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雨の夜の転落死
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しとしとと暗く冷たい雨が静かに降り続いている、春の夜。
吉田の母さんは、自宅の階段から転落して死んだ。
その時、家の中には彼女の恋人が居たらしい。
彼女の恋人とは一体、どこの誰なのか。
小さな街だ。外の街から来た人間であれ、地元の人間であれ、誰かが出入りに気づいただろう。
けれどその恋人は、噂になることもなく、誰なのか知る者はいないまま5年の歳月が流れた。
その男の正体を知っているのは、警察と、ごく一部の人間だけ。
その一人が、町議会議員である明石の父親。
警察の事情聴取を受けたその男は、事件性はないとしてすぐに帰宅したらしい。
母親の死を知った時の吉田は、一体どんな気持ちだったのだろう。
父親も兄弟も居ない彼は、たった一人で母親の死を受け止めざるを得なかった。
どれほどの悲しみと孤独を感じたのか。
吉田はその夜、母親に頼まれた買い物に出かけていて不在だったらしい。
この街にある店は、ほとんどが夜19時には閉店する。
田舎の商売というのはそういうものだ。
転落事故があったのは20時を過ぎた頃だったと、明石は記憶していた。
そんな時間に吉田はどこへ行っていたのだろう。
須藤と明石は、吉田の母親の葬儀に参加した。
「あの時の侑季は気の毒でとても見ていられらなかった。」
「親戚も誰も居なくて、侑季一人だったもんな。」
放心状態の吉田は、顔面蒼白で、目は宙を見つめたままピクリとも動かない。
2人は当時の光景を思い出して、深くため息を吐き出した。
「その恋人は、葬儀に来ていなかったのか?」
「俺は気付かなかった。それらしい男は居なかったように思うけど。」
「俺も見てない。侑季が心配でそれどころじゃなかったし、恋人が事故現場に居たって話も知らなかったしな。」
放課後、吉田と分かれた俺たちは明石の家で3人、難しい顔を突き合わせていた。
「それって本当に事故だったんだよな?」
思ったことをそのまま口にする。
2人の顔を見て、ぎくりと体が震えた。
自分の口から出た言葉の不穏な響きに、胸がざわつく。
「事故じゃなくて・・・吉田の母さんが殺された、ってことか?」
ーーー殺された。
その言葉に、背筋が冷たくなる。
「恋人が葬儀に来ていないなんて、言われてみれば少しおかしいよな。」
「周りに色々言われるのが嫌だったのかもしれない。俺たちがわからないだけで、来ていたかもしれないし。」
「その夜、吉田はどこへ行っていたんだろう。」
事故の夜。吉田は一人、どこへ出かけていたのだろうか。
「その当時・・・俺も少し違和感があったんだ。」
明石が神妙な面持ちで、呟いた。
怖い話でもしている気分だ。
「20時過ぎに出かける場所なんて、この街では限られるだろ。」
「母ちゃんに頼まれて買い物に行ってた、っていう話だったよな?」
当時この街にいた二人が感じていた違和感。
「母親の恋人が家に来ていたなら、吉田はその人物を知っているってことだよな?」
「そんな話、侑季から聞いたことなかったよな。那月は何か聞いたことあるか?」
「ない。」
吉田から母親の恋人の話なんて、聞いたことがなかった。
俺がこの街にいたのは高校を卒業するまでだ。それは2人も同じ。
10年前にこの街を出ていった俺たち3人は、そんな話は聞いたことがない。
事故当時、恋人になったばかりだったのだろうか。
何年も恋人同士であったのならば、この小さな街で周りに知られずに隠し通すことはまず無理だろう。
「どっちにしても、事故が起きるのはまだ先なんだ。今考えても仕方ない。」
「それを避ければ侑季は死なずに済むし、侑季の母ちゃんも死ななくて済む。一石二鳥じゃね?」
須藤が明るい声で言い切った。
俺と明石は顔を見合わせて、苦笑する。
俺たちは若い。それだけでどんな困難も恐る必要がないと思えるから不思議だ。
「今日の侑季、嬉しそうだったな。那月が優しいから、驚いてたみたいだったけど。」
明石が揶揄うように、フッと笑いながら言う。
「俺はいつも優しかっただろ。」
恥ずかしくて、拗ねているような口調になってしまった。
「侑季にはトクベツ、な~。」
特別という言葉を強調しながら、須藤が意地悪な顔で俺を指差した。
明石とアイコンタクトをして笑っている。
「なんだよ、それ。」
中学時代の自分を思い出す。
自分のことなのに、たった10年経っただけで鮮明に思い出すことはもはや出来そうになかった。
鮮明に脳裏に浮かんでくるのは、一緒に過ごしたこいつらと吉田。
3人が側に居る、いつもの風景。
当時の俺が、毎日目にしていたもの。
「吉田のこと、もっと知りたい。」
言ってしまってから、息を飲む。
今の流れでこの台詞を言えば完全に二人から揶揄われるだろう。
中学時代に俺が吉田に恋心を抱いていたことは、2人にはバレていた。
ことあるごとに揶揄われていたことを思い出す。
「「俺らも同じ気持ちだ。」」
俺の予想に反して、二人は真顔で同じセリフを吐いた。
相変わらず息がぴったりの2人だ。
これは罪滅ぼしなのかもしれない。
彼ときちんと向き合うことなく、この街に置き去りにしたことへの。
大切な友人が辛い時に、俺は彼を見ようともしなかった。
彼を知ろうともせずに、自分の世界だけに籠もっていたこの10年。
「侑季がいるこの時間を大切に、未来へ繋げよう。」
明石が指先で眼鏡をクイと上げながら、そう言った。
「絶対ぇ侑季を守ってみせる。」
俺たちは吉田への想いを胸に未来を誓う。
頼もしいこの友人たちと、今ここにある若さのおかげで、俺はどんなことでも出来る気がした。
吉田の母さんは、自宅の階段から転落して死んだ。
その時、家の中には彼女の恋人が居たらしい。
彼女の恋人とは一体、どこの誰なのか。
小さな街だ。外の街から来た人間であれ、地元の人間であれ、誰かが出入りに気づいただろう。
けれどその恋人は、噂になることもなく、誰なのか知る者はいないまま5年の歳月が流れた。
その男の正体を知っているのは、警察と、ごく一部の人間だけ。
その一人が、町議会議員である明石の父親。
警察の事情聴取を受けたその男は、事件性はないとしてすぐに帰宅したらしい。
母親の死を知った時の吉田は、一体どんな気持ちだったのだろう。
父親も兄弟も居ない彼は、たった一人で母親の死を受け止めざるを得なかった。
どれほどの悲しみと孤独を感じたのか。
吉田はその夜、母親に頼まれた買い物に出かけていて不在だったらしい。
この街にある店は、ほとんどが夜19時には閉店する。
田舎の商売というのはそういうものだ。
転落事故があったのは20時を過ぎた頃だったと、明石は記憶していた。
そんな時間に吉田はどこへ行っていたのだろう。
須藤と明石は、吉田の母親の葬儀に参加した。
「あの時の侑季は気の毒でとても見ていられらなかった。」
「親戚も誰も居なくて、侑季一人だったもんな。」
放心状態の吉田は、顔面蒼白で、目は宙を見つめたままピクリとも動かない。
2人は当時の光景を思い出して、深くため息を吐き出した。
「その恋人は、葬儀に来ていなかったのか?」
「俺は気付かなかった。それらしい男は居なかったように思うけど。」
「俺も見てない。侑季が心配でそれどころじゃなかったし、恋人が事故現場に居たって話も知らなかったしな。」
放課後、吉田と分かれた俺たちは明石の家で3人、難しい顔を突き合わせていた。
「それって本当に事故だったんだよな?」
思ったことをそのまま口にする。
2人の顔を見て、ぎくりと体が震えた。
自分の口から出た言葉の不穏な響きに、胸がざわつく。
「事故じゃなくて・・・吉田の母さんが殺された、ってことか?」
ーーー殺された。
その言葉に、背筋が冷たくなる。
「恋人が葬儀に来ていないなんて、言われてみれば少しおかしいよな。」
「周りに色々言われるのが嫌だったのかもしれない。俺たちがわからないだけで、来ていたかもしれないし。」
「その夜、吉田はどこへ行っていたんだろう。」
事故の夜。吉田は一人、どこへ出かけていたのだろうか。
「その当時・・・俺も少し違和感があったんだ。」
明石が神妙な面持ちで、呟いた。
怖い話でもしている気分だ。
「20時過ぎに出かける場所なんて、この街では限られるだろ。」
「母ちゃんに頼まれて買い物に行ってた、っていう話だったよな?」
当時この街にいた二人が感じていた違和感。
「母親の恋人が家に来ていたなら、吉田はその人物を知っているってことだよな?」
「そんな話、侑季から聞いたことなかったよな。那月は何か聞いたことあるか?」
「ない。」
吉田から母親の恋人の話なんて、聞いたことがなかった。
俺がこの街にいたのは高校を卒業するまでだ。それは2人も同じ。
10年前にこの街を出ていった俺たち3人は、そんな話は聞いたことがない。
事故当時、恋人になったばかりだったのだろうか。
何年も恋人同士であったのならば、この小さな街で周りに知られずに隠し通すことはまず無理だろう。
「どっちにしても、事故が起きるのはまだ先なんだ。今考えても仕方ない。」
「それを避ければ侑季は死なずに済むし、侑季の母ちゃんも死ななくて済む。一石二鳥じゃね?」
須藤が明るい声で言い切った。
俺と明石は顔を見合わせて、苦笑する。
俺たちは若い。それだけでどんな困難も恐る必要がないと思えるから不思議だ。
「今日の侑季、嬉しそうだったな。那月が優しいから、驚いてたみたいだったけど。」
明石が揶揄うように、フッと笑いながら言う。
「俺はいつも優しかっただろ。」
恥ずかしくて、拗ねているような口調になってしまった。
「侑季にはトクベツ、な~。」
特別という言葉を強調しながら、須藤が意地悪な顔で俺を指差した。
明石とアイコンタクトをして笑っている。
「なんだよ、それ。」
中学時代の自分を思い出す。
自分のことなのに、たった10年経っただけで鮮明に思い出すことはもはや出来そうになかった。
鮮明に脳裏に浮かんでくるのは、一緒に過ごしたこいつらと吉田。
3人が側に居る、いつもの風景。
当時の俺が、毎日目にしていたもの。
「吉田のこと、もっと知りたい。」
言ってしまってから、息を飲む。
今の流れでこの台詞を言えば完全に二人から揶揄われるだろう。
中学時代に俺が吉田に恋心を抱いていたことは、2人にはバレていた。
ことあるごとに揶揄われていたことを思い出す。
「「俺らも同じ気持ちだ。」」
俺の予想に反して、二人は真顔で同じセリフを吐いた。
相変わらず息がぴったりの2人だ。
これは罪滅ぼしなのかもしれない。
彼ときちんと向き合うことなく、この街に置き去りにしたことへの。
大切な友人が辛い時に、俺は彼を見ようともしなかった。
彼を知ろうともせずに、自分の世界だけに籠もっていたこの10年。
「侑季がいるこの時間を大切に、未来へ繋げよう。」
明石が指先で眼鏡をクイと上げながら、そう言った。
「絶対ぇ侑季を守ってみせる。」
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