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第二章 王都金策編

第九話 枢機卿で神殿伯

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「如何でしょうか、『聖女』アンゲラ様がお住みになるお屋敷は?」
「却下」

 アルフレードの先導でアンゲラの新住居予定地にやってきたのだが、そこは閑静な住宅街と言った感じの場所で、アルフレードにアンゲラが住む”屋敷”と紹介された場所は、アホみたいに広々とした庭のある豪華な一戸建てであった。
 一応、内部の確認もしたが、あまりにも贅沢過ぎる豪邸だったのでお話にならない。


 そんな訳で俺達はフェリクス商会へ戻ってきた。

「クラーマーさん、ご用意して頂いた屋敷は流石に借りられないです」
「何か不都合がございましたか?」
「とても素晴らしい屋敷でメイドもご用意して頂いたようですが、姉は大貴族の令嬢ではないので些か上等と言いますか、分不相応な立派過ぎるお屋敷でしたので」
「ですが、ブリッツェン様の姉上であり『メルケルの聖女』呼ばれるアンゲラ様であれば、あれくらいでなければいけません」

 クラーマーさんが有能なのはわかるけど、俺に関係することは変なフィルターがかかったようにポンコツになるんだよな。

「確かに、姉はメルケルで聖女などと呼ばれていますが、王都では新任神官の一人に過ぎません。それに、俺も冒険者学校にも入学していないただの田舎貴族の末っ子ですので、この様な過分な評価は身の丈に合っていないと言いますか、畏れ多いと言いますか……。とにかく、もう少し一般的な場所を紹介していただけないでしょうか?」
「ブリッツェン様がそう仰るのでしたら……。しかし今は時期が時期ですので、少しお時間がかかるかもしれません。ただ、見つかるまではこのまま我が家にお泊り下さい」

 この世界では一月で年度が変わるが実質は二月から動き出すので、一月は準備期間的な引っ越しシーズンとなっている。しかし、一月も終わろうかという今は良い条件の物件が少ないのだろう、空き家を見つけるのは簡単ではないようだ。

「私は神殿の寮に入っても構わないわよブリッツェン」
「いいえ、アンゲラ様! アンゲラ様に相応しいお住いを必ず見付けてみせます!」
「いややいやクラーマーさん、普通でいいので。――姉さんもクラーマーさんが探してくれるまで少しだけ待っててよ」

 というわけで、クラーマーに条件を提示し、再度アンゲラの住まいを探してもらう運びとなった。

 ちなみに、断った屋敷の家賃は、値切った上にクラーマーが内緒で家賃の一部を肩代わりする予定であったらしいが、その金額は教えてくれなかったので相当な値段だったようだ。
 どうしてクラーマーがそこまで俺に肩入れするのかわからないが、『このオッサン本当は馬鹿なんじゃねーの?!』と思ってしまった。

 いや、悪い人じゃないのはわかっているんだけどね……。


 予定が狂って暇になった俺は、『九九早見表』を更に生産することにした。
 先日作った『九九早見表』をクラーマーに渡したところ、「これは素晴らしい」と大絶賛され、クラーマーは従業員に複製させて従業員の教育に使うと言っていた。
 そんなに喜ばれるのであれば、今後どこかで役に立つと思い、今のうちにストックして魔道具袋もどきにしまっておこうと思ったのだ。
 ただ、これはかなり値打ちがある情報なので、できれば今は世に出さないで欲しいとクラーマーに言われてしまった。
 商人からすると『九九早見表』は高値で取引できる情報のようで、これを商売の種にしたいらしい。
 俺としても、クラーマーがそう言うのであれば、これは気軽に教えて良い情報ではないと感じたので、むしろろ自分の従業員に情報漏洩をさせないようにしっかり管理した方が良いと助言しておいた。

「ブリッツェンはやはり凄いわね。こんなの何処で教わったのかしら?」
「どこだったかな? 古い書物に書いてあったのを覚えただけなんだけどね」
「小さい頃から読書が大好きだったブリッツェンだからこそ、こうして皆のお役に立てているのね」

 アンゲラは俺の知識の出処が気になったようだが、誤魔化すために読書で身に付けたと告げると信じてくれた。

 異世界から持ってきた知識とは言えないからな。


 夕食後、クラーマーから冒険者ギルドの換金相場が落ち着いたと知らせてもらい、翌日はまた換金を行ってもらうこととなった。
 前回より値は下がっているが、それでも通常の相場以上に戻ったので、今の時期はこれ以上にはならないだろうとの判断だが、俺としては問題ない。
 素材は今晩のうちにフェリクス商会の魔道具袋に移動しておいた。


 翌日、アンゲラが神殿本部へ挨拶に行くとのことで、俺も同行していった。

 久しぶりに神官見習いの衣装を纏ったアンゲラと訪れた神殿本部は、メルケルの神殿とは違い非常に大きな建物だ。
 造り自体は円柱の石柱が何本もあるのは地方の神殿と同じなのだが、如何せん規模が全然違う。というのも、王都は伏魔殿だった場所にあった神殿をそのまま使っているので、神殿本部その物が古代遺跡なのだとか。それに対し、他所の神殿は神殿本部を模倣して作ったものであるが、神殿本部より立派な物にならないように建てたというのだから規模が違うのも当然だろう。

 神殿の中に入り、近くにいた神官にアンゲラが来訪理由を告げると、神殿の奥へと案内されて待合室に通された。
 暫く待合室でぼけーっと待っていると、お付きの神官らしき者を釣れた老人の神官が現れた。俺は慌ててソファーから腰を上げたが、アンゲラはいつもの如く優雅に立ち上がった。

「待たせたかな?」
「いいえ。むしろ、このような突然の来訪に対応していただき、感謝いたします」

 アンゲラは、気負いもなく淡々と答えていた。

「まぁ、掛けたまえ」
「失礼致します」
「私は枢機卿の一人、マリウス・フォン・シュピーゲルだ。宮廷では神殿伯をしている」
「私のような者に枢機卿のお一人、それも神殿相のシュピーゲル枢機卿が応対してくださったことに篤くお礼申し上げます。申し遅れました。私はメルケル領から参りました、アンゲラ・ツー・メルケルと申します」

 何か凄い人が出てきたと思ったが、その凄い人を相手に普段と全く変わらない佇まいで挨拶を交わすアンゲラもまた凄いと思った。

「うむ。其方は『メルケルの聖女』と呼ばれる才女と伺っている」
「恐れ多くもそのような呼び名、私には過分にございます。私はまだまだ駆け出しの身ゆえ、こちらの神殿本部で精進したく思っております」
「ここは其方のような地元で期待された者が多く集まる場ゆえ、中には勘違いした者もいるが、なかなか謙虚でよろしい。その気持ちを忘れずこれから精進するがよい」
「ありがたきお言葉とお心遣いに感謝申し上げます」

 かなり格上の上にスキンヘッドの強面なこの爺さんを目の前に、よくもまぁ、姉さんは堂々としていられるよな。小心者の俺なら吃って会話にならなさそうだよ。

「ところで、隣にいるのは?」
「初めて王都を訪れる私のために色々と力になってくれる、私の自慢の弟でございます」
「お初にお目にかかりますシュピーゲル枢機卿。アンゲラの弟ブリッツェン・ツー・メルケルと申します」
「自慢の弟とハッキリ言えるとは、なかなか才のある者のようだな」
「弟は若輩ゆえ、世間からすればまだまだ至らぬところばかり、と言われるかもしれません。ですが、私にとっては可愛くもあり自慢の弟と胸を張って喧伝できる、それはそれは立派な弟でございます」
「ふむ、其方の表情を見るに、心底大事であると伺える。善き哉善き哉」

 強面の爺さんのグレーの瞳から放たれる眼光が鋭く、とてつもない威圧感を与えてくるが、相好を崩すとそのギャップからか、優しさが滲み出ているように感じた。

「ところで、其方は地方から出てきたのであれば寮住まいとなるのか? 手続きが必要であればこの者にさせよう」

 爺さんは、後ろに控えるお付きの神官に目配せする。

「お気遣いありがたく存じます。ですがご心配には及びません。王都で私が生活する場は知人が用意してくださったので、枢機卿のお手を煩わせることはございません」
「ほう、メルケルといえば王国の南西に位置する辺境の地であるが、そのような地にいた其方に王都に知人がいたのか?」
「厳密に申しますと、弟のブリッツェンの知人であります。フェリクス商会の会頭であるクラーマーと言う方で、手違いがあり現状はまだフェリクス商会にお世話になっておりますが、住居が見つかり次第引っ越す手筈となっております」

 わざわざ引っ越しができていないことまで言う必要はないと思ったが、前もって状況を伝えておこうと言う腹積もりなのだろうか。

「フェリクス商会と言うと、新興商会の割に最近は随分と名を聞くようになってきた商会だな。ブリッツェンと言ったか?」
「はい」
「辺境に住まう其方が王都の商会と縁を持っていると?」
「はい。以前フェリクス商会のクラーマーさんがキーファー領にいらした際、たまたま縁を結べまして、今も良くして頂いております」

 姉さんが余計なことを言うから興味を持たれちゃったじゃん! 出来れば盗賊の話とかしたくないからな。このまま話の流れが変わって欲しいもんだ。

「まぁ、深く聞くのも何なので聞かんが、王都で名を轟かせ始めてている中堅の商会の会頭と知己があるのも、アンゲラが自慢の弟と言い切れる所以なのだろう」
「そうでございますね」

 姉さんは慈しむような笑顔でこっちを見てるけど、俺としては気が気じゃないよ。

「しかし何だな、私とメルケル神殿の司祭ヨーンとは旧知の仲で、ヨーンから「我がメルケルの才女である『メルケルの聖女』をよろしく頼む」と自信満々に言われていたのだが、ヨーンが珍しく推薦してきたのもわかる気がするわ」
「ヨーン司祭には大変お世話になり、こうして神殿本部へ送り出してくださったことに感謝いたしております」
「よし、アンゲラ」
「なんでございましょう?」
「其方は私が面倒を見よう」

 あら、姉さんは随分と大物に気に入られたな。
 枢機卿が神殿ではかなり高位であるのは俺も知ってるけど、神殿伯って多分だけど大臣的な立場だと思う。姉さんを気に入ってくれたのは、そんな大人物なんだよな。流石は『メルケルの聖女』だよ。
 そんな人が面倒を見てくれるのだから、これで神殿内のイジメ……とかあるかわからんけど、心配は不要だな。

「ありがたく存じます」
「うむ。では、明後日の新神官洗礼の儀の後に詳しい説明をしよう」
「宜しくお願いいたします」

 こうして、神殿本部への挨拶が終わると、軽く神殿周辺を探索をした俺達はフェリクス商会へ戻った。


「――ってな感じで、神殿相であるシュピーゲル枢機卿もフェリクス商会ご存知でしたよ」
「お~、我が商会も”宮廷伯”に知られるまでになりましたか」
「宮廷伯とは?」
「宮廷で国王陛下の代わりに政治を執り行う方々で、宮廷伯その物が当人限りの爵位ともなっております。そして、宮廷伯は十人おりまして、宰相以外はそれぞれ部署を持っております。神殿伯の管理する神殿相はその一つで、宗教施設管理と宗教的催事などの運営を行っており、王国中の戸籍管理も行っておりますな」
「宰相は部署を持っていないのですか?」
「はい。宰相は全ての部署を統括しておりますゆえ、厳密に言えば全ての部署が宰相の部署とも言えます」

 あまり政治に関する本を目にしてなかったから知らなかったけど、王政と言えど王が何でもかんでもやってる訳じゃないんだな。でも当然か。多分、最終決定は国王が下しても、その過程は全て家臣があれこれしているのだろうな。
 それがあれか、アルフレードが目指してる内政官って奴か? それの偉い人が宮廷伯なんだろうな。
 うん。俺も少しその辺は興味あるな。

「クラーマーさん、王都には図書館はありますか?」
「ありますよ。ただ、本は非常に高価な物ですので、保証金委託が金貨一枚、入館料が都度銀貨十枚と高額でございます」

 保証金委託と言うのは、何かあったらそれで支払うってことかな? それが日本円だと十万円相当で、入館料が都度一万円ってか。高いな……。

「保証金委託に関しては、入館時に毎回渡し、退館時に返却されます」
「写本は可能ですか?」
「可能な物と不可の物とあります」
「そうですか。では、皆の学院生活が再開した後にでも行ってみます」

 姉さんの神殿生活が始まり、アルフレードとエドワルダの学院生活も始まる。そうなると俺は時間が余るから、素材の換金が終わるまでの余暇は図書館で勉強をしよう。

 余暇の使い方が決まった俺は、ほっとひと安心したのであった。
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