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サバイディー、南方上座部仏教国の夕陽 ㊻
しおりを挟む第一章 2001年 春
四十六
帰路のノンカイからバンコクまでの一等エアコン寝台車では、同室となった公務員バックパッカーである服部君と様々な話をして有意義だった。
話しながら無理をしてビールを少し飲んだが、やはり胃が受け付けなかった。
彼の名刺をいただき、僕は名刺を持たないのでメールアドレスとWebのURLをメモして手渡し、午後九時には寝た。(しかし彼の名刺をなくしてしまった)
疲れていたのか、途中一度も目が覚めないまま、目覚まし時計が鳴る前の午前四時ごろに目が覚めた。外はまだ真っ暗だった。
通路に出てみると乗務員がいたので、「ドムアン駅はまだですか?」と訊くと、「次の次の駅ですよ」と言うので、急いで七号車までHさんを起こしに向かった。
彼女のベッドはカーテンが閉まったままだったが、少し開けると寝顔が見えた。
僕はしばらくどうしたものか戸惑ったが、思い切って彼女の眉間の辺りを軽く触ってみた。
ゆっくりと彼女の目が開いた。
「まだ少し早いけどあと二駅でドムアンに着くよ」
「少し前に目が覚めたのですけど、まだ早いと思ってもう一度寝てしまいました」
Hさんは目をこすりながら眠そうに言った。
彼女の少し腫れぼったい寝起きの顔は、すごく可愛くて魅力的に思った。
いよいよドムアン空港に到着だ。僕の旅は今日の深夜便まで残っているが、彼女が帰路についてしまえばその時点で今回の旅は実質的に終ってしまうと思った。
「じゃ、あとで」と言って自分の車両に戻り、すでに起きていた服部君とバックパックの整理を始めた。
午前六時ごろに無情にも列車はドムアン駅に到着した。
列車を降りて階段を上り、空港への通路を歩く。
十日前はこの通路を逆に歩いたのだった。
そのときは期待と不安が入り混じったような複雑な気持ちだったが、今の心中は満足感と空虚な気持ちとが交叉するすっきりしないものだった。
今回の旅は多くの旅人と知り合い、様々なことを語り合い、出発前に予測をしなかったすばらしい旅に終りそうだ。
それなのに何故こんな空虚な気持ちになっているのだろう?
僕はその原因に本当は気づいていた。
鉄道駅からドムアン空港出発ターミナルに入り、彼女が第二ターミナルで中華航空にチェックインをしている間、僕は手荷物預かり所にバックパックを預けた。
そしてここで服部君とはお別れだ。
彼とは一夜だけの関係だったが(笑)、とても気さくで穏やかな人柄には好感が持てた。
彼も今日の深夜便で帰国するのだが、それまでかなり時間があるのでバンコク市内の友人宅を訪れるとのことだった。
彼女がチェックインを終えて、出発ロビーに入るまでにはまだ一時間半ほど時間があるので、空港内のハンバーガーショップに入った。
僕はチーズバーガーとホットコーヒーを注文したが、彼女は全く食欲がなくて、ティーを飲むだけであった。
最後の最後になって彼女の身体のことが心配になってきた。
ルアンパバーンでは驚くほど元気で、爽やかな明るい笑顔を絶やすことのなかった彼女が、今はため息混じりの疲れた表情だ。
きっとルアンパバーンでの最後の夜に、ニコン青年と夜遅くまであちこち遊んでいたからにちがいない。
ニコンの野郎め、今度会ったらただじゃおかないぞ。
観光ガイド中に昼寝をするな!阪急電車のTシャツを嬉しそうに着るな!
まあなかなか良い奴だったから、ルアンパバーンに再度行く機会があれば彼の宿に泊まってやろうと思った。
そんなことを考えながら、僕達はあまり口数もなく別れの時が刻まれていくのを惜しんでいた。
いや正確には僕だけが惜しんでいたのかもしれない。
時間が恨めしいくらいに早く過ぎて行き、いよいよお別れだ。
さりげない別れの方が、今度日本でスムーズに会いやすいのは分かっていた。
「じゃあ、いろいろありがとうございました。家に国際電話をかけてから出発ロビーに行きます。ここでお別れです」
意を決したような感じでHさんは言った。
「気をつけてね。中華航空のパイロットに真剣に操縦するように注意しておくから大丈夫だ」
最後に冗談を言って、そして本当にさりげなく別れた。
Hさんとは日本で何の躊躇もなく再会できるような気がした。
しかし去年のベトナム旅行で、ハノイのバスターミナルであの人が走りながら手を振ってくれたのとは異なり、Hさんとは随分と簡単な別れに終わった。
それはきっと、ふたりには必ず日本で再会するという自然な気持がすでに生じていたからに違いないのだ。
第一章 2001年 春 終了
47からは第二章 2002年 春 を引き続き連載します。よろしくお願いします。
※因みに、Hさんとはこの年の夏に、僕が仕事で東京を訪れた際に再会して、ふたりで東京タワーに登ったことを思いだします。
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