雪解けの前に

FEEL

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 アラームの音で目を覚まして洗面所に向かう途中に声を掛けられた。

「明日、帰省するから」

 恋人と同棲を始めて3年目の朝。同棲相手である羽里雪湖はりゆきこが唐突にそう言った。

「帰省って……まだ12月に入ったばかりだけど」
「もう12月よ。早めに行動しないとラッシュに巻き込まれちゃうから」
「いや、うん。そうだけど……えぇ……?」

 古賀真人こがまさとは雪湖の返答に頷きながらも困惑していた。
 タイミングが早すぎるのもそうだが、唐突に帰省すると言い出したからだ。
 3年間の間で雪湖が実家に帰ったことなど一度もなく、今回が初めての事だった。

「なによ。何か言いたいことでもあるの?」
「いや、別にないけども……それで、どれくらい空ける予定なの?」
「少なくとも一ヶ月。年が明けるまではあっちにいるかな」
「一ヶ月!?」

 予想していた日数をはるかに凌ぐ数字に真人は目を丸くした。

「一ヶ月って、そんなに仕事を休める訳ないじゃないか」
「なんで真人がそんなことわかるのよ」
「いや、だって言っても絶対怒られるよ俺」
「は? 何を言ってるの?」
「だから、一ヶ月も休めないって話」

 少しだけ苛立ちを見せて言うと、雪湖はため息を吐きながらかぶりを振った。

「いつ真人と一緒に帰るっていったのよ。私一人で帰るの」
「えぇ、ちょっと待てよ」
「なによ」
「「なによ」じゃないよ。同棲してから何年も挨拶してないんだから、雪湖が帰るなら一緒に行って両親に顔を合わせないと流石に駄目だろう」
「そんな事。別に家の親は気にしないわよ」
「いや、それでもだな……」
「とにかく、付き添いはいらないから。ご飯食べたらちゃんとシンクにお皿置いてよ。じゃあ」
「あ、おい」

 雪湖は制止の声を聞かず、長い髪をなびかせて仕事に出てしまった。
 真人はため息を吐くと洗面所に向かう。

 雪湖の強引な物言いは今に始まったことではない。彼女は最初に出会った時からはっきりと話す気の強い女性だった。
 雪湖と出会ったのは大学だった。特に目的もなく勉強を続けて入った大学は退屈で、単位だけは確保しつつ遊びに出る毎日を過ごしていた。
 いつものように友達に誘われて飲みに行こうとした時、急遽予定が変わり合コンとなった飲みの席に彼女がいた。
 赤味かかった長い艶髪を耳にかけて、きりっとした瞳を真っすぐに向ける。身長も高く、モデルのようなスレンダーなスタイルに真人は一目で惚れてしまった。

 真人は雪湖の隣に座って必死にアプローチをするが反応は冷たいものだった。
 事務的な挨拶から始まり、普段は何しているのかと問いかければ、

「勉強」

 とだけ言われて。それなら趣味は何なのかと聞いてみれば、

「勉強」

 これまた同じ答えが返ってくる。
 冷たい空気に凍えながらも、意地でも興味を引こうと家では何してるの? と聞いてみれば、

「勉強」

 あまりに同じ答えの連続で、もしかしたら自分はタイムリープでもしてるんじゃないのかと一瞬錯覚したぐらいだった。
 後になって聞くと、どうやら数合わせで渋々参加していたようで、元から乗り気ではなかったらしい。
 それでもなんとか食い下がり、連絡先を聞き続けたら雪湖は半ば呆れ気味に連絡先を交換してくれた。あの時の嬉しさは人生で一番だと言ってもいい。

 それから一年近くの交流を経て交際。あまり間を置かずに雪湖の方から同棲しようと言い出した。
 雪湖の塩対応は相変わらずだったのもあって、まさかの提案に真人は喜び、二つ返事で了承した。
 それから三年。ベランダで雀が求愛行動に勤しむ中、真人は人肌に冷めた朝食を一人で食べている。

「俺って嫌われてんのかなぁ……」

 固くなったトーストを頬張りながら息を漏らす。
 最初は有頂天だった真人も、三年間という同棲生活で雪湖の気持ちに疑いを持ち始めていた。
 家での生活は彼女を中心に回っており、プライベートは基本的に共有しない。もちろん生活費も半分づつ出し合って貯蓄はそれぞれで管理している。
 会社で事務をしている俺と違って雪湖は製薬会社勤めで多忙を極めていて、こうしてお互い一人で食事を取ることも多かった。
 だからこそ、雪湖が帰省するという話をしたのが驚きだった。
 今までずっと忙しそうにしていた彼女が実家に戻ると言い出し、仕事も一ヶ月休むというのだ。急にそんなことを言い出されたら誰だって戸惑うはずだ。

「……まさか」

 真人の脳裏に嫌な予感がよぎった。
 今は12月の始め。ここから一ヶ月となればクリスマスも含まれる。恋人たちの特別な夜だ。
 ――もしかして雪湖は浮気しているんじゃないだろうか?
 俺と話す時の雪湖はいつも愛想を尽かした表情でつまらなさそうにしていた。
 そんな自分を見限って、本当は別の男をキープしているのではないだろうか?
 雪湖に似合うような高身長で仕事も出来て、おまけに顔も芸能人みたいに整っている金を持っている男。そいつがクリスマスに雪湖を連れ出して……と、と、特別なアバンチュールを…………!

「いや、誰だよそいつは……」

 雪湖の忙しさは真人も承知していた。自分の相手をしながら他の男にうつつを抜かす暇などとてもじゃないがない。
 それに、雪湖が仕事に掛けている情熱は本物だ。彼女は病気から一人でも多く救う為に、寝る間を惜しんで仕事に取り組んでいる。
 そんな彼女がほいほいと男についていくとは考えられなかった。

「ご馳走様でした」

 朝食を食べ終わり、言われた通りに食器をシンクに置いて水をかける。ここまでしないと帰って来た雪湖にどやされてしまう。

「……でも、妙だよな」

 皿を洗いながら真人は頭を捻る。
 浮気はないとしても、どうして雪湖は急に実家に帰ろうとしているのだろうか。
 帰るとしてもこんなに急にではなく、事前に言ってくれてもいいものだろうに。

 もしかして、両親が危篤になったのだろうか?

 いや……それにしては雪湖の態度に慌てた様子はなかった。
 考えてみれば、そもそも雪湖の両親が何歳なのか。両親共にご存命なのかすら真人は知らない。

「よく考えたら俺……雪湖のこと何も聞かされてないんじゃないか?」

 雪湖は綺麗だけど人形みたいに不愛想で、仕事に真摯に取り組んでいる真面目な人間。
真人が理解しているのはこの程度で、彼女の生い立ちや趣味。どうして製薬会社に勤めようと思ったのかなんてことすら聞いたことがない。
 思い起こせば普段の会話は雪湖に誘われるように自分の事を聞かれて、延々と自分の事を話しているばかりだった。

「最悪じゃん俺……」

 人の事ばかり聞かされていたら誰でも会話が嫌になる。
 雪湖の呆れた表情も、そこから来たものだと思ったら彼女の態度も納得がいくものだった。
 もしかしたら帰省するという話も、自分の事を両親に愚痴りたくなったのかも知れない。それならば一人で行くといった理由も頷ける。

「なんとかしないと……」

 このままでは雪湖の両親に自分の印象が悪い方向へ伝わってしまう。
 雪湖が家を出るのは明日。早急に行動しなければ……っ。
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