隣の家のありす

FEEL

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「そうですか……わかりました。ありがとうございます……」

 サウナのような蒸し部屋で、俺は電話相手に向かって会釈をしてから電話を切ると、溶け出すように机に突っ伏した。

「また……駄目だった……」

 電話の相手はいつも持ち込みを呼んでくれる編集者。名出川美海なでかわみうさんだ。唯一俺の作品に可能性を見出してくれる貴重な存在なのだが、可能性を感じているからこそなのか、彼女の評価は厳しい。

『ここの描写なんですが、くどいです。修飾語が多すぎて何を言っているのかわかりません』
『文章を区切って詩的にしているつもりでしょうが、区切り過ぎて因果関係が成り立っていないので、主人公の行動原理がわかりません』
『なんだかよくわかりません』

 と、毎度「わからない」という意見を色々な言葉で着飾って俺にぶつけてくる。結局最後、普通にわからないって言ってるもんね。それだけでよくない? オーバーキルじゃない??

 ミーーーーンミンミンミンミンミン……ジワワワワワワ。

机に突っ伏した俺を嘲笑あざわらうかのように、蝉のハッピーな鳴き声が響き渡っていた。
 ――暑い。 とにかく暑い。
 背中は雨に打たれたようにびしょびしょで、張り付いた服から体に汗が伝い落ちていた。小説をすぐに書き直したいところだが、こんな状態じゃ執筆どころではない。
 ちなみに、エアコンはコンセントを抜いてある。なんでかって? お金がないから。

「おーい、兎山、いるかぁー?」

 半分くらい机と同化しはじめていると、玄関から野太い声が聞こえた。

「いるんだろー。隠れてないでさっさと出てこい」

 リズムよく扉を叩きながら、まるで刑事のようなセリフが聞こえた。しかし、俺は石像のように固まって、黙り続けた。

 ミーンミーンミーン……ジワワワワワワ――。

「……おい兎山ぁ! お前今月の家賃まだ払ってねぇぞっ! さっさと払いやがれ!」

 反応しないままでいると、痺れを切らした男は声を荒げる。あーあーあーあー。聞こえない。何も聞こえない。蝉がうるさくて何も聞こえない。
 無我の境地に到達出来そうな程、心を静めていると、やがて舌打ちと共にノックが止んだ。
やった! 勝った! そう思った瞬間、

「おじじ、うーさんに用事?」

 と、可愛らしい少女の声が聞こえてきた。

「あぁ、ちょっとな。でも反応がなくてな……ありすは兎山のこと知ってるのか?」
「うん! こないだね、ご飯食べさせてもらって、お部屋で寝たっ」
「ね、……はっ?」

 男の驚きの声。可愛らしい少女はどうやら死神だったようだ。社会的な意味で。

「部屋で寝たって……一緒にか?」
「ううん。でも寝てたらだっこされて、お布団に連れてってもらったよ」
「……」

 間違いではない。彼女の言っている事は何一つ間違ってはいない。しかし、相手は間違いなく事実を間違った解釈で捉えている。てか起きてたのかよお前。

「……とりあえず、警察に電話するか」
「はーい、はいはいはいっ、なんでしょうか大家さん!」

 急いで部屋から飛び出すと、短髪を綺麗に撫で上げた屈強なおじさまが、電話を耳に当てていたところだった。もうね、出で立ちだけ見るとまんまヤの人。

「おう、いるんじゃねぇか」
「はい、いました」

 頭を伏せてシュンとすると、目の前に丸太のように太い指がぬっと現れる。

「家賃」

 必要最低限だけ述べて大家はじっと待っていた。同時に、俺も不動の姿勢を取る。なんでかって? お金がないから。

「あの、今少し手持ちが……少しだけ待ってもらえないでしょうか……」
「お前、そう言って先月の家賃も払ってないよな」
「……スイマセン」
「ったく」

 落胆の息を吐きだした大家は手を引っ込めた。と同時に、

「バイトするか?」

 と、言った。

「勿論やるよな。金ねぇんだもんな」
「え、あ……はい、ヤラセテイタダキマス」

 有無を言わせぬ物言いに、俺は米つきバッタのように頭を下げながら、ロボットのように返事をする。

「よし――じゃあ明日、ここに集合な」

 手帳にペンを走らせて千切ると、俺に手渡した。それ以外、特に詳しいことを何も言わずに大家は帰っていった。ひ、非合法の仕事じゃないよね?

「……公民館?」

 時間と一緒に簡単な地図が書いてある紙には、公民館と書いてあった。非合法な仕事ではなさそうだが、何をするのか想像もつかない。

「ん……どうしたありす?」

 視線を感じて振り向くと、アリスがじっとこちらを見ていた。

「うーさん。お金ないの? びんぼーなの?」
「だったらなんだよ」
「これ、たしにして」

 ヒモ男に言うようなセリフを言った後、ありすはポケットからビー玉を取り出した。中に渦巻き模様の入った今時珍しいタイプだったが、俺は「いらん」と、丁重にお断りした。



 次の日。指定された時間に公民館を訪れると、大家と一緒に数人のご老体がいた。

「おー、ちゃんと来たか」
「まぁ……本当にお金ないんで」

 集まっている人たちは大家を含めて、動きやすそうなポロシャツに帽子、首にはタオルを巻いて農業スタイルでゴミ袋を持っていた。

「ん、これお前の分な」

 大家に渡されたのは数枚のゴミ袋のゴミ拾い用のトング。まさかバイトって。

「やー、こう暑いと町内会のゴミ拾いも人が集まらなくて大変でなぁ。参加してくれて助かったわ」
「若い子呼んでくれてありがとうねぇ、大ちゃん」

 まじか……。この炎天下にゴミを拾って回るのか……。せめて言ってくれたら帽子くらい用意したのに。
ちなみに大ちゃんは大家の事だ。吉田大輔よしだだいすけだいちゃん。見た目だけでなく名前も大きいの。

「んじゃあ一時間後にここに戻ってきてくれ、ぶっ倒れんように気をつけろよ」

 吉田の号令と共に、参加者は慣れた動きで散っていった。立っていても仕様がないので、来た道を戻るようにゴミ拾いを開始した。
 と、いっても普段から掃除が行き届いているのか、ゴミが見つからない。たまに煙草の吸殻が見つかる程度でゴミ袋は埋まる気配がなかった。
 結局、炎天下の中一時間散歩をしただけで、公民館に戻ってくることになった。

「なんだぁ、全然拾ってねぇじゃねえか」
「いや、殆どゴミがなかったんですよ……って、大家さんの袋パンパンじゃないですか」

 肩に担いだゴミ袋は丸々と膨らんでいて、屈強な肉体と相まって物騒なサンタみたいになっていた。

「なぜか夏場は道端に缶やらなんやら捨てる奴が多いからな。ちゃんと見てたのか? 本当はサボってたんじゃないのか?」
「失礼な、ちゃんと見てましたよ」
「まぁいい。明日からは俺も一緒に回るから、頑張ってくれ」
「……明日?」

 さも当然のように言ってきた吉田に俺は不思議な表情をして見せた。

「当たり前だろ。たかだか一時間ゴミ拾ったくらいでバイト代を渡せるか。そもそもお前、大して拾ってないし」
「い、いや。それならそれで先に言ってくださいよ。俺にだって予定ってものがあるんですから」
「今月の家賃免除」
「明日も頑張ります!」

 姿勢を正して折れ曲がるように勢いよくお辞儀をした。いや、労働は尊いものだよ。うん。
 次の日も相変わらずの猛暑だった。吉田と一緒にゴミ拾いを始めてみると結構な量で、どうやら俺が歩いてた場所は先に拾われてたんだと思いつつ、吉田が取り逃したゴミを掬っていった。

「――お前、ありすと仲がいいのか?」
「え?」
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