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第一章 魔法習得編

第一話 美少女の姉が二人

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「姉ちゃんマジ勘弁――イテッ!」
「ブリッツェン、あんた男の癖に途轍もなくダラシないわね」
「ね、姉ちゃんこそ、女の癖に――」
「なにかしら?!」

 整った綺麗な顔から一変して、眉間に皺を寄せた恐ろしい形相でこめかみに血管を浮き上がらせた次女のエルフィが、末っ子である弟の俺――ブリッツェン――を相手に、凄まじく怒気の篭ったネイビーブルーの瞳で睨みつけてきた。

 この小娘の眼力《めぢから》はマジ怖い。元より切れ長な少しキツい目つきをしているけど、怒らせると美人ゆえにより威圧感があるよな。ここは反論せず大人しくしておいた方が良さそうだ。

 それにしても、いくら我が家が騎士爵で、嗜みとして剣の技術が必要だとはいえ、読書ばかりしている青瓢箪の俺に容赦なく木剣を叩き付けてくるのは如何なものかと思う。
 それもこれも、姉であるエルフィが『聖なる癒やし』と呼ばれる回復の魔術を使えるからこその蛮行なのだろうが、結果的に治るとはいえ、木剣で何度も叩かれるのは本当に勘弁願いたい。
 ちなみに、俺に剣技を教えてくれていた兄は今年から就職したので、今は現在現在進行形で俺を睨みつけているエルフィが教官だ。

「ふんっ、まぁいいわ。今朝の鍛錬はここまでにしましょう」
「はぁ、はぁ、やっと終わる……イテテテ」
「終わった途端に大の字になるなんて、本当に情けないわね」

 俺だってこんな七歳の小さな子どもの身体でなければ、小娘に小突かれたくらいならビクトもしない……とは言い切れないか。俺の生まれ育った地球と違って、この世界は剣と魔術がモノを言うんだもんな。
 仮に俺が日本人時代の三十五歳の身体でここにいても、きっと小娘……エルフィ姉ちゃんにコテンパにされるのが関の山だな……。

「~~~~~~『聖なる癒やし』」

 俺が脳内でグチグチとボヤいている間に、エルフィは回復の魔術である『聖なる癒やし』を施してくれていた。

 緑豊かな自然の中で大地に寝そべり、そよ風が頬を撫でようとも、火照った身体は熱く痛く、泣きたくなる現状を消し去ってはくれない。しかし、エルフィの手の平に浮かぶ魔法陣からもたらされる癒やしにより、熱も痛みも引いていき、泣きたくなるどころか心地良さすら感じてくる。

 やっぱ魔術って凄いよな。あんなにボコボコにされて身体のあちこちが悲鳴を上げてたっていうのに、そんな痛みを消してくれるだけじゃなく、逆に心地良さを与えてくれるんだもんな。それに、魔法陣を生で見られるとかちょっとした感動だよ。
 でも、そんな魔術を俺は……。

「なに情けない顔をしているのよ。もう動けるでしょ?」
「あ、うん。ありがとう姉ちゃん」
「お礼なんていいわよ。さぁ、さっさと水浴びをして朝食をいただきましょう」
「じゃあ、姉ちゃんお先にどうぞ。俺は後でいいから」
「あんた最近はいつもそれ言うわね。何度も言ってるけど、朝から呑気に時間をかけてる余裕なんてないから一緒に済ますのよ。いいから行くわよ」

 まぁ、ここで口答えしても、いつのも如く結果が変わらないのは学んだし、素直に付いて行くしかないなんだよな。

 俺の気が重くなっているのは、今から向かう先で行う”水浴び”が嫌だからだ。
 と言うのも、この世界にはどうやら湯船に浸かる風呂の文化が無いようで、基本は大き目の盥と大き目の桶に湯を入れ、大き目の盥にペタンと座り、その湯に浸した手拭いのような布に質の悪い石鹸で泡立て身体を洗う。そして、最後に大き目の桶に入っていた湯で身体を洗い流すのだが、それは俺としては問題ない。俺が問題視しているのは、#に”水浴び”をすることだ。

 まぁ、それはこの世界の習わしなので仕方のないことなのだろうし、日本でも一桁の年齢の姉弟なら問題ないのかもしれない。だが、俺にとっては非常に困る行動がある。それは、九歳の美少女と全裸で身体を洗い合う・・・・ことだ。
 いくら今の俺が七歳の肉体だとは言え、中身は三十五歳のオッサンである。――もう一度言う。三十五歳独身童貞無趣味ボッチである。それでも九歳の少女、それが美少女であっても欲情することはないのだが、どうにも照れてしまう。

 先日ブリッツェンが七歳を迎えたあの日、日本人であった俺の記憶がこの小さな身体で蘇った。
 その件に関して今はさて置き、日本人として夢も希望もない三十五年を過ごしていた俺は、ブリッツェンとして新しい世界で、新しい人生を送れることに夢と希望しか感じてなかった。だがしかし、この”水浴び”からして俺にはハードルが高く、早々に挫けそうになっていたのだ。

 いや、本来なら女性と全く縁の無かった生活から、女児と一緒に水浴びができることになった今の環境を喜ぶべきなのだろう。……素直に喜んで良い事柄かはさて置き。しかし、この女児は俺であるブリッツェンの姉だ。その姉に変な感情を抱くなどあってはならないのだ!

 最近では毎日の儀式となりつつあるこの葛藤を、声に漏らさないように心の中で繰り広げつつトボトボ歩いていると、水場の扉を開けたエルフィがいきなり声を上げた。

「あらお姉様、どうなさったの?」
「今日は朝から暑いでしょ。朝食のお手伝いをしていたら凄く汗をかいてしまったものだから、軽く水浴びでもしておこうかと思っていたのよ」

 水場に着くとそこには先客がいた。その先客とは、俺の好きなぱっちり眼《まなこ》でちょっとタレ目な長女のアンゲラである。
 アンゲラも一汗かいたたらしく、たまたま水浴びに来ていたようで、既に全裸で水浴びをしようとしていた。

「あた、……わたくし達も朝の鍛錬が終わり、水浴びをしようと思っていたところなのですのよ。お姉様、ご一緒してもよろしいですか?」

 俺の前では姉の威厳を振り翳《かざ》したいエルフィだが、俺以外に対しては淑女然とした言動をしているので、アンゲラに対して慌てて言葉遣いを改めた。

「勿論よ。――ブリッツェン、今日は姉さんが洗ってあげますね」
「ほらブリッツェン、さっさと脱ぎなさい。せっかくお姉様が洗ってくださるのよ」
「……」

 サファイアブルーの瞳で俺を見つめ、慈愛に満ちた聖母の如き笑顔で優しく俺を誘う鈴を転がすような声のアンゲラに俺は見惚れてしまった。
 そんなことはお構いなしに、俺の耳元で小声の毒を吐くエルフィだが、俺は暫しの硬直状態に陥ってしまっていたので、その毒は俺の耳に留まることなく通過していた。

 マジで勘弁して欲しい。
 いくら美少女であっても九歳でツルペタのエルフィには欲情しない。いや、確かにエルフィは銀髪でサラサラロングの美人さんだ。それでも俺は欲情しない。
 だがしかし、金髪ウェイビーロングの美少女で発育が良く、十一歳らしからぬ胸部装甲を持っているアンゲラは拙い。
 小さい頃からアンゲラと一緒に水浴びをしていた記憶は、ブリッツェンの記憶として俺の中にもあるし、姉弟なので変な感情は抱いていない。……いや、強がりだ。本当は、姉弟でなければ恋愛に疎い俺でも確実に惚れていただろう。それくらい、アンゲラは成長したら俺の好みになり得る顔立ちの少女だ。……違う、超絶美少女だ。多少は邪《よこしま》な感情を抱いている自覚はある。
 そして、多少とはいえ邪な感情を持っているわけだから、俺がアンゲラとの水浴びには必要以上にドキドキしてしまうのは仕方がない。――いや、これは言い訳だ。
 中身が三十五歳のオッサンだから九歳のエルフィに欲情しないと言いつつ、十一歳らしからぬ立派な胸部装甲を持つアンゲラにドキドキしてしまうのは、アンゲラの顔が好みというより胸部装甲――そう、たわわに実った二つの果実が俺を狂わせるのだ!
 例え、たわわに実った果実の持ち主の年齢がたかだか十一であろうと、男心を擽《くすぐ》るのには十分だと俺は断言しよう!

 俺の精神が軽く崩壊しかけていた時間が数秒なのか、はたまた数分なのかは不明だが、そんな俺にエルフィは追撃の毒を吐きかけてきた。

「早く脱ぎなさい! お姉様をお待たせするんじゃないわよ!」
「わ、わかったよ……」

 エルフィの毒で我に返った俺は、渋々ながら服を脱いだ。だが、早くも心臓がバクバクしている。

 落ち着け俺! あの可愛い系の金髪碧眼のお人形さんのような容姿に、笑顔を絶やさない貴族然とした佇まいで内面も慈愛に満ちた聖女のような人は姉だ! 姉なんだ!!

 剣の鍛錬用の服をゆっくり脱ぎながら、俺は精神を落ち着かせるすべく洗脳を自らに施していた。

 多少の落ち着きを取り戻した俺は、視線を背け、拙い足取りで盥の方へ向かった。

 そもそも、老若男女問わず人との関わりが希薄であった三十五歳童貞が、美少女二人と裸のお付き合いをするのはなかなかにハードルが高い。

 ちなみに、金髪と銀髪の西洋人形のような姉たちとは違い、俺は黒髪黒瞳でやや薄い顔の造りである。そして、西洋的な顔の造りが一般的なこの世界で、俺一人だけ日本人的なのっぺり顔なのだ。
 ついでに言うと、体付きも西洋人と日本人では違うように、俺は日本人的で小柄なのだが、年齢を考慮したとしてもかなり小さく非常に残念である。
 おまけまで言うと、黒髪黒瞳は”悪魔の子”と呼ばれ忌み子とされている。

 俺は気を逸らそうとあれやこれやと頭をフル回転させているのだが、アンゲラとて無言で淡々と作業の如く身体を洗う機械ではない。当然ながら、会話もする。

「ブリッツェンは読書ばかりでなかなか身体を動かさないから、姉さんは貴方のことを心配していたのだけれども、最近は少しずつ逞しくなってきているようね。自分のことを『俺』って言うようになったのも自信の現れかしら?」

 俺の背中を洗ってくれているアンゲラがそんなことを言っていたが、それは単に今の俺がこの身体で覚醒した結果だろう。何だかんだ身体を動かすように心掛けているのだから、それで何も変わっていないと言われたら悲しくなってしまう。

「そうかな?」

 良かった、無難な会話だ。何とかどもらずに普通に返事ができたぞ。

 ――むにゅ~。

「うん、以前より少しだけ胸板が厚くなった気がするわ」
「――――!」

 アンゲラが不意に後ろから抱き着いてきて、俺の胸をペタペタと触るではないか。

 マジで不意打ちは止めて頂きたい。

 変なことを考えないように頑張っているのに、背中にそんな柔らかい『感触』を与えられては、俺の意識が柔らかな感触に包み込まれて溺れてしまいそうになる。

 あぁ~、溺れてもかまわないぃ~。むにゅむにゅして柔らかいんじゃぁ~。ホント『異世界は、いー世界だなー』なんつって。

 そんなくだらないことを考えられるくらい、俺はこの世界に馴染んでおり、今も現在進行系で前世では味わえなかったこの世の春を謳歌している。
 いや、今だけではない。俺はわけもわからずこの世界の住人になっていたが、良い家族に恵まれ、最底辺らしいが貴族の子と言う肩書というか立場がある。そしてなにより、美少女の姉が二人もいるのだ。楽しくないわけがない。

「お姉さま、ブリッツェンはまだまだですわ。姉であるわたくしにやっと付いてこられる状態なのです。それも、わたくしの『聖なる癒やし』があってなのですよ。ですから、お姉様はブリッツェンをあまり甘やかしてはいけませんわ。まぁ、それでも少しは成長していることは認めますけれど、それはわたくしの教えがあってのことでしょうね」

 二つの柔らかいマシュマロの感触を背中に受けている俺は、「これが幸せってことなんだな」などと夢見心地でいると、多分間抜け面を曝しているであろう俺の目の前で、『お姉さま、褒めるならわたくしを褒めてくださいませ』と言わんばかりに腰に手を当て、無い胸を張った全裸のエルフィがいる。迷惑極まりない。
 そんなエルフィも確かに美少女なのだが、残念な感じがなんだか微笑ましく、生暖かい目でエルフィを見ている内に、行き場を失った滾りが掻き消された。
 まぁ、滾った所で七歳の肉体ではどうのしようもないのだが。

 そんなエルフィを見ていたら、高卒で正規の就職もしたことがなく、アルバイトを転々として、終いには派遣で工場勤めをし、歯車の一部となっていただけのつまらない三十五年の人生だった日本人時代を思い出した。なぜだかわからないが。
 それを思うと、俺という人間が存在していることを受け入れてくれる人たちがいる、この素晴らしい世界に生まれさせてくれた神に感謝したい。
 確かに、この世界は現代日本と比べて遥かに文明レベルが低く、曰く中世ヨーロッパ的なのだろう。生活の快適さで現代日本に敵うはずもない。それでも、この世界は不便さを補っても有り余る人の触れ合いや優しさがある。そんな人の優しさに触れてしまえば、『ここなら楽しい人生を過ごせる』と思えてくる。それを不思議には思わない。

 俺がアンニュイな気持ちになっていると、アホなエルフィがキッと目を細め、俺から身体を離したアンゲラの胸元に視線を向けると、急におかしなことを言い出した。

「お姉様、また大きくなっていませんか?」
「そうかしら? そんなことはないと思うのだけれども」

 ぱふっというか、もにゅっという擬音が聞こえそうな感じでアンゲラは自分の胸に手を当て、小首を傾げながらエルフィの問いに否定していた。

 そんな遣り取りを開始した姉妹の会話に、冷静を取り戻した俺が無意識に耳を傾けていると、エルフィが目を疑うような行動をするではないか。

「――やはり大きくなっていますよお姉様!」
「ちょっ、エルフィ……何を、やっているの。止めなさいっ」

 柔らかなマシュマロに沈む細い指とか眼福だなぁ~……って、そうじゃない! アホ姉はなんちゅうことをしてるんだ! 俺もそのマシュマロを……じゃない! 落ち着け俺!

「お母様はお胸がご立派で、お姉様もこんなにご立派なお胸なのに……」
「……エルフィは、これから成長……するのだから、まだまだ……あん……これからよ。――それより、痛いから手を、離して……エルフィ」

 いつもの如く慈愛に満ちた柔らかな笑顔は薄っすら赤く染まっていて僅かに歪められつつ、それでも優しい口調でエルフィの暴挙を止めさせようとするアンゲラ。そんなアンゲラから漏れた艶めかしい声を聞いた時、『まだ七歳の身体で良かった』と心底思った。
 そんなアンゲラに対し、「神は何故わたくしにこのような試練を課すのでしょう」などと口走っているエルフィは、アンゲラの静止の言葉など耳に届いていないようで、涙こそ流していないが今にも泣きそうな表情でアンゲラの胸を揉みしだいている。

 姉ちゃんは胸にコンプレックスがあるのか? 九歳なんてぺったんこで当たり前だろうに。

 哀れなエルフィを思っていると、俺の心はなぜかわからないが穏やかになった。
 そう、ここでアンゲラに意識を持っていくと俺はどうにかなりそうなので、生暖かい目でエルフィを見ることで危険を回避したのだ。

「あら、灯りが消えたわ」
「照明の魔道具の魔石が魔力切れしたのかしら?」
「ブリッツェン、魔石の交換して」

 この世界も少しだけ便利な物がある。それは魔物から得られる魔石を利用した家電のような物だ。

「魔石を交換したら、俺はそのまま部屋に戻るよ」
「わかったわ」

 それにしても、エルフィはアホな姉ではあるが、何だかんだ俺にとっての一服の清涼剤になってくれる良い姉だと思う。今まで一人っ子だったから姉弟なんていなかったので、尚更そう思うのだろうか?
 そして、アンゲラも普段は良い姉なのだが、水浴びに限っては俺の心を掻き乱すので要注意だ。


 魔石の交換を終え、無事に水場からの離脱に成功した俺は、ほっと胸を撫で下ろした。

 朝飯食ったら自由時間だ。今日もの勉強をしないとな。
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