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雪月花
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奏が傷痕に引け目を感じている事は理解していた。理解しているつもりだった。
でも当事者ではない僕の認識なんて、彼女からしたら甘いもので、想像よりもずっと、ずっと。奏は自分の傷痕と戦っていた。明るく振舞い、自分の弱い部分をあくびにも出さずに。本来被るはずのない理不尽な思いに耐え続けていたんだ。
凄いと思った。それと同時に自分が恥ずかしく感じた。
僕は奏の顔に傷をつけた罪悪感を隠す事なく感じ続けていた。自分のせいで彼女が辛い人生を歩んでいる。だから彼女の為に何かをしないといけない。そう思うことで自分の罪を晴らした気でいた。ずっと一緒にいた奏は、僕のそういう卑怯な部分に気付いていたかもしれない。
それでも彼女は僕を責める事はしなかった。耐えて、ひたすら耐えて。自分の人生と向き合おうとしていた。奏は傷痕と戦うだけじゃなく、弱い僕まで責めずに守ってくれていた。
守ろうとしていたはずの彼女に実は守られていた。そして今、奏は小さな肩には重すぎる荷物に押し潰されそうになっている。その事実が男として、とても恥ずかしいものに感じていた。
鼻先に冷たい感触が触れる。
「……雪だ」
月明かりに照らされて、空に白い粒が待っていた。
寒い寒いと思っていたら、こんなタイミングで雪が降ってくるなんて。
奏の頭にも雪が降りかかる。彼女は相変わらず震えている。早くここから離れないと寒さで本当に死んでしまうかもしれない――なんて。そんな適当な理由をつけて、僕はこれから言う言葉を正当化しようとしていた。
「奏……君が、好きだ」
脈絡もなく放たれた告白に奏は顔を上げてこちらを見た。僕はいつもと同じように奏の顔をずっと見つめている。そうしていると、驚いた表情をしていた奏はゆっくりと表情を強張らせていく。
「……何言ってんの?」
「奏の事が好きだって言った」
「そういう意味じゃない!」
重ねて言うと、奏は怒声を返してきた。
「あんたが私に告るって、どういう意味かわかって言ってんの?」
「……わかってるつもりだよ」
「わかってないでしょっ! 私の顔をこんなにしたあんたがどの面下げてそんな事言えるのよっ!」
声を荒げた奏は我を忘れた様子で食い掛かる。
僕から見ても奏の言う事は正論で、僕だって直接的ではないにしても自分の顔を傷物にしたきっかけに執着されれば気持ちのいいものではないと思う。だからこういう風に言われるのは予想していた範囲だ。
「確かに、傷の事は申し訳ないと思ってる。僕のせいで奏は理不尽な目に合っていると負い目を感じてもいる。でも、そんなの関係なく僕は奏を好きなんだ」
「どーだか。私が弱い所を見せたから変な気分になってるだけでしょう、気持ち悪い」
「そんなことない」
「そんなことあるよ。男なんてみんなそう。先輩だってそうだった」
先輩という単語にドキリとして言葉が詰まる。その様子を見た奏は睨みつけるようにこちらを見据えていた。
「流星も私が先輩と仲良くしてたのは知ってるでしょう。そして急に話さなくなったのも。何でか知ってる?」
「……詳しくは」
「先輩はね、傷痕の事をあんまり知らなかったの。普段マスクで隠してたから、傷痕があると知った時も大したものじゃないと思ってたのよ。私はそれをいい方向に受け取って、嬉しくなった。マスクを外してありのままの私を見てもらった。そしたらね、露骨に嫌な顔をされたわ。汚い物を見るように、顔をしかめてね。それだけでもショックだったのに、ご丁寧に「グロい」って言葉まで付け加えてくれたわよ。それからはずっと無視された。気にしないって、優しい顔で言ってくれたのに……ふと気づいたら相手にすらしれくれなかった」
「……」
「どれだけいい顔をしても傷を見せたらみんな離れていく」
奏は息を大きく吐いてから、こちらに笑みを向ける。
「あんた以外はね」
「奏……」
「皮肉よね。流星についていったからこんな顔になったのに、流星が憎くて堪らないはずなのに。誰よりも優しい流星に甘えて、依存して。迷惑ばかりかけてる」
どうしようもない笑みを浮かべながら、奏は切ない瞳を見せる。今吐いている言葉が明るく努める彼女の本心。それが痛いくらいに伝わってくる。
「流星の気持ちだって本当は気づいてた。でもそれは罪悪感が見せてるものだと思ってたし、今でもそう思う。そうとわかった上で、好意に甘えてたんだ。私の存在を認めて欲しかったんだ。色々作っても、本心では流星を憎んで、自分を肯定してもらって安心してるだけの小さな存在……はは、幻滅したでしょ?」
「幻滅なんかしないよ」
「流星……」
「元を正せば、奏がそんな風に考えるのは僕がつけた傷が原因だ。だから気を遣う必要なんかない。好きに僕を罵ってくれていい」
「でも……そんな女の相手なんて嫌でしょう……?」
「嫌じゃない。僕はずっと奏を守っていきたい。君が好きだから」
言いながら、奏の肩を掴んだ。奏の小さな体を引き寄せて抱きしめようとすると奏は腕を伸ばして制止した。
「だめ……私傷物だよ、絶対後悔する」
「しない。今まで僕の方から奏に距離を空けたことがなかったろ?」
「そう、だけど。でもそれは……」
「罪悪感から来るものかも知れない。だろ? もちろん罪悪感はある。でもそれを含めて奏が好きなんだ。これからもずっと、君と一緒にいたいんだ」
「あ……」
強く奏を引き寄せると、制止していた腕の力は徐々に抜けていき、彼女の小さな体はゆっくりと僕の身体に収まった。
「この気持ちにどんな理由があっても、僕には君が必要だ」
「……うん」
奏の腕が僕の背中を撫でる。戸惑うように触れる腕はゆっくりと、背中を包むようにして僕を抱きしめる。それに応答するように、僕も奏の身体をしっかりと抱き上げる。寄り添うように、心の傷を覆うように。
雪が降り積もる中、僕と奏は言葉を忘れて抱きしめ合っていた。寒空の中、お互いの体温を分け合うように。そうしていると、風が止んだ。時が止まったかのような静寂が訪れたと思うと、公園に強い光が落ちる。
「……流星、あれ……」
先に声を上げたのは奏だった。
肩を叩かれて僕は後ろを振り返る。
「なんだ、あれ……」
背後にあるのは奏が入院したことのある大病院。その建物の屋上に、強い光が輝いていた。
「綺麗……」
光に見惚れている奏が呟く。太陽のような優しい光は徐々に弱くなっていき、夜空と同化するように消え去っていく。それから一陣の風が吹きつけた。
「うわっ……!」
体が飛ばされそうな強い衝撃に顔を覆う。
風はすぐに止み、辺りは静寂に包まれる。しとしとと雪が降り落ち始めると、小さな雪に混じって花びらが視界に入る。見慣れた花弁に手を伸ばして手のひらでそっと受け止める。
「これって……桜の……」
ゆっくりと上を見上げると、夜空を覆い隠すように桜の花が視界を埋める。朽ちた幹はそのままに、枝の先端まで見事な桜の花が咲いていた。
「なんで……」
突然の出来事に困惑が隠せない。その間にも花弁は雪と同じように舞い落ちている。地面に溜まる花弁は幻ではないと証明している。
「奏、これって――」
奏の方を振り向いて、僕は言葉を止めた。言葉を発する事が出来なかった。
僕と同じく桜の木を見上げていた奏は涙を流して桜の花が舞い落ちるのをただ見つめている。桜の雨の中、月明かりに照らされた彼女の横顔は美しくて、ただ美しくて――。
傷痕が無くなっている事を言えずに見惚れていた。
「……流星?」
僕の視線に気づいた奏は、こちらを向いて怪訝な顔を見せる。間違いない。生傷一つ見えない綺麗な顔をしている。
「あ……あぉ……」
「あお?」
「かお……傷が……」
「え?」
奏は自分の頬を触ると身体をびくりと跳ねさせた。そのまま表情を変えずに、何度も、何度も頬を撫でてからスマホを取り出して顔を確認すると、僕に勢いよく抱き着いてきた。
「なんで……? どうして……?」
「わ、わからない。わからないけど……夢じゃない」
抱きしめた奏の体温を感じる。雪は地面を白くして、月は桜を照らしている。夢のような光景だけれど、すべてが現実に起きていることだった。だから、彼女の傷がなくなったのだって決して幻覚ではないのだ。
涙を掬うように奏の頬を撫でる。
「う、うぅ……うううううぅぅぅぅぅぅ――」
傷があるなんて想像も出来ない綺麗な肌を撫でると。奏は声を上げて泣いていた。
桜の雨の中。僕は奏が落ち着くまで、ずっと彼女を抱きしめていた。
でも当事者ではない僕の認識なんて、彼女からしたら甘いもので、想像よりもずっと、ずっと。奏は自分の傷痕と戦っていた。明るく振舞い、自分の弱い部分をあくびにも出さずに。本来被るはずのない理不尽な思いに耐え続けていたんだ。
凄いと思った。それと同時に自分が恥ずかしく感じた。
僕は奏の顔に傷をつけた罪悪感を隠す事なく感じ続けていた。自分のせいで彼女が辛い人生を歩んでいる。だから彼女の為に何かをしないといけない。そう思うことで自分の罪を晴らした気でいた。ずっと一緒にいた奏は、僕のそういう卑怯な部分に気付いていたかもしれない。
それでも彼女は僕を責める事はしなかった。耐えて、ひたすら耐えて。自分の人生と向き合おうとしていた。奏は傷痕と戦うだけじゃなく、弱い僕まで責めずに守ってくれていた。
守ろうとしていたはずの彼女に実は守られていた。そして今、奏は小さな肩には重すぎる荷物に押し潰されそうになっている。その事実が男として、とても恥ずかしいものに感じていた。
鼻先に冷たい感触が触れる。
「……雪だ」
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寒い寒いと思っていたら、こんなタイミングで雪が降ってくるなんて。
奏の頭にも雪が降りかかる。彼女は相変わらず震えている。早くここから離れないと寒さで本当に死んでしまうかもしれない――なんて。そんな適当な理由をつけて、僕はこれから言う言葉を正当化しようとしていた。
「奏……君が、好きだ」
脈絡もなく放たれた告白に奏は顔を上げてこちらを見た。僕はいつもと同じように奏の顔をずっと見つめている。そうしていると、驚いた表情をしていた奏はゆっくりと表情を強張らせていく。
「……何言ってんの?」
「奏の事が好きだって言った」
「そういう意味じゃない!」
重ねて言うと、奏は怒声を返してきた。
「あんたが私に告るって、どういう意味かわかって言ってんの?」
「……わかってるつもりだよ」
「わかってないでしょっ! 私の顔をこんなにしたあんたがどの面下げてそんな事言えるのよっ!」
声を荒げた奏は我を忘れた様子で食い掛かる。
僕から見ても奏の言う事は正論で、僕だって直接的ではないにしても自分の顔を傷物にしたきっかけに執着されれば気持ちのいいものではないと思う。だからこういう風に言われるのは予想していた範囲だ。
「確かに、傷の事は申し訳ないと思ってる。僕のせいで奏は理不尽な目に合っていると負い目を感じてもいる。でも、そんなの関係なく僕は奏を好きなんだ」
「どーだか。私が弱い所を見せたから変な気分になってるだけでしょう、気持ち悪い」
「そんなことない」
「そんなことあるよ。男なんてみんなそう。先輩だってそうだった」
先輩という単語にドキリとして言葉が詰まる。その様子を見た奏は睨みつけるようにこちらを見据えていた。
「流星も私が先輩と仲良くしてたのは知ってるでしょう。そして急に話さなくなったのも。何でか知ってる?」
「……詳しくは」
「先輩はね、傷痕の事をあんまり知らなかったの。普段マスクで隠してたから、傷痕があると知った時も大したものじゃないと思ってたのよ。私はそれをいい方向に受け取って、嬉しくなった。マスクを外してありのままの私を見てもらった。そしたらね、露骨に嫌な顔をされたわ。汚い物を見るように、顔をしかめてね。それだけでもショックだったのに、ご丁寧に「グロい」って言葉まで付け加えてくれたわよ。それからはずっと無視された。気にしないって、優しい顔で言ってくれたのに……ふと気づいたら相手にすらしれくれなかった」
「……」
「どれだけいい顔をしても傷を見せたらみんな離れていく」
奏は息を大きく吐いてから、こちらに笑みを向ける。
「あんた以外はね」
「奏……」
「皮肉よね。流星についていったからこんな顔になったのに、流星が憎くて堪らないはずなのに。誰よりも優しい流星に甘えて、依存して。迷惑ばかりかけてる」
どうしようもない笑みを浮かべながら、奏は切ない瞳を見せる。今吐いている言葉が明るく努める彼女の本心。それが痛いくらいに伝わってくる。
「流星の気持ちだって本当は気づいてた。でもそれは罪悪感が見せてるものだと思ってたし、今でもそう思う。そうとわかった上で、好意に甘えてたんだ。私の存在を認めて欲しかったんだ。色々作っても、本心では流星を憎んで、自分を肯定してもらって安心してるだけの小さな存在……はは、幻滅したでしょ?」
「幻滅なんかしないよ」
「流星……」
「元を正せば、奏がそんな風に考えるのは僕がつけた傷が原因だ。だから気を遣う必要なんかない。好きに僕を罵ってくれていい」
「でも……そんな女の相手なんて嫌でしょう……?」
「嫌じゃない。僕はずっと奏を守っていきたい。君が好きだから」
言いながら、奏の肩を掴んだ。奏の小さな体を引き寄せて抱きしめようとすると奏は腕を伸ばして制止した。
「だめ……私傷物だよ、絶対後悔する」
「しない。今まで僕の方から奏に距離を空けたことがなかったろ?」
「そう、だけど。でもそれは……」
「罪悪感から来るものかも知れない。だろ? もちろん罪悪感はある。でもそれを含めて奏が好きなんだ。これからもずっと、君と一緒にいたいんだ」
「あ……」
強く奏を引き寄せると、制止していた腕の力は徐々に抜けていき、彼女の小さな体はゆっくりと僕の身体に収まった。
「この気持ちにどんな理由があっても、僕には君が必要だ」
「……うん」
奏の腕が僕の背中を撫でる。戸惑うように触れる腕はゆっくりと、背中を包むようにして僕を抱きしめる。それに応答するように、僕も奏の身体をしっかりと抱き上げる。寄り添うように、心の傷を覆うように。
雪が降り積もる中、僕と奏は言葉を忘れて抱きしめ合っていた。寒空の中、お互いの体温を分け合うように。そうしていると、風が止んだ。時が止まったかのような静寂が訪れたと思うと、公園に強い光が落ちる。
「……流星、あれ……」
先に声を上げたのは奏だった。
肩を叩かれて僕は後ろを振り返る。
「なんだ、あれ……」
背後にあるのは奏が入院したことのある大病院。その建物の屋上に、強い光が輝いていた。
「綺麗……」
光に見惚れている奏が呟く。太陽のような優しい光は徐々に弱くなっていき、夜空と同化するように消え去っていく。それから一陣の風が吹きつけた。
「うわっ……!」
体が飛ばされそうな強い衝撃に顔を覆う。
風はすぐに止み、辺りは静寂に包まれる。しとしとと雪が降り落ち始めると、小さな雪に混じって花びらが視界に入る。見慣れた花弁に手を伸ばして手のひらでそっと受け止める。
「これって……桜の……」
ゆっくりと上を見上げると、夜空を覆い隠すように桜の花が視界を埋める。朽ちた幹はそのままに、枝の先端まで見事な桜の花が咲いていた。
「なんで……」
突然の出来事に困惑が隠せない。その間にも花弁は雪と同じように舞い落ちている。地面に溜まる花弁は幻ではないと証明している。
「奏、これって――」
奏の方を振り向いて、僕は言葉を止めた。言葉を発する事が出来なかった。
僕と同じく桜の木を見上げていた奏は涙を流して桜の花が舞い落ちるのをただ見つめている。桜の雨の中、月明かりに照らされた彼女の横顔は美しくて、ただ美しくて――。
傷痕が無くなっている事を言えずに見惚れていた。
「……流星?」
僕の視線に気づいた奏は、こちらを向いて怪訝な顔を見せる。間違いない。生傷一つ見えない綺麗な顔をしている。
「あ……あぉ……」
「あお?」
「かお……傷が……」
「え?」
奏は自分の頬を触ると身体をびくりと跳ねさせた。そのまま表情を変えずに、何度も、何度も頬を撫でてからスマホを取り出して顔を確認すると、僕に勢いよく抱き着いてきた。
「なんで……? どうして……?」
「わ、わからない。わからないけど……夢じゃない」
抱きしめた奏の体温を感じる。雪は地面を白くして、月は桜を照らしている。夢のような光景だけれど、すべてが現実に起きていることだった。だから、彼女の傷がなくなったのだって決して幻覚ではないのだ。
涙を掬うように奏の頬を撫でる。
「う、うぅ……うううううぅぅぅぅぅぅ――」
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