モラトリアム

aika

文字の大きさ
6 / 6

雨の夜の転落死

しおりを挟む
しとしとと暗く冷たい雨が静かに降り続いている、春の夜。

吉田の母さんは、自宅の階段から転落して死んだ。


その時、家の中には彼女の恋人が居たらしい。
彼女の恋人とは一体、どこの誰なのか。


小さな街だ。外の街から来た人間であれ、地元の人間であれ、誰かが出入りに気づいただろう。
けれどその恋人は、噂になることもなく、誰なのか知る者はいないまま5年の歳月が流れた。


その男の正体を知っているのは、警察と、ごく一部の人間だけ。
その一人が、町議会議員である明石の父親。


警察の事情聴取を受けたその男は、事件性はないとしてすぐに帰宅したらしい。


母親の死を知った時の吉田は、一体どんな気持ちだったのだろう。
父親も兄弟も居ない彼は、たった一人で母親の死を受け止めざるを得なかった。

どれほどの悲しみと孤独を感じたのか。


吉田はその夜、母親に頼まれた買い物に出かけていて不在だったらしい。
この街にある店は、ほとんどが夜19時には閉店する。
田舎の商売というのはそういうものだ。


転落事故があったのは20時を過ぎた頃だったと、明石は記憶していた。
そんな時間に吉田はどこへ行っていたのだろう。


須藤と明石は、吉田の母親の葬儀に参加した。


「あの時の侑季は気の毒でとても見ていられらなかった。」

「親戚も誰も居なくて、侑季一人だったもんな。」


放心状態の吉田は、顔面蒼白で、目は宙を見つめたままピクリとも動かない。

2人は当時の光景を思い出して、深くため息を吐き出した。


「その恋人は、葬儀に来ていなかったのか?」

「俺は気付かなかった。それらしい男は居なかったように思うけど。」

「俺も見てない。侑季が心配でそれどころじゃなかったし、恋人が事故現場に居たって話も知らなかったしな。」




放課後、吉田と分かれた俺たちは明石の家で3人、難しい顔を突き合わせていた。


「それって本当に事故だったんだよな?」


思ったことをそのまま口にする。
2人の顔を見て、ぎくりと体が震えた。

自分の口から出た言葉の不穏な響きに、胸がざわつく。



「事故じゃなくて・・・吉田の母さんが殺された、ってことか?」


ーーー殺された。

その言葉に、背筋が冷たくなる。


「恋人が葬儀に来ていないなんて、言われてみれば少しおかしいよな。」

「周りに色々言われるのが嫌だったのかもしれない。俺たちがわからないだけで、来ていたかもしれないし。」




「その夜、吉田はどこへ行っていたんだろう。」

事故の夜。吉田は一人、どこへ出かけていたのだろうか。



「その当時・・・俺も少し違和感があったんだ。」


明石が神妙な面持ちで、呟いた。
怖い話でもしている気分だ。


「20時過ぎに出かける場所なんて、この街では限られるだろ。」


「母ちゃんに頼まれて買い物に行ってた、っていう話だったよな?」


当時この街にいた二人が感じていた違和感。


「母親の恋人が家に来ていたなら、吉田はその人物を知っているってことだよな?」


「そんな話、侑季から聞いたことなかったよな。那月は何か聞いたことあるか?」


「ない。」


吉田から母親の恋人の話なんて、聞いたことがなかった。
俺がこの街にいたのは高校を卒業するまでだ。それは2人も同じ。


10年前にこの街を出ていった俺たち3人は、そんな話は聞いたことがない。
事故当時、恋人になったばかりだったのだろうか。

何年も恋人同士であったのならば、この小さな街で周りに知られずに隠し通すことはまず無理だろう。


「どっちにしても、事故が起きるのはまだ先なんだ。今考えても仕方ない。」


「それを避ければ侑季は死なずに済むし、侑季の母ちゃんも死ななくて済む。一石二鳥じゃね?」

須藤が明るい声で言い切った。


俺と明石は顔を見合わせて、苦笑する。
俺たちは若い。それだけでどんな困難も恐る必要がないと思えるから不思議だ。


「今日の侑季、嬉しそうだったな。那月が優しいから、驚いてたみたいだったけど。」

明石が揶揄うように、フッと笑いながら言う。


「俺はいつも優しかっただろ。」

恥ずかしくて、拗ねているような口調になってしまった。


「侑季にはトクベツ、な~。」

特別という言葉を強調しながら、須藤が意地悪な顔で俺を指差した。
明石とアイコンタクトをして笑っている。


「なんだよ、それ。」

中学時代の自分を思い出す。
自分のことなのに、たった10年経っただけで鮮明に思い出すことはもはや出来そうになかった。

鮮明に脳裏に浮かんでくるのは、一緒に過ごしたこいつらと吉田。
3人が側に居る、いつもの風景。
当時の俺が、毎日目にしていたもの。



「吉田のこと、もっと知りたい。」

言ってしまってから、息を飲む。
今の流れでこの台詞を言えば完全に二人から揶揄われるだろう。

中学時代に俺が吉田に恋心を抱いていたことは、2人にはバレていた。
ことあるごとに揶揄われていたことを思い出す。


「「俺らも同じ気持ちだ。」」


俺の予想に反して、二人は真顔で同じセリフを吐いた。
相変わらず息がぴったりの2人だ。


これは罪滅ぼしなのかもしれない。
彼ときちんと向き合うことなく、この街に置き去りにしたことへの。

大切な友人が辛い時に、俺は彼を見ようともしなかった。
彼を知ろうともせずに、自分の世界だけに籠もっていたこの10年。


「侑季がいるこの時間を大切に、未来へ繋げよう。」

明石が指先で眼鏡をクイと上げながら、そう言った。


「絶対ぇ侑季を守ってみせる。」

俺たちは吉田への想いを胸に未来を誓う。


頼もしいこの友人たちと、今ここにある若さのおかげで、俺はどんなことでも出来る気がした。






しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

蛇に睨まれた蛙は雨宿りする

KAWAZU.
BL
雨の日、出会ってはいけない人に出会った。 平凡で目立たない図書委員・雨宮湊は、放課後、図書館に忘れられた傘を届けに生徒会棟へ向かう。 そこで出会ったのは、学園の誰もが憧れる副会長・神代怜。 完璧な笑顔の奥に何かを隠す彼の左手首には、湊にだけ見える“白い蛇”がいた。 この世界では、心と結びついた《守護生物》を持つ者が稀に存在する。 湊の相棒は小さなカエル《ケロスケ》 蛇とカエル——対極の二人が出会った日、学園に小さな雨が降り始める。 傘を巡る偶然から始まる、静かで不器用な“心の侵食”。 さらに狐の守護を持つ朱里が現れ、三人の感情は静かに揺れ始める。 ——これは、蛇に睨まれたカエルが“雨宿り”を覚えるまでの恋の物語。 🌧 学園BL × ファンタジー要素 × 守護生物(カエルと蛇) 🌤 ラブコメ+じれ恋+少し不思議な青春譚。 【ご案内】  週に数話ずつ21時~23時頃に更新していく予定です。  本作は一部話数に挿絵を含みます。  環境によっては画像が表示されにくい場合があります。 (表紙/挿絵:AI生成画像に作者が加筆・編集を行っています)

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...