつ摂政に頭を垂れるつもりか。
ふざけるな。
直ちに策を講じなければならない。
歳は四十を超えたところ。物静かな顔立ちで、彼をまるで学者のようだと呼ぶ人もいる。実際のところ教師であったのだから、あながち的外れな意見でもない。
アミアン王国にセラステレナ国教を浸透させ半ば強引に併合することを成功させた張本人、枢機卿ヨハン・クリフトアスである。
「ナプスブルクとフィアット軍に妙な動きあり、か」
報告書には彼らの軍がダカン砦を包囲したことが書かれている。そこまでは予測通り。アミアン人の兵士に砦を守らせ時間を稼ぐ。その内に村から徴発した国内の食料をアミュール城に運び込む。
すると敵は干上がるか、無謀な城攻めを行うほかなくなる。
だが気になるのは報告書の続きに書かれていることであった。
彼らは砦を包囲した後、別働隊を出して領内の村に立ち寄って何やら民に呼びかけている。村を見張らせていた兵士たちはすぐに退却しているため、詳細まではわからない。
考えるまでもないな。クリフトアスは視力の落ちた目をこすりながらそう思った。
アミアン人の決起を促してまわっているのだ。領内に反乱を起こし、こちらを揺さぶろうとしている。
アミュール城へ輸送中の兵糧が襲われ、焼き払われたとの報告もある。これが事実であるのなら彼らには糧食の補給の目処があるか、あるいは短期に決着をつける自信があるのか。
「まったく、してやられた」
だがこれがあの摂政の策だとは思えない。あれはせいぜい内政にいくらかの得手があるだけだ。そして戦に通じ、アミアンに精通した者がいなければこの策は出てこない。ナプスブルクにそのような人材が? あるいはこちらに裏切り者が。
考えても答えの出ないことだ。クリフトアスはゆっくりと大きなため息をついた。
「教皇猊下がこれを見たら、私はどうなるかな」
アミアン人の支配を命じられながら領内では反乱が勃発。さらに当の責任者が本城に篭ったままでは、あの猊下のご気性のこと私は誅されることだろう。
運が良くても最下層に降格。それではしがない教師をしていたあのころよりも、惨めな生き方をしなければならなくなる。
相当な恨みも買っている。止むを得ないことであったと思っているが、私が地に堕ちれば喜んで彼らは私に石を投げるだろう。
クリフトアスはそう思うと、窓の外を見つめながら南方に布陣する敵軍に思いを馳せた。
これで我々は城を打って出るほか無くなった。だが……。
「野戦ならば勝てると思っているあたりが、やはり素人」
そしてあの摂政に優れた軍師が現れたのだとしても、その者にはどうしようもできない一手が自分にはある。”あの男”には礼を述べねばなるまい。
戦とは、刃を交えるまでにその趨勢を決めるものなのだ。
そしてクリフトアスはその温厚そうな顔に影を落とし、こう思った。
私はこの国のくだらない教えの鎖から解き放たれるために数多の敵を葬り、枢機卿に登り詰めた。
ロイ・ロジャー・ブラッドフォード。
元奴隷が成り上がれるほど、この世界は広くはないのだ。
***
グレーナー・グラウンはナプスブルクの王都にて、自身がこれまでに味わったことがないほどの多忙を極めていた。
都に着いてからというもの、わずかな睡眠時間をとる以外は兵糧庫と兵器廟を行き来しては報告受け、指示を下す。焼き討ちされた糧食と兵器を直ちに北へ送らなければならないからだ。
人夫の召集も芳しくない。収穫期をまもなく迎える農村から人手を取り過ぎれば、その後の政治が破たんする。
そして留守を預かる筆頭政務官のマルクスはこの間何の手立ても打っていない。
「グレーナー様」
物陰から旅人の身なりをした男がグレーナーに声をかけた。
グレーナーが放っていた密偵の一人である。
もっとも彼に命じていたのは自軍であるナプスブルグ軍についての調べである。
グレーナーは彼のような者を数名兵士の出立ちで軍中に潜ませてある。無論、ロイはそれを知らない。
密偵の彼は、兵士が出払っている王都の中では目立たぬように旅人へと変装していた。
「来たか、聞かせろ」
密偵の口から語られたのはナプスブルク軍が決定した戦術についてだった。ダカン砦を包囲し、領内の反乱を扇動し、セラステレナとの野戦での決戦に挑む。
その報告を聞くうちにグレーナーの顔はこの男としては珍しく焦りに満ちていった。
冗談ではない。その計画では”困る”。
「ご苦労。お前はしばし待機だ」
グレーナーは心中を悟れぬよう顔を無表情に戻すと密偵を下がらせた。そして額を拭う冷や汗に気づいた。
グレーナーは歯噛みをするような思いで呟く。
「この期に及んで短期決戦だと。それでは私がこの重たい兵糧と攻城兵器を連れ牛のような歩みで摂政の下へたどり着いたとき戦の勝敗は決している。勝つにしろ負けるにしろ、間抜けがのこのこと現れるようなものではないか」
新参の女軍師とやら、余計なことをする。
このままではどのような結果になったとしても、自分は不運の無能という烙印を押されることになる。同情を集めつつ摂政に頭を垂れるつもりか。
ふざけるな。
直ちに策を講じなければならない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
親同士の決め事でしょう?
泉花ゆき
恋愛
伯爵令嬢であるリリアーナは学園で知り合った侯爵令息のアルフレッドから婚約を申し込まれる。
リリアーナは婚約を喜んで受け、家族からも祝福された。
長期休みの日、彼の招待で侯爵家へ向かう。
するとそこには家族ぐるみで仲良くしているらしいカレンという女がいた。
「あなたがアルの婚約者?へえー、こんな子が好みだったんだあ」
「いや……これは親同士が決めたことで……」
(……ん?あなたからプロポーズされてここへ来たんだけど……)
アルフレッドの、自称一番仲のいい友達であるカレンを前にして、だんだんと疑問が溜まってきたころ。
誰よりもこの婚約を不服に思うリリアーナの弟が、公爵令息を連れて姉へと紹介しにくる。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる