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戻るべき場所 13
しおりを挟む第十三話
由美子は僕の部屋を一時間ほどかけて応急の掃除をしてくれた。
掃除機をかけ、カップ麺やお菓子やティッシュの屑などが散乱していたものをゴミ袋にまとめ、キッチンのガスレンジや流しを何ヶ月ぶりかで洗ってくれた。
「何、これ?カビだらけじゃない。汚いなぁ、こんなじゃ病気になるよ」
ときどきブツブツと文句を言いながら、バスルームまでもピカピカに磨いてくれた。
付き合いはじめたころ、初めて僕の部屋に来たときも部屋中を掃除しながら、同じような言葉で僕を罵ったことが思い出され、懐かしさと嬉しさを感じた。
由美子が忙しく動いている間、僕は彼女の動きを背後からじっと眺めているだけだった。
「これで一応はきれいになったね。ちゃんとしないとだめだよ。不潔な部屋でずっといると本当に病気になるんだから」
そう言って由美子はポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れてくれた。
彼女がさっきの号泣から打って変わって落ち着くと、不思議なことに、僕の冷静なこころはこのまま変わらずに回復するのではないかとさえ思った。
和テーブルを挟んで僕たちは向かい合い、しばらくそうしてコーヒーを飲んでいると、二ヶ月前に平野駅の近くの喫茶店で向かい合っていた場面が脳裏に出現した。
やっぱりだめだ、あの夜の出来事がよみがえってくるのだ。
突然の別れを振りおろされたあの恐ろしい夜の出来事、次第に鮮明によみがえってきた光景を、僕は頭を振って無理やり消そうとした。
でもそれはうまくはいかなかった。
「こんなに世話をしてもらうとユミを忘れられなくなるじゃないか」
「無理に忘れなくてもいいのよ。私だってリョウのことは忘れないから。別れる必要はあっても忘れる必要はないと思うの」
別れる必要があっても、忘れる必要はないって、それってどういう位置に僕を見ていることになるのだろう。
僕はしばらく考えた。
久しぶりのコーヒーが美味しくてあっという間に飲み干してしまった。
「コーヒー、もう一杯淹れようか?」
「うん」
由美子がキッチンへ立った。
こんなふうにしてくれると由美子への愛情が急激に戻ってきそうだった。
でも由美子の気持ちは僕から離れてしまっている。
互いの気持ちが一致していないのに、僕の愛情だけが戻ってしまうことを怖れた。
どうにかいったん引いた波が、今度は大きな津波となって僕の不安なこころを襲ってくる怖さを感じはじめた。
いったんそう思いはじめると、再び僕のこころが身体の中で落ち着く位置を求めてさ迷った。
胸の中をぐるぐると落ち着き先を探して動き回っているような感覚になってきた。
コーヒーカップを持つ手が震え、脂汗が滲み出てきた。
「どうしたの、リョウ」
「ユミ、今日は来てくれてありがとう。でも、もういいから帰って欲しいんだ。そしてこれからは無理に来てくれなくてもいいよ」
「どうしてそんなことを言うの?」
「僕のことを心配してくれるのなら、ずっと心配して欲しいんだ。ずっと、ずっと、僕のそばから離れないで欲しいんだ。でもそれはもう無理なんだろ?二度と僕のところには戻ってきてくれないんだろ?ユミには好きな人がいるんだろ?だったらもう僕のことは放っておいて欲しい」
「リョウ・・・」
由美子は両手で顔を押さえて泣いた。でもどう仕様もないことだと思った。
別れる必要はあっても忘れる必要はないって、そんなことは別れを告げた側の論理ではないのか。
告げられた側のこころの位置と告げた側のこころの位置は地球の裏表ほどの違いがある。
由美子の気持ちは分からないでもない。
僕への思いやりが残っているからこそ今日訪ねてきてくれたのだし、別れる必要があっても忘れる必要はないと、彼女側の論理を悪意なく言ってくれたのだ。
それは分かる。
でも相手のこころを突き放した側と突き放された側の違いは、その位置関係が発生した時点からずっと変わらない。
由美子はそれを分かっていないし、分からないことは仕様のないことなのだ。
「ごめんな、ユミ。僕はやっぱりこころの病気なんだ。許してくれるかな」
「ううん、私が悪いの。リョウは全然悪くないのよ。可哀想なリョウ。どうしてこんなになってしまったの」
由美子は横に来て両手で僕の身体を抱いた。
彼女の匂いとぬくもりが伝わってくると震えは次第に治まった。
それから間もなく由美子は帰っていった。
由美子が帰ってしまうと、僕のこころは猛烈な切なさと寂しさに襲われ、叫ぶのを堪えながら泣いた。
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