隣の家のありす

FEEL

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 ゴミを拾いながら吉田が言う。
 別に子供が嫌いなわけではないが、お互いの家に入った事もあるが、ありすと知り合って日が浅い事を考えるとそこまで懇意であるとは言い難い。ここは無難に、

「行き倒れていたところを助けた程度の仲です」
「何言ってるのお前?」

 事実を伝えたのに不思議な表情を向けられて少し心が痛んだ。

「外でバテてたんで飲み物をあげたんですよ。それでなんか懐かれちゃって」
「そうか……俺はてっきりそういう趣味の奴なのかと――」
「ノーマルです」

 言い終わるより早くに訂正をした。待って、俺って周りからそういう風に見られてきているの?

「まぁ、人間色々あるけどよ、間違っても法を犯したりはするんじゃねえぞ。客が来なくなるから」
「犯しませんよ。どういう人間だと思われてるんですか俺は」
「普段から部屋に引きこもった生活もままならない独身男性」

 ぴしゃりと吉田が言い放ち。俺は一刀両断切り捨てられた。事実なだけに何も言えなくて、俺は目の前のゴミに集中することにした。

「実際どうなんだよ、小説の方は。上手くいってんのか?」
「まぁ……ぼちぼちです」

 さらなる追撃に曖昧な返答を返す。
 上手くいってるならこうやって炎天下の中ゴミ拾いに精を出さずに家賃を払っている。無論、それは大家も理解している所だろう。彼が言いたいのは、まだ続けるつもりなのか? ということだ。
 クリエイターというのは得てして先が見えないものだ。どれだけ才能がある人間だったとしても、運が悪ければ生きてはいけない。ましてや、俺には運は勿論実力もない。それなのにこの歳までもがいているのが滑稽に見えているんだろう。でも、

「諦めるつもりはありません」

 話を書くのが好きで、ただそれだけでここまでやってきた。評価はされてないが、面白い物を書いている自覚だって持っている。小説家としてまだスタートラインにすら立てていない現状で筆を折る事なんて考えられない。

「――そうか。まぁ、家賃さえ入れてくれればなんでもいいけどよ」
「……頑張ります」

 ゴミ拾いを続けながら、痛いことを言ってくる吉田の後に続いて吸殻を袋に入れた。
 袋を一杯にして公民館に戻ってくると、先に戻っていた何人かが楽しそうに談笑していた。

「あ、うーさんだっ」

 平均年齢高めの集団からありすがひょっこりと顔を出す。

「お前、こんな時間に何してんの? 幼稚園とかないの?」
「ありす、もうしょーがくせいなんだけど」

 ありすは露骨に不機嫌な表情をしてこちらを睨みつけていた。
小学生だったのか。それにしては言動が稚拙というかなんというか。

「そりゃ悪かったな。で、学校は?」
「なつやすみっ」

 腰に手を当ててピースサインを見せつけてきたありすは楽しそうに笑う。

「へぇ、それは羨ましいことで」
「うーさんは何してるの?」
「労働に勤しんでいる」

 いっぱいになったゴミ袋を見せつけてやると、ありすは「すげーっ」ときらきらした目をしていた。落ち葉でかさ増ししといて良かった。

「うーさん、頑張ったねっ、いーこ、いーこ」
「あ、あぁ……」

 頭を撫でようと手を伸ばすありすに、俺は少しだけ気恥ずかしくなって目を伏せた。
 褒められるのなんて子供の時以来で、どういう反応をしたらいいのかわからずに言葉に詰まってしまう。これだと俺の方が子供みたいじゃないか。

「おう、ゴミ置いたら飯行くぞ。奢ってやる」
「いいんですか?」
「あぁ、どうせまともに食ってねぇだろ。ありすも来い」

 背を向けて手をひらひらと動かす吉田の仕草は、任侠映画の兄貴分のように頼もしく見えた。本当にこの人、そっち側の人なんじゃないだろうか。
 ありすと一緒に吉田の後を付いていこうと振り返ると、爪先立ちになったありすが必死に体を伸ばしていた。

「……何してんのお前?」
「あたま、なでる、とどかない」

 体を震わしてカタコトで話す小さな生物が必死に伝えてきた。姿勢が辛いのか、顔を赤くしているありすが不憫思えてきたので、撫でやすい位置まで頭を下げてやると、わしゃわしゃと髪の毛をかき回された。

「よしっ!」
「……よしじゃねえよ」



 ゴミ拾いを初めて一週間。月は八月に入っていた。
 慣れた手つきでゴミ袋を縛っていると、吉田が封筒を差し出してきた。

「お疲れ。これ、今日までの給料な」
「あ……ありがとうございます」

 やったー、やったぞ。心の中で喜びつつ、封筒を受け取った。給料日はどんな時でも嬉しいものだ。

「早速で悪いが確認してみてくれ」
「え? いいですけど」

 言われるままに封筒を開けると、ゴミを拾っただけとは思えない量の金額が入っていた。え、やだ、こんなに貰っていいの?

「確認したか?」
「はい。こんなに貰っていいんですか?」
「あぁ、問題ない」
「おぉ……では遠慮なくいただきますっ」
「ん、それじゃ」

 感謝を述べると、吉田は手の平をこちらに突き出す。

「……俺、手相とかはあんまり詳しくないんですけど」
「違ぇよ。家賃だ家賃」

 あー、はいはい。家賃ですねはい。そういえば家賃の為にゴミ拾ってましたね。
 封筒を開けて中の金額を改めて確認すると……給与は家賃と同額だった。念の為、もう一度確認してみても同額。あれ、あれれ?
 不思議に思っている間に、吉田は封筒ごと給料を奪い取ってしまった。

「はい毎度」
「あ、あの……全部回収するなら俺は何のために給料を受け取ったんでしょうか」
「給料は給料だからな。こういう所はきっちりしないと、未払いって文句言われても困るしな」

 当たり前のように言ってのける賃貸経営者は、二秒で給与を取り上げられる労働者の悲しみは考慮していないらしい。

「家賃も受け取ったし、バイトは今日まででいいよ。ご苦労さん」
「はい……お疲れ様です」
「来月は遅れるなよ」

 去り際に釘を刺されつつ、無事に家賃を収めた俺はアパートに帰った。
 アパートまで戻ると、俺の部屋の前に人影があった。時折ノックをしては中の様子を伺う女性はよく知る人だった。

「大喜さん、どうかしました?」

 近くまで行き名前を呼ぶと、彼女は驚いた様子で体を跳ねさせた。

「あ……兎山さん、外に出てらしたんですね」
「はぁ、ちょっとバイトで」
「え、バイト?……何か欲しいものでもあるんですか?」
「いや、まぁ色々あって。まぁ今日までだったんですけど」
「そうなんですか、お仕事お疲れ様です」
「ありがとうございます……」

 相槌を返すと、俺の姿をにこにこと笑って見ているこの女性、大喜紗綾おおきさやはアパートの住人だ。
 整った容姿に綺麗な長髪を後ろで束ねた彼女は、人当たりの良さが所作から滲み出ていて、育ちの良さを感じさせる女性なのだが……俺はどうにもこの人が苦手だ。

「ところで……ご飯は食べられました?」
「いや、まだですけど」
「それは丁度良かった。私も今からなんで一緒に食べませんか?」
「……まぁ、いいですけど。俺あんまりお金ないですよ」
「大丈夫です、私が作りますから。さ、鍵を開けてもらっていいですか?」
「ちょっと、ちょっと待ってください」

 ほら来た。何なのこの人、距離感怖いんですけど。
 大喜さんは出会った時からこんな人だった。一見普通の人に見せかけて、実態はぐいぐいと人のパーソナルスペースに土足で入り込んでくるコミュ力モンスターなのだ。
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