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雪解けの前に
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目が覚めると白い天井が見える。
身体を起こすと端から端まで白い壁。
白一面で覆われた8帖そこらの個室。これが僕の世界だった。
ベッドから身体を起こすと扉が開かれた。
「あ、燈君。もう起きてたの」
古川燈。ベッドのネームプレートにも書かれているこの名前は僕の名前だ。
部屋に同化してしまいそうな白衣を身に纏った看護師が微笑みかけてくる。大きなカートを引っ張って部屋に入って来た看護師はベッドに備え付けられたテーブルを広げて食事を用意する。
「今日の調子はどうかな?」
「問題ないよ。今すぐ外に出て遊べるくらい」
「そう。それはよかった」
看護師は食事を並べ終わると最後に薬袋を置いて部屋を出た。「残さずに全部飲むのよ」
膨らんだ薬の量に眉を顰めて、燈は食事に手を付ける。
目玉焼きが乗ったトーストに豚肉が入ったポン酢のサラダ。サラダの容器の脇にはヨーグルト少しだけ入った小皿が置かれていた。
「いただきます」
お箸を持ったまま両手を合わせて、燈はサラダを口に運ぶ。
ポン酢は控えめにかけられていて、味のほとんどは野菜と肉の油だけ。そんな料理を燈はもう何年も食べていた。
ジュベール症候群。
100人に1人の確率で患う指定難病。
運動機能や学習機能に問題があったり、内蔵。特に腎臓に不調が出る病気だ。
明確な治療方法は見つかっておらず完治は望めない。
その中でも燈は特に腎臓が弱く。少しでも負担をかけないために薄味のものやたんぱく質を取り過ぎないように調整されていた。物心ついた時からずっとそういう食事を取っているから苦痛はないが。物足りなさは感じていた。
サラダとトーストを食べ終えてヨーグルトに手を付けようとした時。開いたままの扉に人影が見えた。
暫くその影を眺めていたが動く気配はなく、燈は面倒そうな表情を作る。
「おはよう。鬼谷さん」
廊下に向かってそう言うと、顔だけ覗かせるように少女が顔を見せた。
「おはよう燈君。ばれていたのね」
「いつものことだからね」
鬼谷はこの病院と同じく、物心がついた時から一緒にいた。
膝まで伸びた異様に長い黒髪。光を反射する艶のある髪に隠れた子供のような小さな顔。だけど背は女性看護師さんと同じくらいだから見た目ほど子供ではないのだろう。
少なくとも僕より年上なのは間違いない。
「食事中だった?」
言いながら鬼谷は部屋に入ってきて椅子に座る。
レースがあしらわれたパジャマを着ている彼女は、そうしていると名前に反して人形のように綺麗だ。
「うん。鬼谷さんはもう食べちゃったの?」
「えぇ。私の食事はあまり量が多くないから」
「ふーん」
何気なく会話をしながらヨーグルトに手を伸ばす。すると鬼谷の視線が強く感じた。
「……」
「……」
彼女の顔を覗くとにこりと笑ったまま何も喋らない。
ヨーグルトが入った容器を取ってスプーンですくうと痛いほどの視線を感じる。
「……」
「どうしたの、燈君?」
「鬼谷さんの視線が気になって食べずらいんだよ」
「あら。それは大変ね」
全然大変じゃなさそうに鬼谷は言った。
「食べずらいなら私が代わりに食べてあげるわ」
「鬼谷さんが食べたいだけでしょ……いいけど」
スプーンを戻して鬼谷に容器を手渡すと彼女は満面の笑みを作る。
「ありがとう。ここの食事は本当に少ないから、お腹が空くのよね」
それには同意する。燈の食事は病院食の中でも特に少ない。適量を食べるとすぐに腎臓が違和感を訴えるから仕方がないのだが、おかげで胃はいつでも空腹を訴えていた。
幸せそうにヨーグルトを食べる鬼谷を尻目に、燈は薬袋を開ける。
「それ、燈君のお薬?」
「うん。毎日食事の時に渡されるんだ」
「ふーん、そう……」
袋の中には粉薬がいくつかとカプセルに詰まった薬が入っていた。粉薬を開けてカプセルの薬を放り込むと、まとめて口に含んで水を飲む。苦い。
「もしかしたらヨーグルトは薬に混ぜて食べるために用意されているのかもね」
僕の顔を見て何かを察したのか、鬼谷はそう言った。ヨーグルトは食べ終わっていた。
「ご馳走様。とても美味しかったわ」
「それはよかった」
手を合わせる鬼谷にそう言うと。立ち上がった鬼谷に手を引かれた。
「さ、食事も終わったし散歩にでも行きましょう。今日はとてもいい天気よ」
「また……こないだもそういって出歩いてるところを怒られたじゃないか」
「ちょっとなら大丈夫よ。さ、いきましょ」
「……まぁいいけど」
ベッドから抜け出ると鬼谷と一緒に病室を出た。彼女はこうやって、毎日のように僕を連れ出しては他愛もない話をして一日を過ごす。僕はその時間がとても好きだ。
退屈で何も変わらない真っ白な毎日。それに鬼谷は色を付けてくれる。口には出さないけど、いつも救われていた。
二人でエレベーターに乗り込み病院の屋上へと向かう。
この病院では屋上は解放されていて、患者や休憩中の看護師さんたちの憩いの場として使われていた。
中央には植木鉢や花壇が設置されていて。病院から外に出れない人でも自然に触れあう事が出来る。僕もお気に入りの場所だった。
扉を開けて屋上に出ると、雲一つなく陽光が屋上を照らす。鬼谷が言った通り、いい天気だった。
「ん~~~……病院の中より暖かいわね」
鬼谷が大きく伸びをする。
日差しに照らされた鬼谷の嫌に白い肌を燈はじっと見ていた。
「なに?」
視線に気づいた鬼谷がきょとんとした顔でこちらを見る。
「そういえば、鬼谷さんがなんで入院しているのか聞いた事ないなと思って」
「そういえば……でもどうして今気になったの?」
「……なんとなく」
燈は曖昧に言う。
健康的に振舞う彼女の肌を見てふと思ったのだが、それを言えば小馬鹿にされてしまいそうな気がする。
「なんとなくねー?」
身体を起こすと端から端まで白い壁。
白一面で覆われた8帖そこらの個室。これが僕の世界だった。
ベッドから身体を起こすと扉が開かれた。
「あ、燈君。もう起きてたの」
古川燈。ベッドのネームプレートにも書かれているこの名前は僕の名前だ。
部屋に同化してしまいそうな白衣を身に纏った看護師が微笑みかけてくる。大きなカートを引っ張って部屋に入って来た看護師はベッドに備え付けられたテーブルを広げて食事を用意する。
「今日の調子はどうかな?」
「問題ないよ。今すぐ外に出て遊べるくらい」
「そう。それはよかった」
看護師は食事を並べ終わると最後に薬袋を置いて部屋を出た。「残さずに全部飲むのよ」
膨らんだ薬の量に眉を顰めて、燈は食事に手を付ける。
目玉焼きが乗ったトーストに豚肉が入ったポン酢のサラダ。サラダの容器の脇にはヨーグルト少しだけ入った小皿が置かれていた。
「いただきます」
お箸を持ったまま両手を合わせて、燈はサラダを口に運ぶ。
ポン酢は控えめにかけられていて、味のほとんどは野菜と肉の油だけ。そんな料理を燈はもう何年も食べていた。
ジュベール症候群。
100人に1人の確率で患う指定難病。
運動機能や学習機能に問題があったり、内蔵。特に腎臓に不調が出る病気だ。
明確な治療方法は見つかっておらず完治は望めない。
その中でも燈は特に腎臓が弱く。少しでも負担をかけないために薄味のものやたんぱく質を取り過ぎないように調整されていた。物心ついた時からずっとそういう食事を取っているから苦痛はないが。物足りなさは感じていた。
サラダとトーストを食べ終えてヨーグルトに手を付けようとした時。開いたままの扉に人影が見えた。
暫くその影を眺めていたが動く気配はなく、燈は面倒そうな表情を作る。
「おはよう。鬼谷さん」
廊下に向かってそう言うと、顔だけ覗かせるように少女が顔を見せた。
「おはよう燈君。ばれていたのね」
「いつものことだからね」
鬼谷はこの病院と同じく、物心がついた時から一緒にいた。
膝まで伸びた異様に長い黒髪。光を反射する艶のある髪に隠れた子供のような小さな顔。だけど背は女性看護師さんと同じくらいだから見た目ほど子供ではないのだろう。
少なくとも僕より年上なのは間違いない。
「食事中だった?」
言いながら鬼谷は部屋に入ってきて椅子に座る。
レースがあしらわれたパジャマを着ている彼女は、そうしていると名前に反して人形のように綺麗だ。
「うん。鬼谷さんはもう食べちゃったの?」
「えぇ。私の食事はあまり量が多くないから」
「ふーん」
何気なく会話をしながらヨーグルトに手を伸ばす。すると鬼谷の視線が強く感じた。
「……」
「……」
彼女の顔を覗くとにこりと笑ったまま何も喋らない。
ヨーグルトが入った容器を取ってスプーンですくうと痛いほどの視線を感じる。
「……」
「どうしたの、燈君?」
「鬼谷さんの視線が気になって食べずらいんだよ」
「あら。それは大変ね」
全然大変じゃなさそうに鬼谷は言った。
「食べずらいなら私が代わりに食べてあげるわ」
「鬼谷さんが食べたいだけでしょ……いいけど」
スプーンを戻して鬼谷に容器を手渡すと彼女は満面の笑みを作る。
「ありがとう。ここの食事は本当に少ないから、お腹が空くのよね」
それには同意する。燈の食事は病院食の中でも特に少ない。適量を食べるとすぐに腎臓が違和感を訴えるから仕方がないのだが、おかげで胃はいつでも空腹を訴えていた。
幸せそうにヨーグルトを食べる鬼谷を尻目に、燈は薬袋を開ける。
「それ、燈君のお薬?」
「うん。毎日食事の時に渡されるんだ」
「ふーん、そう……」
袋の中には粉薬がいくつかとカプセルに詰まった薬が入っていた。粉薬を開けてカプセルの薬を放り込むと、まとめて口に含んで水を飲む。苦い。
「もしかしたらヨーグルトは薬に混ぜて食べるために用意されているのかもね」
僕の顔を見て何かを察したのか、鬼谷はそう言った。ヨーグルトは食べ終わっていた。
「ご馳走様。とても美味しかったわ」
「それはよかった」
手を合わせる鬼谷にそう言うと。立ち上がった鬼谷に手を引かれた。
「さ、食事も終わったし散歩にでも行きましょう。今日はとてもいい天気よ」
「また……こないだもそういって出歩いてるところを怒られたじゃないか」
「ちょっとなら大丈夫よ。さ、いきましょ」
「……まぁいいけど」
ベッドから抜け出ると鬼谷と一緒に病室を出た。彼女はこうやって、毎日のように僕を連れ出しては他愛もない話をして一日を過ごす。僕はその時間がとても好きだ。
退屈で何も変わらない真っ白な毎日。それに鬼谷は色を付けてくれる。口には出さないけど、いつも救われていた。
二人でエレベーターに乗り込み病院の屋上へと向かう。
この病院では屋上は解放されていて、患者や休憩中の看護師さんたちの憩いの場として使われていた。
中央には植木鉢や花壇が設置されていて。病院から外に出れない人でも自然に触れあう事が出来る。僕もお気に入りの場所だった。
扉を開けて屋上に出ると、雲一つなく陽光が屋上を照らす。鬼谷が言った通り、いい天気だった。
「ん~~~……病院の中より暖かいわね」
鬼谷が大きく伸びをする。
日差しに照らされた鬼谷の嫌に白い肌を燈はじっと見ていた。
「なに?」
視線に気づいた鬼谷がきょとんとした顔でこちらを見る。
「そういえば、鬼谷さんがなんで入院しているのか聞いた事ないなと思って」
「そういえば……でもどうして今気になったの?」
「……なんとなく」
燈は曖昧に言う。
健康的に振舞う彼女の肌を見てふと思ったのだが、それを言えば小馬鹿にされてしまいそうな気がする。
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