雪解けの前に

FEEL

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Missing you

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「それにしても、こんなに寒いと昔を思い出すわ」

 窓から見える雪景色を眺めていた咲季がふと口を開いた。

「いつだったか覚えていないけれど、こんな寒い日があったの。それで私は初めて紅茶を淹れてみたのだけれど、渋くて苦くて、とても飲めたものではなかった」
「え……」
「あれ……でもおかしいわ。誰かと一緒にいた気がするのだけど、どなたか思い出せないわ」
「その人は、飲んだのかい?」
「え?」
「君の淹れた紅茶を、その人は飲んでくれたのかい?」

 泰三が聞くと、咲季は頬を緩めて笑顔を作る。

「そうそうっ。その人も紅茶を飲んだのよ。でもね、ふふ。やっぱり苦かったみたいで文句を言われたわ。でも……とても楽しかった」
「そうか……あの時が初めてだったのか」

 咲季が話しているのはきっと屋敷を抜け出した日の事だ。
 あの苦い紅茶の味を泰三も覚えている。記憶が引き出せなくなっていく咲季も同じように覚えてくれていたのだと思うと、涙を止めることが出来なかった。

「咲季……!」

 涙で顔を濡らしながら、泰三は咲季に抱き着いた。
 いきなりの事で咲季は驚いた声を上げたが、すぐに泰三の頭を抱えるように腕を回す。

「いったいどうしたの? こんなに大きな身体をしているのに、泣き虫さんになって」
「すまない……泣き虫で、泣いてしまって……」
「いいのよ。男の子だって泣きたい時があるものね」

 優しく背中を叩かれて、泰三は嗚咽を上げる。濁流のように溢れる感情を吐き出し続けた。

 ずっと彼女が好きだ。
 もう一度、咲季と話したい。
 名前を呼んでもらいたい。
 どれだけ老いても。しわくちゃになっても。空のように飽きない彼女と共に死にたい。
 でもそれは叶わない。共に過ごした彼女の記憶は自分よりも先に旅立ってしまった。
 それが悲しくて。切なくて。やりきれない思いが嗚咽となって溢れ続ける。

 神様。お願いします。
 もう一度彼女に、咲季と話をさせてください。

「…………綺麗」
「え……?」

 間の抜けた声に顔を見上げると、咲季は窓の外を眺めていた。
 光に照らされた彼女の横顔に釣られるように視線を向けると、宵闇を光が照らしていた。

「なんだこれは……?」

 照明のように強い光に泰三は目を細めた。しかし照明にしては明るすぎる。
 窓がカタカタと音を鳴らし、雪が一方向に流される。強い風が吹いたようで、低い唸り声のような音が病室に響いた。
 風が止むと光はゆっくりと姿を小さくしていき、やがて暗闇が戻ってくる。
静寂の中、泰三は雪が降る景色をずっと眺めていた。

「いったい、なんだったんだ……」

 不可思議な光に泰三は戸惑いの声を漏らす。
 抱きしめられたままの咲季の腕に力が入った。

「わからないけど、とても綺麗な光だったわ。霞を晴らす太陽みたい。泰三・・さんも、そう思わない?」

 とても聞きなれた言葉。けれども久しく聞いていなかった自分の名前に泰三は目を見開いた。

「……どうして」

 泰三が呟くと咲季が頭を振る。

「わからない。でも、光を見た途端にモヤモヤとした記憶がすっきりとしたの。それでやっと、思い出せた。ずっと引っ掛かっていた大事な人の名前を」

 笑いかける咲季の顔が涙で滲まぬように、泰三は表情を強張らせた。
 目の前にいるのは咲季だ。半生を共に過ごした一生の相棒だ。もう話す事が叶わないと思っていた彼女が、自分の名を呼んで微笑みかけてくれている。なぜなのかなんてどうでもいい。
 これはきっと神様がくれた奇跡なのだ。生涯人を振り回し、意地悪ばかりしてきた神様がこの歳になってようやく頼みを聞いてくれた。理由なんてそれでいい。彼女ともう一度話せるならば、そんなものはどうでもいい。

「……夜を照らす太陽か。やっぱり、空は飽きないな」
「ええ、そうね」

 咲季と手を繋ぎ合って空を見る。
 宵闇の黒を覆い隠すように、雪はいつまでも降り続いていた。
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