晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略── やり直しじゃない。ここからが、僕の本番だ

七乃白 志優

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第二章:現実という名の迷宮

019話『国家と帰還者、その最初のテーブル』

——日曜日、朝9時51分。

「そろそろかな」

そう呟いた直後だった。
——スッ、と家の前で車が減速する音。
続いて、エンジンが静かに停止し、車のドアが開閉される乾いた音が響く。

(……来た)

ピンポーン。

インターフォンのチャイムが鳴った。

「二人とも、お願い」

「了解。影の中ね」

「私はブレスレット側に引っ込むわ」

コユキは床に落ちた影へすっと滑り込み、ミニディアは粒子となってブレスレットに帰っていく。

僕は一つ深呼吸してから、モニターを覗き込んだ。

画面には、スーツ姿の男女数名。
中央には——新大阪ゲートで最初に会ったあの官僚の女性。

「時任秀人さんですね。お時間をいただき、ありがとうございます。改めまして、柊真理恵と申します」

丁寧な口調。柔らかな笑み。
けれど、油断はしない。

「こちらこそ。では、伺います」

最低限の荷物だけ持ち、玄関を出る。
エントランス前には、黒い公用車が停まっていた。

車内では、当たり障りのない世間話が続いた。

「時任さん、ゲートからのご無事、何よりでした。その後、体調に変化などはありませんか?」

柊がこちらを見ながら、柔らかい声で尋ねる。

(“変化はないか”……か)

「特に変わりはないですね。仕事も、日常生活も、今のところは普通にできています」

必要最小限。
余計な情報は足さない。

交渉の場で“自分から喋りすぎる人”は、だいたい損をする。

政府施設の会議室に通されると、そこにはすでに二人の先客がいた。

一人は、シンプルな私服姿の若い女性。

……そして、その隣に。

(……え? エルフ……?)

一瞬、頭が理解を拒んだ。

銀髪、長い耳。どう見てもゲームや映画で見る“それ”だ。
現実世界の政府施設に立っていていい存在じゃない。

けれど——その少女は、まったく場違いな様子もなく、静かに佇んでいた。

(……ってことは、もう“そういうフェーズ”なのか)

ゲート由来の人外が、政府と接触していても不思議ではない。
状況を受け入れるのに、数秒だけ必要だった。

「一ノ瀬透花さんです」

柊さんが紹介する。

「初めまして、時任秀人さん。……あなたが、新大阪ゲートの帰還者、ね」

一ノ瀬さんは、柊さんよりも先に、一歩前へ出るように切り込んできた。

「質問させていただきます」

(……え? 官僚の柊さんより先に聞くのか)

どうやら一ノ瀬さんは、危険や不審を感じた相手には“遠回しを挟まず、まず核心を突く”タイプらしい。
ためらいなく切り込んでくる。

「あなたはゲート内で、何らかの能力やスキルを得ましたか?」

(ストレートに来たな)

心の中で軽くため息をつきつつ、表情は崩さない。

「得ている可能性は、高いと思っています。ただ、その詳細については——すぐに答えを言える状況ではありません」

にこりと笑い、曖昧に、そして否定はしない。

一ノ瀬さんの眉がわずかに動いた。
一気に踏み込みたい気配を、隣の銀髪エルフが袖を引いて制する。

柊さんが、穏やかな声で間に入った。

「では、契約モンスターの有無について、お聞きしてもよろしいですか?」

「……存在はしています」

ここは、あらかじめ決めていたラインだ。

「ただし、それ以上——種類や能力の詳細は、現時点では控えさせてください」

空気が一段、冷える。

けれど、それでいい。

交渉で一番やってはいけないのは、「怖いから全部話してしまう」ことだ。
不安を埋めるために情報を差し出すと、だいたい後悔する。

「なぜ、ですか?」

柊さんが静かに問う。

僕は、一拍置いてから口を開いた。

「政府の皆さんも、ゲート内部の仕組みや制約を、まだ完全には把握されていませんよね?」

会議室の空気が、わずかに揺れる。

一ノ瀬透花の目がかすかに揺れ、柊さんの表情もほんの少し固くなった。

「未知のものに、強引に干渉すれば——必ず、何かしらの代償が生まれます。私にも、“言いたくても言えない理由”があるとだけ、今は理解してもらえたら」

静かに、しかし言葉ははっきりと。

重い沈黙が落ちた。

一ノ瀬さんは、まだ納得していないように僕を睨む。
エルフがそっと、その腕に触れた。

僕は視線を柊に戻し、言葉を続けた。

「協力自体には、前向きです。ただ、一方的にすべてを差し出せと言われるなら——それには応じられません」

柊さんは、しばらく黙ったあとで、小さく息を吐いた。

「——では、こうしてはどうでしょう」

 彼女はタブレットを軽く操作しながら続ける。

「新大阪ゲートについてですが——」

柊さんは、探りを入れるようにこちらを見た。

「時任さんは、もう一度ゲートに入る意思はおありですか?」


僕が軽く頷くと、柊さんは続けた。


「もし再侵入をご希望なら、政府立ち会いのもとで許可を出すことは可能です。ただし、同行監察者として一ノ瀬透花さんに入っていただきます」

(監視付きか……まあ、そこまでは想定の範囲内だ。でも——一ノ瀬さんが来るとは思ってなかった。てっきり、自衛官とかが同行するもんだと……)

「それから——」

 柊は話題を切り替えるように、僕を見る。

「時任さんは、新大阪ゲートでどこまで進まれましたか?」

「二階層までです……」

素直に答えると、柊はメモを取りながら頷いた。

「現在、政府が把握している範囲では——一ノ瀬透花さんはレベル16、新宿ゲートで7階層までクリア済みです」

「7階……」

思わず声が漏れる。

こちらは、ディアのサポートもあってレベル自体はそれ以上だ。
だが、ゲート攻略の“階層”という意味では、彼女の方が先行している。

「次点が博多ゲート帰還者で、6階層まで。ただ、両ゲートとも単独攻略では行き詰まりが出てきています」

「つまり——帰還者同士で組ませたい、と」

僕が補うと、柊さんは小さく頷いた。

「はい。個別攻略では限界に近いと判断し、今後は帰還者同士の協力体制を検討しています」

ふと疑問が浮かぶ。

「博多ゲート帰還者と一ノ瀬さんが組めば早そうではありませんか?」

だけど、柊の表情がほんの少しだけ微妙に揺れた。

「……正直、相性が良くありません」

「……ああ」

思わず素直な感想が漏れた。

「性格の相性ですね。特に、意見のすり合わせに苦労しておりまして……」

(博多ゲート帰還者……確か、ワイバーン契約したチャラい兄ちゃんってSNS上で噂だったよな)

なんとなく想像できてしまう自分がいる。

柊さんはそこで、改めて僕の方へ視線を戻した。

「そこで、時任さんです」

「僕、でしょうか」

「はい。時任さんのこれまでの職歴や評価を総合すると——」

柊はタブレットを見ながら、淡々と読み上げる。

「これまでの職務記録や、日常の行動、関係者からのヒアリングを踏まえた総合判断です。——時任さんは “調整型” で、安定感があり、衝突よりも着地を重視するタイプ。仕事上のやり取りも一貫して落ち着いており、対応力が高い。また、犯罪歴はもちろん、社会生活上のトラブルも確認されていません。周囲からの信頼も厚い。……一ノ瀬さんと最も協力関係を築ける可能性が高い、と判断しています」

(どこまで調べられてるんだ、僕)

苦笑しそうになるのを堪えつつ、内心では納得していた。
確かに、そういう立ち位置で十数年やってきた自覚はある。

横目で一ノ瀬さんを見ると、彼女は無言のまま僕を見つめていた。
敵意だけではない、複雑な色が混ざっている。

(……まあ、やるしかないか)

ここで変にゴネる方が、むしろ印象が悪い。

「わかりました。僕にできる範囲であれば、協力します」

そう告げて、軽く頭を下げた。

——この瞬間、
・新大阪ゲートへの再挑戦権
・政府との“協力関係”という名の緩い枠組み
・そして、情報開示のラインを守ったままの合意

が、同時に手に入ったことになる。

交渉としては、悪くない結果だ。

帰りの車内。

一ノ瀬透花は、窓の外を見たまま黙っていた。
隣のリィナも、静かに寄り添っている。

張り詰めた空気の中、僕はふと、窓の外を眺めながら小さく言った。

「……少しでも信用してもらえるように、努力するよ」

視界の端で、一ノ瀬透花がわずかに動いた。

振り返った顔は、驚いたとも、戸惑ったともつかない表情。
感情が一瞬だけ表ににじんで、しかしすぐに消える。

それでも、その一瞬の「揺れ」は確かにそこにあった。

まるで、ずっと冷え切っていたガラスが、ほんの指先で触れられたように——
ひどく小さく、けれど確かに震えた。

彼女はすぐに視線をそらし、何も言わなかった。
ただ、その沈黙の手触りだけは、さっきとは違っていた。

少しだけ、柔らかい。

自宅の玄関を開けると同時に、影がもこっと膨らんだ。

「おかえり、秀人。影の中、退屈だったわ」

コユキが床から這い出てくる。

「お疲れさま」

ブレスレットの上では、ミニディアがぴょこんと顔を出した。

「ただいま。……ずっと聞いてただろうけど、二人とも隠れていてくれてありがとう」

そう言うと、コユキがふっと目を細めた。

「まあね。あなたが変に押し切られないか、内心ハラハラしてたけど」

「ふふ。最後の切り返し、悪くなかったわよ?」

ディアが小さく羽を揺らしながら笑う。

「ひとまず、思惑どおりにまとまったよ。向こうの監察官が一ノ瀬さんになるのは……まあ、予想外だったけど」

「予想外というか、刺激的な展開ね」

ミニディアの小さな目が意味ありげに細まる。

「で、そのあたりの感想は……ご飯食べながら聞かせてもらおうかしら?」

「そうね。私も、ちょっと言いたいことがあるし」

二人が当然のように並んでついてくる。

(……全部聞いてたのに、結局、食卓で総括タイムになるのか)

そんなやり取りが、妙に心に落ち着く。

「はいはい、じゃあ作るよ。今日くらいは、ゆっくり食べながら話そう」

いつものリビングの空気が、そこに戻ってくる。

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