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歳の差なんて関係ないって言われても(シックスティイヤーズオールド) ③

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        三

「江美って言うのよ、よろしくね。ナンパなんてされたの久しぶりだわ」

「ナンパだって?」

「違うの?」

「若いふたりじゃあるまいし」

「じゃあ、何なのよ。失礼ね、若くないなんて」

 そんな軽口を叩きあったあと、まるで親しい間柄であるかのような感覚で時間の経過を忘れて飲んだ。

 江美はアルコールが身体に回り始めると旦那の愚痴を言いはじめ、私はただ相槌を打ち苦笑いを繰り返し、気がつけば深夜一時の閉店間際になっていた。

 店を出たあと、江美は何のためらいもなく当たり前のように私の部屋についてきた。

 私は妻が次の世界へ行ってしまってから女性とは没交渉だったので、果たして男の機能が役に立つのかが不安だったが、そんな懸念はすぐに吹き飛んでしまった。

 江美は外見の派手さに反して、意外にも身をこわばらせた。
 腕の中にいるのは妻ではなく、見知らぬ女を抱いているに等しいが、これまで長く喪に服していたのだから天国の妻も許してくれるだろうと思った。

「男の機能が衰えていなかったみたいで、とりあえずはホッとしたよ」

 身体を解いて私は言った。

「嘘つき!」

「嘘じゃない、妻が亡くなってからずっと喪に服していたんだからな」

「それ本当でしょうね」

「本当だ」

「奥さんを愛していたのね」

「しかしあんた、もしかしてジカ引きじゃないだろうな。あんな公園で夜遅く立っているって、よく考えてみると変だからな」

「フフッ、やっと気づいたの?あなた、うまく引っかかったわね。外に私を仕切るヤクザが見張ってるわよ」

「は?」

「久しぶりの獲物だわ」

「それで、いくら払えばいいんだよ」

「嘘よ、でもあなた、目玉が一瞬だけ飛び出したわ」と言って江美は笑った。

「勘弁してくれよ、まったく」

「私ん家は公園の北側のマンションなのよ」

 江美は枕を背にベッドに座り、ベッドわきに置いていたウイスキーの小瓶を少し口にした。
 その姿にはまるで妖女のような色香が漂っていた。

「俺は田中、名前は光一、光にヨコイチって書くんだ。でも全く光らない人生だけどな」

「いくつなの?」

「今年五十四歳になるよ。あんたは?」

「三十二歳よ」

「あんたこそ大嘘つきだ」

「アハハ、ごめんなさい。四十六歳よ、もうすっかりババア」

 ケラケラと笑いながら江美は言った。

「今度来るときまでには、小さなウイスキーグラスを買っておくよ」

「こんなババアをまたこの部屋に入れてくれるの?」

「アンタはババアなんかじゃない。惚れてしまいそうだ」

「あり得ないわ」

 午前三時を過ぎてから江美は部屋を出て行った。

「このまま寝て帰ればいいじゃないか」

「初日からそんな厚かましいことできないわ」

 あと少しすれば夜も明けるのに江美は帰ると言って引かなかった。

「送っていくよ、ちょっと待って」

「こんなオバサンを誰が襲うの?それに百メートルほどしか離れていないんだから」

 その日から私と江美とのおとなの関係がはじまった。

 五年半・・・江美との関係は妻との二十年以上にも及んだ結婚生活よりも長い感覚があった。

 彼女の夫は大手のプラント建設会社に勤めていて、技術者ではなく購買部という部署にいるらしく、年に何度も海外の現場に長期出張が入る。

 関係がはじまって最初の二、三年、夫の長期出張中は夜になれば部屋来て泊まって帰ることが頻繁にあった。

 もちろん昼間は自宅に戻るのだが、息子が大学の夏休みや冬休みで帰ってきている時期以外は、私のベッドで寝る日のほうが多いくらいだった。

「旦那とはどれくらいの感覚でやってるんだ?」

「やってるって、何を?」

「男と女の営みに決まってるだろ」

「馬鹿、そんなのもう十年以上もないわよ。旦那はEDだしね」

「ナニがダメでもするだろう?」

「あなたって最低ね。そんなことばかり言って、恥ずかしくないの?」

「でも俺がどれだけ江美を抱いたって、これまで旦那とやった回数には一生かかっても届かないだろ?」

「本当に最低、馬鹿みたい」

 江美と私はまるで本当の夫婦のような感覚になっていった。

 だが、そんな蜜月もいつまでも長くは続かない、江美の息子が大学を卒業して東京に本社がある企業に就職し、地方での研修期間を終えて本社勤務になったのが、関係が始まってから四年半が過ぎたころのことだった。

 江美の息子は自宅から品川にある本社へ通勤するようになり、当然、彼女は息子のために食事の支度から身の回りの世話までする必要性が復活し、加えて夫も五十代後半になって海外出張を命ぜられることもほとんどなくなったため、ふたりの時間を共有できる日は月に一度か二度になった。

 江美も五十歳を過ぎると、知り合ったころの身体の張りがなくなり、明らかに肌の艶も失われてきた。

 関係が面倒に感じることもときにはあったが、江美のあっけらかんとした性格が好きで、別れようとは考えになく、以前ほど頻繁には会えなくなった分、ふたりの時間を大切にするようになった。

 江美の夫は定年退職後、再雇用で勤めは続けているが、残業のない暇な部署ということとアルコールを飲む習慣のない彼の人生だったため、伝書鳩のように真っ直ぐ帰宅するらしく、私と会うために江美は何か口実を設けなければならなくなった。

 そんな最近のふたりの事情から、江美のことを今も変わらず愛してはいたが、関係は次第に収束に向かっていくだろうと私は考えていた。

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