中古一国記

安川某

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二章

第35話 策謀

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 旧アミアン王国の都、アミュール城の一室で一人の男が報告書に目を通している。

 歳は四十を超えたところ。物静かな顔立ちで、彼をまるで学者のようだと呼ぶ人もいる。実際のところ教師であったのだから、あながち的外れな意見でもない。

 アミアン王国にセラステレナ国教を浸透させ半ば強引に併合することを成功させた張本人、枢機卿ヨハン・クリフトアスである。

「ナプスブルクとフィアット軍に妙な動きあり、か」

 報告書には彼らの軍がダカン砦を包囲したことが書かれている。そこまでは予測通り。アミアン人の兵士に砦を守らせ時間を稼ぐ。その内に村から徴発した国内の食料をアミュール城に運び込む。

 すると敵は干上がるか、無謀な城攻めを行うほかなくなる。

 だが気になるのは報告書の続きに書かれていることであった。

 彼らは砦を包囲した後、別働隊を出して領内の村に立ち寄って何やら民に呼びかけている。村を見張らせていた兵士たちはすぐに退却しているため、詳細まではわからない。

 考えるまでもないな。クリフトアスは視力の落ちた目をこすりながらそう思った。

 アミアン人の決起を促してまわっているのだ。領内に反乱を起こし、こちらを揺さぶろうとしている。

 アミュール城へ輸送中の兵糧が襲われ、焼き払われたとの報告もある。これが事実であるのなら彼らには糧食の補給の目処があるか、あるいは短期に決着をつける自信があるのか。

「まったく、してやられた」

 だがこれがあの摂政の策だとは思えない。あれはせいぜい内政にいくらかの得手があるだけだ。そして戦に通じ、アミアンに精通した者がいなければこの策は出てこない。ナプスブルクにそのような人材が? あるいはこちらに裏切り者が。

 考えても答えの出ないことだ。クリフトアスはゆっくりと大きなため息をついた。

「教皇猊下がこれを見たら、私はどうなるかな」

 アミアン人の支配を命じられながら領内では反乱が勃発。さらに当の責任者が本城に篭ったままでは、あの猊下のご気性のこと私は誅されることだろう。

 運が良くても最下層に降格。それではしがない教師をしていたあのころよりも、惨めな生き方をしなければならなくなる。

 相当な恨みも買っている。止むを得ないことであったと思っているが、私が地に堕ちれば喜んで彼らは私に石を投げるだろう。

 クリフトアスはそう思うと、窓の外を見つめながら南方に布陣する敵軍に思いを馳せた。

 これで我々は城を打って出るほか無くなった。だが……。

「野戦ならば勝てると思っているあたりが、やはり素人」

 そしてあの摂政に優れた軍師が現れたのだとしても、その者にはどうしようもできない一手が自分にはある。”あの男”には礼を述べねばなるまい。

 戦とは、刃を交えるまでにその趨勢を決めるものなのだ。

 そしてクリフトアスはその温厚そうな顔に影を落とし、こう思った。

 私はこの国のくだらない教えの鎖から解き放たれるために数多の敵を葬り、枢機卿に登り詰めた。

 ロイ・ロジャー・ブラッドフォード。
 元奴隷が成り上がれるほど、この世界は広くはないのだ。


  ***

 グレーナー・グラウンはナプスブルクの王都にて、自身がこれまでに味わったことがないほどの多忙を極めていた。

 都に着いてからというもの、わずかな睡眠時間をとる以外は兵糧庫と兵器廟を行き来しては報告受け、指示を下す。焼き討ちされた糧食と兵器を直ちに北へ送らなければならないからだ。

 人夫の召集も芳しくない。収穫期をまもなく迎える農村から人手を取り過ぎれば、その後の政治が破たんする。
 そして留守を預かる筆頭政務官のマルクスはこの間何の手立ても打っていない。

「グレーナー様」

 物陰から旅人の身なりをした男がグレーナーに声をかけた。

 グレーナーが放っていた密偵の一人である。
 もっとも彼に命じていたのは自軍であるナプスブルグ軍についての調べである。
 グレーナーは彼のような者を数名兵士の出立ちで軍中に潜ませてある。無論、ロイはそれを知らない。

 密偵の彼は、兵士が出払っている王都の中では目立たぬように旅人へと変装していた。

「来たか、聞かせろ」

 密偵の口から語られたのはナプスブルク軍が決定した戦術についてだった。ダカン砦を包囲し、領内の反乱を扇動し、セラステレナとの野戦での決戦に挑む。

 その報告を聞くうちにグレーナーの顔はこの男としては珍しく焦りに満ちていった。

 冗談ではない。その計画では”困る”。

 「ご苦労。お前はしばし待機だ」

 グレーナーは心中を悟れぬよう顔を無表情に戻すと密偵を下がらせた。そして額を拭う冷や汗に気づいた。

 グレーナーは歯噛みをするような思いで呟く。

 「この期に及んで短期決戦だと。それでは私がこの重たい兵糧と攻城兵器を連れ牛のような歩みで摂政の下へたどり着いたとき戦の勝敗は決している。勝つにしろ負けるにしろ、間抜けがのこのこと現れるようなものではないか」

 新参の女軍師とやら、余計なことをする。
 このままではどのような結果になったとしても、自分は不運の無能という烙印を押されることになる。同情を集めつつ摂政に頭を垂れるつもりか。

 ふざけるな。

 直ちに策を講じなければならない。
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