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サバイディー、南方上座部仏教国の夕陽 ⑫
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第一章 2001年 春
タイにはこれまで六十五回ほど、ラオスには二十回あまり訪れていますが、この旅行記の背景は2001年の春で、このときはまだ二度目の訪問でした。だから、いろんなものが目新しくて驚きの連続でした。
当時は、現在とはネット環境や社会情勢がかなり違っていますので、ところどころ意外に感じられるかも知れません。
◆タートルアン寺院内で若い僧侶さんたちとのショット(20年も前なので画質はご勘弁を)
十二
ここでは毎年十一月頃にタートルアン祭といって、三日間仏教国ならではの儀式が賑やかに行われるとガイドブックなどにはある。
この祭りにはラオス各地から大勢の僧侶が集まり、大勢の市民が参拝に訪れ、立ち並ぶ夜店を楽しんだり読経会などに参加するらしい。
僕とN君はそれぞれ思い思いに寺院の中を見物して回った。
だが、なにしろミネラルウオーターを片手に歩くのも億劫になるくらい猛烈に暑くて、早々とタートルアン寺院をあとにして宿に戻った。
トゥクトゥクの男性が明日はどこに行くのだと訊いてきたので(彼はなかなか英語が達者だった)、ブッダパークを観たいと言った。
ブッダパークはかなり遠いので、ふたりで四万Kipと彼は言う。
またしても高いのか安いのか分からないので、三万Kipで行ってくれないかと言ってみると、簡単にオッケーしてくれた。
このように、前年のベトナムでもそうだったが、言い値で了解すると少し高めになってしまうようである。
明日の午前十時にトゥクトゥクの男性とゲストハウスの前で約束をして、時刻はまだ午後三時前なので少し昼寝をしようということになった。
部屋に戻って再びシャワーを浴びて綺麗なベッドに倒れこみ、エアコンの涼しい風の中く、心地よいラオスの午後のまどろみに入っていったのであった。
午後にまどろむなんてことは日本では絶対にあり得ない僕だが、上半身裸でベッドに寝ていたからエアコンの寒さに目が覚め、時計を見ると四時過ぎだった。
一時間ほどの昼寝だったが、体が少し軽くなった気がした。
ベランダに出てみると、干しておいた洗濯物は既に乾いており、それを取り入れてからもう一度シャワーを浴びて出て来たらN君も起きていた。
「ちょっと早いけどブラブラと散歩しながら食事に出かけますか?その前にネットカフェにでも寄りましょうよ」
N君が提案した。
僕たちはまだ日差しの強烈なビエンチャンの町へ再び出かけた。
セタティラート通りに出て通りを北側に渡ると、入り口にInternetと書かれている小さなネットカフェがあったので入ってみた。
受付のではラオス人の青年と女の子がインターネット電話を試みている最中だった。
奥にはガラス張りのパソコンルームがあり、ズラッと横一列に十台ほどのパソコンが設置されていて、半分ほどを欧米人や現地人が使用中であった。
「ジャパニーズ、オッケー?」と訊くと、スタッフの青年がニッコリ微笑んで、あちらのパソコンをどうぞというふうに手で示した。
僕は自分のホームページの掲示板に書き込もうと思ってアクセスしてみたが、入力は日本語変換が出来なかった。
使い方が悪いのか、何か変換ソフトが必要なのかも知れないが、やむなく下手な英語で、「旅は順調です。初めてのラオスの首都・ビエンチャンにいますよ~」という意味のことを書き込んだ。
ネットカフェを出て再び通りを戻り、メコン川の方へ向かった。
道路にはバイクやトゥクトゥク、たまに乗用車も走っているが、交通量は首都とは思えないほど少ない。
これだと信号や横断歩道の必要性がないと思った。
現地の人とすれ違っても、ややはにかんだように微笑む程度で、ベトナムのハノイを歩いた時のようにあちこちから声がかかることはなかった。
僕達はメコン川の土手に上がってから、西の方に向かって歩いた。
ガイドブックによれば、ここから土手沿いを少し歩くと、メコンに沈む夕陽を見ながら食事ができる野外レストランが何軒かあると書かれていたからである。
雲ひとつない晴天の夕暮れのメコン川を眺めながら、僕は今日知り合ったばかりの日本人青年とビエンチャンにいる。
街並みはバンコクやハノイとは全く異なって、何度も言うようだが、首都とは思えないほどのどかで落ち着いている。
満足感が身体に満ち溢れてきた。
僕とN君はしばらく何も言葉を交わさないまま歩き続けた。
土手から降りたところの河川敷では、野外レストランが数軒営業の準備を行っていた。
夜には旅行者だけでなく、地元の人達もここでメコン川を眺めながらビアラオを飲んで、一日の疲れを癒すのだろう。
三百メートル程歩いたところで土手が途切れ、ここから先は細い道が続いており、ガイドブックによれば現地の若者たちが立ち寄るレストランやカフェが多いとのことで、旅行者には少し危険な雰囲気がするとも書かれていた。
しかし今日はN君と一緒だし、彼は大柄でいざという時はきっと頼りになるだろうから、僕達は気にもせずに奥のほうに入って行った。
時刻は午後五時を少し過ぎた頃で、川沿いに並んでいるレストランはそろそろ営業をはじめているところもあり、僕達はちょっと小奇麗な野外レストランに入って行った。
タイにはこれまで六十五回ほど、ラオスには二十回あまり訪れていますが、この旅行記の背景は2001年の春で、このときはまだ二度目の訪問でした。だから、いろんなものが目新しくて驚きの連続でした。
当時は、現在とはネット環境や社会情勢がかなり違っていますので、ところどころ意外に感じられるかも知れません。
◆タートルアン寺院内で若い僧侶さんたちとのショット(20年も前なので画質はご勘弁を)
十二
ここでは毎年十一月頃にタートルアン祭といって、三日間仏教国ならではの儀式が賑やかに行われるとガイドブックなどにはある。
この祭りにはラオス各地から大勢の僧侶が集まり、大勢の市民が参拝に訪れ、立ち並ぶ夜店を楽しんだり読経会などに参加するらしい。
僕とN君はそれぞれ思い思いに寺院の中を見物して回った。
だが、なにしろミネラルウオーターを片手に歩くのも億劫になるくらい猛烈に暑くて、早々とタートルアン寺院をあとにして宿に戻った。
トゥクトゥクの男性が明日はどこに行くのだと訊いてきたので(彼はなかなか英語が達者だった)、ブッダパークを観たいと言った。
ブッダパークはかなり遠いので、ふたりで四万Kipと彼は言う。
またしても高いのか安いのか分からないので、三万Kipで行ってくれないかと言ってみると、簡単にオッケーしてくれた。
このように、前年のベトナムでもそうだったが、言い値で了解すると少し高めになってしまうようである。
明日の午前十時にトゥクトゥクの男性とゲストハウスの前で約束をして、時刻はまだ午後三時前なので少し昼寝をしようということになった。
部屋に戻って再びシャワーを浴びて綺麗なベッドに倒れこみ、エアコンの涼しい風の中く、心地よいラオスの午後のまどろみに入っていったのであった。
午後にまどろむなんてことは日本では絶対にあり得ない僕だが、上半身裸でベッドに寝ていたからエアコンの寒さに目が覚め、時計を見ると四時過ぎだった。
一時間ほどの昼寝だったが、体が少し軽くなった気がした。
ベランダに出てみると、干しておいた洗濯物は既に乾いており、それを取り入れてからもう一度シャワーを浴びて出て来たらN君も起きていた。
「ちょっと早いけどブラブラと散歩しながら食事に出かけますか?その前にネットカフェにでも寄りましょうよ」
N君が提案した。
僕たちはまだ日差しの強烈なビエンチャンの町へ再び出かけた。
セタティラート通りに出て通りを北側に渡ると、入り口にInternetと書かれている小さなネットカフェがあったので入ってみた。
受付のではラオス人の青年と女の子がインターネット電話を試みている最中だった。
奥にはガラス張りのパソコンルームがあり、ズラッと横一列に十台ほどのパソコンが設置されていて、半分ほどを欧米人や現地人が使用中であった。
「ジャパニーズ、オッケー?」と訊くと、スタッフの青年がニッコリ微笑んで、あちらのパソコンをどうぞというふうに手で示した。
僕は自分のホームページの掲示板に書き込もうと思ってアクセスしてみたが、入力は日本語変換が出来なかった。
使い方が悪いのか、何か変換ソフトが必要なのかも知れないが、やむなく下手な英語で、「旅は順調です。初めてのラオスの首都・ビエンチャンにいますよ~」という意味のことを書き込んだ。
ネットカフェを出て再び通りを戻り、メコン川の方へ向かった。
道路にはバイクやトゥクトゥク、たまに乗用車も走っているが、交通量は首都とは思えないほど少ない。
これだと信号や横断歩道の必要性がないと思った。
現地の人とすれ違っても、ややはにかんだように微笑む程度で、ベトナムのハノイを歩いた時のようにあちこちから声がかかることはなかった。
僕達はメコン川の土手に上がってから、西の方に向かって歩いた。
ガイドブックによれば、ここから土手沿いを少し歩くと、メコンに沈む夕陽を見ながら食事ができる野外レストランが何軒かあると書かれていたからである。
雲ひとつない晴天の夕暮れのメコン川を眺めながら、僕は今日知り合ったばかりの日本人青年とビエンチャンにいる。
街並みはバンコクやハノイとは全く異なって、何度も言うようだが、首都とは思えないほどのどかで落ち着いている。
満足感が身体に満ち溢れてきた。
僕とN君はしばらく何も言葉を交わさないまま歩き続けた。
土手から降りたところの河川敷では、野外レストランが数軒営業の準備を行っていた。
夜には旅行者だけでなく、地元の人達もここでメコン川を眺めながらビアラオを飲んで、一日の疲れを癒すのだろう。
三百メートル程歩いたところで土手が途切れ、ここから先は細い道が続いており、ガイドブックによれば現地の若者たちが立ち寄るレストランやカフェが多いとのことで、旅行者には少し危険な雰囲気がするとも書かれていた。
しかし今日はN君と一緒だし、彼は大柄でいざという時はきっと頼りになるだろうから、僕達は気にもせずに奥のほうに入って行った。
時刻は午後五時を少し過ぎた頃で、川沿いに並んでいるレストランはそろそろ営業をはじめているところもあり、僕達はちょっと小奇麗な野外レストランに入って行った。
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