上 下
97 / 189
落とされる。

11

しおりを挟む
 ダイニングチェアに座った甘路の前に、間違えないようにマグカップを置く。それから対面席に座ると、もう一つのマグカップを置いた。
 見た目はどちらも同じ、ただのブラックコーヒーだ。
 くるみは自分用のコーヒーを口にしながら、甘路の様子を窺っていた。
 やがて甘路が手にしたマグカップが、口元に運ばれて傾く。
 なにも反応はない。特に変わった様子もなく、少し中身の減ったマグカップが、再度テーブルにのせられた。
 
「……甘路さん、コーヒー、いかがでしたか? 淹れ方が下手じゃなかったらいいんですが」

 甘路がコーヒーを飲んだことがわかると、くるみは努めて明るく自然に問いかけた。
 そして甘路はついに決定的な一言を告げる。

「……ああ、美味しい」

 その言葉に、くるみから笑顔が消えた。
 最初から、今まで、不自然に感じていた点が、すべて線で結びつきハッキリと形を成す。
 ――やっぱり、そうだったんだ……。
 内心呟いだくるみは、自分の中で整理をつける。
 急に神妙な顔つきになったくるみを、甘路は不思議そうに眺めていた。

「……すみません、試すような真似をして」

 僅かに首を傾げる甘路に、くるみは決心して切り出した。

「甘路さんのコーヒー、醤油をたくさん入れたんです」

 くるみの告白に、今度は甘路が驚く番だった。
 くるみの秘密の行動とは、甘路のマグカップに醤油を大量に入れたこと。
 その上からコーヒーを注いで混ぜたのだ。液体なのですぐに合わさり、全体的にひどい味になっているはずだ。
 それなのに、甘路は「美味しい」と言った。
 味に敏感でない人間でも、一口飲んだ瞬間吐き出してもおかしくないようなものを。
 甘路はくるみと目を合わせたまま、瞬きすらできず沈黙していた。
 互いの呼吸が聞こえそうなほど、静かな時間。その様子が、事実を物語っていた。

「味…………わからないんですね」

 くるみが絞り出すように核心を突いた。
 甘路はようやく瞬きをしたものの、まだ動けずにいた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:11

不器用なベビーシッター

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

Bグループの少年

青春 / 連載中 24h.ポイント:5,481pt お気に入り:8,331

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:51,994pt お気に入り:4,928

処理中です...