SECOND CRASH

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2・文乃

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 大学に入ってすぐ、同じクラスの男子と付き合うことになった。
 付き合うことになった、というのは、その男子に積極的に誘われ続け絡まれ続けて、いつの間にか付き合っていることになっていたのだ。特に好きでもなかったけれど嫌いでもなかったし、何しろ彼が私のことをとても好きだったので、なんとなく彼に協力したい気持ちになって付き合っていた。ただ私が横にいるだけで彼はいつも喜んでいたし、それを喜ばれることが私も嬉しかった。そのまま流されるままに周囲からは付き合っていると思われるようなことをしてきた。

 あの夢の半年間、理系のイケメンを眺めていただけの甘い酸っぱい日々も、その彼に逐一報告していた。相手はもちろんいい顔もしなかったし夢の半年が過ぎて気落ちしている私を見ても何も言わなかった。私の恋心など見ない聞かないことにしたのだと思う。本気じゃないと思っていたのだと思う。私自身アイドルを遠くから眺めている気持ちで、それ以上のことを考えてもいなかった。

 でも今その彼を、私は元彼にすることに決めた。
 私は半年前にとっくに恋に落ちていた。
 彼には一度も持たなかった恋心を、半年前にその姿を一目見ただけで撃ち抜かれるように身体の奥に植え付けられていた。

 今、目の前に立つ人に。



「彼とは、別れる。でも、あなたは関係ないから」
 他に好きな人ができたから、という理由で別れるのではない。彼のことが元々好きじゃなかった、付き合うべきじゃなかったことに気付いた。
「これは、私自身の問題で、私と彼の二人の問題だから」
 別れたいのは、あなたの前で一人でいたいから。あなたに告白できる資格が欲しいから。
「だから、もし、ちゃんと別れても、」
 彼と別れた後に、その私に応えるかどうかは、あなた次第。あなたの応えがどうであれ、私は彼と別れてくる。
「だから、」
 あなたに何も強制はしないしできない。それでも私は彼と別れてくる。私はこの数時間でそう決意していた。


「……俺は関係ないって、」
 ぼそりと彼が言葉を挟んだ。
「君と、彼の問題だろうけど」
 俯いているので上から振ってくる低い声が少し怖い。
「でも。俺、待たなきゃならない?」

 ……ん?と、ちらりと上目遣いに見上げた。

「君に、彼がいることは知ってた。てかあの講義にいた連中みんな知ってて、だから誰も君に声掛けなかったけど、でもみんな見てたよ」

 みんな見てた?あなたは誰も見てなかったじゃない?

「……正直、文系女子みんなレベル高くて、声掛け辛くて、中でも君が一番、高嶺の花だった」
「高嶺の花?!」
「そう。高嶺の花。女子団の一番奥にいる一番美人」
「そ、そんな、」
 びっくりして首を振りながら後退りしてしまう。
「で、彼氏がいるって聞いて、まぁそうだろうな、ってみんなで諦めたんだ」
「そんな、だって、あなたあまりこっち見てなかったじゃない?」
「見てたよ。むしろ君が見てなかったんだよ」
「そんなことない」
「俺は見てたよ」
「私も見てた」
「見てないよ。目が合ったことあまりないし」
「あった。何度かあった」
「俺はそれ以外もずっと見てた」
「嘘」
「嘘じゃないよ。それで、この店で再会したのは俺運命だと思ったからさ」
「運命?」
「この後家まで送ってっていい?」
「……え、」
「その、彼とまだ別れてなくても、今後絶対別れるんだよね?」
「うん」
「俺、待たなくてもいい?無理なことは言わないから」
「……」
「これから家まで送って行く。それから携帯教えて。まずそれだけ」

 もう全然だめだった。
 これから部屋まで二人で並んで歩ける。ただそれだけで嬉しくて、ふわふわと浮き上がるような気がした。

「手を繋いでいい?」
 そんなことされたら私死んじゃう。だから首を振って断った。
「そっか。うん。まだだね」
 なぜか嬉しそうな声に聞こえた。
「家はどっち?」
 口を開いたら涙が落ちそうな気がして、黙ったまま交差点に向かう道を指差すと、肩に手を回すようにして私をそちらに促した。胸がきゅっとなって涙は引っ込んだ。

 そこから歩いて5分程度の帰り道、お互いのことを次々と訊きだした。寮に着いても全然足りなくて、結局その先の公園まで行ってさらに延々と互いのことを訊きだした。
 お互いに一目惚れだったことを確認したのだけれど、いろいろ話しているうちにどうやらお互いその第一印象と中味がずいぶん違っていることも確認した。
「顔立ちが垢抜けてて服装もシンプルで口数も少ないし、都会的でクールなイメージだったのに」
「え?俺?本当に?ちょっと照れるっちゃ」
 という具合に、しゃべるとかなり訛っていた。
「そういう君も、髪がふわふわのロングでアイドルみたいな可愛い顔で身体も細っこくてひ弱な深窓の令嬢だと思ったのに、バイト三昧の苦学生だとはびっくりだっちゃ」
 そんなふうに驚かれてちょっと笑う。

 それだけでなく、話してみると手が届かないと憧れていた時に思い描いていた予想とはいろいろ違っていたのに、その薄っぺらい理想を安々と握りつぶすように男臭くて個性的で胸に響く声を持っていて、彼は現実に存在して目の前で私を見詰めている。
 その彼に、待つと言われた。



 だから次の日全ての講義が終わった後に、元彼に別れを申し出た。
 突然だったせいもあってしばらく信じてもらえず、じきに冗談じゃないのだと分かってはもらえたけど、納得はしてもらえなかった。
「どうして?僕何か悪いことした?気に入らないところがあったら直すよ!」
 そう縋られたけれど、そういうことではないと言うことを分かってもらえなかった。そして泣いて縋られて罵倒されて絶対別れないと宣言された。今日は帰さない考え直して欲しいと縋られたが、門限があって点呼に応えないと追い出されるからと嘘をつき振り切って寮に帰った。
 その後延々と電話やメールやメッセージが来る。間断なくスマホが鳴り、怖くなる。
 怖いから、翌日からいつもつるんでいる同じクラスで同じ寮生でバイトも一緒の結衣ちゃんに、一緒に行動してくれるように頼んだ。

「別に好きな人ができた。まぁあるよね。で、現彼がストーカー化。あるあるだよね。いいよ、上手く乗り切ろう」
 そう軽く笑って引き受けてくれた。

 翌朝から一緒に登校したが、元彼は講義に来ていなかった。一日終わるまで大学に来なかった。ただスマホはメッセージを受信し続けていた。
「昨日の今日で諦めるはずないからね。しばらく油断できないね」
 結衣ちゃんはそう言ってバイト先まで送ってくれた。一日中ボディガードをしてくれて本当に心強かった。と思ったら、バイト開けに元彼に待ち伏せされていて、寮まで走って逃げた。これがストーカーなのかとものすごく恐ろしかった。部屋に戻ってもスマホは絶えず受信音を鳴らしている。
 怖い、とポップアップを見ると、元彼ではなく、彼からだった。
 しかも、

『実は今寮の前にいて君の彼がすぐ近くにいるんだけど、話付けようか?』

 どうしてそんなところに!ストーカーとなんて話は通じないのに!第一私は彼のことを口にしていない。彼が待っていることを知ったら元彼は逆上すると思う。だから慌てて、そこから離れるように返事を送った。すると彼はすぐに了承してくれた。
 ほっとしてため息をつく。彼はこうやってすぐに了承してくれるのに、とちらりと思った。
 全く事情は違うけれど、私のお願いをすぐに聞いてくれる彼と私の気持ちを少しも受け入れてくれない元彼とをつい比較してしまい、なおさら憂鬱になった。



 その後元彼はすっかり学校に出てこなくなった。
 それが私のせいだという噂も広まった。
 突然理不尽に振られてメンタルやられて廃人寸前という元彼の状況も噂になっていた。
 まるで何かの被害者のように同情されている元彼は、しかし私のバイト先には現れて待ち伏せしている。廃人寸前なんて嘘ばっかり。
 私の方こそ嫌がらせの被害者だという思いもあり、周囲みんなそんな状況を面白おかしく噂しているような気がして、私は人間不信に陥りそうになっていた。

 そんな中結衣ちゃんにずっと励まされていたから何とか学校にも行けた。
「文乃は何にも悪くないよ。結婚してたわけでもないんだし、結婚してたって心変わりなんてよくあることだし、噂なんか気にしなくてもいい」
 結衣ちゃんはそう言ってくれたけど、もちろん私にも罪悪感はあった。

 元彼が私のことを心から好きだということは私もよく知っていて、僕の宝物だと言ってくれていたから、その宝物を奪うことになってしまうことがとても申し訳ないと思った。元彼のことは決して嫌いではなかった。だからこそ付き合ったのだ。
 それなのに今こんな嫌がらせのようなストーカー行為を繰り返されては嫌いになってしまう。付き合ったことを後悔させたいのかとすら思ってしまう。私はいい思い出にしたいのに、元彼はそれすらめちゃくちゃにしたいほど私を嫌いになったんだと思う。

 毎日逃げるしかなかったし、彼のことを絶対知られたくなかったから彼にもなるべく会わないようにしていた。でも彼はバイト先にシフトの度に来ていて、元彼がいるかどうか見張ってくれていた。
 毎回バイト明けにスマホに元彼がいるかどうか連絡が来て、いたら裏口から走って寮に戻ったし、いない時はそれでも用心して早足で寮も門まで駆けて通り過ぎて、その先にある公園のベンチで彼を待った。それから少し経ってから、彼が周囲に目を配りながら来てくれる。そこで短い時間、一緒にいた。
 そんなことができるのも週に一回ぐらいで、彼には本当に申し訳なかったけど彼は私を責めなかった。

 ただ一回だけ、好きでもない彼とどうして付き合ったのかと問われた。

「……嫌いじゃなかったから。相手が嬉しそうだったし、いいことしてるような気になってたんだと思う」

 そう応えると、そうかと頷いた。




 そんな中で、時々会える彼と短い時間公園でデートする時間だけが、私の癒やしだった。
 元彼から受ける恐怖が強いほど、彼への気持ちも強くなる。

 ある時、きっといけないことだけど、キスをした。


 それを見られていた。
 次の日、講義を一つ受けた後に元彼の親友に呼び出された。
「あいつあんなに君のこと愛してるのに、裏切るってどういうこと?」
 応えたくなかったのであなたに関係ないと踵を返したが腕を掴まれた。
「見たよ?昨日。男いるんだ?」
 私の顔を見てニヤリと笑った。
「バラされたくなかったらさぁ、俺とも付き合ってよ」


 最低。


「言えばいい。バラせばいいわ。勝手にして」
 腹が立ったからそう言って腕を振り払った。どうせバラすつもりだろうから。
 この男には元彼と付き合っている時から言い寄られていた。裏切り者はどっちなのか。

 そしてその日のうちに報告を受けたらしく、ずっと不登校だった元彼が夕方講義が終わったころに学校に来て私を待ち伏せていた。私はその時も結衣ちゃんと一緒に行動していて、結衣ちゃん立ち会いの元に元彼と対決した。

「男がいるらしいね」
「いない」
「見た人がいるよ」
「彼とは付き合ってない」
「キスしたんだろ!」
「キスしても付き合ってない」
「なんだよその屁理屈!さてはもうやったんだろ!」
「そんな話ならしたくない」
「ねぇ、どうしてだよ?なんで僕を苦しめるんだよ?」
「……私を苦しめてるのがあなたでしょ?」
「そっちが裏切ったんだろ!」
「どうして裏切ることになるのよ?」
「僕と!付き合ってるのに他の男に!」
「好きな人が出来ることが裏切りなの?」
「当たり前だろ!」
「あなたは私が好きなんでしょ?」
「そうだよ!だから、」
「私は彼が好きなの」
「それが裏切りだって言って、」
「あなたは好きな私と付き合えて、私は好きな彼と付き合えないの?」
「……そんなの、」
「あなたは大好きな私と一年も付き合えて、私は好きな彼とまだ一秒も付き合えてないの」
「当たり前だろ!僕らの方が先に!」
「じゃあ次は私の番じゃない?」
「な……!」
「私が好きな人と付き合う番だよね?」
「……」
「あなたが好きな私に、好きなことさせてくれるよね?」

 彼が絶句した瞬間に、私は結衣ちゃんの腕を引いてその場から逃げ出した。彼は追いかけては来なかった。
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