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雪月花
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奏の家に着いた僕は何度もインターホンを鳴らした。すると彼女の母親が家から出てきた。
「あれ、流星君。学校はどうしたの?」
「っは、はぁ……はぁ……奏……帰ってきてますか……?」
「ううん。まだだけど。奏がどうかした?」
「それが……急にどっか行っちゃって」
「えぇ?」
状況が飲み込めてない奏の母親に僕は昼休みに起きたことを説明した。先輩とのやりとりは関係ないので、あくまで教室内での奏とのやり取りだけだ。
最初は困惑していた様子だったが、僕の説明を聞く内に考えるような表情を見せて、奏が泣き出したことを言うと、納得がいったように頷く。
「最近様子がおかしいと思ってたけど、その事で悩んでいたのね……」
「どういうことです?」
「ここのところ奏の元気がずっとなかったの。心配して話しかけてもはぐらかされちゃうし、いったいどうしたのかなって思ってたのだけど。やっぱり傷痕の事で悩んでたのね」
「でも、傷の事は僕何も……」
「触れたんでしょ? そしてすぐに離れた」
「あ……」
僕は自分のしでかした事がようやく理解できた。奏のコンプレックスに触れてすぐに離れるなんて、彼女からしたら気持ちのいいものではなかったはずだ。
もちろん奏の傷痕が気持ち悪いとか、そういう理由で離れたわけではない。寧ろそういう気持ちとは逆で、傷に触れられると気になるだろうと気遣ったのだ。
だけどそれはあくまで僕の主観であって、奏からすると傷痕を忌避する周りと同じように映ってもおかしくなかった。いや、実際にそう思ったから、なんで僕まで……という言葉が出たのだろう。
「ごめんなさい。僕……奏に酷いことを……」
「わかってる。流星君は奏とずっと友達でいてくれているもの。私もきつい言い方をしてごめんなさいね」
「いえ……でも、家に帰ってないとしたら奏はどこに」
「わからないわ……近くに知り合いもいないし、友達も学校だろうから行く場所なんてそんなにないと思うのだけど……」
「……僕、ちょっと探してきます!」
アテがあるわけでもなかったけど、僕はそう言って奏を探した。そうしていないと自責の念に押し潰されそうだった。
奏は先輩に拒否されて、態度に出さなくても辛い思いをしていたはずだ。僕と一緒にいたのは、恐らく唯一の傷痕を気にしない人間だったから。彼女にとって心の拠り所が僕だった。
それなのに僕は深く考えずに彼女を突き放してしまった。何が気遣いだ。本当に気にしていないのならば、そのまま普段通りにしていればよかったのだ。
それを僕は、先輩の話を聞いて悲観的になっていた。‘可哀想なもの‘だと、‘気を遣わなきゃいけないもの‘だと上から目線で見てしまっていた。怪我をさせた本人が、何でそんな目で見てるんだと我ながら思う。奏を泣かせてしまうのも当然だ。
自分を責め立てながら必死に走って奏を探す。駅前の繁華街から地元の商店街。奏の好きそうな店など、彼女が行きそうなところはしらみつぶしにした。しかし奏の姿はどこにもなかった。
ずっと走っているから息が上がる。奏の痕跡すら見つけられないまま、空が茜色に変わっていく。無情にも陽が落ちようとしていた。
「寒……」
疲れ果てて脚を止めると冷たい風が体に刺さる。寒さに体を丸めて奏の母親が言っていたことを思い出す。奏は大した手持ちがないと言っていた。もしかしたら店に入るお金すら持っていないのかも知れない。そう思うとゾっとした。
今日の寒さは特に堪える。陽が落ちたらもっと寒くなるだろう。そんな中で奏が外にいたとしたら、大げさではなく凍死してしまうんじゃないかと思った。
追い詰めてしまった自分のせいで奏がそんな事になったら……。自責の念がのしかかって来るのを振り払う。そんな物に構っている場合ではない。早く見つけてあげないと。
「あ……」
奏が怪我をした公園の前を通りかかり、僕はハッとした。そのまま導かれるように公園に入る。
広場を通り抜けて真っすぐと公園を進む。向かっているのは桜の木が植えてある場所だ。
公園を見た瞬間、桜の木に手を当てて佇む奏の姿を思い出した。まるで未来視ともいえるイメージに、奏がここにいるのを確信したような感覚で、桜の木に向かう。
「――奏」
桜の木の根元。奏はそこで座り込んでいた。
寒そうに身体を丸めて、とても悲しそうな表情のまま下を向いている。
僕が近づくと足音に気付いた奏がこちらを見た。
「ここにいるってよくわかったね」
「うん……」
奏の言葉に頷いて答える。
「奏、寒いでしょ。陽も落ちてきたし帰ろう」
「ごめん。もう少しここにいたい」
「……そっか」
動こうとしない奏にただ頷く。
身体を震えさせる奏は桜の木に身を寄せる。本当はすぐにでも家に帰したかったけど、その姿を見ていると強く言う事ができなかった。
「僕も、座っていいかな」
僕が聞くと彼女は頷いて答えた。
頷く奏を見てから僕は彼女に近づき、横に座る。
彼女の顔を見るとしっかりとマスクがかかっていて、そこから白い息がうっすら漏れる。膝を抱えた指先は赤くなってしまっていて、かなり冷たくなっているのがわかる。それでも奏はここから動く気配はない。眠ってしまいそうに目蓋を下げて、落ち着いた様子で木にもたれかかっていた。
「さっきからジロジロ、何見てるのよ」
「あ、ごめん」
僕は慌てて目を逸らすと、奏が鼻を鳴らす。
「別にいいよ。急に泣き出して学校から出て行ったもん。気にもなるよね」
「それは……」
それは、僕が悪いから。
そう言おうと思って、言葉を止めた。
下手に謝ると却って奏を傷つけるかも知れない。かといって心配しないのもおかしい。でも心配すれば気を遣わせるかも知れない。どう対応すれば奏を安心させれるのか。最適な答えを探すのに必死になって、僕は何も答えられないでいた。
「――この木さ」
「えっ?」
「桜の木。近い内に切られるって知ってた?」
「いや、どうして?」
「大きくて危ないから。大きいだけの枯れ木なんていつ折れちゃうかわからないじゃない。もう花も咲かさないし、ただ危ないだけの木なんていない方がいいんだって」
「そうなんだ」
「可哀想だよね。確かに枯れてしまってるかも知れないけど、まだちゃんと立ってるのに。花が咲かないだけで邪魔者扱いされてさ。こういう話を聞くとどうしようもなくなるよ。問題がある奴は生きてちゃいけないのかーってさ」
「そんな大げさな話ではないでしょ。危ないから撤去するだけで――」
「危ないってだけなら他の木も一緒でしょ。何かが起きて折れるかも知れないし、それに巻き込まれて怪我をするかも知れない。しっかりした若い木だって登ったら落ちる可能性があるし、枝が折れて刺さるかも知れない。危ないっていうなら存在している木々すべてが危ないよ」
「か、奏……?」
一息に言うと、奏は声を荒げて言葉を続ける。
「生き物だって同じだよ。愛玩用として飼われてる犬だってみんな人を殺せる牙を持っている。それなのに野犬や人を噛んだ犬だけ危険だっていうのはおかしいと思わない? 猫だってそう、熊や鹿だってみーんな危なくて人間に迷惑をかけている。それなのに人に懐くものは尊いとされて、イメージが悪いものは疎まれる。人だって……っ!」
「奏……」
「人だって……周りと同じように生きているのに、見た目が違うだけで異物だって弾かれる……」
奏は言い切ると濡れた瞳を隠すように、畳んだ膝に顔を埋めた。
「もう無理……限界だよ」
嗚咽を交えて奏が言う。
いつの間にか日は落ちきっていて、顔を出した月が奏を照らす。普段の明るい彼女からは想像もつかない弱々しい姿に、見ていると心が締め付けられるようだった。
「あれ、流星君。学校はどうしたの?」
「っは、はぁ……はぁ……奏……帰ってきてますか……?」
「ううん。まだだけど。奏がどうかした?」
「それが……急にどっか行っちゃって」
「えぇ?」
状況が飲み込めてない奏の母親に僕は昼休みに起きたことを説明した。先輩とのやりとりは関係ないので、あくまで教室内での奏とのやり取りだけだ。
最初は困惑していた様子だったが、僕の説明を聞く内に考えるような表情を見せて、奏が泣き出したことを言うと、納得がいったように頷く。
「最近様子がおかしいと思ってたけど、その事で悩んでいたのね……」
「どういうことです?」
「ここのところ奏の元気がずっとなかったの。心配して話しかけてもはぐらかされちゃうし、いったいどうしたのかなって思ってたのだけど。やっぱり傷痕の事で悩んでたのね」
「でも、傷の事は僕何も……」
「触れたんでしょ? そしてすぐに離れた」
「あ……」
僕は自分のしでかした事がようやく理解できた。奏のコンプレックスに触れてすぐに離れるなんて、彼女からしたら気持ちのいいものではなかったはずだ。
もちろん奏の傷痕が気持ち悪いとか、そういう理由で離れたわけではない。寧ろそういう気持ちとは逆で、傷に触れられると気になるだろうと気遣ったのだ。
だけどそれはあくまで僕の主観であって、奏からすると傷痕を忌避する周りと同じように映ってもおかしくなかった。いや、実際にそう思ったから、なんで僕まで……という言葉が出たのだろう。
「ごめんなさい。僕……奏に酷いことを……」
「わかってる。流星君は奏とずっと友達でいてくれているもの。私もきつい言い方をしてごめんなさいね」
「いえ……でも、家に帰ってないとしたら奏はどこに」
「わからないわ……近くに知り合いもいないし、友達も学校だろうから行く場所なんてそんなにないと思うのだけど……」
「……僕、ちょっと探してきます!」
アテがあるわけでもなかったけど、僕はそう言って奏を探した。そうしていないと自責の念に押し潰されそうだった。
奏は先輩に拒否されて、態度に出さなくても辛い思いをしていたはずだ。僕と一緒にいたのは、恐らく唯一の傷痕を気にしない人間だったから。彼女にとって心の拠り所が僕だった。
それなのに僕は深く考えずに彼女を突き放してしまった。何が気遣いだ。本当に気にしていないのならば、そのまま普段通りにしていればよかったのだ。
それを僕は、先輩の話を聞いて悲観的になっていた。‘可哀想なもの‘だと、‘気を遣わなきゃいけないもの‘だと上から目線で見てしまっていた。怪我をさせた本人が、何でそんな目で見てるんだと我ながら思う。奏を泣かせてしまうのも当然だ。
自分を責め立てながら必死に走って奏を探す。駅前の繁華街から地元の商店街。奏の好きそうな店など、彼女が行きそうなところはしらみつぶしにした。しかし奏の姿はどこにもなかった。
ずっと走っているから息が上がる。奏の痕跡すら見つけられないまま、空が茜色に変わっていく。無情にも陽が落ちようとしていた。
「寒……」
疲れ果てて脚を止めると冷たい風が体に刺さる。寒さに体を丸めて奏の母親が言っていたことを思い出す。奏は大した手持ちがないと言っていた。もしかしたら店に入るお金すら持っていないのかも知れない。そう思うとゾっとした。
今日の寒さは特に堪える。陽が落ちたらもっと寒くなるだろう。そんな中で奏が外にいたとしたら、大げさではなく凍死してしまうんじゃないかと思った。
追い詰めてしまった自分のせいで奏がそんな事になったら……。自責の念がのしかかって来るのを振り払う。そんな物に構っている場合ではない。早く見つけてあげないと。
「あ……」
奏が怪我をした公園の前を通りかかり、僕はハッとした。そのまま導かれるように公園に入る。
広場を通り抜けて真っすぐと公園を進む。向かっているのは桜の木が植えてある場所だ。
公園を見た瞬間、桜の木に手を当てて佇む奏の姿を思い出した。まるで未来視ともいえるイメージに、奏がここにいるのを確信したような感覚で、桜の木に向かう。
「――奏」
桜の木の根元。奏はそこで座り込んでいた。
寒そうに身体を丸めて、とても悲しそうな表情のまま下を向いている。
僕が近づくと足音に気付いた奏がこちらを見た。
「ここにいるってよくわかったね」
「うん……」
奏の言葉に頷いて答える。
「奏、寒いでしょ。陽も落ちてきたし帰ろう」
「ごめん。もう少しここにいたい」
「……そっか」
動こうとしない奏にただ頷く。
身体を震えさせる奏は桜の木に身を寄せる。本当はすぐにでも家に帰したかったけど、その姿を見ていると強く言う事ができなかった。
「僕も、座っていいかな」
僕が聞くと彼女は頷いて答えた。
頷く奏を見てから僕は彼女に近づき、横に座る。
彼女の顔を見るとしっかりとマスクがかかっていて、そこから白い息がうっすら漏れる。膝を抱えた指先は赤くなってしまっていて、かなり冷たくなっているのがわかる。それでも奏はここから動く気配はない。眠ってしまいそうに目蓋を下げて、落ち着いた様子で木にもたれかかっていた。
「さっきからジロジロ、何見てるのよ」
「あ、ごめん」
僕は慌てて目を逸らすと、奏が鼻を鳴らす。
「別にいいよ。急に泣き出して学校から出て行ったもん。気にもなるよね」
「それは……」
それは、僕が悪いから。
そう言おうと思って、言葉を止めた。
下手に謝ると却って奏を傷つけるかも知れない。かといって心配しないのもおかしい。でも心配すれば気を遣わせるかも知れない。どう対応すれば奏を安心させれるのか。最適な答えを探すのに必死になって、僕は何も答えられないでいた。
「――この木さ」
「えっ?」
「桜の木。近い内に切られるって知ってた?」
「いや、どうして?」
「大きくて危ないから。大きいだけの枯れ木なんていつ折れちゃうかわからないじゃない。もう花も咲かさないし、ただ危ないだけの木なんていない方がいいんだって」
「そうなんだ」
「可哀想だよね。確かに枯れてしまってるかも知れないけど、まだちゃんと立ってるのに。花が咲かないだけで邪魔者扱いされてさ。こういう話を聞くとどうしようもなくなるよ。問題がある奴は生きてちゃいけないのかーってさ」
「そんな大げさな話ではないでしょ。危ないから撤去するだけで――」
「危ないってだけなら他の木も一緒でしょ。何かが起きて折れるかも知れないし、それに巻き込まれて怪我をするかも知れない。しっかりした若い木だって登ったら落ちる可能性があるし、枝が折れて刺さるかも知れない。危ないっていうなら存在している木々すべてが危ないよ」
「か、奏……?」
一息に言うと、奏は声を荒げて言葉を続ける。
「生き物だって同じだよ。愛玩用として飼われてる犬だってみんな人を殺せる牙を持っている。それなのに野犬や人を噛んだ犬だけ危険だっていうのはおかしいと思わない? 猫だってそう、熊や鹿だってみーんな危なくて人間に迷惑をかけている。それなのに人に懐くものは尊いとされて、イメージが悪いものは疎まれる。人だって……っ!」
「奏……」
「人だって……周りと同じように生きているのに、見た目が違うだけで異物だって弾かれる……」
奏は言い切ると濡れた瞳を隠すように、畳んだ膝に顔を埋めた。
「もう無理……限界だよ」
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